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贈る想い ドッグラン  作者: 一無
8/10

寒椿

どうか最後までお付き合いください。

よろしくお願いいたします。

 あれから半月が経った。

 アキの調子は良いとも悪いとも言えず、たまに引きつけを起こしては、道子を落ち込ませている。

 動物病院では人間のような検査までは受けられず、原因を特定することは困難であった。

 少なくともX線の検査では、脳に異常は見られなかった。

 都会の設備の整った病院へ行けば、もう少し詳しく調べることができるのかも知れないが、アキの負担を考えると、車に乗せて何時間も往復することが躊躇(ためら)われた。

 道子は自分を責めている。自分の気持ちがアキに移って発作を起こさせるのだと。

 道子を、また精神科に通わせようかとも思ったが、地方の病院には上手にカウンセリングが出来る医者は居らず、下手に薬物治療を受けさせれば、自分と同じように道子を駄目にしてしまう可能性も高い。

 治療方法は薬物による対処療法が殆どで、一度精神科で治療を始めると、薬物により症状は抑えられるが薬物に依存するだけで根本的な治療は行われない。

 また自分を追い込んでしまう事も考えられる。

 何より道子が治療を嫌っており、力づくと言うわけにも行かずに今では通院を断念している。

 そんな状況であるので、絹江をマンションへ呼ぶ事も諦めざるを得なかった。

 その事についても道子が自責の念を抱いている事が祐介には手に取るように分かっていた。しかし、掛ける言葉が見つからない。

 お互いに、お互いを理解しているために、相手の気持ちが分かり過ぎて、それが、お互いの心の負担になってしまうのである。

 そんな二人を気遣ってか、武丸も余計な世話を焼かずに、適度な距離を保って接しているつもりのようであった。

 天気の良い日などは、道子を散歩に誘ったりしてくれている。

 道子も気が晴れている時には気軽に応じ、アキを連れて公園まで散歩に出たりもしていた。

 今も武丸と二人で散歩に出ていた。

 一年も終わりに近づき寒い日が続くが、今日などは春を思わせる陽気である。

 陽気のせいか、仕事疲れのせいか、ソファーで微睡(まどろ)む祐介に気を使って、道子はアキを連れて静かに部屋を出たようである。

 〈絹江さんに連絡でもするか〉

 絹江とは、たまに食事をしたりしている。

 勿論、祐介と二人だけでだが、その事は道子にも話をしていた。

 気持ち良く微睡んでいる祐介の携帯が、呼び出し音を響かせた。

 びくり、として目をやると道子からである。

 一瞬、体が強張るが気を取り直して携帯を取り上げる。

  『お兄ちゃん、起きてる』

 明るい声に、ほっと胸をなで下ろす。

 「ああ、今起こされた」

 『ごめ~ん。あんまり良い天気で気持ちが良いから、お兄ちゃんも出て来なよ』

 「そうだな。俺も太陽光で充電しておくか」

 『それが良いよ。じゃ、待ってるね』

 「おう」


 その後、アキの発作も影を(ひそ)め、二週間程が過ぎた。

 「道子、アキの調子も良いみたいだし、延期にしていた食事会、武丸さんも呼んでしようか」

 「うん、皆には心配かけちゃったし、お礼と、お詫びの意味も込めてやろうか」

 道子も、ようやく調子が上がって来ていたので明るく答えた。

 「二人の予定を聞いてみるよ」

 祐介が、早速二人にメッセージを送って予定を確認する。

 武丸からは、すぐに返事が帰って来た。

 『ご招待、有難う御座います。いつでも都合をつけますよ。本当は、いつも暇です。喜んで伺わせて頂きます』

 メッセージを道子に見せる。

 「きゃはは。武ちゃんらしい」

 「あの人、仕事してんのか」

 「馬鹿ねぇ。私達が気を使わないようにしてるのよ。でも意外と暇らしいよ」

 「やっぱり」

 「絹ちゃんは仕事中かなぁ。店が終わった後も、経理やら掃除やら大変なんでしょ」

