『真実の愛』というのはどんなものなのか教えていただけますでしょうか?
婚約破棄はありますがざまぁはありません。童話っぽい雰囲気を目指しました。
「マリー・ウィンストン伯爵令嬢。今日をもって君との婚約を破棄させてもらう」
「そんな! ルイ殿下、どうしてですか。私の何がご不満なのでしょうか」
「君は悪くない。だが私はこのアンリに出会ってしまった。君とは親の決めた婚約だった。だが私は真実の愛を見つけてしまったんだ」
「ごめんなさいマリー様。でも私はルイ王子のことが……」
「この泥棒猫!」
とある国のとある夜会。
目の前ではどこかで見たような婚約破棄の修羅場が繰り広げられていた。
主役はこの国の第三王子であるルイと婚約者マリー伯爵令嬢。そしてルイにしな垂れかかっているアンリ男爵令嬢だ。
本当によくある(?)話だ。
幼い頃から双方の親に決められた婚約者同士だったルイとマリー。しかしルイは貴族の子弟が通う学院で男爵令嬢のアンリと親しくなり心を奪われてしまった。そしてついに今夜ルイはマリーに公衆の面前で婚約破棄を言い渡したのだった。
「ルイ殿下、こんな勝手が許されるとお思いですか?」
「たとえ父王がなんと言おうとこの気持ちは揺るがない」
「確かに私達の婚約は親が決めたことです。ですがルイ殿下はいつも私に優しかったのに……。それは偽りの愛だったというのですか」
「すまないマリー。私は真実の愛を知らなかったんだ」
「マリー様……お願い。諦めてくださいませ」
「この……!」
周囲のギャラリーをよそに盛り上がる三人。
アンリの言葉に激高したマリーが手を上げようとしたときだった。
「……あのー、すみません」
あきらかに空気の読めない間の抜けた声がして、人々の中から一人の小柄な少女が出てきた。
ふわふわとした綿菓子のような金色の髪に明るい若葉色の瞳のあどけない美少女だ。おそらく十歳前後の、夜会に来るには少々早い年齢だろう。
「ティナ・ハーディングと申します。お取込み中申し訳ありませんが、ひとつ質問をしてもよろしいでしょうか」
いきなり修羅場に水を差されて中心の三人も戸惑った顔をしていた。周囲がざわめく中、ルイが向き直る。
「一体なんだ。今は忙しいのだが」
「はい、それはわかっています。ですがお尋ねするには今しかないかと思いました」
今まさに三人は修羅場中なのだ。
見覚えもない取るに足らない子供の相手をしている場合ではないのだが、という雰囲気をびしばしと出していたがティナは臆する様子もなく口を開いた。
「ルイ殿下、『真実の愛を見つけた』とおっしゃっていましたがそれは一体どのようなものなのでしょうか?」
「えっ」
思いがけない質問にルイはぱちりと瞬いた。
しかし次の瞬間にはドヤッとした顔で胸を張る。
「そんなことか。まあ君のような小娘にはまだわからないかもしれないな。真実の愛とは――……」
「愛とは?」
「ルイ殿下?」
言葉を途切れさせたルイに左右からマリーとアンリが圧をかけている。
周囲も質問の答えを固唾をのんで見守っていた。
「そ、そうだな。えーっと……それは言葉にするのは少し難しい感覚だ。だが私は彼女を生涯愛すると誓ったんだ」
「殿下!」
アンリが感極まり、マリーがぎぎぎ……と歯ぎしりをしている。
「……そうなのですか。結婚するとき、男女はそう誓いあいますよね。私の両親もそうでした。ですが、あっという間に破綻して二人とも外に恋人を作ったのですよね」
ティナは困ったように小首をかしげる。まるで天使のような愛らしさだが出てきた言葉はそれとは正反対のものだった。
「そして私がまだ三つにもならないうちに母は離婚して恋人と出ていき父も外に作った愛人の家に入り浸りで帰ってこなくなりました」
「……そ、そうなのか。それは大変だな」
「まあ、なんてこと。それじゃああなたの養育はどうされたの?」
いきなり複雑な家庭環境を披露されてルイ王子は戸惑い、マリーが心配そうにティナに向き直る。
貴族同士の結婚はもっぱら政略結婚だ。そのため夫婦間の間柄が破綻することはよくあるが、やはり小さな子供がそのような環境に置かれているのは気の毒に皆思う。
