第三話 『鼓動』
明かりのないハイキングコースを通り抜け、街灯の明かりが照らす山の手の街に出る。
空人は携帯を取り出し、彩に電話をかけようとした。
しかし思いとどまり、ゆっくりと息を吐く。
何を話すべきなのか、彼はもう一度考えを整理した。
話したいことはたくさんあった。
謝らなければいけないことも、感謝しなければいけないことも、たくさんあった。
夜が明けても終わらないほどに。
それでも話さなければならない。
今ここに、自分の心があるのだから。
空人は彩に電話をかける。しかし聞こえてきたのは、電源が入っていないか電波の届かない場所にいるというメッセージだった。
この電話は、誰にもつながっていなかった。
そんな電話に向かって、空人は話しかける。
「もう少しだけ、待ってて。必ず迎えに行くから」
空人は電話を切り、夜道を走った。
彩と会う前に行かなければならない場所があった。
山の手の街を西へ進み、神社へ続く長い石段の前に到着する。石段はすっかり暗闇の中に飲み込まれていたので、空人は注意深くゆっくりと一段ずつ上っていった。
彼の目は次第に暗闇に慣れ、それに合わせて歩調も早まっていく。
七月のあの日、空人は彼女が神社へ向かったと確信できた。
根拠はそれまでに交わした何気ない会話だけだったが、それだけで十分だった。
何の変哲もない日々の営みの中でこそ、心を結び合う絆は育まれるのだろう。
そして今、空人は彼女のために前へ進んでいる。
彼女の心と自分の心が一つになったことを確かめるため。
前に進むために。
石段を上り終え、境内に入る。本殿のほうに小さな明かりが灯っていた。どうやら誰かがいるらしい。花火大会の後にでも立ち寄ったのだろうと思いながら、空人は様子をうかがう。
そこにいたのは、彩だった。
彼女は本殿に向かって両手を合わせ、祈りを捧げていた。
空人は、小さく笑った。
思えばこの場所で、僕たちの心は動き出したんだ。
七月のあの日。昼立ちの雨が上がった、灰色の空の下で。
空人は彼女のもとへ歩く。
彼の足音が、彼女の意識を祈りの世界から現実へ呼び戻す。
心臓に熱い血が流れ、力強く鼓動を打つ。
息が苦しくなり、腹の底に重みを感じる。
今この時、彼は再び、心と心を向きあわせようとしていた。
大切な人と、確かな絆を結ぶために。




