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41 あなたの隣で

目覚めた朝の回想回になります。


△▽△▽△


 瞼を開けると薄い闇の中に見慣れた天井があった。

 青い蝶が一羽だけ翔んでいて、周りを(ほの)かに青く照らしていた。

 わたしは屋敷の自分の部屋の寝台にいた。

 室内には青い燐光から(のが)れた薄闇が残り、カーテンの隙間からも陽は入っていない。窓の外から鳥のさえずる声も聞こえない。屋敷の中もまだ静かだ。

 明け方の少し前の時間のようだった。

 寝台の隣には椅子が置かれ、ヴィーリアが座っていた。ヴィーリアの右の手はわたしの左手をしっかりと握っていた。


 『やっとお目覚めですね』


 ほっとしたように微笑んだヴィーリアの襟元のタイは弛められていた。

 なんだかくたびれて、疲れているようにも見える。


 『気分はいかがですか?』


 あの身体の熱と重さが嘘のようになくなっていた。熱さもなく、身体も軽い。だるさもとれている。非常に爽快な気分だった。


 『なんだか、とてもいい気分よ』


 頭もすっきりとしていたのだが、ゆっくりと身体を起こすと軽い眩暈がした。

 ヴィーリアはすぐにガウンを羽織らせてくれた。

 髪の寝ぐせが気になって、手で後ろ髪を撫でつける。ほつれた髪を耳にかけてくれたヴィーリアの左手の指と、わたしの指先とが触れた。

 ……あれ?


 『……貴女はこの三日間、眠り続けていました。水分は取らせましたが……。林檎でも召し上がりますか?』


 いつのまにかヴィーリアの手の中には真っ赤に熟した林檎があった。


 『そう……ね。ありがとう』


 ヴィーリアの指がぱちんと鳴る。白いお皿の上にきれいに皮を剥かれた八等分の林檎がのせられた。水溶性の甘くて酸っぱい香りを嗅ぐと、お腹が空いていることを自覚した。

 一口一口をゆっくりと噛みながら飲み込む。しゃくしゃくとした果肉と甘酸っぱい果汁が空腹と渇きを癒す。

 しかし、三日間なにも食べていなかった胃は三切ほど食べたところで満足してしまった。


 『朝にはまだ早い。もう少し眠りなさい』

 

 『……ヴィーリアは? とても疲れているみたい』

 

 さっきまで眠っていたわたしよりも、ヴィーリアの方がよっぽど睡眠を必要としているようだった。


 『申し上げたように、私は眠り』


 言葉の途中でヴィーリアのシャツの袖を引いた。


 『……なんですか?』


 『もしかしたら……眠れるかも。ヴィーリアだってわたしの魂の影響を受けているかもしれないでしょ?』


 そう。もし、わたしがヴィーリアの眠りの魔術に頼らなくてもまだ眠ることができるのなら。

 影響を受けるのはわたしの魂の方が大きいとしても、ヴィーリアだってわたしの魂の影響を受けていないとは言い切れない。だって、さっき……。


 『それは……お誘いですか?』


 紫色の瞳が細められて、夜の残り香を振りまいた。口角が意地悪く上がる。片手で襟元のタイをさらに弛めると、寝台に片膝をついて上がり込んできた。


 『違うよ!?』 


 なんだかもはや、こういったヴィーリアの行動も想定内のことになりつつある。

 わたしの隣に勝手に横になり、肘をついて手の甲に頭をのせる。白銀色の髪が乱れて寝台の上に広がった。頬の横に落ちた一筋の髪と、珍しく疲労を(にじ)ませたような目元が退廃的な色香を纏う。

 慣れたとはいえ……いや、やっぱり慣れないかも。


 『客間で眠ればいいでしょ? もう、ロロス司祭様の心配もないし』 


 『貴女が寂しがると思いまして』


 ヴィーリアは長くて白い人差し指を自分の唇の上に置き、すっと横に引いた。


 『そんなことは……』


 言いかけて、それを見て……思い出した。

 そういえば、わたし……なにをした!?


