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贈る想い ドッグラン  作者: 一無
7/10

山茶花

どうか最後までお付き合いください。

よろしくお願いいたします。

 武丸が二人を知ったのは、今年の一月の事であった。

 去年の暮れに引っ越して来て、一月に入ってから、兄の祐介が妹の道子を連れて挨拶(あいさつ)に来たのである。

 何か暗い影を感じて、最初は訳ありの恋人同士かとも疑ったが、しばらく様子を見て、そのような事も無いだろうと下世話な邪推(じゃすい)をした自分を恥じたものである。

 しかし、近所では仲の良すぎる兄妹を見て、そのような噂が立ち、武丸の耳にも入って来るようになった。

 マンションの管理組合に顔を出す奥さん連中なども、しきりと兄妹の事を武丸にも聞きに来て、風紀がどうのだとか、マンションの品がどうだとか言われたりもした。

 そんな事もあって祐介とは、度々話を交わすようになっていた。

 妹の方は挨拶に来たきり会話を交わす事もなく、たまに兄に連れられて仲睦(なかむつ)まじく散歩したりする程度なので、見かける機会も多くはなかった。

 祐介に対する印象は好感の持てるもので、引っ越す前の実家の話や、ご両親の話などを聞いて、決して怪しい人物ではない事を確信するようになり、ワイドショー的な奥さん連中に機会があれば、それを伝えるようにしていた。

 そのせいか、二月に入る頃には変な噂も聞こえなくなり、ワイドショーも落ち着いたかに思われた。

 その矢先の出来事である。

 午後三時過ぎであろうか。救急車のサイレンがマンションに近づき、玄関の前で鳴り止んだ。

 武丸が管理室から飛び出すと、救急隊員がインターフォンに部屋番号を打ち込み、解錠されたドアから中へ駆け込んで行く。

 暫く様子を伺っていると、エレベーターが降りて来て、担架に乗せられた道子と青ざめている祐介が出て来た。

 道子は目も虚ろで焦点が定まっていないようである。

 祐介の方は武丸に気付いた様子も無く、目の前を通り過ぎて行く。

 道子は何度か身を起こして、もがいていたが、その都度、隊員と祐介になだめられて救急車に押し込められてしまった。

 祐介も隊員と共に乗り込み、救急車は再びサイレンを鳴らしながら、マンションの前から慌ただしく離れて行った。

 武丸も救急車を見送るように外に出る。

 〈大事(おおごと)じゃ無ければ良いが〉

 ふと上を見上げると階上のベランダから、幾つもの顔が(のぞ)いている。

 〈これで、また暫くは茶話会(さわかい)に花が咲くな〉

 嫌な気持ちになり、仲の良い兄妹に同情的になってしまう。

 何となく外にいる自分も、物見高い奥さん連中と同じような野次馬に思えて、そそくさと管理室へ戻って行った。


 管理室は、管理人の住居にもなっており、作りは祐介達の部屋と似たようなものであった。

 武丸は住み込みで、このマンションの管理人を請け負い、この管理室で暮らしている。

 独り者の武丸には広すぎるのだが、それを言ったら贅沢(ぜいたく)と言うものだろう。

 管理人の報酬は安いものだが、家賃が要らないので、一人で生活するのに困るほどではない。

 ずっと独身だったわけではない。離婚したわけでもない。

 妻とは死別したのであった。

 死んだ妻には、きっと苦労を掛けたのだろう。武丸は妻を亡くして、初めて自分の不甲斐無さを呪った。

 武丸の実家は、山村の古い寺である。

 一人っ子の武丸は、当然のように後を継ぐ事を、親にも、親族にも、檀家にも要求された。

 そして良くある話だが、その重圧に耐えきれなくなった武丸は、高校二年の夏に田舎を逃げ出してしまった。

 都会に出た武丸は色んな仕事をした。

 逃げ出した時に持ち出した金は、すぐに底をつき、生きるために必死で働いた。

 色んな人と出会い、色んな経験をした。

 良い事も悪い事もやった。

 結婚は三十を超えてからだった。今でも妻との交際は奇跡だと思っている。

 悪い仲間とは手を切ったが、まだ定職にもつかず、自分の生き方に、真剣に悩んでいる時であった。

 武丸がアルバイトで入った警備会社の事務をしていた妻は、武丸に良く話し掛けてくれて、友達の少ない武丸の心を暖かくしてくれた。

 一年程経って、彼女の誕生日の半月前に思い切って食事に誘うと、喜んで付き合ってくれた。

 後で、どうして誘いに乗ってくれたのか聞いた武丸に、彼女は「だって、断ったらバイトを辞めていたでしょう」と笑って答えた。

 確かに、その通りだとガッカリする前に、変に感心したものである。

 怒りもせずに感心している武丸に「そう言う人だから、付き合っても良いかなって思ったんだよ」と優しく言ってくれた。

 それからと言うものは彼女のためにも、自分のためにも真面目に働き、会社にも認められて、アルバイトから正社員として雇ってもらえるまでになり、交際から三年後に結婚する事が出来た。

