第36話 懐かしき街と、変わらぬ空
戦いが終わったわけではない。
影界王ゼヴァリオンとの決戦は、確実に近づいている。
それでも――
嵐の前には、ほんのひとときの静けさが訪れる。
蒼紋の丘を離れ、
レンたちはかつて暮らしていたエルドの町へと足を向けた。
そこには、変わらない日常と、
そして――確かに変わってしまった自分たちがいた。
エルドの町は、相変わらずだった。
石畳の通りを行き交う人々。
市場に並ぶ果物と焼き立てのパンの匂い。
冒険者たちの笑い声と、子供たちのはしゃぐ声。
レンは、その光景を少し眩しそうに眺めていた。
「……懐かしいな」
ぽつりと漏らすと、隣を歩いていたミオが鼻を鳴らす。
「何よ。しんみりしちゃって」
「いや、俺たち……ずいぶん遠くまで来たなって思ってさ」
ミオは一瞬だけ視線を逸らし、すぐにそっけなく言った。
「ふん。今さらでしょ」
「……そうだな」
そう返しながらも、レンの視線は無意識にミオの横顔を追っていた。
風に揺れる髪。
少しだけ緩んだ表情。
(……前は、こんなこと考える余裕もなかったのに)
胸の奥に、名前のつかない感情が静かに広がっていく。
一方、通りの反対側では――
「セルヴァンじいちゃーん!!」
子供たちが一斉に駆け寄ってきていた。
「おおお、元気そうじゃのう」
セルヴァンは呵々と笑い、軽々と子供を肩車する。
影界を統べる王と因縁を持つ存在とは思えないほど、穏やかな光景だった。
「また昔話して!」
「うむうむ。では今日は、“星が生まれた夜”の話じゃ」
子供たちは目を輝かせる。
セルヴァンは、いつだって人の側に立っていた。
その時だった。
広場の方から、荒々しい怒鳴り声が響いた。
「どけ! 邪魔だって言ってんだろ!」
数人の冒険者が、鎖につないだ低級モンスターを引きずり回している。
ゴブリンにも満たない、魔力の薄い個体だ。
子供たちが怯えて、後ずさる。
「見ろよ! テイムもできねぇ雑魚は、黙ってろってんだ!」
空気が、一瞬で冷えた。
レンたちが視線を向けるより早く、
カイが一歩、前に出ていた。
ただ、それだけだった。
カイとモンスターの視線が――合う。
次の瞬間。
ギャアッ、と悲鳴を上げ、
低級モンスターたちは鎖を引きちぎらんばかりに暴れ、逃げ出した。
「な、なんだ今の……!?」
冒険者たちが狼狽する。
カイは首をかしげた。
「……ごめん。俺、何かした?」
していない。
だが、“存在そのもの”が違った。
逆上した冒険者の一人が、剣を抜いて突っ込んでくる。
「舐めやがって!」
だが――
レンはため息をつき、一歩踏み込んだ。
剣を叩き落とし、体勢を崩し、肘打ち一発。
魔法すら使わない。
「……ここ、町なんだけど?」
同時に、別の冒険者がカイに向かうが――
一瞬で武器をはじき飛ばされ、地面に転がる。
あまりにも、あっさりだった。
残った一人が、青ざめた顔で後ずさり、走り出す。
向かった先は――子供たち。
「動くな! ガキがどうなっても――」
その言葉が、最後まで言い切られることはなかった。
いつの間にか、セルヴァンがそこに立っていた。
にこやかな笑顔のまま。
冒険者が一歩踏み出そうとした瞬間、
影が――動いた。
足元の影が実体化し、地面に縫い止める。
「ひっ……!?」
「その手は、良くないのう」
セルヴァンの声は、静かだった。
「子供を脅す者には……少し、反省が必要じゃ」
冒険者は泣き叫び、謝罪を繰り返す。
ほどなく、町の衛兵に引き渡された。
夕暮れ。
騒ぎが嘘のように、町は再び穏やかさを取り戻す。
レンは空を見上げていた。
「……俺たち、変わったな」
すると、隣からミオが袖を引く。
「……あんたさ」
「ん?」
ミオは少しだけ、視線を逸らしたまま言った。
「前より……ずっと、頼りになるわね」
レンは一瞬、言葉を失い――小さく笑った。
「今さらだろ」
「ば、バカ!」
ミオは顔を赤くしてそっぽを向く。
その背中を見ながら、レンは胸の奥が温かくなるのを感じていた。
守りたいものが、
また一つ、増えた気がした。
戦いから離れた、束の間の日常回。
エルドの町での出来事は、
レンたちが「どれほど遠くへ来たか」を、静かに示します。
ミオとの距離。
カイの“格”。
セルヴァンの変わらぬ優しさ。
すべては、来るべき決戦の前に刻まれる、大切な時間。
平日昼の更新です。次回もお楽しみに!




