第7話 揺れる心と静かな決意
夏の風が少し涼しくなって、電車の音が遠くから近づいてくる。
「うん、また…あの、九条くん」と彩愛が何か言いかける。
目が真剣で、少し緊張してる。
その瞬間、後ろから「悠翔?」と声がする。振り返ると、美緒が立っていた。
カバン持って、驚いた顔でこっちを見る。
彩愛と俺が並んでるのを見て、目が一瞬鋭くなる。
「美緒…」と声をかけると、「またその子…」と彩愛に視線を移す。
彩愛が「えっと…」と戸惑う中、電車がホームに滑り込んでくる。
美緒が一歩近づいて、「ねえ、悠翔、星乃さんとどんな関係なの?」と聞いてくる。
声に少し苛立ちが混じる。
「…友達。今は」
「何、今はって」
すると、今度は彩愛に「その人は…?」聞かれたので「ただの幼馴染」と答えた。
黙って俺と彩愛を交互に見て、唇を軽く噛む。
「ただのって…何」と小さく呟いて、カバンを握り直す。
彩愛が「私…」と、もう一度何か言おうとするタイミングで電車がやってきた。
「…何?」
「…ううん。何でもない。それじゃあ、また明日ね」
「…うん」と、彩愛と別れた。
そして、彼女を見送った後、美緒と2人きりになる。
「…好きなの?」と聞かれて、言葉が詰まる。
「…好きだったら何?」
「…嘘つき」
「は?」
「私のこと…好きって言ったのに」と、呟いていなくなった。
何を言ってるんだ?
そんな記憶は俺にはない。
本当に小さい頃に言ったのだろうか。
そんな言葉が気になりながらも、それでも俺は…。
2010年7月、月曜の朝。
教室の窓から夏の陽気が差し込んで、机の上がじんわり温かい。
昨日の彩愛とのデートが頭の中を巡る。服屋での笑顔、パフェの甘さ、カラオケの澄んだ歌声、ゲーセンの楽しそうな顔。
そして駅での美緒との鉢合わせ。あの鋭い視線と「またその子…」という言葉が耳に残ってる。
美緒とは距離を取ってたはずなのに、こうやって絡んでくるのは何だろう。
朝のホームルーム前、教室がざわついてる中、美緒が近づいてくる。
カバンを机に置いて、美緒が眉を寄せながら、黙ってこちらを見る。
視線が何か言いたげで、でもこちらに話しかけてくることはなかった。
その態度が気になった。
どうせあいつと結ばれる未来を知ってるから。
でも、昨日からの様子見てると、俺が他の誰かと一緒にいるのが気に入らないみたいだ。
嫉妬?いや、まさか。
俺なんかにそんな感情持つわけないって思うけど、心が落ち着かない。
放課後はいつものように図書室へ向かう。
彩愛が本棚の間を歩いてて、俺を見つけると静かに笑う。
「昨日、楽しかったね」と柔らかい声で言う。
今日もメガネはしていなかった。
「うん、また行きたいね。あっ、そういえば昨日、何か言おうとしたよね?」
駅でのことだ。
あの時、美緒が現れなかったら、彩愛は何を言うつもりだったんだろう。
「うん、ちょっとね」と曖昧に答える。
「気になるな」
本の整理しながら、彩愛が「まぁまぁ、それはまた今度ね。はい、昨日のお礼」と小さな袋を渡してくる。
中見ると、手作りのマドレーヌ。
夏らしいレモンの香りがふわっと広がる。
「お礼?」
「ほら、カラオケとかゲームセンターとかいっぱい付き合ってくれたし」
「そんなのいいのに。俺も行きたかったわけだし…。でも、ありがとう、美味しそうだね」と言うと、彩愛が照れ笑い。
「食べてみてよ」と言うから、その場で一つ取り出す。
ふわっとした甘さが口に広がって、「うまいよ」と感想伝えると、「良かった」と彩愛が笑う。こういうさりげない優しさ、彩愛らしい。
◇
次の日、昼休み。
彩愛が図書室で待ってて、一緒に食べる約束してた。
