43 それから
最終話です。
気が付くと秋が終わり、季節は冬の初めへと移っていた。
裏庭の楓や銀杏の樹の葉は、枝から離れて風に舞った。
赤や黄色の落ち葉の絨毯といえば聞こえはいいが、掃き掃除は一苦労だ。
箒で枯葉を裏庭の隅に集めると小山のようになった。そしてそれがまた、突然に吹く強い風で飛ばされてしまう。
魔術でさっと片付ける……なんていうことはできなかった。わたしの魔力は先視と占いに特化されているらしい。つまり、それ以外の魔術は使えない。
以前に、一家に一人魔術師がいたらさぞ生活が便利になるだろうと思ったが、そんなに簡単にはいかないようだ。
それにヴィーリアの講義の甲斐もなく、魔力を制御する感覚もまだ掴めてはいなかった。
まあ、先は長い。
教えてもらった『魔力を集中させ、満たし、張り巡らせて状況を感じとるように』感覚を研ぎ澄ませ……今日もせっせと落ち葉を掃く。
枯葉は腐葉土にすれば家庭菜園のよい肥料になるのだ。
ロロス司祭様とセイン見習い司祭様はというと、リモール領がかなりお気に召したらしい。春までは温泉の湧いている山間の村を廻るという連絡がお父様に届いていた。
それとは別に、ヴィーリアとわたし宛にもロロス司祭様から手紙が届いた。
ヴィーリアは読まずにそのまま暖炉に放り込もうとした。間一髪で止めることができたけど……。
手紙の内容は『リモール領を新たな神殿を建立するための候補地として推薦したいから、口添えをよろしくね』というものだった。反対をするなら『僕はおしゃべりなようだから、男爵様にいろいろと口を滑らせてしまうかもよ?』とも書かれていた。
……。
ヴィーリアは露骨に眉をしかめて、手紙を暖炉に放り込んだ。今度はわたしも止めなかった。
やっぱり、ロロス司祭様とは長い付き合いになりそうな気がする……。
レリオは今では、アロフィス侯爵家とライトフィールド男爵家の正式な連絡係として、二日に一度は屋敷に顔を出していた。なるべくヴィーリアのいる部屋へは転移をしてこないようにしているらしいが、しょっちゅう顔を合わせてしまい固まっている。
お父様を通して、緊急の場合にはレリオを呼び出す許可をアロフィス侯爵家に申請した。侯爵家には快諾してもらった。緊急時にレリオに連絡がつけられるようにと、通信の魔術を込めたクリムス領産の上質な翡翠のブレスレットを贈られた。ブレスレットなら常に身に着けていられるからということだ。
侯爵家からは許可をもらっていたが、レリオには誠意をもってお願いをした。
もし、どうしても嫌だと言われたら諦めようと思っていた。無理強いはしたくない。
レリオは微妙な表情をしていたが「お嬢様のお役に立てるのなら……」と承諾してくれた。
背後からの重圧にそう言うしかなかったのかもしれないけど……。
でも、ありがとうレリオ。
お礼になにかさせてほしいと伝えると「いつかの肉が食べたいです。美味しかったぁ……」と両手で頬を押さえて、夢見るように微笑んだ。
ケインに焼いてもらった肉をお土産にも持たせると、濃い青色の目をキラキラと輝かせた。
うん。レリオの好きなものはお肉。憶えた。
▲▽▲▽▲
今年もあと数日で終わる。
夕方には雪がちらちらと、灰色がかった空から舞い始めていた。
窓辺に立って、落ちてくる細かい雪を眺めていた。扉がノックされる音がした。
「どうぞ」
扉が開かれるとヴィーリアが立っていた。
足音もなく部屋に入る。わたしの隣に立つと、窓の外を見た。
夜でなければヴィーリアはきちんと扉から部屋に入ってくる。
仄かなランプの灯りは、窓ガラスを曇った鏡のようにした。ぼんやりとわたしたちの姿を反射させている。それでも窓ガラスの向こうに、雪は白く、細かく落ちていくのがわかった。
「雪ですか」
「積もるかしら?」
「貴女が占ってみては?」
まだ魔力を制御できないのを知っているくせに。
「やっぱり意地悪ね」
ヴィーリアを見上げる。紫色の瞳と視線が重なると、唇の端が柔らかく上がった。
お父様とお母様が公都から戻ってきてからは、ヴィーリアはお父様たちの仕事を手伝っている。
お父様たちが鉱山関係の事業に関わる時間が増えているために、わたしは領地内の仕事の補佐を任せてもらうことになった。最終的な承認は領主であるお父様の確認が必要だが、以前よりもわたしの裁量権は増えた。領主代行……の代行くらいは務められているかも?