 とっさにヴィーリアから距離を取って逃げようとした、その瞬間。

 腕を掴まれて寝台の上に引き倒された。

 あっという間に背中に両腕を回され、胸の中に囲われる。


 そして……顔を上げた。


 やはり、気のせいではなかった。

 わたしの熱が移動したのでもなかった。

 握られていた手も、触れた指先もそうだった。


 『気が付いたのでしょう?』


 深い紫色の瞳と目が合う。

 背中に回した腕を(ほど)いてわたしの左右の手首を取る。両方の手をヴィーリアの頬へと導いた。手のひらが白く(なめ)らかな頬に触れる。


 ヴィーリアの頬が、肌が……温かい。


 『貴女の熱が私に宿った。そうですね……貴女の言う通り、私も少なからず影響を受けている』


 そう囁くと、瞼を閉じて紫色の瞳を隠した。

 わたしの手のひらに甘えるように頬をすり寄せると、柔らかな人肌の唇をつける。


 熱が退いたというのに、また頬が、顔が、身体が熱くなる。苦しいくらいに、うるさくどきどきとする心臓の音がそのままヴィーリアに伝わりそうだ。


 ……どうしよう。

 雷の嵐の夜のように……あの濃厚で蠱惑的な甘い甘いバニラの香りがしてきたら。

 もう、あんなに恥ずかしい思いは絶対に、絶対にしたくないのに。

 ……告白なんていうこともしてしまったけど、あの雷の夜の恥ずかしさだけは別。

 平常心……とは思っていても、たぶん、もう、遅い。


 『手を離して……』


 声が震える。


 髪と同じ色の長い睫毛に縁取られ、ぴったりと合わさり閉じられていた瞼がゆっくりと開かれた。

 深い紫色の瞳は艶を含んで光るとわたしを(から)めとる。

 掴まれている手首の力はまったく弛まない。離す気はないらしい。逃げるに逃げられない。

 口角がわずかに上がる。


 『貴女はまだ、それを言う……。では……試してみましょうか?』


 なにを!?


 『絶対にイヤ!』


 掴まれている手首を振りほどこうとして必死に力を入れるが、びくとも動かなかった。


 『くっ』


 わたしの様子を眺めて、ヴィーリアが喉の奥で哂った。


 『なにが……おかしいの?』


 哂うところなんてどこにもなかった。


 『貴女は本当に……からかい甲斐があり』


 最後まで聞かなかった。

 思いっきり膝を曲げてからヴィーリアを蹴飛ばした。

 長い脚はそれでも微動だにしなかったけど。顔色も変わらなかったけど。

 たぶん、蹴ったわたしの足の方が痛かった。

 やっぱり……ヴィーリアなんて、なにも全然わかっていない。

 こんな風にからかうなんて。

 わたしの気持ちを知ったくせに……なんの答えもくれないくせに。


 『「いいのです。咎めているわけではありません。言ったでしょう? それが人間です。……そして今の貴女は非常に人間らしい。とても……美しいですよ」』


 思わせぶりなことを言っていた。

 だから、それはどういう意味なの?

 でも、還ってしまうんでしょ? それはいつ? 魔術師としては契約をしてくれるの? わたしの記憶は消していってくれるの?


 『ミュシャ』


 『イヤ。手を離して。わたしを見ないで!』


 下を向いて顔を隠した。わたしの両手首がヴィーリアの片手にまとめて掴まれる。

 もう片方の手で顎を掴まれて強引に持ち上げられた。


 『見ないでよ。これは……汗なんだから!』


 (まなじり)に唇が近づいて器用に掬われる。


 『やめて……』


 『話を聴きなさい……貴女は私のものだとこれまでも何度も申し上げてきました』


 諭すように囁く。

 わたしは目を伏せた。今は紫色の瞳を見たくない。


 『だから……なに? 今までの契約者たちにも同じことを言ったんでしょ?』


 『……否定はしません。しかし、それとこれとは話が別です。私たちの魂は非常に相性がいい』


 『そんなの何回も聞いたわ』


 『その上、今ではもう、どれほど混じっているのかさえ……』


 『……』


 『ミュシャ。私を見なさい。貴女はご自分が……私にとっても特別だということを理解していない。解っていないのは貴女です。ご自身に関することには鋭い(ほう)ではないと思っていましたが……まさかこれほどだとは。ご自慢の勘も貴女自身にはまるで働かないのですね』


 ヴィーリアにとっても特別……。

 確かに、魂が混じることは今までにもなかったと聞いていた。

 だけど……思い違いかもしれない。

 とりあえず、遠回しに鈍感だと言われたことはわかったけど。


 『……はっきりと言ってくれなくちゃ解らないわ』


 ヴィーリアはやれやれというように深いため息をついた。


 『貴女の魂に触れてから、私には貴女が見ている夢が流れてくる』


 『……?』


 『私が眠らない深い夜の狭間(はざま)に、貴女は夢を見ている。だいたいが明るい雰囲気の夢ですね。美味しいお菓子を食べたとか、妹やベルたちと畑に行ったり、森で収穫をしていたり、湖で釣りをしていたり』