弁当持って行くと、彩愛が机にサラダと手作りおにぎり並べてる。
昨日よりシンプルだけど、丁寧に作られてるのが分かる。
「いただきます」と一緒に手を合わせて食べる。
彩愛がサラダを箸でつまみながら、「夏って暑いからさっぱりしたのがいいよね」と言う。
「うん、このドレッシングいいね」と返すと、「お母さんの手作りのドレッシングなんだ」と笑う。
俺の弁当は母さんの作った肉じゃがで、彩愛が一口もらうと、「あっ、美味しい。優しい味だね」と目を細める。
食べてる途中、彩愛がふと顔上げて、「中学の時の話していい?」と呟いた。
「うん、聞きたいよ」と答えると、少し遠くを見る目で話し出す。
「人見知りで友達少なかったって前も言ったけど、夏休みとか特に寂しくてさ、本読んでばっかりだった」
「そうなんだ」
「うん、みんなと遊ぶより一人でいる方が楽だったんだ」と苦笑う。
俺も「夏休みは家でゲームしてたよ」と返すと、彩愛が笑って、「そういうとこ似てるね」と言う。
さらに続ける。
「中学2年の時、クラスの人気の男子に告白されて、それがきっかけで女子グループに無視されたんだ。告白断ったら生意気とか、そんな感じで私が悪いみたいにされて…大変だったんだ」と小さく笑う。
「モテると大変だね」
「うん。だから、あんまり自分の顔も好きじゃなかったんだ。もっと可愛くなかったらとか、そんなこと考えたこともある。けど、今はこの顔で感謝してる」と笑顔になる。
◇
水曜の放課後、図書室で彩愛と本の整理。
夏の夕陽が窓から差し込んで、部屋がオレンジに染まる。
彩愛が本を手に持ったまま、「ねえ、九条くんってさ」と切り出す。
「あの子のこと好きだった?」と、聞かれる。
あの子とは美緒のことだろう。
「うん。昔はね」と、彩愛が首傾げる。
「そうなんだ。なんで今は好きじゃないの?」と聞かれた。
答えづらい質問だった。
「…拒絶されたことがあるんだ。気持ちを伝えたら気持ち悪いって」
「え?でも、この前は全然そんな感じはしなかったっていうか…むしろ…」
「いや、今はどうとか関係ないんだ。もう…いいんだよ」
「嫌い?」
「好きじゃないっていうのが正しい表現かも」
◇
木曜の昼、図書室でまた一緒に食べる。
彩愛が持ってきたのは冷やしうどん。
「暑い日にぴったりだね」と言うと、「うん、夏はこれが一番」と笑う。
彩愛に一口もらう。
「シンプルだけど美味しいね」と言うと、「これはお母さんの得意料理なんだよね」と言われた。
夏の暑さの中、彩愛との時間が涼しく感じる。
◇
金曜の放課後、図書室で彩愛と話をする。
「夏休みの予定ってある?」と聞くと、彩愛が少し考えて、「本読んだり、お菓子作ったりかな。九条くんは?」
「俺は家でゴロゴロするくらいかな」
「じゃあ、夏休みにどっか行こうか。海とか。あとは今度はちゃんとカフェ巡りしたいな」「うん、決まりだね」
「楽しみだね」
その時、ドアが開いて、美緒が入ってくる。
カバン持って、俺と彩愛を見て、少し立ち止まる。
「別に…。美緒、どうしたの?」と聞くと、「図書室の本借りに来ただけ」とぶっきらぼうに答える。
彩愛が小さく会釈すると、美緒が一瞬目を細めて、本棚へ向かう。
空気が少し重くなって、彩愛が俺をちらっと見る。
美緒が本を持って貸し出しの処理を行い、図書室を出ていくと、振り返って、「ねえ、悠翔」と呼ぶ。
「何?」
「夏休み、暇なら連絡してよ」
「…うん、分かった」
自分は彼氏ができた途端、全く連絡とってこなかったくせに。
こっちが連絡しても1日後とかだったし。
夏の夕陽が図書室を染める中、彩愛がそっと手を握ってくる。
彩愛の手の温かさが心を静めてくれる。