「祖父と祖母が私を養育してくれています。父は娼婦に熱を上げて家の財産を持ち出そうとしたので絶縁されました」
「こんな小さな女の子を残してなんて無責任なの」
「本当だわ。母親も母親ね。自分の子供を置いて家を出るなんて」
アンリとマリーが頷き合う。
ルイがティナの前まで行き目線を合わせる。
「ティナといったか。君を育ててくれる祖父と祖母は君を愛しているのではないのか」
「いえ、祖父も祖母も母の面影を残した私を快くは思っておりません。他に跡取りもいないので仕方なく養育してくれているのです。実際そう言われて育っています」
「……可哀想に」
「こんな小さな子にそんなことを……?」
ティナは宝石のような大きく無垢な瞳で三人を見上げた。
「ですから、私は『真実の愛』というのがどういうものなのか知りません。今夜も早く婿を見つけてこいと一人でここに参加させられましたが、どうしたらいいのかわからないのです」
「……そうだったのか。一人で大変であったな。ハーディング家についてはこちらで調べよう。君のような小さな子供を一人夜会に放り込むような監督者は問題だ。……マリー、この娘を頼めるか?」
「はい、我が家で保護いたしますわ」
ルイに視線を向けられてマリーが頷く。
この国において小さな子供を健全に養育しないことは罪に問われるのだ。
「待ってください。この子……」
そっとアンリがティナに寄り添うマリーに耳打ちする。
ティナの細い腕には袖をめくると痣があるではないか。さっとマリーは顔色を変えた。
「ティナ、ちょっとあちらに行きましょうか」
「はい」
穏やかに微笑んだマリーとアンリにティナは別室に連れていかれることになった。
それを見届けたルイは一度ため息をつきはっと我に返る。
気がつくと周囲には人だかりができていた。
気まずい。
「き、今日はここまでだ。散れ散れ!」
とにかくあの少女の家を調査しなければならない。
そこでふと思う。
あの少女の言葉だ。
真実の愛とは何なのか。
自分で見つけたと言っておきながらはっきりとは答えられなかった。
(言葉で簡単に説明できるものではないんだ! アンリといると楽しいし心が安らぐ。それが愛だろう……。しかし長年共にいたマリーのことを私は信頼している。ティナのこともまず頼ろうとしたのはマリーだった。マリーと共にすごした日々も楽しかった。……じゃあ私は彼女を愛していたのか?)
一人で頭を抱えつつ配下にハーディング家の調査を命じているルイの姿を遠くから冷めた目で見ている一人の少年がいた。
それからしばらくして、幼児虐待の疑いでハーディング子爵家は地位を剥奪されマリーのウィンストン伯爵家の配下となった。
子爵家の地位はティナが成人したら戻されることになっている。それまでティナはウィンストン家で養育されることになった。それはハーディング子爵家が田舎だがいくつか特産物のある豊かな農地を持っていたから、という大人の事情もあった。
もちろんマリーとルイ王子、そしてアンリは純粋な気持ちでティナを助けようと動いてくれたのだが。
「それでルイ殿下は?」
「婚約破棄騒動で国を騒がせた罰で、今は辺境の地に飛ばされて開拓をがんばってるみたいだよ。結局マリーともアンリとも別れたんだって。真実の愛ってのがわかるまで誰とも付き合わないんだって」
「そうなんですか……。ルイ殿下は真実の愛を見つけたっておっしゃっていたのに」
ウィンストン邸の広大な庭にある東屋でティナは一人の少年とお茶をしていた。
ティナより少し年上の利発そうな美少年がのんびりと微笑む。
「そう思い込んでいただけみたいだよ」
「そうなんですか。真実の愛って難しいんですね、セシル殿下」
彼はルイの弟で第四王子のセシルだ。
あの夜会の夜、彼も実は会場内にいた。そして後日、ウィンストン邸で養育されることになったティナの元にやってきたのだ。
「そうだね。その瞬間は見つけたと思っても、それが真実かどうかわかるのはずっと先なのかも」
「本当に。……でも私はルイ殿下はあれこれ言われていますが感謝しています。だって私を助けてくださったから」