 全部食べ物関連の夢じゃないか。本当に……子どもみたいだ。 


 『……ですが、私のいない夢を見ていることもありました』


 ……そう。見ていた。そして夜中に起きてしまうのだ。

 今のすべてが夢で、目覚めたらヴィーリアが召喚(よば)れる前の現実だったという夢を。

 ……ヴィーリアを忘れたら、その日々に戻るだけの、それだけのこと。


 『貴女は私に夢を教えてくれた。私は貴女の楽しい夢とやらをずっと隣で見ていたい。そうですね……二人でボートに揺られて流星群を眺めた夜のような夢を』 


 『……』


 以前、ヴィーリアが湖でロロス司祭様の小さくて丸い木枠に嵌った鏡を湖底に沈めたときに、二人でボートに乗ったけど……。流星群? ……でも、あのときに、以前にもこんな風に二人でボートに揺られて、ヴィーリアが笑っていたようなおかしな既視感を覚えた。

 それはわたしが見た夢なの?

 ずっと隣で見ていたい……?


 『貴女は憶えていないかもしれませんね……。まだわかりませんか? 指輪の意味も?』


 掴んでいた手首を離して左手の薬指に触れる。

 婚約指輪と称して贈られた薔薇の蕾のようにカットされた紫色の()柱石(リル)が優しく、柔らかな光を投げかけた。銀の(リング)は髪の色。宝石は美しい瞳の色。


 『わたしを……縛るため』


 『間違いではありませんが……。貴女は本当に……呆れるほど鈍いですね。それとも、私を焦らして(たの)しんでいるのですか?』

 

 『そんなこと……。はっきり言ってくれなくちゃ解らないもの』


 『何度でも言います。貴女は永遠にわたしのものです。記憶の一片(いっぺん)でさえ。この世界で貴女の命が宿命通りに尽き、そしてその(のち)も私と共にあるように……』


 深い紫色の瞳に蕩けていく。

 それは……。わたしの都合のいいように考えていいの?

 還らないの? ずっと一緒なの?


 ヴィーリアの口角が微かに上がり、肯いた。


 『だから……試してみましょう。貴女の傍で……私が眠ることができるのか』


 わたしの手を取り、ヴィーリアの額に触れさせる。


 『貴女の手でかけてください。眠りの魔術を』


 魔術なんか使えるわけがない。だけど、ヴィーリアがわたしにかけたように、見様(みよう)()真似(まね)でヴィーリアの瞼の上に手をかざす。

 手の動きに合わせて、ゆっくりと瞳が閉じられた。



△▽△▽△



2022/6/6

本文に以下の文章を付けくわえました。


だけど……思い違いかもしれない。

『ヴィーリアにとっても特別……。確かに、魂が混じることは今までにもなかったと聞いていた。

 だけど……思い違いかもしれない。

 とりあえず、遠回しに鈍感だと言われたことはわかったけど。』


隣で

『貴女は私に夢を教えてくれた。私は貴女の楽しい夢とやらをずっと隣で見ていたい。そうですね……二人でボートに揺られて流星群を眺めた夜のような夢を』 


ずっと隣で見ていたい……?

『それはわたしが見た夢なの?

 ずっと隣で見ていたい……?』


ほかの話数も改稿をしておりますが、漢字をひらがなに直したり漢字を統一したり、文章をわかり易く直したり、読み易くするための作業です。物語のあらすじやエピソードに変更はございません。m(__)m 


読んでいただいてありがとうございます( ^^) _旦~~




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ヴィーリア、ひょっとしてメロメロ(死語?)にされちゃってた? 好感度パラメータが何時の間にかMAXに!?
[一言]  よかった。ヴィーリアいた。ほっとしました。  ミュシャは言ったよ??  次はヴィーリアの番じゃないかと……。  ヴィーリア自身もずっと戸惑ってきたのですかね。  色々規格外で想定外…
[良い点] ええええええええええええええええいっΣ(・ω・ノ)ノ! んな遠回しに言われても分からんわい! ストレートに 嫁に来てくれと何故いえぬ(;・∀・)ッ(あの) [気になる点] 前の話から…
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