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39 訊かなかったこと

 「ミュシャ」


 しっとりとした耳あたりのよい声がわたしを呼んでいる。

 今では知っているどの楽器の音色よりも好ましく響く声。

 ゆっくりと瞼を開けると最初に淡い翠色の光が映った。それから深い紫色の瞳。次に白銀色の髪。


 わたしの身体はソファに仰向けに寝かされていた。見た目こそは岩そのものだが、クッションの柔らかさは身体に丁度いい。

 ヴィーリアはその横で硬い岩盤に片膝をついて、わたしの髪を指先で掬っていた。


 「ヴィーリア……」


 戻ってくることができた―――。


 身体を起こそうとすると軽い眩暈と熱を感じた。あの領域で退かなかった熱の感覚がまだこの身体にも残っている。


 「そのままでかまいません」


 「でも……」


 風邪を引いて熱を出しているときみたいだった。皮膚が熱く、身体の熱が上がっていることがわかる。だけど関節が重く痛むとか、頭痛がするとか、気分が悪いわけではない。眩暈もすぐに治まった。ただ身体が熱い。


 ソファから起き上がるのをヴィーリアが手を引いて助けてくれた。

 冷たい肌がわたしの熱を吸収していく。()れられた腕が気持ちいい。

 

 テーブルの向こう側ではセイン見習い司祭様が地面に横たわっていた。

 傍らにロロス司祭様が膝をついている。


 「セイン君。おーい、セイン君、大丈夫? 起きられる?」


 名前を呼んで肩をゆする。

 それでも目を覚まさないと、今度は軽く頬を叩いた。


 「……ううん」


 セイン見習い司祭様はわずかに唸ると、頬を叩く手を力なく払いのけた。

 それでも瞼は開かなかった。


 「はぁ……。起きないね……。抱えるなら女の子がいいんだけど、しょうがない」

 

 ロロス司祭様はため息をついてそう呟くと、セイン見習い司祭様の上半身を抱え起こした。そのままセイン見習い司祭様の腕をロロス司祭様の肩に回して身体をもたれさせる。


 神殿側……ロロス司祭様、セイン見習い司祭様とは、この先も相容(あいい)れることはないと思う。

 でも、彼らは彼らなりにわたしに心を配ってくれた。……騙し討ちはどうかと思うけど。

 セイン見習い司祭様の意外と人懐こい笑顔が思い浮かぶ。


 「あの、セイン見習い司祭様は大丈夫?」


 「慣れない神聖力にあてられたのと、緊張で体力を消耗しただけみたいだから。まあ、心配はないかな」

 

 ロロス司祭様は「せーの」と、セイン見習い司祭様の腕をしっかりと掴み、反対の腕で腰を支えると寄りかからせて立ち上がった。頭をかくんと前方に垂らしたセイン見習い司祭様は完全にもたれてしまっている。目が覚める様子はまったくない。


 「お嬢さんの方こそ……大丈夫なの?」


 今のところは身体が熱いだけ。

 大丈夫と答える前にヴィーリアが代わりに口を()いた。


 「心配されるようなことはなにもありません。早く立ち去りなさい」


 ロロス司祭様はヴィーリアに呆れ果てたというような視線を投げる。


 「ああ、そうですか。はいはい。……少し話すくらいは邪魔しないでほしいな」


 それでも懲りずにわたしの視線を捕らえた。


 「そういえば、もう一つ聞きたかったんだ。どうして魔術師として契約しなかったの?」


 ……? なんの話?


 「あれ? まさか聞いてないの? 魔力を持ってること」


 「え!?」


 誰がって……わたしが? 魔力?

