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MENTAL DOWN  作者: 菅原やくも
2/2

後編

 仕方なく、またあたりを歩いてみると、駅前のローターに止まっていた路線バスの中に動く人影があった。


 老人が一人、俺の姿を見てしきりにドアを内側から叩いていた。どうやら閉じ込めれているみたいだ。

 運転席に運転手がいるが、突っ伏していて、たぶん死んでるんだろう。

 俺は突然に、ムダ知識を思い出した。バスには外からもドアを開け閉めできるスイッチがあるはずなのだ。

 バスの正面に向かってみて、あった! 

 小さい蓋になっているところを開けると、スイッチがあった。ためらわず押すと、空気の漏れるような音とともにドアが開いた。


 出てきた老人は俺の元に駆け寄ると、俺の手を取ってひざまずいた。


「これはおおいなる救いよ! メシアよ! キリストの再臨でございます!」


 突然のことに面食らった。

 この老人はちょっと頭がおかしいのか? それとも、バスのなかに、他人の死体と一緒に閉じ込められていたのでは、無理ないことなのか。

「あの……ちょっと、落ち着いてください」

 だが、老人は俺の目の前で、手をとったままブツブツと呟き続けた。「世界は瘴気に覆われてしまいました……信仰の薄い者たちは、皆こうして神の裁きを……」それから「審判の日がとうとう訪れた……」とか「多くの人が不信仰だった……」とか、訳の分からないことを口にした。

 だけど、後半はよく聞き取れなかった。


 しばらくして老人は、やっと手を放して顔を上げた。

「貴方様は再臨したキリストです。私は使徒の一人となってどこまでもご一緒いたします」

「そ、そんなこと言われても。キリストって……、俺は違いますよ」

「いえ、貴方様は、まだご自身に自覚がないだけでございます。その時が来たとき、貴方は自覚なさるはずです」

 俺は思わずため息をついた。


 結局、他に生きている人は見つけられなかった。あのサラリーマンはもう会社にたどり着いたのだろうか? こんな状況でも仕事? 完全に頭がおかしい奴じゃないか。

 それと、後ろについてきている老人もキリストがどうこうとか、審判の日がとか、言ってることがふつうじゃねぇよ。まあ、べつに宗教についてあれこれと言うわけじゃないが、これが神の仕業としたら、おっかなびっくりだな。


 そのときふとある思いが浮かんできた。

 頭のおかしいような人だけが、生き残っているのか? そんなまさか、俺はどうなる? そりゃ、鬱とは言われても、少なくともまともだ。そうじゃないか、こうして冷静に状況を見極めようとしている。それとも違うのか?

 まあ、今日は家に戻ろう。もうじき日も暮れそうだった。


「あの……お爺さん。もしかして、俺の家まで来る気ですか?」

「イエス様、どこまでもついてゆきます!」

「ええと、そう言われてもなぁ」

「決して、ご迷惑はおかけしません」

 俺はため息をついた。まあ、ひとまず害があるわけでもないだろう。あのサラリーマンなんかに比べたら、マシなのかもしれない。


 家に戻る途中、また人影を見つけた。近づいてみると少女が一人。たぶん、高校生くらいだろうか? 呆然としたようすで道端に座り込んでいた。パジャマ姿に上着を羽織っていて、裸足だ。たぶん泣いていたのだろう、目のあたりは赤く腫れぼったくなっていた。

