食人鬼、愛を喰む。
作中、軽度の食人描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
私は人間ではない。
人間によく似た姿形をした、化け物だ。
私にとって、人間の血肉はご馳走だ。
月に一度だけ、空腹を堪えて喰らう人肉の味は何にも代えがたい。
そして今日も、私はそのご馳走を調達してきたところだ。
今日のメインディッシュは、若い大人の女性。
『フィーレン ダンク』
両手を合わせ、食材にはきちんと感謝をする。
これは私の習慣であり、せめてもの礼儀だ。
私の飢えを満たしてくれる食材に無礼を働くことは許されない。
腿にあたる肉の一切れをフォークで刺し、口に運ぶ。
今日調達した女性は肉付きがよく、脂肪の量も良質と言えた。
筋肉質な男性の肉とは、比べ物にならないほどだ。
腕や腹、内臓を食べ終えたところで、ナイフとフォークを置いた。
ナプキンで口を拭き、再び手を合わせたあと食器を片付ける。
***
私は、世間で言うところの〈食人鬼〉と呼ばれる存在だ。
月に一度、新鮮な人間の肉を一人分喰らうことで生き延びることができる。
我々が〈食事〉と呼ぶ行為だ。
昔、私の食人鬼の知り合いには、月に何人もの肉を喰らう者もいた。
だがそれは、私からすれば理解し難い行動だった。
美食家を気取るつもりはないが――
人の肉を喰らうことは、神聖な儀式でもあるからだ。
***
その女性の肉を喰らった翌日、私は外へ出かけた。
人間の社会に溶け込むためにも、普段は人間らしく振る舞うことを心がけている。
実際、私を〈食人鬼〉だと見抜いたのは、勘のいい老人か歴戦の冒険者くらいのものだ。
私達〈食人鬼〉は、人肉を喰らうだけで一ヶ月は動くことができる。
わざわざ食料を買いに出かける必要もない。
しかしそれでは、周囲の人間に出不精を怪しまれる。
人のように暮らすというのは、案外手間のかかるものなのだ。
「……おや?」
とある民家の前で、私は足を止めた。
戸の前に、幼い少女が一人うずくまっている。
家から追い出されたのか、それとも両親がいなくなったのか。
いや、理由などどうだっていい。
この辺りでは孤児はよく見かけるものだ。
その少女から視線を離し、私はまた歩き出す。
それから数歩進んだところで、何者かが衣服の袖をつかんだ。
「――おじさん、待って」
私の悪い予感が当たる。
先ほどの少女が、上目遣いでこちらを見上げていた。
その無垢な眼差しに、柄にもなく動揺してしまう。
「……な、なんでしょうか、お嬢さん」
「おじさん、さっきわたしのこと見てたよね?」
「ええ、まあ。というか私はおじさんでは……」
いや、指摘すべきはそこではない。
この少女は、瞳でずっと何かを訴えかけている。
「ねぇおじさん。拾ってよ、わたしのこと」
またしても、嫌な予感が当たった。
これだから、人間の子供は嫌いなのだ。
肉は少ないし、何をしでかすかわからない。おまけに、何かある度にすぐ泣く。
こんな年半ばの子供を引き取るなんて、私は御免だ。
「すみません、あいにく私はこう見えて子供嫌いでして。それでは――」
「待って! ……行かないで、お願い」
「なんです、私はあなたに構っている暇など……」
少女の瞳は潤んでいた。
今すぐにでも泣き出しそうな彼女の顔を見て、私は足止めを余儀なくされる。
「お母さんがいなくなって、わたし、一人なのっ……」
「ええい、知りませんそんなこと! 第一、私は子供嫌いだと――」
「うそだ。子供嫌いなおじさんは、あそこで立ち止まったりしないもん!」
妙に説得力のある彼女の言葉に、腕を振り解こうにもできなかった。
「おじさんはたぶん、優しい人だよ。
わたしを拾ってくれるのは、おじさんしかいないよ!」
溜め息が地面にこぼれ落ちた。
彼女の言い分は、何一つとして正しくない。
だが、この少女との舌戦も、きっとこれ以上は意味を成さないだろう。
何よりもう、面倒だ。
「……そうですか。まあ、勝手にしたらどうです」
「ほんと!? やった! おじさん大好き!」
私が諦めてそう言い捨てると、少女は途端に目を輝かせた。
子供の目は嫌いだ。妙に活力に満ち溢れている。
少女は小さく飛び跳ねながら、私のあとをちょこちょことついてきた。
「じゃあ、よろしくねおじさん……ううん、アシさん!」
「なんです、その妙ちくりんな呼び名は」
「だっておじさん、あし長いから! あ、でも、うでも長いからウデさんでも……」
