第四話 『森の奥で』
二人が部室に到着した時、部長は真剣な表情でコピー用紙の束に目を通していた。やがて二人の存在に気づいたのか、部長は顔を上げて穏やかな笑みを見せた。
「やあ、アキト君。ちょうどいいところに……、そちらは、お友達かな?」
「そうですね。そうなんですけど」
アキトは横目で明理の様子をうかがう。
明理はまさに心奪われたという目で部長を見つめ、感嘆の息をもらしていた。
彼女にとって部長の姿は、想像以上に奇跡的なものだったのだろう。
「これはもう、マジの奇跡だよ……」
感動に震えながら明理はつぶやく。
部長は明理のそばへ行き、優しく微笑んだ。
「始めまして。この総合文芸部の部長をしている常盤です」
「あ、あ、は、初めまして! 私は明理と申します! 二年、陸上部です! はい!」
「よろしくね、明理君。ところで今日はどんなご用かな。ここは兼部可能だから、入部希望で来てくれたのならうれしいんだけど」
美少年と評判の部長の容姿を拝見しに来た、などと言えるわけもなく、明理は言葉を詰まらせる。なのでアキトは助け船を出すつもりで言った。
「明理がここに来たのは、部長が奇跡的な美少年だっていう評判を聞いたからですよ」
「ちょ! やめてアキト君! いや実際そうなんだけど、それじゃ私が下心丸出しのスケベ女みたいだよ?」
「まあまあ、事実なんだからしょうがないじゃない」
「その事実って、どっち? 動機のほう? そっちのほうだよね、ね?」
「なんだ。僕を見に来てくれたのか。それは申し訳ないな。へんにうわさだけが独り歩きして大げさなことになってるみたいだから。実物を見て、がっかりしたでしょ」
「いやいやいやいや、そんなことないです、全然ないです! むしろ想像以上の期待以上で本当にありがとうございました! ごちそうさまでした!」
「ところで部長。さっき、ちょうどいいところにって言ってましたけど」
「ああ、やっと物語が完成したんだ。さっきまで一通り読み直していたんだけど、よかったら読んでみる?」
「では、お言葉に甘えて拝読いたしましょう」
アキトは原稿を受け取り、椅子に腰かける。
「私も私も!」
明理もアキトの隣に座った。
そして二人は、物語の世界へ入った。
◇ ◆ ◇
深い深い森の奥で、姿のそっくりな男の子と女の子が、寄り添うように眠っている。
男の子は太陽が空に姿を見せている間だけ、女の子は太陽が空から姿を消して月と星々が輝いている間だけ目を覚ます。
二人が同時に目覚めることはなく、互いに関わり合うこともなく、二人はそれぞれ自分だけの時間を過ごしていた。
しかしある時、男の子が偶然にも森の秘密に近づいたことをきっかけに、二人の間に絆が生まれた。二人は眠りという壁を超えるため様々な努力を重ね、ついに心を通わせあった。
同じ時間に目覚めることができなくても、同じ時間を生きることができた。
女の子は男の子と一緒にいられるだけで幸せだった。
一方で、男の子は女の子と一緒に目覚めることを望み始めた。
男の子は、女の子と一緒に生きたいと思うようになった。
一緒に目を覚ます方法を求め、男の子は森の奥へ奥へと進んだ。
そして彼は、森の正体と自分たちの宿命を知り、絶望した。
その絶望は男の子を狂気へ駆り立た。
結果、男の子は女の子の心を深く傷つけ、彼女から心を失わせてしまった。
自分のせいで女の子から心が失われてしまったことを知った男の子は、女の子の心を取り戻すため、自分のすべてを捧げることを決意した。
自分の記憶も、感情も、願いも、女の子を愛する自分自身の心も。すべてを捧げた。
夜が明け、空の彼方から太陽が姿を現した時、女の子は目を覚ました。
男の子の姿はなく、女の子の記憶からも消えていた。
女の子の心には、あたたかなぬくもりが宿っていた。
懐かしくもあるそのぬくもりとともに、女の子は森の外を目指して歩きはじめた。
◆ ◇ ◆
物語を読み終えた明理は、目を閉じて静かに息を吐いた。
「なんていうか、こう、不思議なおとぎ話みたいですね。物語が終わっても、その先の世界が広がっていくっていうか。うん。おもしろいです」
「ありがとう。アキト君はどうだった?」
「そうですね。雰囲気はいいと思いますけど、バッドエンドなのはいただけないかな」
「え? 私はバッドエンドじゃないと思うけど」
「男の子は消えて、女の子は男の子のことを忘れちゃったんだよ。二人とも一緒にいたいって思っていたのに、それが叶わなかったんだから、バッドエンドなんじゃないかな」
「うーん。でもさ、女の子の心は男の子の心とひとつになったっぽいじゃない。それはそれで願いが叶ったって言えなくもないんじゃないかな」
「物語にはそこまで具体的に説明はされてない……、なんです部長。面白そうにニヤニヤと」
「ごめんごめん。自分の物語について真剣に話し合ってくれるのはね、物語を書いた人間にとってはすごくうれしいことなんだ」
「そういうものですか。で、結局この物語はハッピーエンドなんですか? それともバッドエンドなんですか?」
「それは物語を読んだ人が自由に決めることだよ。僕が決めることじゃない」
「なんかそれっぽいこと言ってごまかそうとしてません?」
「僕にとって結末の解釈はどんなものでもいいんだ。この物語を読んだ人が何かを感じとってくれて、それがその人の心に何かを残せるのなら、それで十分だから」
「なるほど。じゃあ、部長はこの物語を書いて、読んで、何を心に残しました?」
「それは秘密。ただ僕は、この物語を書くことで自分の心を見つめなおすことができた。僕は僕が求めていたものを、得ることができたと思っているよ」
「自分の心を見つめなおすために、部長はこの物語を書いたんですね」
部長は幸せそうに笑っていた。
アキトには、それが本当に幸せそうに見えた。