 彼女はこちらに気づくと、驚きの表情を浮かべて、駆け寄ってくるなり俺に抱き着いてきた。

「あなたは生きてますか? 本当に今ここにいる人なの!? 現実にいる人?」

 彼女はまくしたてるように言った。

「ちょ、ちょっと、落ち着いてください」

 俺は彼女の肩に手を当てて、一歩距離を取った。「落ち着いてもらえるかな?」

「あ、ええ。はい、ごめんなさい」

「これ、お嬢さん。気をつけなさい! こちらは再臨したイエス・キリスト様ですぞ」老人は少女に向かって少し強い口調で言う。

「まあまあ、お爺さん。こんな状況だし、しょうがないですよ」

「これは、失礼しました」

「こんなの……あんまり。別に、親は死んでくれって思う時も、それはあったけど、こんな……それに、お兄ちゃんまで……」

 彼女はそこでまた声を詰まらせると泣き出した。


 そういえば俺だって、姉貴が死んだ。あまり実感がなかったが、もしかすると、この少女はその瞬間を目撃していたのかも分からなかった。

「あの、あなたの家で」少女は唐突に言った。「休ませてもらってもいいですか」

「え? まあ……」

 ただ、そのままになっている親や姉の死体のことが思い出された。

「でも、ちょっと大変なことに、」

 彼女は首を振った。

「どうせ、どこも死体だらけでしょ……」

「まあ、そうだけど」

 この少女だって普通な感じだ。とにかく、ここは落ち着いて行動するべきだな。たぶん、生き残った人は、この状況をみて気が変になったのだろう。そう考えると筋が通るというものだ。


 その日の夕方、電気が全部消えた。おそらく発電所は操作をする人がいなくなったから、それで止まったのだろう。水道はまだ使えたけど、たぶんこれもいずれはダメになるな。いずれにしても、いつかは出なくなるだろうな。

 でもまあ、とりあえずは近くのコンビニやスーパーマーケットで飲み物も食料も手に入る。それとガスコンロはガスがある限りは使えるだろう。


 そこで俺はハッとした。他にどれほど生存者がいるのだろうか? まさか、奪い合いが始まったりはしないだろうか? それに、この異常な事態はいったいどれほどの範囲に広がっているのか? そういや、救助があるような気配もない。仮にも、全世界がこんな状況だとしたら……俺はどうすりゃいいんだ。世紀末かよ。


 それと少し、あの少女もどこかおかしいような気がしてきた。

 俺のことを、「お兄ちゃん」とか呼びはじめた。だが、分からない。この事態のせいでおかしくなったのか、その前なのからか?

 あるいは、彼女の家に行ってみれば何か分かるかもしれない。が、場所など知らなった。


 翌日、周辺を探索してみることにした。

 何て皮肉だ。世界がおかしくなってしまった途端、俺はなんだか行動的になっちまった。メンタルが元に戻ったのかな?

 それとも、こんな状況で……いわゆる火事場の馬鹿力的な、自分の中で何かが覚醒したのか?


 老人と少女についてこられるのは、なんか癪なきがしたから、隙を見て一人で出た。気が楽だ。

 そうして当てもなく道を進んでいると、なにか音が聞こえた。空からだ。空を飛行機かなにか飛んでいた。飛行機じゃない、あれはヘリコプターだ。ヘリが飛んでいる! 

 どこのなんのヘリかは分からないけど、とにかくほっとした。もしかすると何か救援のためにやってきたのだと思った。

 俺は大きく手を振った。空に向かって叫んだ。だが、そのままヘリは視界から遠ざかっていった。


「クソっ! こっちに気づきもしなかった」


 そして、ちょうど家の前まで戻ったときだった。

 再び上空にヘリの飛ぶような爆音が聞こえたかと思うと、パタリと数本のロープが垂れてきた。

 直後には屈強な兵士達に囲まれていた。

 まるで映画に出てくるみたいな、軍隊の特殊部隊のような恰好。明るい緑系色の迷彩服に身を包み、ガスマスクを付けて小銃を構えていた。彼らは背が高くて、きっとアメリカ軍かなにかだ。


「ドン、ムーヴ!!」


 目の前の出来事があまりにも非現実的に感じられて、まるで夢のなかに居るような気分だった。


「シッダン!! ハンドップ!」


 さらに続けてなにか言っていたが、聞き取れなかったし、何を言ってるのか分からなった。

 よく見ると兵士はみんな、銃の引き金に指をかけていた。


 それから、どういう状況にいるのか理解しようとした。自分の手が震えているのが分かった。

 やっと、ゆっくりと自分の両手を上げた。英語は得意じゃないけど、そこで初めて、彼らの言葉が〈動くな〉と〈膝をついて手を上げろ〉とかいう意味だったことを理解した。


 それから装甲車みたいな車が現れて止まると、小銃は持っておらず、おそらく部隊の指揮官かなにかと思しき人が出てきた。その横には自分と同じ背丈くらいで濃い緑色の、テレビとかでよく見る自衛隊の服に身を包んだ人物が立っていた。その二人ともガスマスクを着けていた。