 交際当初に彼女の強い助言で、武丸の実家とも和解を済ませ、誰からも祝福される結婚にする事が出来た。

 あの頃が人生で最良の時期であった。

 それから二十年、二人は念願のマイホームのために頑張って働き、節約して金を貯めた。もう少しで夢が叶うという時に、妻が白血病と診断された。

 発見時には、既に症状が進行しており、手遅れに近い状態であった。

 妻の強い要望で延命処置は行わず、穏やかに死を迎えるための施設へ通い、武丸も妻には黙って会社を退職して、二人で過ごせる時間を多く作れるようにした。

 二人には子供は出来なかった。今は、それが残念でしようがない。

 二人とも子供が欲しかったのであるが、こればかりは、どうする事も出来なかった。

 先立たれて初めて分かる孤独の辛さ。

 分かち合える人が居ない事への、どうしようもない寂しさ。

 二人で居る時は、どんな苦しみも、試練も乗り切る事が出来る自信があった。

 二人のためなら、生命(いのち)を懸けて頑張れる。夫婦の心は一つであると実感出来た。

 沢山話しもし、喧嘩もした。しかし、喧嘩をする度に絆は深くなり、何時しか相手の気持ちが、良く分かるようになっていた。

 充実した幸せな時代、その終わりは突然であった。

 あれから七年。

 空いた穴は塞がるどころか、広がって行くようにも感じられる。男というのは一人きりでは弱くて、未練がましい生き物らしい。


 ふぅ、武丸は動物病院から戻ると座卓の前に座り、肘をついて一息ついた。

 〈たいした事は無さそうで良かった〉

 両手で、顔をゴシゴシと擦る。

 「大丈夫そうだったよ」

 目の前の小さな仏壇に、小声で話し掛ける。

 「しかし、本当に良い兄弟だね。見ていて癒されるよ。・・・あぁ、そうだね。アキちゃんに悪いね」

 座卓に両手をついて、立ち上がる。

 「よっこいしょ」

 仏壇の前に座り直し、線香を一本、二つに折って火をつける。

 「僕も歳だね。独り身は(こた)えるよ」

 煙くも無いのに、小さな目をショボつかせる。

 「早く迎えに来ておくれよ」

 線香の香りが部屋に広がる。

 「お前が待ってるからと言ったから。僕は約束なんかしなきゃ良かったよ。・・・そんな事を言わないで、僕は十分満足している。仕事も人一倍頑張ったし、色んな事も経験した。何よりも、一生に一度の大恋愛を経験出来たんだ。君が居てくれなかったら、今の僕は有り得ない。だから、すぐに後を追うつもりだったのに、追えないじゃないか。・・・うん、そうだよ。君は(むご)い人だ。僕が今、どれだけ辛いか」

 武丸は、声を詰まらせて顔を両手で覆い、嗚咽(おえつ)を必死で(こら)える。

 涙が止まらない。

 心の傷は()える事を知らない。

 〈神様、もう勘弁してください。僕には、もう無理だ。試練を終わらせてくれ〉

 静寂の中、武丸は五分程、蹲ったままである。

 五十男の背中が、小刻みに震えている。

 声は必死に殺しているのだろう。(いか)つい顔を覆った、その両手を(あふ)れた涙がじわりと湿す。


 あの日。管理室へ祐介が挨拶に来たのは、道子が救急車で運ばれてから、三日後の事であった。まだ、寒さの厳しい二月の後半の事である。

 「済みません。お騒がせしました」

 「いえいえ、良いんですよ。それより妹さんは大事無いですか」

 武丸は二人の事を、心から心配していた。救急車で運ばれる道子と、先に逝ってしまった妻とが、重なって見えて仕方が無かったのである。

 「はい。今は部屋で安静にしています」

 「それは良かった。いや、良い事じゃ無かったね。でも、無事で何よりだよ。回復するまで大変だろうけど何かあったら、いつでも言って。出来る事は何でも手伝います」

 祐介は心から感謝し、目頭に涙を(たた)えて深々とお辞儀をした。感謝の気持ちが言葉にならなかったのだ。

 「良いんですよ。皆さんが安心して生活出来るようにするのも、私の務めですから。それより、回復まで時間が掛かるようでしたら、マンションの当番も私の権限で、どうにでもしますからね。あてにしてください」

