第十一話 『夕立』
婦人が現れたのは、あと少しで三時になろうかという頃だった。
「あらあらあら、ごめんなさいねえ。遅くなってしまって。デモは予定通り終わったんですけど、解散前に妙な方たちにからまれてしまって。その方たちは、アンドロイドは人間のパートナーとして必要だなんて愚かなことをおっしゃるものですから、私は懇切丁寧にその考え方を正して……」
しゃべりながら婦人は席につき、ウェイトレスが持ってきたグラスの水を飲んで、手短に自分の注文を済ませた。
「ふう……。ところで、先ほどから気になっていたんですけど、そのアンドロイドは?」
「ハクアがどうかしましたか?」
アキトが言うと、婦人は「まあ!」とわざとらしく驚いた。
ハクアは席を立ち、アキトに言う。
「キト。少し、外の空気をすってくるわ」
「わかった。一雨きそうだから気をつけて」
ええ、とハクアは店の外へ出る。
婦人は二人のやりとりを見て、かすかに顔を引きつらせていた。
「まあまあ、なんてことかしら。信じられませんわ。アンドロイドをまるで人間のように。あなたはあのアンドロイドの所有者なのでしょう。なら、外で待機するように命令するべきじゃないかしら。いえ、そうするべきよ。アンドロイドが勝手な行動をしないためにも」
「だいじょうぶです。僕はハクアのことを、ハクアは僕のことをちゃんと理解してますから」
婦人は水を一口飲み、彩に目を向けて小さく咳払いをして、再びアキトに目を向けた。
「ご存知とは思いますが、私はアンドロイドの危険性を社会に訴える活動をしていますの。アンドロイドは人間から大切なものを次々と奪っていきますから。先ほどのデモに参加した同志のなかには、アンドロイドの被害にあった者も大勢いますのよ。たとえば……」
婦人は数々の体験談を雄弁に語った。講演会の講師を依頼されるだけのことはあり、その語り口には人の注意をひきつける力があった。
アキトは婦人の話を真面目に聞いていた。
彼にとってもなかなか興味深い話だった。
「……かくいう私も、大切な息子をアンドロイドに奪われてしまいましたの。息子は私や夫の言うことを素直に聞く、心優しい正義感に満ちた少年でしたわ。でも、だからでしょうね。やがて息子は人間関係で思い悩むようになりましたの。様々な悪意や不幸が重なって中学から不登校になり、家に引きこもってしまいましたわ。そしていつしか、息子は人間に対して心を開かなくなってしまいました。けれど唯一、心を開ける相手がいました。それは、家事手伝い用のアンドロイドだったのです」
婦人の声は悲しみを感じさせた。
しかしアキトは、そこにかすかな憎しみの響きがこもっていることに気づいた。
「息子はアンドロイドを自分好みに改造し、まるで恋人のように接するようになりました。私は本当に悲しくて、何度も息子を説得したのですけれど、息子はまったく聞き入れなくて。ですから私、息子の目の前で、そのアンドロイドを破壊しましたの。これは人間じゃない。人間そっくりのつくりもの。まがいものでしかないことを証明するために」
ウェイトレスがやってきて、婦人が注文したランチプレートを置く。
婦人は手をつけずに話を続けた。
「息子は今、とある療養施設に入っていますの。アンドロイドを破壊した時からすっかりおかしくなってしまって。これも全てアンドロイドのせいですわ。つくりものの体と心で人間を惑わし、心を破壊してしまう、なんともおぞましい文明の害悪……」
その時、遠くから雷鳴が聞こえてきた。
それを合図とするように、重々しい雨粒の音がひとつ、またひとつと聞こえ、ほどなくして激しい雨だれの音になった。
アキトは席を立ち、透に言う。
「ハクアをよんでくる」
「ああ。わかった」
「あらあら。アンドロイドなのだから、この程度の雨は問題ないでしょう」
「僕がハクアを心配しているんです。あなたには関係ないことだから、黙っててください」
絶句する婦人をそのままに、アキトは店の外へ出た。
ハクアの姿は、どこにも見当たらなかった。
激しい雨の中、雨をしのげる場所を求めて慌てふためく人々の姿が見えるだけだった。
アキトはハクアの姿を求め、雨の中を歩きはじめる。
そんな彼を追うように、彩が店から出てきて彼の腕をつかんだ。
「アキ! 今外に出ちゃだめだよ。いくら夏でもカゼひいちゃうって」
「ごめん。でも、ハクアのところへ行かなくちゃ」
アキトは彩の手を振り払い、雨にうたれながら走り出した。
彩はすぐに後を追おうとしたが、やって来た透に肩をつかまれた。
「お前こそカゼひいちまうぞ。アキトは、あいつの好きにやらせてやれ」
「なら、だったら、私にだって、私の好きにさせてよ」
「大事な妹をこんな雨の中に放り出せるわけねえだろ。アキトのことは俺に任せてお前は」
「いやっ!」
彩は透を押しのけて、アキトを追って走った。