「君はこの街の住人か?」

 マスク越しのぐぐもった声だが、日本語だとわかった。

「それから、君には分別があるか? いや、ごみの分別の話ではない」

 相手は静かに笑ったようだった。

「そんな、冗談を言ってる場合ですか!」

 危うくこみ上げる怒りのようなものに任せて、殴りかかりそうになった。

「違うに決まっている!」

 そうして彼らはガスマスクを外した。

「ちょっとしたテストだ。君はまだある程度、論理的思考を持ち合わせているようだと思ってね」

 いったい、この人たちは何なんだ? 少なくとも、救助に来たわけではなさそうだ。

「君は、どんな精神疾患をかかえているんだね? それとも自分では説明できないか?」

「いえ……、一応病院で、軽度のうつ病と言われてます」

「鬱か? そいつは結構なことだ! 少なくとも、いくらかまともな会話は望めそうだな」

 自衛官は、横にいるアメリカ兵となにか英語で言葉を交わすと、またこちらに向き直った。

「抵抗しなければ、身体拘束はしない」

「それはどういうことですか?」

「君たちは臨時施設に収容される。それとも、移動中は手錠やタイラップといった拘束具で、手足を縛られたいのか?」

「いえ……」

「生存者は収容対象であって、保護の対象ではないのだ」

「それは、どういう意味ですか?」

「言葉のままだ。だから私としても、」


 そのとき、喚くような声が聞こえ、老人が玄関先から転がり出てきた。


「サタンの使いめ! 立ち去れ! イエス様! こやつらは悪魔の手下どもですぞ」


 しかし、兵士の一人にあっという間に完全に組み伏せられてしまった。

 少女のほうはといえば、包丁を手に振りまして叫んでいた。


「邪魔しないでよ! お兄ちゃんといっしょに暮らすんだから!」


 兵士はそれに対して何か言ったが、彼女は包丁を振り回すのを止めようとしなかった。


 パンッ!パンッ!


 乾いた銃声とともに、少女は呆然とした表情でその場に倒れた。ああ、撃たれたんだ。

「くそ、」

 自衛官は小さく舌打ちして、ため息をもらした。「つまり……、抵抗すればああなる。大人しく言うことを聞いてくれ。お願いだから」

 驚きのあまり、声にならなかった。

「そ、それって、」

「米軍に出ている指示なのだ。抵抗する者には射殺命令が出ている。我々には余裕がない」


 向かった先はどこかの学校だった。

 だが、いたるところに兵士の姿があり、校舎の周囲や校庭にはかまぼこ型のテントがたくさん並び、大小のコンテナが大量に並べてあった。それに、手錠をかけられ、兵士に引きずられるようにして建物内に向かう一般人らしき姿もあった。


 俺は自衛官の執務室となっているらしい部屋へ案内された。

「いったいぜんたい! 世界に何が起きているのか話してもらえるんですか?」

「まあ、君。落ち着きたまえ。」

 それから、他の兵士が出て行って二人だけになると、ゆっくりと話出した。

「この事態は、日本だけのことだ」その口調はどこか、他人事な感じにも思えた。「平時の日本国土と国民を対象とした、大規模な実験が行われていたのだよ。人間の精神や脳に対する影響を評価するための」

 何を言ってるのかすぐには分からなかった。

「電磁波兵器だとか、マインドコントロール、思想統制……呼び方はなんだっていい。そういう類の兵器に関わる研究だった。だが装置の設計ミスなのか、技術屋のミスなのか。あるいは、もっと別の理由があるのか。とにかく、どこかで手違いが起きた。それだけのことだ」

「そ、それって……その、つまり、日本で人体実験をしていたということなんですか? そのせいでこんな、めちゃくちゃなことになったのか?」

「そういうことになる」

「そんな、よくも、そんな非人道的な、」

「言われなくても分かっている。私にだってどうこうできる話ではない。そうだ、政府だって逆らうことのできないことだった。しょせん、我が国は米国の属国なのだ! 日本国民がどうこう言える立場にはない。そうだ、戦後GHQの占領期からずっとだ!」

「でも、こんなことが許されるんですか?」

「どうだかね。合衆国というのは、自国民にすら極秘裏に人体実験を行う国だ」

 それを聞いて、俺はふと思い出した。

「MKウルトラ……」

 すると自衛官は意外そうな表情を見せた。「ほう。君もずいぶんと物知りじゃないか、え?」

「いえ……別に。ちょっと、ウィキペディアで見たことあるだけです」

「つまり、」自衛官は鼻で笑った。「あんなものは序の口だったということだ。そもそも世界的にみて、日本人の異常ともいえるような幸福度の低さ、まるで神経質症的な性格、悲観主義が、単に島国の国民性だからという理由で説明できると思うかね? まあ、誰も何の疑問も抱いていなかったようだが」

