33 緑柱石の鉱脈
ぱちんと指を鳴らす音がすると同時に、視界がくるりと回転する。次の瞬間には固い地面を踵が踏む。重心を崩してよろけると、ヴィーリアが腰を支えてくれた。
転移魔術で着いた先は、山深い森の中の拓けた場所だった。
空には綿をちぎって伸ばしたような細く薄い雲がかかっている。満月に近い月はときおり雲の後ろに姿を隠しながら、霞んだ青白い光を地上に落としている。
月明かりを浴びた山の中は、夜の闇にすべてのものが青白く浮かび上がっているようにみえた。
森の中からは、フクロウやミミズクのホホウホホウと低く鳴く声が途切れ途切れに聞こえてくる。その鳴き声と、ゆるく吹いている風に擦れる樹々の葉音が、よけいに夜の静寂さを強調する。
わたしたちの足元にも淡く青い影がつくられていた。
外套を着ていても思わず身を震わせる寒さだ。息をすると胸の中から凍えてしまいそうなほどに空気が冷たい。
横の木立でがさりと枝がしなった音がした。枝葉の隙間から二つの目が金色に光る。すぐにまた、枝を揺らして金色の目は消えた。
驚いてとっさにヴィーリアの腕を掴んでしまった。
「鹿のようですね」
そう言って、くすりと笑った。
……ヴィーリアが隣にいるだけで安心してしまう。だけど……それはここが夜中の青白く、昏い森だからだ。
「ここは……? もしかして、炭鉱?」
「そうですね。今は鉱山にもなりましたが」
わたしたちは森を拓いた場所に立っていた。その先の山の斜面は岩肌が剥き出しになっていて、そこには洞窟のように大きな穴が掘られていた。
穴は鉱山の入り口だった。太い材木を組み合わせて作られた、重厚で頑丈そうな柵で塞がれている。不審者や大型の野生動物の侵入を防ぐ目的だと思われた。
柵の間から垣間見た穴の奥は、光のない完全な闇の世界だ。
ヴィーリアが手をかざすと、その重厚な柵は音もなく静かに左右へと開いた。
昼間の働き手である鉱夫や技師たちが、麓の宿場村へと帰っていった後の夜中の鉱山への入り口は、闇へと続く大きな口を開ける。
ヴィーリアが指を鳴らすと、青白い夜の中に黄色い燐光を放つ五羽の蝶が現れた。ひらひらと互いにもつれ合いながら、わたしたちを先導するように真っ暗な穴の中へと翔んでいく。
穴の暗闇の中に、燐光の残滓が蝶の翔んだ軌跡を印している。
「行きましょう」
ヴィーリアに誘われた。
坑道内を黄色い蝶の燐光が照らしていた。蝶の後を追いてしばらく歩く。
ごつごつとした硬い地面の感触がブーツの底から伝わってくる。夜中の坑道は耳が痛くなるほどにしんと静まり返っていた。その中をわたしの靴音だけが響いている。
坑道の壁は岩盤そのものが剥き出しの部分もあるが、大半は木板と金属の板で補強されていた。
岩と土と砂礫と鉄さびが入り混じったような匂いがしていたが、特に不快ではなかった。
途中から緩やかな下り坂になった。
敷かれていたトロッコのレールに躓くと「掴まってください」とヴィーリアがわたしの腕を取った。
緩やかな坂をそのまま降り続けると、坑道が二股に分かれた。黄色い蝶は左側に翔んだ。進むほど天井は高くなり、歩き続けていると奥行のある場所に出た。
蝶たちがくるくると高く舞い上がった。強くなった燐光に辺りが照らされる。かなりの高さと広さのある空間のようだった。
「ここは?」
「ここからが緑柱石の鉱脈です」
ヴィーリアが指を鳴らすと蝶たちが消えた。同時に燐光とは違う、淡い翠色の光で空間がぼんやりと明るくなる。
そこは半球型に掘られた広場のような場所だった。
岩盤の壁や、高い天井全体がうっすらと翠色に発光している。
そして岩盤自体が透明な硝子のように変わっていた。壁の中が透けている。そこには本来ならば岩の中に埋もれてしまって、直接には見ることのできない六角柱の形をした鉱石が在った。緑や青、赤、桃、白、黄色の濃淡も、大きさも、さまざまな鉱石が壁の中の至る所に存在している。