 「みたいだね。バイトさんを増やしても良いんだけど、まだ手一杯ってわけじゃないから、オーナーも()ん切りつかないんだって」

 「ほほぉ、情報通ですなぁ」

 「なんだよ。その、いかがわしい目付きは」

 「(うらや)ましい限りですな」

 「だから、その目はやめろって」

 道子は横目に祐介を見ながらニヤニヤしている。

 その時、祐介の携帯の通知音が鳴った。

 「絹ちゃんかな」

 「そうだ」

 携帯を取り上げて、メッセージを開きながら答える。

 「来週末、土曜日なら大丈夫だって。ショップは、バイトさんとオーナーに任せるらしい」

 「じゃ、決まりね。お兄ちゃんは大丈夫でしょ」

 「うん」

 「何だかオーナーさんも絹ちゃん頼りみたいだね。無くてはならない存在だ」

 「だな。オーナーさんは、ちょっと、のんびりした感じだから」

 祐介が、おっといけない、と言った様子で言葉を飲んだ。

 「もう良いって。冷やかさないから。何だか、馬鹿らしくなって来ちゃった」

 「献立を考えないとな」

 「その前に返信。武ちゃんにもだよ」

 「そ、そうだな。うっかりしてた」


 「何か、良い事でもあったの」

 隣の席の田中明美が、祐介に声を掛けた。

 事務所には定時を過ぎても祐介を含めて、五人が残って事務作業をしている。

 「別に有りませんよ。普通です」

 「この間までは、ちょっと暗かったじゃない。皆で心配してたんだよ」

 仕事の手を止めて田中に顔を向ける。

 「そうなんですか」

 祐介は恐縮して、そう言った。

 「あなたは、そう言うところが分かりやすいんだから嘘がつけないのよ」

 「て言うか、気の使い過ぎでしょ」

 祐介の右斜め前、田中の正面に座る、祐介より三つ年下の鈴木が口を挟んだ。鈴木は道子と同い年である。

 「祐介さんは皆に優しいから、皆も祐介さんの事が気になるんですよ。何かあったら力になりたいってね。明美ちゃんなんて、その筆頭ですよ。もしかして()れてる」

 田中が鈴木に消しゴムを投げつけた。鈴木は器用に受け取り、有り難うと言ってポケットに仕舞う振りをする。

 「皆に心配を掛けて済みません。ペットの事で色々有ったもので」

 「あら、この間言っていたアキちゃんの事かしら」

 田中は鈴木から消しゴムを返して貰いながら、聞き返した。

 「はい、どうやら癲癇を持っているようなので、妹も心配しちゃって元気が無かったんです」

 「道子さんも元気が無かったんですか。何だったら(なぐさ)めに行きますよ」

 「お前のような軽薄な男は、兄の俺が許さん」

 「えぇ~、結構真面目に言ってるんですよ」

 祐介は鈴木の事が気に入っていた。

 一見屈託のない能天気を装い、実は結構な、(したた)か者で仕事も良く出来る。だからと言って人間が悪いわけじゃない。

 間違え無く犬型人間である。

 仲間には、とても親切で悪い嘘はつかず、まず裏切らない人物だろう。

 善悪のバランスも良い。程々の悪と、程々の善をバランス良く持っている、と祐介は分析していた。

 「お前が本気なら、妹が機嫌の良い日にでも紹介しても良いが、道子は難しいぞ。俺にも心の壁は崩せないからな」

 「せんぱ~い。兄妹だからこそ壁があるんでしょう」

 「馬鹿ねぇ。鈴木っちは、河野兄妹を知らないから、そんな事が言えるんだよ。真の兄妹愛とは、この兄妹の事を言うんだぞ」

 「田中さん、その言い方はちょっと・・・」

 祐介は周りを見回す振りをした。

 「あら、何を今更。今でも、たまに皆で話の(さかな)にしてるわよ」

 「あら、言っちゃったよ。おばさんは怖ぇ~な~」

 「この事務所では陰口は無し。噂話も悪口も、本人に分かるようにするの。おっと、悪口は誰も言わないか」

 その通りであった。皆が皆、いつも仲良くやっているわけではないが田中が、この調子なので、変な事を言って本人にバラされたら堪らない。最初は、それが理由であったが、いつの間にか田中を意識せずとも人の悪口は、誰も言わなくなっていた。