 「体の回復は、それ程遅くはならないと思っています。以前処方された薬を誤飲して、それで錯乱状態になって、更に色んな薬を飲んでしまったようで」

 祐介の顔が暗い彩りに包まれる。

 「詳しい事は良いんですよ。人それぞれ、色々有りますから」

 「でも、ご近所さんに何かとご迷惑をお掛けして、そのせいで管理人さんにも、ご迷惑をお掛けしているようですので」

 〈何と賢い人だろう〉

 武丸は祐介の聡明さに感動すら覚えた。

 あれ以来、例のワイドショー組が彼方此方(あちこち)で偏向報道に花を広げているのである。

 勿論、その余波は武丸にも降り掛かっていた。

 「気にする事は有りません。人の噂も七十五日、春を過ぎれば落ち着きますよ。それより、犬を飼いませんか。犬は良いよ。うちのマンションは動物好きな人が多いせいで、ペットも迷惑をかけない範囲で許可されているし、河野さんも以前飼っていらっしゃったんですよね。なら絶対に飼うべきだ」

 武丸の顔が熱心過ぎて滑稽(こっけい)なくらいである。

 「はぁ、犬ですか。今の所、予定は無いですね」

 〈道子のためにも、それも良いかな〉

 祐介は漠然と、そう思った。


 実は道子が救急車で運ばれた、その日のうちに、奥様レポーターの一人が管理室に押し掛けて来ていた。

 「武丸さん、さっきの救急車は何号室でした」

 「済みませんが個人情報ですので、私の立場では話す事は出来ないんですよ」

 「あら、困ったわね。もしもの時には、お見舞いやら挨拶やら気を使うでしょ。教えて頂いたら助かるんだけど」

 「はぁ、でも、ご本人が、それを望まれない場合もありますし、私達は素知らぬ顔で黙って見守る方が優しい対応だと思いますが」

 武丸は出来るだけ角が立たないように、婉曲(えんきょく)に奥様レポーターを(さと)したつもりであった。

 「そうも行かないわよ。後になって、あそこの誰それさんは、お見舞いどころか挨拶も無し、とか言われちゃ困るでしょ。ただでさえ、あのご兄妹とは話す機会も少ないのだから尚更ですよ」

 〈ほら、やっぱり。この人の事だから率先して突撃レポーターを買って出たんだろうな〉

 「あら、どこの誰だかは、ご存知じゃないですか。奥さんも人が悪い」

 武丸はアハハと笑いながら言った。

 「ご存知なら結構じゃないですか。ま、お二人のご様子は、私が、それとなく(うかが)っておきますので、皆様方は、どうか普段通りにしておいてください」

 話のきっかけを作って根掘り葉掘り聞き出す算段だったのであろう奥様レポーターは、バツの悪そうな笑顔を作り、失礼いたしました。と言い残して足早にエレベーターホールへ消えていった。