「マリーとアンリはあの後、不思議と意気投合して悩める子供が駆け込める協会を立ち上げたんだっけ」
「はい。私のように家族から虐待を受けたり、悩んでいる子供達を助けるための場所を作りたいとおっしゃっていました」
ティナも大きくなったら手伝うつもりだ。
幼い頃、両親に見捨てられ祖父母にもただの跡取りの道具として見られ生きてきたティナは人の温かさを知らなかった。
けれどウィンストン邸ではマリーをはじめ、周囲の人々は皆優しくしてくれる。おかげでやせ細っていたティナは少しずつふっくらとした健康的な美少女になっていた。
「それにしてもティナは勇気があるよ。あの場面で声を上げることができたんだから」
「……私の窮状を訴えるにはもうあの場面しかないと思ったのです」
早く金になる良いところの婿を見つけて来いとまだ早すぎる夜会にドレスを着せられて無理やり放り込まれたあの夜。
まだ小さなティナを相手にしてくれる男性などもちろんいない。せいぜい誰かの子供がついて来たのだろうと思われるくらいだった。
そんなときあの修羅場が始まったのだ。
そしてルイの『真実の愛を見つけた』という言葉を聞いて、思わずティナは声を上げていた。
そんなものあるはずないと心のどこかで思っていたからかもしれない。そこには少しばかりの反発心と、自分を助けてほしいという縋るような気持ちがあった。そして意外にも修羅場を演じていた三人はティナに手を差し伸べてくれた。
「まあ僕も本当にどうしようもないと思っていた兄上にも良いところがちょびっとはあると知ることができて良かったよ」
頬杖をついてセシルが笑う。
兄については色々思うところがあったらしいが少しは見直したようだ。
「私は恵まれています。こうやって助けていただいたのですから」
「ティナは大変な目に遭ったのにとても謙虚だね」
「そんなことはないです。皆さんに感謝しているんです」
ティナが大変な目に遭ったのは周囲の大人達のせいだ。けれどティナを助けるために動いてくれたのもまた周囲の大人達だった。
世の中には色々な人達がいるし簡単には善悪で測れないのだということをティナは知った。
「僕は勇気があって謙虚なティナのことをとても素敵だと思うんだけどな」
「え?」
「ところで僕は第四王子だ。王子も四人目ともなると結構自由でさ」
「はあ……確かによくこちらにいらしてますもんね」
急にセシルが妙なことを言いだした。
夜会でのティナの突飛な行動を気に入ったらしいセシルはなぜかしょっちゅうウィンストン邸を訪れていた。自分などと話して楽しいのだろうかとティナはいつも不思議だった。
「君が大人になったらハーディング子爵領を継ぐだろう? そしたら僕も付いて行きたいんだ」
「え……」
「僕も正直『真実の愛』なんてわからないよ。だけどそれなら二人でその『真実の愛』を見つけるまで一緒にいないかい?」
こうして数年後、ティナは成人すると共にセシルと結婚しハーディング子爵となった。
二人は五人の子を産み育てながら子爵家の領地を守り穏やかに暮らした。もちろんその間には喧嘩もしたしあわや離婚かというような大騒ぎにもなった。けれども二人は別れることはなかった。
晩年は子爵の地位を子に譲り二人は小さな屋敷で穏やかに過ごした。
「ティナ。『真実の愛』は見つかったかい?」
「ええ、確かにここに」
ベッドに横たわる老いたセシルの手を握りながらティナは微笑んだ。
真実の愛など知らぬ少女だった。
そんなものが本当にあるのかすら懐疑的だった。
けれど今は確かにそれがあると感じられる。
それはセシルと共にティナが守り育ててきた大切な宝物だ。
「私はたくさんの人に助けられ守られてきたわ。そしてセシル、あなたと一緒にいたから見つけることができたの。あなたとすごした日々こそが私の……」
セシルは言葉もなくほほ笑むだけだ。
でもそれで充分だった。
誰に何と言われようともティナは『真実の愛』を見つけたのだ。
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