 「そうですけど。たまに田中さんにはハラハラしますよ」

 田中の横で祐介も(うなず)いている。

 「それは良いの。それよりアキちゃんは大丈夫」

 田中が心配そうに聞いて来る。

 「ここ二週間は大丈夫みたいです」

 「そうねぇ。季節の変わり目や、体力が落ちている時に発作が出たりするみたいだよ。でも、成犬になって来ると、段々治る子も多いみたいだから、きっと大丈夫よ」

 「私も、そう思っているんですが道子は心配みたいで。それで、お世話になった管理人さんとかを呼んで、ホームパーティーの真似事をしようと思いまして」

 「あら、良いわね。妹さんの気晴らしね」

 「ホームパーティーかぁ。そのうちに俺も呼んでくださいよ」

 流石に常識は身につけているようで、訳ありの河野兄妹のホームパーティーに、いきなり呼んでください、と図々しくは言わなかった。しかし、またの機会があれば呼んで欲しいと言う事だけは、ちゃっかりと意思表示をしている。

 「俺は構わん、と言うより嬉しいが、妹次第だな。その時は田中さんも、事務所のメンバーも呼んで(にぎ)やかにパーティーをしましょう」

 「嬉しいけど、それじゃ駄目だよ。呼ぶのだったら少人数にしなくちゃ。それと道子さんと相性の良さそうなメンバーね。じゃないと道子さん、疲れちゃうわよ」

 「有り難う御座います。やる時は、そうします」

 田中の言う通りだった。祐介は事務所の皆に気を遣ったが、田中は道子に気を遣ってくれた。

 「大分前、道子さんが忘れ物を届けにきた時、俺は殺気立ってたからなぁ。畜生、⚪︎⚪︎⚪︎鉄道め」

 「ああ、そんな事もあったな。でも、客に文句は言うなよ」

 「分かってますがね。今回行けないのが悔しいんですよ」

 机に伏せる振りをして、上目遣いに祐介を見ている。

 「分かってるよ。そのうち会わすから心配するな」

 「まぁ、この馬鹿なら道子さんも気を使わなくて良いでしょう。私が許可します」

 「おねぇ様、ありがとう」

 鈴木は、田中を拝んで見せた。

 「お止し。気色悪い」


 パーティー当日の午前、祐介はスーパーで買い物を済ませ料理を始める。

 まずはジャガイモを茹でたり玉葱を切ったりしてポテトサラダの準備をする。

 キャベツやレタスを刻んで野菜サラダを作り、カリカリベーコンを、その上に振り掛ける。

 その他にも牛肉を甘辛のタレで炒めたり、豚の生姜焼きを作ったりした。

 「つまみ食いすんなよ」

 「は~い」

 道子は、そう言いながら、いつの間に持って来ていたのか、スープを(すく)って味見をしている。

 「美味しいけど、ちょっと薄いね」

 「パスタを塩で()でるから、最終的な味付けはパスタと合わせた後に茹で汁でやるんだよ。て言うか、言ったはなから食べてんなよ」

 道子は軽く舌を出した。

 そうこうしている内に、ジャガイモも茹で上がり、それをボールに開けて一つずつ皮を()いて行く。

 「お兄ちゃん凄い。手の皮、厚いね」

 「変な()め方するなよ」

 剥き終わったジャガイモを擂粉木(すりこぎ)で粗めに潰し、暫く冷えるのを待った。

 「俺は、本当は辛くて臭い玉葱が好きなんだけどな」

 「私のために済まないねぇ」

 道子は玉葱の辛さと臭さが、ちょっと苦手なのであった。

 胡瓜とミョウガも合わせて、塩コショウを振って軽く混ぜ、マヨネーズをたっぷりと入れて竹ベラで、しっかりと混ぜ合わせる。混ぜ合わせながら味見をして、残しておいたカリカリベーコンも入れて、更に良く混ぜ合わせて行く。

