28 リモリア
ブランドとベルには、ヴィーリアと一緒にこれから町まで本を探しに行くと告げた。
レリオに転移魔術で町まで送ってもらうこと、帰りもレリオに頼むから迎えは要らないこと、夕食前には帰ってくることをブランドに伝える。
「レリオ様がどうしてここに?」とブランドが訊いた。
わたしへの贈り物として、ヴィーリアが公都で注文をしていた服と靴を届けてくれたから、と説明する。
ベルは、ヴィーリアからの贈り物ということになっている、黒いワンピースと明るい灰色の外套を着たわたしを「お嬢様、とても素敵です。よくお似合いですよ」と褒めてくれた。
ヴィーリアに「レリオをわざわざ公都から呼び出す必要があったの?」と訊くと「私は魔術を使えないことになっていますから」と、しれっと答えた。
夕食前にわたしとヴィーリアを屋敷に戻すために、レリオには応接室で待っていてもらう。
レリオは私たちを送るふりをした後は一旦、公都に帰りたいと言った。しかし「あなたの力では公都とリモール領の二往復は難しいでしょう?」と優しく諭されて、屋敷で待機することになった。……ヴィーリアは状況を設定すると、詳細にこだわる型のようだ。
信書を届けに現れたレリオは、部屋を用意するから休んでいってはどうか、というお父様の提案を、この上ないほどの挙動不審さで怯えながら断った。そして、すぐさま公都へと引き返した。それほどまでにヴィーリアから離れたかったのだろう、と今なら解る。
今日はすぐ側にいない分、まだましだとは思うが……。レリオには、かわいそうなことになってしまった。公都での仕事もあるだろうに。
林檎も落としてしまったことだし、せめてなにか、レリオの食べたいものを作ってあげてほしいとケインにお願いをした。
ブランドとベルに「行ってきます」と手を振り、町まで転移させてもらう。
レリオが呪文らしきものを唱えた。腕を上げてそれらしい動作をする。
実際にはヴィーリアが魔術を使った。
レリオの転移魔術は碧色の光の柱が立つ。空に碧色の光が伸びれば、魔術に縁のないリモール領ではなんだかんだと騒ぎになってしまう。
途端にふっと視界が回転する。身体が浮いたような感覚があった。次の瞬間には、ヴィーリアに手を取られて町の人気のない路地裏にいた。
「気分はいかがですか?」
この場合は感想ではなく、具合を訊かれていることを思い出す。
「大丈夫よ。なんともないわ」
石畳に足が着いたときに、ほんの少しふらついただけだった。
秋桜の高台から眼下に広がっていた町が、ここリモール領で唯一の町になる。
正式な町の名称はリモリアだ。しかし、リモールの町といえばリモリアを指すために、単に『町』や『リモールの町』と呼ばれることが多い。
町には木造りと煉瓦造りの建物が建つ。割合はだいたい半々だ。
材木は山から木を伐り出して加工している。煉瓦も山の窯で焼いたものを使っている。
なにしろ山が近い土地なのだ。木材や煉瓦を作るための粘土と土には困らない。
屋根には赤色や茶色の素焼きの瓦や、緑色、青色の瓦も使われている。色を混ぜて濃淡をつくった瓦などもあり、高台から見渡すリモリアの町並みは屋根の色もとりどりだった。
伯爵領との堺であるミゼル河では川漁が盛んだ。何艘もの漁船が浮かび、河川港がある。
リモール領で唯一の蒸気機関の駅もある。各地の領を通り公都まで人を乗せ、物資を運ぶ。そしてまた公都から、それらを乗せて戻ってくる。汽車はミゼル河にかかる煉瓦と鉄で作られたアーチ橋を渡る。
ミゼル河に橋を架けてリモール領まで開通させるのは『当時の伯爵領とリモール領をあげた大事業だった』と、おじい様に聞いたことがある。お父様がまだ子どもだった頃の話だ。
町の中央に位置する広場には毎日、市場が立つ。周辺の村から運ばれた農作物や畜産物、果物、木製の加工品などが売られ、川漁師たちが捕った魚や水産品も並ぶ。
この広場はそのまま中央広場と呼ばれていた。ここを中心として町を東西南北の四つの地区に分けている。
ミゼル河に面するのは東地区になる。リモール、ユーグル山脈方面は西地区だ。
男爵家の屋敷があるのは西地区になる。
