第十話 『前へ』
約束の三十分ほど前に駅に到着する。
駅前のロータリーには、すでに彩の姿があった。
アキトは急いで彼女のもとに駆け寄った。
「ごめん。待たせた?」
「大丈夫。行こっか。そろそろ電車が来る頃だから」
二人は切符を買い、改札を通ってホームに入る。次の電車まであと数分だった。
その数分間を、アキトはかすかな緊張の中で持て余していた。
彩はホームの様子を眺めながら言う。
「けっこう人多いね。やっぱりみんな、花火大会に行くのかな」
「そうだね」
言葉を口にすることが、今のアキトにとってはかなり気力を要することだった。
電車の到着を知らせるアナウンスが流れ、線路の向こうから電車が姿を現した。
二人は何も言わず電車に乗る。車内はかなりの人で混雑していた。やはり花火大会の見物客が多いのだろう。
電車が走り出し、アキトは流れ去っていく車窓の景色に目をやる。
彩も同じように景色を眺めていたが、ふと思いついたように言った。
「正直、驚いた。アキが私と二人で花火大会に行きたいって言った時」
「僕も自分で言ってて驚いた。でも、言わなくちゃいけないって思ったんだ」
「どうして?」
「うまく言えない。でもきっと、彩や透と同じ理由だと思う」
「私と、同じ」
アキトはうなずいた。
彼は前へ進み、本当の自分を取り戻さなければならない。
だから、もう一度あの場所へ行かなければならないんだ。
自分の心を求めてくれた、この人と一緒に。
アキトにあるのは漠然とした考えだけだったが、それでも確信は持てた。
あの場所がどこで、そこへ行くことにどんな意味があるのか。
過去に一度だけ、アキトはアンと一緒に花火大会に行ったことがある。
その時に見たのはずっと遠くで打ちあがっている小さな花火だけで、花火大会という印象は薄かった。だからその時の記憶は不確かなまま意識の奥底を煙のように漂っていた。
しかし、この夏に起こった一連の出来事が、その記憶をよみがえらせる鍵となった。
その記憶が示すことも、彼には理解できた。
あの場所へ、彩と二人で行く。
心を見つけるためにはそうするしかないと、彼は確信していた。