 「こんなもんでどうだ」

 道子はヘラに乗せて、差し出されたポテトサラダを、少し()まんで口に入れ味見をする。

 「うん。美味しい。ミョウガの香りがほんのりと効いていて絶妙。後少しだけ、マヨネーズが欲しいかな」

 「少しだけな。太らないように」

 「何か言った」

 「別に何も」

 「パスタは、皆が来てからだな」

 片付けながら料理をしていたために、さほど汚れてもいない台所を綺麗に片付けて、テーブルの椅子に腰を下ろした。

 「おっと、サラダはラップして冷蔵庫だな」

 時間は、十一時四十五分である。

 最初に訪ねて来たのは絹江であった。

 予定は十二時であったが、絹江の来訪は十五分早い。

 「お邪魔します。今日は、ご馳走になります」

 「大した馳走じゃなくて申し訳有りませんが、楽しんで行ってください」

 「そうそう、ご馳走と言うより家庭料理だから気楽に楽しんでね」

 「家庭料理かぁ。そっちの方が楽しみです。これ、お土産です。皆で飲みましょう。何か手伝いますよ」

 絹江が風呂敷で綺麗に包んだワインを二本、道子に手渡した。

 「良いの良いの。楽しそうに作っているから気にしない。わぁ、お洒落(しゃれ)。お兄ちゃん、これお洒落だね」

 「うん。風呂敷って滅多に見ないけど、こんな使い方も出来るんですね」

 祐介も道子も、素直に感心している。

 「亡くなった祖母から教わったんです。祖母の若い頃に友達の間で風呂敷で包装するのが流行ったらしくて教えてもらったら、結構、お洒落なので贈り物する時なんかに、風呂敷ごとあげちゃったりもしてるんですよ。この風呂敷も、どうぞお納め下さい」

 「ええ、良いの。これ木綿の風呂敷でしょ。染めも、しっかりしているし、日本製で高級品だよ」

 道子は、そう言いながらも風呂敷の手触りを楽しむように撫で回している。

 「そんな良いもの、受け取れませんよ」

 「大丈夫なんです。実は格安で手に入れた物なんで気にしないでください」

 絹江が言うには、自分の同級生が繊維メーカーに勤めていて、新製品開発の一企画として風呂敷を担当する事になり、得意先やら著名人に無料で配っているサンプルを特別に(ゆず)って貰った、との事であった。