「これは? この石が……?」
「このようにすればわかり易いでしょう? これが鉱脈です」
透けた岩盤に吸い寄せられるように近づいた。
額と手のひらを壁にぴたりとつけて、じっと目を凝らして壁の中を覗く。壁は透明なだけで確かに岩の感触だった。
目の前から、もっと、ずっと奥まで、色を持つ六角の柱の結晶が、そこかしこで壁からの翠色の光を鈍く反射していた。高い天井までを見上げても、その鈍い光が途切れることなく続いている。
これが、ヴィーリアの造ってくれたもの。
「これが貴女の願いです」
隣に立つヴィーリアを見上げた。白銀色の髪に翠色の光が映っている。
「とても……綺麗ね」
山の地下の岩盤の中なのに、まるで深い海の底にいるような錯覚を覚えた。淡く光る幻想的な緑柱石の海の中に迷い込んで、あまりの美しさに息を呑んだ魚にでもなった気分だ。
「これらは原石です。磨けばもっと素晴らしいものになりますよ。なにしろ私の仕事ですから」
ヴィーリアは不敵に口角を上げた。
「また、自慢してる」
謙虚さとは程遠い物言いに思わず笑ってしまった。
「これを貴女に見せたかった」
わたしの耳元で囁く。
「……ありがとう」
この緑柱石がリモールの今後を約束してくれるのだ。
確かほかにも……琥珀と黒瑪瑙の鉱脈も造ってくれていたはず。
そのまましばらくの間、壁の中を眺めていた。翠色の淡い光を受けて、鈍く光を放つ鉱石の幻想的な光景にいつまでも飽きることはなかった。すると、壁の奥にほかの緑柱石よりもひときわ濃い色の紫の緑柱石をみつけた。
「ヴィーリア、あれを見て。あなたの瞳と同じ色だわ」
「ええ。……気に入りましたか?」
「もちろんよ」
「それはよかった。……ところで、お疲れではありませんか?」
声をかけられて振り向くと、岩のソファとテーブルが用意されていた。テーブルの上に置かれたティーポットの細い口からは白い湯気が上がっている。ティーカップも二つあった。
わたしは外套を脱いだ。鉱山の地下の気温は外よりも高いようだった。
ゆるゆると慎重に岩のソファに腰を下ろすと、丁度よい具合に腰が沈んだ。硬いはずの岩がクッションのように柔らかかった。見た目との感触の差が面白い。
外套は膝の上にかけた。
ヴィーリアも外套を脱ぐと、カップに紅茶を注いでくれた。それから長い足をゆうゆうと組んだ。
「さて……私の仕事もほぼ、方が付きました。後は、アロフィス侯爵との打ち合わせを終えた男爵が戻ってくれば事業も本格的に始まるでしょう。貴女の願ったことが叶います。まあ……少し予定にはなかったこともありましたが」
わたしの願ったこと。
ベナルブ伯爵からの借金を、利子も含めた全額を返済すること。今まで耐えてくれた屋敷の皆や領民に報いるために、できることならそれに上乗せして欲しいこと。シャールとベナルブ伯爵との拗れた糸を解くこと。
そのうちの、ベナルブ伯爵からの借金を全額返済する件と上乗せ分はすでに叶っている。シャールとベナルブ伯爵の拗れた糸は解けかけている。それからのことは、お父様が伯爵にシャールとの正式な面会を許してからの二人の問題だ。
予定になかったこととは、わたしとヴィーリアの魂の一部が混じってしまったことと、司祭様の件だろうか。
ヴィーリアは願いの成就を見届けるまではこちらにいると言った。
だから……あとは本格的に事業が始まり、それが軌道にのったなら、それを見届けてヴィーリアは還るつもりなのだろう。
きっとその前に、司祭様の件にも決着をつけるはずだ。
わたしと魂の一部が繋がってしまったことはどうするのだろう。そのままにしておく? それとも無理やりにでも魂の繋がりを断ち切るのだろうか。
「もうすぐ、終わるのね」
読んでいただいてありがとうございます(*‘∀‘)
34話は本日の14時の予約投稿となります。
よろしくお願いします ^^) _旦~~