第九話 『眠りの先にある場所』
夕方、アキトは校門のバス停で彩の携帯に電話をかけた。
「もしもし、どうしたの?」
「明日の花火大会なんだけど、僕と彩の二人だけで行きたいんだ」
沈黙が続く。
「もっと早く言うべきだったって、わかってる。ごめん、突然。ほかに予定があるなら」
「わかった」
彩の声はかすかに震えていた。
アキトはなるべくそれを意識しないようにした。
「ありがとう。待ち合わせ場所は、この前と同じでいい?」
「うん」
「五時に集合でいいかな」
「わかった。じゃあ、また明日」
また明日、とアキトは電話を切った。
アキトが帰宅した時、ハクアはソファに座って本を読んでいた。
もはやアキトはそのことを気にかけなくなっていた。
「昨日言ったと思うけど、明日の花火大会は彩と二人で行くことにしたから」
「私も一緒に行くわ。だっていつかみたいに途中で」
「大丈夫。ハクアはここにいて」
「私はあなたを心配しているのよ」
「僕は二人で行くって約束したんだ」
アキトは自分の部屋にもどり、明かりもつけずベッドに倒れ、眠った。
不安定な眠りの中で、彼は夢を見ていた。
それは夢と呼ぶにはあまりにも現実的な感覚をともなうものだった。
眠りの世界の先にある、もう一つの現実世界のようだった。
そんな世界の中で、彼は激しく心を揺さぶられていた。
この世界では、彼は当たり前のように自分の心を感じることができた。
彼の心は、善も悪も含むありとあらゆる感情にさらされて、叫んでいた。
翌朝、目を覚ましたアキトは夢の記憶をすべて失っていた。
心の震えも、叫びも、在り処も。
リビングの時計が午後四時を指す。
「それじゃあハクア、行ってくるね」
読書をしていたハクアは「いってらっしゃい」と言い、再び本に視線をもどした。
アキトはハクアのそばに座り、彼女の体を抱き寄せ、耳元に顔を近づけた。
ハクアは拒まなかった。
ただ、本だけは手放さなかった。
「おやすみ。ハクア」
一瞬だけ、二人は目を合わせた。
そして、ハクアは目を閉じた。
ハクアが眠りについたことを確かめ、アキトは彼女をソファに寝かせた。
彼女の眠りがいつまで続くのかはわからない。
だからアキトはハクアが目を覚ましてから、彼女が自分の名前を呼ぶようになってから、彼女を眠らせることができなかった。
それでも今は、ハクアを眠らせなければならない。
それが彼女に対する裏切りだとしても。
ハクアはまだ本を持っていた。
アキトは本を取り上げ、彼女の胸のあたりに置き、その上に両手をそえさせた。
「帰って来た時には、きっと僕は本当の僕になってると思う。本当の君と向きあうために。だから、それまで待っていて」
アキトは家を出て、玄関のドアに鍵をかけた。そして、駅へ向かって歩き出した。




