第十二話 『その手を離さないように』
アキトは彼女の姿を見失っていたが、彼女がどこに向かっているのかは見当がついた。
アキトとアンが二人で花火を見た、あの場所だ。
山の手の街へ通じる階段を目指し、地下街を走る。にぎやかな配色の証明に彩られた地下街は、時の経過を感じさせなかった。ここからは空が夕陽に染められているのか、夜の帳が下ろされようとしているのか、それさえもわからない。
アキトは時の流れから切り離された場所を、顔も名前も知らない無数の人々とすれちがいながら、ハクアの姿を求めて走り続ける。
そうだ。
あの時も、僕は、この道を進んでいたんだ。
たくさんの見知らぬ人々の顔を見ていた。
嘘くさい照明の光の中を、数えきれない数の人々が波のように動いていて、僕はそれがとてもこわかった。
自分も、その波にのまれて、自分が自分でなくなってしまうような気がしたから。
だからアンが手を握ってくれた時、僕は本当に安心した。
アンがそこにいてくれたから、僕は僕であることができた。
「アキト様。私の手をしっかり握っていて下さい。大丈夫。何もこわがることはありません」
彼はその場に立ち止まる。
いつの間にか地下街を出ていたらしく、大通りの手前にある巨大な交差点のそばにいた。
やはりここも、大勢の人であふれていた。
彼は、アンの声をはっきりと聞いた。
もちろんアンの姿はどこにも見えない。
それでも彼はアンの声を聞いたと確信した。
彼の心が、そう感じたのだ。
彼は交差点を北へ曲がり、山の手の街を目指して走った。
刻一刻と夕闇が空に迫り、洋灯を模した街灯に明かりが灯り始める。花火大会の会場がある海辺に向かって歩く人々とすれちがいながら、彼はひたすら坂道をのぼった。
夏の夕暮れの空気。
かすかな涼しさを感じさせる風。
命を溶かしていくセミたちの鳴き声。
そして人。
人。
人。
先月ここに来た時には感じなかった震えを、彼は感じていた。
今ここにある世界は、彼の記憶を次々と呼び覚ましていた。
それはまだ、彼が心を見失っていなかった頃の記憶だった。
長い長い坂道を駆け上がり、異国の街並みが広がる山の手の街へ出る。そこから彼は神社とは反対方向を目指して走った。街の西側には山の頂上へ通じるハイキングコースが設けられていて、その途中にある展望広場からは都会の街並みと、その奥に広がる海を一望できる。もっとも、花火を見物するには遠すぎるし、ハイキングコースには照明が設置されていないため、花火大会当日には人はほとんどまったく集まらない。
時の経過とともに夕闇はその密度を増していき、彼の足をにぶらせる。
それでも彼は走るのをやめなかった。
ハイキングコースの入り口は街の明かりがほとんど届かない場所にある。しかし彼はすぐにそれを見つけ、迷うことなく山の中を進んだ。
彼には進むべき道がわかっていた。
過去の記憶に導かれるように、彼女の姿を求めて彼は走った。
夕闇が夜の闇へと移り変わった頃、彼は視界が開けた場所に出た。展望広場に到着した。地面をならし、斜面にそって木の柵を設置しただけの場所だが、ここからは高層建築が立ち並ぶ都会の姿と、その先に広がる海、そしてそれらを圧倒する夜空が見えた。
彼女は、広場の中心に立っていた。