「どちらも却下です。私にはエッセンという名前があるのですから」
「エッセン……? やだ、ぜったいアシさんのほうがいい!!」
「うるさいですね……もう好きにしなさい」
鬱陶しいが、しばらくそばに置いておくというのも悪くない。
もしものときの非常食として、成長するまで育ててみるとしよう。
***
その日から、少女は私の家に棲みつくようになった。
自分以外の人間と過ごす日々は、私にとって疲れるものでしかなかった。
おまけに、こんな小さな子供などと……。
「アシさん、この料理おいしくない!」
この少女――“リーベ”は、我儘だ。
私の作った料理に生意気にも文句を付けてくる。
「だからなんです? 黙って食べなさい」
「味が変だよ! アシさんの舌、おかしいんじゃないの?」
私の料理が彼女の口に合わないのは、当然だ。
人間の口に合う味など、私の知るわけがない。
だからといって、毎回のようにケチをつけられるのは屈辱的だ。
私なりに、彼女の好む味を研究してみようと思う。
「ねぇ、アシさんは食べなくていいの?」
純朴な目で少女は訊いてくる。
料理を作るだけ作って食べない私を、不思議に思ったのだろう。
人間を食べることで〈食人鬼〉は一ヶ月生きられる。
普通の人間のような食事を摂る必要もない。
「私はいいのです。好きなだけ食べなさい」
「そっかぁ……。でも、なんかさびしいね」
寂しげな顔をして、少女は料理を口に運んだ。
***
「さて、調達してきたはいいものの……」
少女が来てひと月。
次の〈食事〉を行う日がやってきた。
食材を調達できたはいいが、少女がいる手前、堂々と〈食事〉を行うわけにもいかない。一部始終を見られれば、私が〈食人鬼〉であることが露見してしまう。
「彼女は……もう眠ったようですね」
先ほどベッドに入った少女は、静かに眠りについている。
人間を殺してくるにも捌くにも、彼女の見えない場所で行わなければいけない。
こそこそ〈食事〉を摂らなければいけないなんて面倒だ。
『フィーレン ダンク』
彼女との生活は不便で不自由だ。
誰かに縛られるような日常など、やはりいいものではない。
しかし、どうしてだろうか。
彼女に隠れて食べる肉は、美味しいと思えなかった。
***
「アシさん、料理作ってみたから食べてみて!」
あの少女、リーベが来てから一年が過ぎた頃。
リーベは私に、手料理を振る舞うようになった。
誰に言われたわけでもなく、自発的に。
「私は、食事など摂らなくても……」
「知ってる。でも、食べてみてよ。案外、美味しいかもしれないよ?」
そんなはずはない。
人間の食べるものなんて、どんな害があるかわからない。
「仕方ありませんね……」
しぶしぶ、彼女の作ったジャーマンポテトを一口いただいた。
「…………」
ふむ。これが、人間の味付けか。
思っていたよりも、悪い味ではない。
「どう? おいしい?」
「ええ、まあ。悪くはありませんね」
「ほんとに? よかった!」
向かい側に座るリーベは、そういって嬉しそうに笑みを私に向けた。
「わたしね、ほんとはアシさんと一緒にご飯食べたかったの」
初めて二人で囲む食卓。
愛の盛り付けられた料理は、今まで食べたどんな人肉よりもずっと――
――美味しかった。
「アシさんと一緒のご飯、初めてだね! 嬉しいなぁ〜」
「……フフッ、そうですか」
時が経つにつれ、いつの間にか彼女との時間も苦ではなくなっていた。
だが次第に、当初の目的が薄れているようにも思う。
彼女を拾ったのは、あくまでも非常食として育てるためだ。
成長した彼女を、いつかはこの腹に収めなければいけない。
だから……余計な感情を抱いてしまう前に、なんとかするべきなのだ。
***
リーベを引き取ったあの日から、三年の月日が経った。
今やもう、彼女の欠けた生活は想像できなくなっていた。
気づけば彼女は、もう十三歳。
出会った頃よりも背は幾分か伸び、賢くてお淑やかな子に育った。
そしていつからか、二人で同じ料理を食べることが当たり前になった。
食卓に並ぶ彼女の手料理の味が、私は好きになっていた。
それとは反対に、月に一度の〈食事〉が苦になっていった。
「さて……食料も買えたことですし、帰りますか」
ある日私は、夕食の材料を買いに出かけた。
今日は私が手料理を振る舞う日だ。
腕によりをかけて、彼女の満足する食事を作らねばならない。
沈みかけた夕陽に急かされ、森の中にある家へと戻った。