 半信半疑で頬を(ゆび)さすと、ロロス司祭様は「そうそう」と軽く肯いた。


 思わずヴィーリアを見上げる。


 「訊かれませんでしたので」


 悪びれもせずに微笑んで平然と答えた。それから、ロロス司祭様に剣呑な眼差しを向けた。


 そうだった。……こういう性格だった。

 ヴィーリアのこの様子なら本当に……持っているらしい。魔力。

 教えてくれてもよさそうなものだと思う、けど。

 ヴィーリアはわたしに嘘をつけない代わりに、訊かなかったことには答えてはくれない。


 そんなことは訊かなかった。訊いてみようとも思わなかった。

 だって、魔力なんか持っているはずはないと思っていたから。

 幼い頃に会った巡礼の司祭様もなにも言ってはいなかった。


 わたしの混乱する頭にヴィーリアの手がぽんと置かれた。長い指で髪をくしゃりと優しくかき混ぜる。


 「確かに、貴女の血には魔力が宿っています。質は(たぐ)(まれ)なるものです。しかし……量としては極めて少ない。魔術師として契約を交わすためであれば、我々を召喚(よぶ)ことは容易ではなかったでしょう」


 以前に魔術について説明してくれたことを思い出した。

 魔術師に成るためには『人の理の外の者』を引く魔力の質と、保有する量も条件のうちだと教えてもらった。


 「もし仮にですが、首尾よく我々を召喚(よび)だし魔術師として契約を交わすことができたとしても、魔力量が少ない貴女自身の魔術では願いを叶えることはできなかった。……以前に申し上げていたはずです。当代一の魔術師でも貴女の願いを叶えることは難しいと」


 うん。それも聞いた覚えがある。

 使える魔術は無限ではなく、魔術師の魔力量と、契約を交わした『人の理の外の者』の力量によるとのことだった。

 当代一の魔術師にお願いしても叶わないことなら、いくらヴィーリアと契約を交わしたところで、極めて少ないと判断されたわたしの魔力量では到底叶えられるとは思えない。


 ということは結局……。


 ヴィーリアが地下室に現れた朔の晩に、わたしに魔力があることを教えられていたとしても、願いを叶えるためにはやっぱり魂を対価とする契約は必要だったということだ。

 今の今まで忘れていたが、あの朔の晩には『意外に慌て者だ』『魔術が珍しいのか』とも、訝しそうな顔をされて言われた覚えもある。それは、魔力を持っているのに、という意味だったのかもしれない。


 リモールは魔術には縁遠い土地だと思っていた。

 それなのに、まさかわたし自身に極少量でも魔力が宿っていたなんて。


 ……ん? ……あれ? ちょっと待って。


 少ない魔力量では魔術師として契約を交わすために『人の理の外の者』を召喚することは簡単ではないらしい。でも、すでにヴィーリアは召喚されている。ということは……。


 「もしかして……今からでも魔術師としてヴィーリアと契約をすれば、魔術を使えるようになる?」


 あとは契約さえできれば、わたしでもヴィーリアやレリオのように魔術を使えるようになるということ? 魔術師に成れるの?

 ランプ代わりの美しい蝶を()ばすとか、移動に転移術を使えるようになるとか……は、極少量の魔力では無理かもしれないけど。でも、もし、なにかの魔術が使えるのならば面白そうだし、生活が便利になるかもしれない。それに……。 


 「そうですね……」


 ヴィーリアは黒檀色の髪を細く掬った。悪戯をするように長い指に巻きつけてから、するりと放す。


 「魔術師として契約を交わしたからといって、すぐに魔術を使うことができるわけではありません。……魔力はその性質により術の系統が決まります。貴女の魔力の性質は」


 「予言系統みたいだね。占いとか、(さき)()とか」


 ロロス司祭様がさっきの仕返しとばかりに言葉を遮り、続きを奪った。


 「……そういったところでしょう」


 ヴィーリアは露骨に眉根を寄せる。

 本当に嫌そう。だけど、なんだか子どもの喧嘩みたい。


 「予言、占い、先視……」


 昔から勘はいい方だった。

 『どうしてそう思うの?』 と、その理由を訊かれても『なんとなく……』と答えるしかなかったけど。

 そんな予感というか、気がするというか。

 それは、そのような性質の魔力を持っていたからなのだろうか。

 魔術師として占いや先視ができるようになれば、もっときちんとした説明もできるようになるのだろうか。

 そういえば……予言系統が……どうのとかって。

 ロロス司祭様はあの領域で言っていた、よね?


