第十話 『ありふれた価値観』
彼らが体育館に到着した時、すでに全校生徒は集合していた。
ステージの上にはパイプ椅子が一台ずつ向かい合うように置いてあり、その間にあるテーブルにはそれぞれの席に向けてマイクが設置されている。討論というよりは座談会といった感じだった。さらに奥には審査員用のパイプ椅子が置いてある。
アキトと彩は黒川先生と一緒にステージの左側の出入り口へ、婦人は反対側へ入った。
ステージの裏に入ると、黒川先生は申し訳なさそうに言った。
「二人とも、本当にすまない。まさかこんなことになるなんて」
「気にしないでください。そもそも私が学校を休んだことが原因ですし。それに、友達が一緒だから大丈夫です。でしょ、アキ」
彩はアキトに笑顔を向ける。
その笑顔は強張っていた。固く握られた両手はかすかに震えていた。
「うん。大丈夫だよ、彩」
司会を務める学年主任の先生が公開討論の始まりを告げる。
アキトは彩の手を握ろうと近づいたが、彩は「大丈夫」と言ってステージへ歩き出した。
アキトは小さく息を吐き、ステージへ向かった。
極度の緊張のためか、彩の動作はぎこちなかった。体育館には全校生徒と職員合わせて千人近くの人間が集まっているのだから、無理もない。一方でアキトはまったく普段と変わらない様子で歩き、パイプ椅子に腰を下ろした。彼にとって不特定多数の人の目にさらされることと緊張することは、まったく結びつかないのだ。
先に座っていた婦人はとても感じのいい笑みを浮かべながら立ち上がり、マイクを持った。
「さて、先ほど司会の先生がお話しして下さった通り、今回の講演会はこちらの生徒さんたちの大変熱心な要望を受けまして、公開討論という形になりました。この時間が皆さんにとって価値のあるものとなることを願っていますわ」
アキトは何も反論せず、婦人の姿を見ていた。
婦人はマイクをテーブルに戻し、椅子に座ってアキトと向きあう。
「ではまず、討論を円滑に進めるにあたって、いくつか質問をさせていただきますね」
「どうぞ」
「あなたはなぜ、女性型アンドロイドとプライベートを共にしているのかしら」
生徒たちの間でどよめきが広がる。
アキトは透のクラスに目を向け、ロボットがおとなしく座っているのを確かめた後、婦人に目線を戻した。
「ハクアは僕にとってとても大切な人です。大切な人と一緒にいたいと思うのは、当然のことだと思いますけど」
「相手は人ではなくアンドロイドでしょう。なのにあなたは人間同様に接し、しょせんは『モノ』にすぎないアンドロイドに精神的な結びつきを求めている。それはなぜかしら」
「人間とかアンドロイドとかは僕にとってたいした問題じゃないんです。たまたま僕が人間でハクアがアンドロイドだった。ただそれだけのことですよ」
「なるほどなるほど。では次の質問に移りましょうか。あなたはアンドロイドのAIを自分に対して好意を持つようにプログラムしていますか?」
「していません。どうしてそんなことをする必要があるんですか?」
心の底から不思議そうにアキトはたずねた。
婦人はかすかに口元をゆがめたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「いいでしょう。あなたの言葉を信じます。では、次の質問。あなたはそのアンドロイドに対して恋愛感情を持っていますか?」
「わかりません。そもそも恋愛感情ってどういうものなのか、よくわかりませんので」
「あら、それは失礼。では最後の質問をしましょうか。あなたに対して好意を強く抱いている人と、あなたが所有するアンドロイドのどちらか一方としか今後一緒にいられなくなったとしたら、あなたはどちらを選びますか」
「ハクアを選びます」
アキトは即答した。
その答えは、この場にいる生徒たちを少なからず動揺させた。
「理由を説明していただけるかしら」
「その人には僕以外にも好意を向けられる相手ができるかもしれません。でも、ハクアと一緒にいたいと思う人間は、今のところ僕だけです。僕はハクアを一人にさせる気はありません」
そうですか、と婦人は言った。
体育館に不穏なざわめきが広がる。
その中にいた明理は体育座りのまま両手を握り、祈るような目をステージに向けていた。彼女の視線の先にいる彩は平静さを保った表情を浮かべていたが、明理には彩の心の乱れが手に取るようにわかった。
実際のところ、彩の心は激しく乱れていた。無理もない。
アキトの一般的ではない感性が、最悪の形で暴かれてしまったのだから。
「私からの質問は以上です。あなたからは何かあるかしら?」
「いえ、何も」
「では討論を始めましょうか。テーマは『人間とアンドロイドの絆について』ですわね。まずは私から主張を述べさせていただきますわ」
婦人は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、膝の上で両手の指を優雅に組んだ。