その道中、私はある集団に声をかけられた。
「――すみません、少しよろしいですか?」
「? なんでしょうか?」
鉄の鎧を着込んだ男たちが五人ほど、そこに立っていた。
携えた剣や弓を見る限り、王国の騎士団といったところだろうか。
少し、嫌な予感がした。
「この辺りで最近『人を襲って食料にしている化け物がいる』という情報が入りまして」
「へぇ、そうなんですか。それは物騒ですね」
「ええ。寄せられた目撃情報によれば、『手足が異様に長い細身長身の男』……だとか」
彼らの私を見る目が変わったのがわかった。
殺気立った彼らの雰囲気を、肌で感じた。
最前列にいた騎士が、静かに剣を抜いた。
・・・
手傷を負ったのは、六年ぶりだった。
口から血を吐くほどの傷は、初めてだった。
「うっ、ゴホッゴホッ……」
五人の兵士たちを倒したはいいものの、出血が酷い。
今すぐにでも人肉を摂取しなければ、この傷は癒せないだろう。
だが今は、人間を襲いに行っている場合ではない。
――帰らなければ。
あの子の待つ家に。
私の帰りを待つ、あの子のもとへ。
「……リー、ベ」
地を這うような真似をしつつも、なんとか帰宅した。
脇腹を押さえながら、玄関先で私は崩れ落ちた。
その音を聞きつけたのか、リーベが家の中から駆けてくる。
リーベは、両手で包丁を握っていた。
「――!」
その意味を、私は瞬時に理解した。
「ああ……なるほど」
「……アシさん、ごめんね」
彼女にしては悲しげな微笑みだ。
「貴方だったんですね……騎士団に密告したのは」
先刻の騎士団の情報――『人を襲って食料にしている化け物』。
人間を襲うところは見られたとしても、私が家で実際にそれを食している一部始終までは、近隣の住民であっても見ることはできない。
――そう、彼女以外は。
「私、知ってたんだ。アシさんが〈食人鬼〉だったってこと」
包丁を持った彼女が近づいてくる。
「それに、見たんだ。アシさんが、私のお母さんを殺したところ」
ああ、そうか。見られていたのだ、あの日の出来事を。
彼女はずっと……私と出会ったあの日から、私の正体を知っていたのだ。
「私に拾われたのは……復讐のため、ですか?」
リーベは何も答えない。
包丁を固く握りしめたまま、彼女は歩み寄ってくる。
私は臆することもなく、向けられたその刃先を見つめていた。
彼女に殺されるのなら――私としては本望だ。
「……さあ、どうだろうね」
包丁の刃先が、反対側にひっくり返った。
リーベは、自分に向けた刃先を自らの腹部に押し当てる。
彼女は短く呻き、膝から崩れ落ちた。
「な、何を……何をやっているのです、リーベ!」
「あ、あはは……」
彼女の腹に突き刺さった包丁を引き抜く。
止めどなく血の流れる腹の傷は、もう塞がらない。
「はじめて名前、呼んでくれたね……」
「何故、こんな馬鹿な真似を……!」
ぐったりとしたリーベを抱きかかえる。
虚ろな目をした彼女は、掠れた声で私にいった。
「エッセン、私をっ……私を食べて」
「は……? 貴方、何を……」
「お母さんに、会わせてよ。そこに……いるんでしょ?」
リーベは私の下腹部を見て言った。
彼女を抱く腕が震える。
そして、悟った。
騎士団に密告して私を襲わせたのも、このためだったのだ。
月に一度の〈食事〉の前を狙ったのも。
これほどの傷を私に負わせたのも、全部。
回復のための〈食事〉として、自分を食べてくれるように。
「私、お母さんに会いたいんだ。そっちに、行きたいんだ……」
「だからって、貴方は……!」
「ごめんってば……だって、全然私のこと、食べてくれなかったからさ……」
彼女の瞳から、涙が一筋流れた。
最後の力を振り絞って、リーベは訴えかける。
「エッセン……あなたは、優しい人だよ。
私を救えるのは、あなたしかいないんだよ」
その言葉を最後に、彼女は力尽きた。
彼女の瞼はそれから、永遠に開かれることはなかった。
***
不味い。
味がしない。
こんなに味のしない料理は、生まれて初めてだった。
「ああ、リーベ……」
おかしい。塩など入れていないはずなのに、ひどく塩辛い。
味覚がおかしくなったのだろうか。
味気のない食卓で一人、切り分けた肉を口にした。
自分の咀嚼音と食器のぶつかる音だけが響く。
気が狂ってしまいそうだった。
すべての料理を食べ終え、ナイフとフォークを置く。
そして、手を合わせた。
『イヒ リーベ ディヒ』
それは今までで一番、味気のない〈食事〉だった。