 「格安、実はタダなんですよ」

 祐介は話を聞いてピンときた。

 〈きっと絹江さんもサンプルの送り先に選定されてたんだな〉

 絹江と接する程に、絹江は社交的な人物であり、話の端々(はしばし)に広い交友関係が伺えるので、祐介の推測も当たっているのかも知れない。

 話が弾んでいる最中に、インターフォンが鳴り、武丸の明るい声が聞こえて来た。

 「武丸です。おなかすかしてきましたよぉ」

 「解錠しました。お入りください」

 「今日は。お邪魔します」

 同じ建物からの訪問なので、武丸の服装は軽装であった。

 「今日は」

 絹江が、そう言って武丸にお辞儀をする。

 「絹江さん今日は。先週も、うちのチビが、お世話になりました。あの玩具、凄く気に入ってますよ」

 「あら、それは良かった」

 「それより、これを見て。素敵だと思わない」

 「お洒落だねぇ、粋だねぇ。これは、絹江さんが持って来られたんですか」

 「ええ」

 「被らなくて良かった。私は、これを」

 そう言って、武丸は小さな包みを差し出した。

 「武丸さんまで、有り難う御座います」

 「開けて良い」

 「勿論だよ」

 道子がガサゴソと不器用に包みを開ける。

 「わぁ、カラスミだ。これも高級~」

 「本場の佐賀産ですね。本当に済みません。こんな高価なものを頂いちゃって」

 「何でもないですよ。昔の同僚の実家からの贈答品なんだ」

 「それでも有り難う。二人とも有り難う」

 道子は、すっかり感激しているようであった。

 「よし。それじゃカラスミは、荒く下ろしてパスタのトッピングにしましょう。それと、生ハムも有るから、サンドウィッチでも作りますか」

 「流石、我が家のシェフ。頼もしい」

 「え、ここに有る料理、ひょっとして祐介君も作ったの」

 「武ちゃん、何を言ってるのよ。全部よ。全部お兄ちゃん。駄目な女で御免ね」

 道子が白々しく()ねて見せる。

 「え、いやいや、そう言うわけじゃないけど。それにしても凄いね。それがパスタのソースだね。美味しそうだ」

 「つまみ食いしちゃ駄目だよ」

 道子が白々しく言う。

 祐介は台所の方で照れ臭そうにソワソワとしている。

 「道子、皆さんに座って頂いて」

 「そうだね。小さいテーブルだけど、四人は余裕だよ。私がここ、武ちゃんは私の隣、私の前が絹ちゃんで、その右隣がお兄ちゃん」

 何とも、こういった手回しは上手いものである。

 祐介は冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。

 「乾杯はビールで良いですか。ワインは後で開けましょう」

 誰も異論はなく、年長者の武丸の乾杯でグラスを交わす。

 つまみは乾き物と枝豆、シーザーサラダ、ポテトサラダ、薄切りのカラスミである。

 「うん。ビールも美味いし、サラダも美味い」

 武丸が満面の笑みで言う。

 「本当、このポテトサラダ、全然水っぽく無くて凄く美味しい。どうしたら、こうなるんですか」

 「特別に秘訣(ひけつ)が有る訳じゃないですよ。全部我流ですから。胡瓜や玉葱の水分を固く絞っているだけです。その代わり野菜の味が薄くなっちゃうんで、玉葱は余り絞りたくないんですが。それとミョウガを入れてあります」

 「ミョウガの香りだ」

 武丸も絹江も確かめるように、ポテトサラダを口に入れる。

 「うん絶妙。こんなにポテトサラダに合うなんて」

 そう言ってビールをぐっと開ける。

 「私も臭い玉葱が好きですよ。あの玉葱の辛味と臭みが良いんですもんね」

 祐介が照れを隠すように席を立ち、台所へ行く。

 「ちょっとパンを焼きますね。商店街のパン屋から買って来たんですよ。少し時間が掛かるので、みんなは飲んでいてください」

 「あそこのパン、美味しいよね。僕も良く買うよ」

 しばらく歓談しているうちに、バゲットを一センチ位の厚さに切って、軽く小麦色に焼かれたパンが皿に盛られてテーブルに出された。

 その後に続いて、もう一枚、皿が出された。その皿の上には、さっきのおつまみと同じポテトサラダや野菜、生ハム、バターやチーズ、薄くスライスされたカラスミなどが盛られていた。