 〈ふう、暫くは(にぎ)やかな事だろうな〉

 しかし、このようなワイドショー組だけではなく、同じマンションの住人として本当に心配している人が管理室を訪ねて来る事もあった。

 「あのご兄妹は真面目そうな仲の良い、ご兄妹ですよね」

 「そうですね。何度か話してみて本当に、そう思いました」

 訪ねて来たのは武丸よりも随分ご年配のご夫婦である。

 「何とも無ければ良いのですけれど」

 奥さんの方は非常におっとりした方で、いつも上品な格好をしており、育ちの良さが伺えるご婦人であった。

 「重大な病気とかでは無いそうで、ゆっくり静養しているそうですから、心配ないと思います」

 「そうですか。それなら、あのお兄様が付いていれば、きっと安心ですわね」

 ご婦人はニコリと微笑んだ。その笑顔が何とも可愛らしい。

 「では私共が矢鱈(やたら)と騒がない方が良いですわね」

 「私も、そう思って、お節介は我慢しているんです」

 「あら、武丸さんは十分、良いお節介ですよ。元気の良い奥様方を上手に抑えていらっしゃるのですから。ウフフ」

 口に手を当てて軽く笑う笑顔は、悪戯っ子のようでもある。

 「お前さんも、同じような事をしているようだがな」

 小柄な老紳士が表情を崩さずに口を挟む。

 「あらあら、貴方も本当は色々言いたいのでしょ。その分を私が、やっているだけですよ」

 「もう良いだろう。長居をしては武丸さんにも迷惑だ。行くぞ」

 「いいえ、迷惑だなんて」

 「はいはい。では安心したところで戻りましょうか」

 ご婦人は武丸に向かい、軽く膝に手を当てて、品良くお辞儀をする。

 「お邪魔しました。では失礼いたします」

 「失礼します」

 武丸も返事を返す。

 「さぁ、貴方、行きますわよ」

 ご婦人は、ご主人を引っ張るように歩き出す。

 「武丸さん。私共も力になりますから遠慮無く言ってください。では」

 ご主人も手を引かれながら後ろを向いて、そう言うとペコリと頭を下げた。

 「有難うございます」

 〈ふぅ、これも、あの兄妹の人徳かねぇ。大半の人は心から二人を心配してくださる。日本も捨てたものじゃないね〉

 武丸は嬉しくて、何だか浮き浮きしている自分を可笑しく思った。


 最初の噂は、薬物中毒であった。

 『薬物中毒の妹の面倒を兄が見ていたのだが、目を離した隙に大量摂取してショックを起こしたのではないか』

 『いやいや、それでは病院から警察に通報されて、逮捕されているはずだわ』

 『きっと妊娠よ。兄妹の許されざる恋』

 『何で救急車なのよ』

 『血が濃ゆいと流れやすかったりしないのかしら』

 『何だかねぇ。それだったら、やっぱり血が繋がっていないんじゃないの』

 『それは戸籍で前に確認したでしょ』

 『しっ、それは違法だから言わないの』

 『だから、血が繋がっていない兄妹よ。連れ子とか養子とか』

 『ちょっと、現実味がないわね』

 『私が思うに、自殺じゃないかしら』

 『えっ、私も、そう思ったけど、自殺にしては何かこう、あっさりし過ぎていると言うか。戻りが早いような気がするのよね』

 『睡眠薬とか』

 『馬鹿ね。今は、そんな自殺の出来る程、強い睡眠薬を大量には処方しないのよ』

 『貯めていればどうよ』

 『あのお兄さんの目を盗んで、それはないんじゃ』

 『あなたの友達はどうだった。聞いてくれたんでしょ』

 『そうそう、救急病院の看護師さん、何か知ってた』

 『言えるわけないじゃない、そんな『人様の事情を探るような事はしないの』て思いっきり怒られた』

 この時ばかりは流石のワイドショー組も黙り込んでしまったらしい。


 一部の奥様方の間で噂が広まり、段々、マンション全体の噂になって来たので、武丸も見て見ぬ振りは出来なくなり、事態の収拾に乗り出す事にした。

 方法は簡単であった。

 例のグループのうちの四人が買い物を装い、懲りもせずに探りを入れてきた時のことである。


 「そう言えばですね。あのご兄妹の事で見知らぬ方から質問を受けたんですよ」

 「どんな人でしたか」

 「内容は」

 思った通りの食いつきである。

 「少し傷んだスーツ姿で、目つきの鋭い人でしたねぇ」

 「ひょっとして警察」

 皆の目が輝く。

 「まさか、ヤクザとか」

 情報通ぶって奥様レポーターの一人が言う。

 「さぁ、私には何とも」

 「で内容は。どんな内容でした」

 「何でも、お二人の個人情報がどうとか言っていましたね。流出だか、売買だか、何でも区役所や病院にも、不正なアクセスの疑いが有るとかなんとか言っていました。今は閲覧するだけでも、誰がどの端末を操作したのか、職員さんの記録が残るそうで」

 皆の顔が凍りついた。

 「それで、最近二人の事を詮索している人物は居ないか、と聞かれて」

 「なんて答えたの」

 「このマンションでは確かに、ご兄妹の事が噂になっております」

 意地悪にも武丸は、ここで言葉を切り、咳払いをする振りをして一同を見回す。

 「まさか私達の名前」

 「が、そのような事は、見聞きした事はありません。と、きっぱり言ってやりましたよ」

 全員の顔に安堵(あんど)の表情が浮かび、次に不安の表情に変わって行く。

 「あの、私達は関係ありませんから。そんな個人情報がどうだとか。戸籍がどうだとか」

 「あなた、ちょっと黙って」

 「・・・」

 「さぁ、夕食の支度をしなくちゃ」

 「あら、もうこんな時間」

 各々、言い訳めかしい事を言いながら、奥様レポーター達は蜘蛛の子を散らすように、マンションの内に外に消えて行った。みんなで買い物じゃなかったのかと可笑しくなって来る。