 「……ロロス司祭様。わたしに魔力があることをいつから気付いていたの?」


 「ん? 最初からだよ。ベナルブ伯爵様と馬車を降りて、初めてお嬢さんに会ったときから。まあ、確かに魔力量は少ないね。ほかの司祭方ならお嬢さんの魔力には気が付かなかったかもしれない」


 お母様の背中に隠れていたのに、ロロス司祭様の分厚いレンズの丸眼鏡越しに見られているような気がした。あのときからなんて。


 「お嬢さんの身に起こったことは、僕も聞いたことがない。だから断定はできないけど。お嬢さんはもう、魔術師としての契約は必要ないかもしれないよ? ね? 悪魔さん」


 それはすでに魂を対価とした契約があるからということ?


 ヴィーリアの深い紫色の瞳が眇められた。


 「本当に……おしゃべりですね。さっきから余計なことをぺらぺらと。さっさと帰りなさい。もともと招かれざる客なのですから」


 「僕がおしゃべりなのは職業柄だよ。信徒さんたちに()(しゅ)様の御心(みこころ)を伝えるために……わかった、わかったよ。帰るから。そう睨まないで。はいはい、まったく……それじゃあ、僕たちは失礼するよ。明日も布教活動に忙しいし、セイン君も重いからね。ああ、それとさっきのことだけど」


 ロロス司祭様は、肩にもたせていたセイン見習い司祭様を「よいしょ」と抱え直した。やっぱり起きる気配はない。


 「逆もしかりだよ。深すぎる闇もすべてを呑み込んでしまう。しつこすぎてせいぜいお嬢さんに愛想をつかされないようにね。それから、お嬢さんも。そこの独占欲の塊の執着系粘着質な悪魔にうんざりしたら僕を訪ねてきて。いつでも大歓迎するよ」


 にこやかに微笑んで片目をつむった。

 つまり、いつでも快く輪廻の輪への橋渡しをしてくれるということだ。


 「……行かないわ」


 「人の心は移ろうもの。まだ機会(チャンス)はある。お嬢さんがまだ、人ならね」


 軽薄そうな物言いだったが黄緑色の瞳は笑ってはいなかった。

 ロロス司祭様はこれからの成り行きを見極めるつもりなのだろう。

 当分の間、いや、もしかするとその先も、ロロス司祭様とは縁があるような気がする……。


 「なにを言うのかと思えば。とんだ間男のようですね」

 

 蠅を追い払うように左右に振られたヴィーリアの手が、早く帰れと催促をしていた。


 「ははは。それじゃあまたね。神殿の件、男爵様によろしくね」


 そう言い残すと、光の中にロロス司祭様とセイン見習い司祭様は消えていった。

 現れたときとは違う、淡く優しい白色の光だった。





読んでいただいてありがとうございます( ^^) _旦~~

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― 新着の感想 ―
雨降って地固まる、じゃないけど、赤い糸の様に細かった繋がりが手枷足枷の様にガッチリ嵌まった感じ?
[一言]  ミュシャに秘密が!!  でもそんなミュシャが、司祭様とは縁があるようなって思うってことは……。  …ミュシャがブレなければ大丈夫、ですかね。  なんだかミュシャ自身も落ち着いたような感…
[良い点] ややっこしいですが まあ結果としてこうせざるを得なかったと。 これもミュシャの運命なんでしょうね。 [気になる点] 目が笑ってないってのが怖い。 [一言] 男爵によろしくねーって よろし…
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