「それは、どういう意味です?」

「そのままだ。日本人の国民的性質は戦後、意図的に作られたものだったということだよ。いや、もしかすると、戦前からすでに始まっていたのかもしれない」

 それから自衛官はタバコを取り出した。

「君は吸うかね?」

 俺はただ黙って横に首を振った。

「君、両親や家族は?」

「え?」

「どうだね?」

「そ、それは、あの朝、死んでいました」

「そうか。私もだよ。妻と娘の遺体を確認した……」

「でも、じゃあ……どうして、あなたは平気で生きているんです?」

「事案発生当時、防護された指令室に居たからだ。分かってると思うが、私はこの実験の関係者だよ」

 タバコに火が付けられ、あたりに紫煙が漂った。「とにかく、とてつもない緊急事態だ。首都に至っては国会はともかく、各国の大使館の人々まで巻き込まれてしまっている」


 首都? つまり東京のど真ん中までこんな事態に見舞われているということなのか?


 渋谷のスクランブル交差点にたくさん人が倒れているさまを思った。いや、朝の七時だったら昼間ほどではないだろう。だが、多くの人が道端や駅、建物の中で倒れている状況を想像してゾッとした。

「でも、でもじゃあ、あなた達は誰の何の権限で動いているんです? それとも、あれですか、俗にいう超法規的措置とかいう」

「超法規的措置もなにもない。政府が消えたも同然なのだから。言ってみれば、日本という国は崩壊したんだ。消えたんだよ。今は米軍の指揮下にある」


 俺の直感は当たっていた。言い方が少し悪いかもしれないが、ちょっと頭のおかしい人ばかりが生き残っているのだった。どういう理由でなのかは知らない。そして、つまりは俺もその一人ということだった。

 そんな馬鹿な。たしかに、軽いうつ病とは診断されてたが、キチ●イじゃないぞ。それとも俺は偶然生存者に紛れ込んだ常人ではないのだろうか? それに日本国民に対して人体実験だと? そっちの方が、よほど頭のおかしい連中がやるようなことじゃないか!


 ここから逃げるべきだろうか? でも、どこへ向かえばいいんだ?


 それに、兵士たちが持ってる銃は、紛れもなく本物だ。もし下手に騒いだり、逃げ出そうとしたりすれば殺されるかもしれない。しばらくは大人しくして、ようすをうかがうのがいいだろう。


 でも、やっぱり疑問だ。あのアメリカ軍や自衛官の人達は、ほんとうに正気なのだろうか?

 ある病院の精神病棟に設けられた保護室一つ。看護師がそのドアの前に立ち、小窓から中の様子をみてカルテに記載していた。

 そこへ、一人の医師が近づいてきた。患者の担当医である。

「患者の様子はどうだ?」

「はい、先生。以前よりは落ち着いてきているようです」

 医師も小窓から中にいる患者の様子をうかがう。

 中には青年が一人、ベッドの上に座り、うつろな横顔をこちらに見せながら、壁に向かって口を動かしていた。


 患者としてこの保護室に入れられている青年は、突如として両親と姉を殺害し、自身にも多数の自傷をおこない、街中で意味不明なことを喚きながら騒いでいるところを保護された。

 殺人容疑で逮捕されたのが、一貫して支離滅裂な言動と自傷行為が止まないために、当病院へ措置入院の運びとなった。


「相変わらず、壁のシミと対話しているような状態か?」

「はい。どうやら、なにかしら人に見えているようです」看護師は淡々と答えた。

「やれやれ」

 医師はため息をつき、カルテを手を受け取った。


 誇大妄想の傾向……発言の中には、陰謀、人体実験、日本崩壊、軍隊、占領、メシア、審判の日、生存者、等々の単語が見受けられる、との記載を見返す。


「彼の認識の中では、どんなふうに世界が崩壊してるのだろうか」

 長年、精神科医を務めている医師にも、この患者の頭の中に描かれている景色を想像するのは難しかった。

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