わたしもシャールも十歳まではリモリアの学校に通っていた。お父様の方針で、領内の子どもたちと一緒に遊んで勉強をした。その後は家庭教師としてノルンがやってきた。
今も、町に降りれば友達に遇うことができる。
ヴィーリアにエスコートされて町の大通りの石畳を歩く。
久しぶりの町は最後に来たときと比べてもかなりの人出があった。
ヴィーリアの腕に掴まっていなければ、たちまちはぐれてしまいそうだ。
すれ違うときに目に付くのは、大柄な体格の者たちだ。たぶん気のせいではない。
「なんだか、前に来たときよりもずいぶんと人が多いわ。……活気があるというか」
「耳の早い者たちが炭鉱で鉱脈が発見されたことを聞きつけています。近隣の領からもリモールに入ってきていますからね。これから炭鉱での働き手を集めるでしょうし、宿や飲食店ももっと賑わいますよ。それに……神殿の巡礼が目的の者もいるでしょう」
秋の陽は傾いているが、まだ夕方というには少し早い時刻。
通りの脇に立ち並ぶ屋台やお店の呼び込みも賑やかだ。
屋台で売る焼き栗の芳ばしい匂いが鼻をくすぐる。
ヴィーリアがくすりと笑って「食べていきますか?」と訊いてきた。「帰りにお土産に買いましょう」と答えた。焼き栗は魅力的だが、今日は済ませなければならない用事が先だ。そのために来たのだから。
あと少し歩くと中央広場に出る。
それにしても……。
さっきから老若問わない女性たち、ちらほらと男性もだが、ヴィーリアとすれ違っては振り返る。
腿丈ほどの黒い外套の襟は立たせている。薄い黒色のスラックスと艶を消した黒い靴。上着もシャツもタイも全て微妙に違う黒色だ。それを瀟洒に着こなしている。
長い白銀色の髪は耳の横で弛くまとめていた。黒い外套の上で、その髪色の対比が美しい。加えて身長も高い。ただでさえ目立つのに、人目を惹く深い紫色の瞳と洗練された物腰と雰囲気。完璧な表の顔だ。
普段の慇懃無礼さと、今朝の爛れまくった雰囲気は全くない。本当に隠すのが上手いと感心する。
「なんですか?」
「……なんでもないわ」
ヴィーリアは見られていることを気にしていないようだった。……慣れているのかもしれない。
「……ところで、貴女が服飾品を購入している店はどちらです?」
「それなら、こっちよ」
中央広場の手前の路地に入り、北地区の方角に曲がって、奥の通りを少し歩くとそのお店はある。
そもそもだが、リモリアには服飾品を扱うお店が少ない。買い物をするとしたら場所は限られている。だから表通りに店舗を構えなくてもなにも問題はない。シャール好みの品を扱うお店は、南地区のもっと奥の通りにある。
煉瓦造りの建物は壁に蔦が這い、落ち着いた外観だ。
ここは扱っている品も小粋なデザインが多く、なかなかわたし好みのお店だ。とはいっても、買い物に来ることもかなり久しぶりになる。
中に入るとヴィーリアは店内をざっと見廻した。
「まあ、悪くはないですね。そうですね……ここから、あの棚まで。ライトフィールド男爵家に届けて頂けますか?」
「ちょっと待って。そんなには……」
とんでもない買い物だ。焦って、ヴィーリアの袖を引っ張るわたしの唇に人差し指を置いて、口を塞いだ。
「もらっておきなさい。それに……経済はあるところから回すものですよ」
……うう。それをいわれてしまうと……。
「……ありがとう」
ヴィーリアはわたしの頭にぽんと軽く手をのせた。
まただ……。ヴィーリアらしくない。ちらりと横顔を見上げる。今回は特に気にもしていないようだった。
店員さんたちが大慌てで商品を包み始める。
「お品物は明日にはお届けさせていただきます」
「ぜひ、ぜひまたいらしてくださいね」
「ぜひ」に力を込めた店員さんたちに盛大に手を振られ、満面の笑顔で店を送り出された。なぜかヴィーリアも小さく手を振り返している。
「では次は図書館ですか? 書店ですか?」
「そうね、ここから近いのは書店だから……行きましょう」
目当ての書店は、大通りにもどり、中央広場を抜けて五分ほど歩いた場所にある赤煉瓦造りの建物だ。
店内は壁一面が本で埋まっている。それとは別に、お店の中にはヴィーリアの背丈ほどある書架がいくつも縦列に並んでいる。書籍が分類されて、種類ごとに本が分けられていた。