ヴィーリアはかなり忙しい上に外に出ることも多く、二人で午後にお茶を飲む時間をもつこともままならなかった。もちろん、魔力の使い方の講義も中断を余儀なくされている。一人でもカードを使って練習すること、常に魔力を意識すること、という宿題は出されていたが。
今日は、まだ夕食前の時間に部屋を訪ねてくるなんて。最近では珍しく、早めに仕事を切り上げたようだ。
「私たちが町へ行ったとき……」
書店と図書館へ本を探しに町へ降りたとき。
「あのとき、広場で騒ぎがありましたね」
リモリアの町は人出も多く、活気に溢れていた。
「ええ。酔っぱらいが暴れていたわね。自警団が来る前にヴィーリアが投げ飛ばしたけど」
一瞬の出来事で、なにが起きたのかすぐには解らなかった。ヴィーリアは体術を使ったと言っていた。
「そのときのことを書店にいた者が見ていたらしいのです。私を自警団の団長にと、推す声があります」
ヴィーリアが? 自警団?
「引き受けるの?」
「貴女がそれを望むのなら」
「そうね……いいと思うわ」
ヴィーリアが団長になるのなら、きっと今よりも、もっと頼もしい自警団になるはずだ。
なんていったってヴィーリアは……ねぇ?
リモリアへは仕事を求めて、近隣の領からも人が大勢入ってきている。
人が多くなれば問題も多くなる。自警団も今のままでは人員が足りなくなるだろう。
あの酔っぱらいみたいに、騒ぎを起こして捕らえられた者たちを再教育して、自警団に取り込んでしまえばいいと思っていた。
ヴィーリアが指導に携われば……彼らもさぞかし再教育のされ甲斐もあるはずだ。更生すること間違いなし。
なにしろ、人は一番の宝だ。
「でも、無理はしないでね」
ふっと、ヴィーリアが笑った。
「私が疲れているとでも?」
「だって、忙しいじゃない。こんなに働き者だとは知らなかったわ」
「まあ、人間の真似事もたまには悪くない。そうですね……。そうしたらまた、貴女に眠りの魔術をかけていただきましょうか」
あの日、眠り続けていたわたしが目覚めた朝。
『貴女の手でかけてください。眠りの魔術を』
見様見真似でヴィーリアの瞼の上に手をかざした。
結論からいうと、ヴィーリアは眠ることはできなかった。だけど、眠りでもなく、覚醒でもない境界を感じることができたらしい。
眠ってはいけないのに眠くて仕方がなくて、つい、うとうとしてしまうときに、現実と夢の間を彷徨うみたいなものだろうか。
わたしが魔術を使いこなせるようになれば。
もしかしたら、いつか、本当に眠りの魔術をかけることができるかもしれない。
「いいわよ」
心の中でヴィーリアを……真名を呼ぶ。まだ、正確に呼ぶことは難しい名前。
深い紫色の瞳が柔らかく蕩けていく。
『あなたの……本当の名前を教えて?』
『そうですね……。貴女になら解るかもしれない』
完全に眠ることはできなかったその後に。
そういって教えてもらった。何回も何回も繰り返して。
声に出して発音することはできない。聞き取ることも難しい。でも、音楽のように響いて流れる。美しい旋律のように。
「……年越しのお祭りには行けそうなの?」
リューシャ公国の年越しは、過ぎ行く年に感謝を込めて盛大に祝う。そして、そのまま新しい年を歓びで迎える。
リモール領でも、リモリアの町で毎年、年越しの祭りが行われている。五年前の祭りは祈りを捧げるだけのささやかなものだったが、中止されることはなかった。
