第三話 『どこまで信じられるのか』
透が去ったあと、部長はアキトに言った。
「明理って、昨日最初に拍手をしてた子のこと?」
「ええ。よく覚えてますね」
「あの場であんなことをするなんて並大抵の勇気じゃないからね。もちろん彩君もそうだし、アキト君だってそうだよ」
「僕は何もしてませんよ」
「それはちがう。君は討論に参加しないっていう道も選べたじゃないか。けれどそうしなかった。君があの場に立ったことで、彩君も明理君も行動できたんだ。そして君自身も、あの二人と同じように、強く心が動かされたはずだよ」
部長は椅子に腰を下ろし、両腕を組んで目を閉じた。
「ずっと不思議だったんだ。どうして君が描く絵は心に残らないんだろうって。まるで名も無き風のように、人知れず通り過ぎて消えていくだけ。それはある意味才能なのかもしれないけど、あまりにも無価値で無意味で、やっぱり才能とは似て非なるものなんだろうね」
「部長。最近僕への風当たりが激しすぎやしませんか」
「君のことを悪く言ってるんじゃないんだ。ただ、僕は昨日の件で気づいたんだ。どうして君の絵は何も残さないのか。それはね、君の心が正しく動いていないからなんだよ」
「そうですか。でしたらこの胸の痛みは何でしょうね」
「誤解しないで。君を責めてるわけじゃないんだ。君はきっと、自分の心を自然なあり方で自分自身に結びつけることができないだけなんだよ。だから君は、自分の心を他者に向けて表現することができないし、それを絵に託すことができないんだ」
「そう言われましてもねえ。何をどうすればいいのか、まるでわからないんですけど」
「それを知るために、僕たちは生きているんじゃないかな」
アキトは納得いかないというふうに首を傾げた。
部長はパソコンを立ち上げ、小説の作業に取りかかる。
「部長が書いてる話って、どんな話でしたっけ
「同じ時間に目を覚ますことのできない男の子と女の子が、互いに心を通わせあう話だよ」
「どうやって心を通わせあうんですか?」
「贈り物をするんだ。男の子は森で見つけた花や木の実を贈り、女の子は眠っている男の子のそばで歌を歌う。それぞれが思いつく精一杯のやり方で、思いを伝えあおうとするんだ」
「でも、眠っている男の子には女の子の歌は聞こえないんじゃないですか」
「そうだね。でも女の子は届くと信じているんだ。それに、歌という形では届かなくても、そこに込められた思いは届くかもしれない」
「よくわかりませんね」
「誰だってそうだよ。自分の思いが人に届くかどうかはわからない。だから、届くと信じて人は行動するんだ」
部長は両手を止めて、目を閉じた。
「思いが届くことを信じられなくなったら、きっとこの世界に救いなんてないんだよ。それに人間は他人の心をのぞき見ることはできないし、自分の心だって全部理解できているわけじゃない。だから、信じるしかないんだ。自分がどう思っているのか、相手に思いが伝わるかどうか。心のあり方を信じることが、本当の強さなんだと僕は思う」
「言ってしまえば、自己中心的ですね」
そうだね、と部長は笑う。
「それでいいんじゃないかな。だって自分がいなければ自分にとっての世界は存在しないんだから。自分を見失ったら、世界そのものを見失ってしまうものね」