「こんにちは、おじさん」
カウンターに座っていた店主に声をかける。
「これはこれは、お嬢様。久しぶりだね」
「そう、ね。お父様と資料を探しに来たとき以来かしら?」
そのときに、あの魔術古文書を見つけた。
「……ミュシャ?」
書架の間から名前を呼ばれた。顔を向けると、焦げ茶色の髪と瞳のそばかすの青年が立っていた。
……彼は。
「ジョゼ? ……あなた、ジョゼよね?」
「うん……久しぶり、何年ぶりかな? ……ミュシャは全然変わってないね。すぐにわかったよ」
ジョゼがはにかんで微笑む。……昔のままだ。
店主がごほんと咳払いをした。
「ジョゼ、お嬢様とお呼びしなさい」
「あ……ごめん、僕、つい……」
「いいのよ。お嬢様なんて呼ばないで。友達だもの」
ジョゼはリモリアの学校へ通っていた頃の同級生だ。
物静かで大人しいが、困っていると声をかけてくれる優しさがあった。
「ジョゼこそ変わってないわよ。すぐにわかったもの」
「そうかな?」
「そうよ。……でも、自分ではわからないものよね」
一瞬で、子どもの頃に戻ったようなとても懐かしい気持ちになる。
「ミュシャ。その方は?」
後ろから声がかかり、ヴィーリアの手がわたしの腰に回った。わりと強引に引き寄せられる。
「私にも紹介してください」
ちょっと? なに、この手? 外では好青年のふりをしているはずでしょ?
怪訝に思い見上げると、紫の瞳の色が深くなった。
「……わたしの同級生のジョゼよ」
「……あ、失礼しました。僕は、ミュシャ……お嬢様の同級生で、ジョゼ・ルーベンスといいます」
「そうですか。同級生、ね。ミュシャ、私のことも彼に紹介してください」
ヴィーリアの物言いは柔らかいが、なんだか険がある。
ジョゼは威圧されたかのように小さくなってしまった。
なにが気に食わないのかわからないが……わたしの友達を失くすつもりなのだろうか。
「……ジョゼ、こちらはヴィーリア・アロフィス卿よ」
「はじめまして。ミュシャの婚約者のヴィーリア・アロフィスと申します」
……。わざわざ、それを言うの?
「アロフィスって……あの?」と、店主が後ろで小さく呟いた。
「……婚約者?」
ジョゼが遠慮がちにわたしを見た。
「……そうなの」
「お嬢様っ! アロフィスって、あの魔術師団のアロフィス侯爵様のご令息かい?」
店主がカウンターから身を乗り出した。顔を近づけ、眼鏡をおでこまで上げた。目を皿のように大きくしてヴィーリアを凝視している。ヴィーリアは微笑みこそ崩さなかったものの、身体を若干、後ろに引いた。
「ええ、そうよ。アロフィス侯爵様の次男で……」
「なんと!? これは驚いた! じゃあ、この方が次期ご領主様かね!?」
興奮した様子の店主の大声で、本を選んでいたお客さんたちが何事かと振り返る。
「……ええと? それは、ちょっと、まだ……」
店主の迫力に気圧されしながら答えたが、どうやらわたしの言葉は耳に入っていないようだった。
「おおい! 皆の衆! 次期ご領主様がいらっしゃってるぞ。あのアロフィス侯爵様の次男だそうだ!」
店主のダメ押しの一声。
「次のご領主様?」「アロフィス侯爵家の?」「え? あの方?」「もしかして、魔術師?」などと、店の中がざわざわと騒がしくなる。カウンターに人が集まりだすと、あっという間にヴィーリアとわたしを取り囲んだ。
予想外の展開になってしまったが……。今……かもしれない!
わたしはヴィーリアの腕を腰から解いた。
強引に引き寄せられはしたが、いつもと違い、強く掴まれていたわけでもない。
するっとその人の輪を抜ける。
「ミュシャ!?」
大勢に取り囲まれたヴィーリアは、なんだかんだと質問攻めにされだした。あんなに困惑した顔を見るのは初めてかも。
「わたし、本を探してくるわ! ヴィーリアは皆さんとゆっくりお話しでもしていてね!」
人の輪の外で、成り行きに呆然としていたジョゼの手を取った。
「ジョゼ、わたしと一緒に本を探してくれる?」
「……うん、もちろん」
読んでいただいてありがとうございます( ^^) _旦~~