 いつもは、それぞれに良い人達なのだが、退屈のせいか欲求不満なのか、今回は少し度を過ぎていた。

 武丸は自分が嫌な奴になったように感じて、すっかり陰鬱(いんうつ)な気持ちになってしまった。


 二人が管理室へ顔を出したのは、動物病院から戻った次の日であった。

 「昨日は、ご心配を、お掛けしました」

 「いえいえ困った時は、お互い様です」

 道子の様子が何処と無く暗い。アキの病気が、道子の気を(ふさ)いでいるのだろうか。

 道子は病院では一時的に機嫌が良かったのであるがマンションに戻って来てから、ずっと落ち込んだままであった。

 祐介は道子が自分を責めているのであろうと察していた。色んな事を敏感に感じ、深く思い込む、そんな道子であった。

 「俺達、アキに無理させちゃったかな」

 「うん」

 「二人で反省会だな」

 「私が悪いの。お兄ちゃんは悪くない。私の問題」

 道子は()れた声で言った。

 祐介は突き放されたような、言い知れぬ孤独感を覚える。

 〈やめてくれ道子。そんな言い方は〉

 祐介の心に、どうしようもない孤独が押し寄せる。

 存在意義を見出せない自分。

 〈分かってはいるんだ。理解はしている〉

 頭では自分が居なければ道子は、まともに生きて行けないと言う事を、しっかりと自覚もしているし理解もしている。自分を必要としてくれる人が居る事を。

 しかし心が、それを受け入れてくれない。

 自分は何を成し、誰と分かち合えば良いのだろう。

 「そんな事を言わずに一緒に考えよう。まず暫くは散歩中止。その後も寒い日の散歩は中止だね」

 「分かってる。私が悪いんだ。はしゃいでアキを疲れさせたから」

 「それは違うよ。確かに疲れとか体調も影響していただろうけど、癲癇の発作なんて何が引き金か分からないんだ。だから少しだけ反省したら、これからの事を考えてあげよう」

 道子は顔を上げない。一度思い込んだら、なかなか人の意見を聞かない道子である。分かっているが、それが、もどかしくて仕方がない。

 「じゃ、ひとまず御飯にしようか」

 その後も道子は、ずっと落ち込んだままであった。

 祐介は管理室の前で、祐介の後ろに隠れるようにしている道子を振り返り、お礼を言うように促した。

 「武丸さん、ごめんなさい。また余計な事に巻き込んじゃって」

 武丸も道子の物言いの違和感に、咄嗟(とっさ)に上手く応じる事が出来ないでいる。

 「何だなぁ。水臭いよ」

 「この度は大変申し訳ありません」

 「道子」

 祐介が道子を軽く(たしな)めた。

 「武丸さん、済みません。昨日から自分が悪いんだって、ずっと、この調子で」

 「道子ちゃん、それは、いけないよ。何よりアキちゃんに失礼だ」

 道子がポカンと武丸を見る。

 「アキちゃんは良い飼い主に恵まれた。そして自分の病気で、今は、みっちゃんを落ち込ませている。アキちゃんは、そんな事を願っているだろうか」

 道子には、さぞ堪える言葉だろう。だが祐介は黙って聞いていた。

 「もし人と同じくらい物を考えられたら、きっとアキちゃんは自分の病気を負い目に感じ、自分を責めてしまうだろう。今のみっちゃんと同じようにね」

 武丸は言葉を和らげて、道子の目を覗き込む。

 「道子ちゃんは、それを望むのかい」

 「そんな事は無いわ」

 「そうだろう。だったら元気を出さなくちゃ。みっちゃんが、その調子だとアキちゃんも落ち込んじゃうよ」

 祐介は最後の言葉は、道子を苦しめるだろうと思った。しかし、それは道子が超えなければならないのだ。

 「道子、部屋に戻ろうか。アキも寂しがっているよ」

 二人で武丸に向き直り、軽く頭を下げる。

 「それでは、失礼します」

 武丸は何とも言えない寂しさを感じた。

 エレベーターホールへ向かう二人の姿が、どこか遠く感じられてしまうのであった。


 目に()ゆる (あや)山茶花(さざんか) 目白(めじろ)ども 知るや知らずや 交わす(さえず)

お読みいただきありがとうございました。

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