食べ物や飲み物、工芸品に装飾品、甘いお菓子、子どもの玩具、くじにゲームなどいろいろな出店が並ぶ。年の最後の日だけは特別で、普段はすでに夢の中にいる幼い子どもも祭りに参加する。有志の楽団も夜通し音楽を奏で、皆が歌って踊る。広場には移動式遊具や舞台が設置されて、劇やショーも上演される。
吊り下げられた、たくさんのランタンの橙色の明かりが中央広場と大通り、町中を照らして、リモールの冬の夜を幻想的に飾る。
今年の祭りはきっと、例年以上に賑やかなものになるだろう。
わたしはヴィーリアとお忍びで祭りに行く予定を立てていた。
ブランドとケインは年越しの祭りには行かずに、その日は屋敷でゆっくりと過ごすらしい。ベルとルイ、コディとルウェインは四人で一緒に祭りに行くようだ。ルウェインは次期コック長として、ケインの下で働くことが決まった。
シャールとフェイは公都から帰ってはこない。今年は公都で年を越すと手紙が届いた。公都の年越しの祭りはリモール以上に華やかにちがいない。もしかすると、お父様には内緒でベナルブ伯爵も一緒かもしれない。お母様は知っているかも?
「男爵も明日には今年の仕事は納めるそうですので……。男爵夫妻も年越しの祭りに忍んで行くそうですよ」
心配はないというようにヴィーリアが肯いて、わたしの腰に腕を回して引き寄せた。
「ちょっと……」
こういうのは、やっぱりまだ……恥ずかしい。
「なにを今さら。私と貴女はすでに一つに……」
「魂がね!?」
最後まで言わせずに、言葉をかぶせる。
こういうところは相変わらずだ。
ヴィーリアの蕩けたままの深い紫色の瞳は悪戯に意地悪く、だけど優しくわたしを映す。
少し恥ずかしいけど……ヴィーリアの胸にゆっくりともたれると、温かい体温が伝わってくる。
「なんだか、最近のお父様とお母様……見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに仲がいいわよね?」
「私たちを見ていると新婚時代を思い出すそうです」
「そんな話、いつしたの?」
「まあ、いろいろと」
なんだかんだと、ヴィーリアはお父様、お母様ともうまくやってくれている。
「……お父様たちは結婚してすぐにわたしを育ててくれたから、今が新婚のやり直しかしら?」
「そうですね。もしかしたら、貴女にもう一人妹弟ができるかもしれませんね」
「えっ!?」
「また貴女は……淑女らしからぬ顔をして。それはもう、癖ですね」
そういうと、わたしの眉間をこつんとつついて本当に愉快そうに笑った。
部屋の扉が四回、控えめに叩かれた。
このノックの音はベルだ。
夕食の準備が整いましたと、わたしたちを呼びに来た。
【崖っぷち男爵令嬢の召喚奇譚 END】
【崖っぷち男爵令嬢の召喚奇譚】はこれをもって完結となります。
完結まで書き続けられたのは、応援していただいた皆様、読んでいただいた皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。感謝しかありません!(ノД`)・゜・。
ヴィーリアとミュシャの物語を楽しんでいただけましたら……たいへん嬉しく思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
また、ご感想や評価などをいただくことができましたらたいへん有難く、今後の励みと勇気になります。
時期は未定ですが、次回作でお会いできることを楽しみにしております(๑´ꇴ`๑)♡
冬野ほたる