 「サンドウィッチより、こっちが手軽で良いかなって」

 「折角だから、ワインも一本開けようか」

 ワイングラスを四個並べて武丸が栓を抜く。小気味好い音と共にコルクが抜ける。

 やや高い位置から、テーブルに置かれたグラスにワインを満たして行く。

 綺麗な色の赤ワインである。

 「それでは、改めて乾杯」

 皆、香りを嗅ぎ、一口含んで、ゆっくりと味わう。

 「こいつは、良いワインだ」

 武丸がコルクの香りを嗅ぎながら感心する。

 「うん、とても美味しい」

 裕介も同意する。

 「お口に合って良かったわ」

 「うん美味い。でも実は私、ワインの味は良くわからないんだぁ。美味しいって事だけは分かるけどね」

 「実は僕も詳しくはないんだが、きっとフランス南部の××シャトーのものだね」

 「まぁ、武丸さん凄い。ぴったりよ」

 絹江が感心して言った。

 「だってラベルに書いてある」

 武丸がネタをばらし、皆の笑いを誘う。

 話は盛り上がり、シーザーサラダも、ポテトサラダも、バゲットも量を減らして行く。

 「もう暫くしたら、パスタを茹でますね」

 時計は、既に午後四時を指している。

 「でも、アキちゃんも元気そうで、良かったよ」

 アキは、さっきまで落ち着きなく、うろうろと歩き回っていたのであるが、今は、ソファーの上で毛布に包まって寝ているようである。

 「わんちゃんの社会性のためにも、こう言ったパーティーは良いんですよ。人の声に慣れて、賑やかな雰囲気に慣らしておけば、落ち着いた成犬になれますから」

 「絹江さんのお墨付きが出たんだ。たまにやりますか」

 皆、良いね、と口を揃えて言う。

 「それと、ドッグランも行きましょう」

 道子が提案する。

 「待ってました。行きましょう」

 一番喜んだのは武丸であった。道子との約束を、ずっと楽しみにしているのだろう。

 「暖かくなったら是非行きましょう。祐介君と絹江さんのスケジュールに合わせるよ」

 「私も、呼んでくださるんですか」

 「勿論です」

 祐介が力強く答えた。

 楽しい時間は、あっという間に過ぎて行く。

 パスタを食べ、デザートを食べ、ワインの空き瓶と、ビールの空き缶が増えて行く。

 アキにも食事を与えようと、道子がソファーに近づき、自分の口を押さえて凍りつく。

 変に思った祐介と絹江も、ソファーへ近寄ってアキの様子を見てみた。

 足がピクピクと痙攣している。

 「大丈夫よ。みっちゃん。良く見て。口がもぐもぐ動いているでしょ」

 「あぁ、本当だ。道子、心配無いよ」

 道子の肩から力が抜けて行くのが分かった。

 「まだまだ母親のオッパイが恋しいんだね」

 「ふう。お兄ちゃん、私、心臓が止まるかと思った」

 アキは両前脚を交互に動かして、毛布を揉みながら口を、口笛を吹くように(とが)らせて、もぐもぐと動かしている。それは、母乳を吸っている時の仕草である。

 「でも、めちゃめちゃ可愛い」

 「おや、こんな姿、久しぶりに見ましたよ」

 武丸も、いつの間にか皆の横に並んで目を細めている。

 「動画、動画」

 武丸が携帯で動画を撮影する。

 「また後で送るね」

 「ありがとう。武ちゃんの動画は凄く上手く撮れるんだよね。お兄ちゃんなんか下手くそで」

 「だよな。認めるよ」

 アキが目を覚ますと道子が御飯だよ、と声を掛けた。すると元気に尻尾を振って、ぴょんぴょん跳ねて道子に(まと)わりついて来る。

 アキの食事も終わり、祐介と道子と皆の手伝いで大体の片付けを済ませ、ゆっくりと(くつろ)ぎ、十時頃に皆は帰って行った。

 「楽しかったね」

 「楽しかったな。たまには良いもんだな」

 「良いもんだね。お兄ちゃん」

 「次は会社の奴らも呼びたいな。部屋は狭いが、後三、四人はいけるだろ」

 「ちょっと無理があるぅ」

 「じゃ二人なら。鈴木と明美さんを呼びたいんだよ」

 「ああ。お兄ちゃんが、偶に話してくれる面白い人と、しっかりした人ね。それくらいなら、まあ良いでしょう」

 フン。と鼻息荒く胸を張る。


 ()が有れば(かげ)も有る。日が昇れば、やがて沈み夜が訪れる。

 (そう)の後の(うつ)、道子はパーティーの後、また落ち込んでしまっていた。

 師走の風は、素早く吹き過ぎて行き、クリスマス、年の暮れ、正月と、時間も(またた)く間に過ぎて行く。

 祐介も絹江も、武丸さえも、年末は多忙で会う機会も少なく、道子は孤独の色を強めて行った。

 年明けに祐介と絹江がデートをした際に、絹江が道子の事を、こう言った事がある。

 「みっちゃんは感受性が豊かで、優しいですね」

 〈それは、ちょっと違う〉

 祐介は、そう思った。

 「昔から、優しい子でした」

 「兄妹そろって、優しくて思いやりがある。素晴らしい事です」

 〈優しいのは、その通りだろう〉

 「そうなんですかね」

 「そうですよ」

 〈そうかも知れないが、他人に対して臆病で、傷つくのが嫌だから、傷つけたくもない〉

 それが優しく見えるのだろう。

 野良犬が見知らぬ人に、石で追い払われないように、人の顔色を伺い、嫌われないように、相手の感情を読んで機嫌を取る。それが習い性になって優しく見える。

 実は自分達は、利己的で、打算的で、つまらない人間なんだ。

 しかし、一番の問題は、自分を殺す事に慣れ、段々自虐的(じぎゃくてき)になって行く事だ。

 〈自虐は闇を生み、不幸を招く〉

 祐介と絹江は、この夜、初めて結ばれた。

 その日以来、度々(たびたび)デートをし、絆を強める二人であったが、祐介の胸の奥をチリチリと刺すような、痛みともつかぬ何かが、祐介の気持ちを落ち着かないものにしていた。

 やがて三月、祐介の心は雪の中の寒椿のようであった。


 たれ誘う 泡沫(うたかた)の夢 寒椿 束の間の()を 心まにまに

お読みいただきありがとうございました。

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