表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/43

19 男爵家会議

回想が入ります。開始部分と終了部分に△▽△▽△が付いてます。

 毎朝、左耳からの熱と疼きを感じて目が覚める。


 もはや恒例となってしまった依代の搾取の時間だ。ヴィーリアもまだ陽も昇らない(くら)いうちから、いつの間にか部屋にいる。


 「目が覚めましたか?」


 部屋の薄い闇の中で、白銀色の長い髪と紫色の瞳は微かに光って見える。


 「……ん。でもまだ……眠い」


 そう答えてもお構いなしで、左耳に冷たく柔らかい唇を這わせて甘噛みする。ヴィーリアが左耳に唇を寄せているときは白銀色の絹糸のような髪が頬に落ちてくる。くすぐったくて身を捩る頃には、左耳から伝わる熱と疼きが限界に近くなる。


 ここまでの一連の流れが毎朝の日課といってもいい。最初のころはいちいち戸惑って心臓にも負担をかけたが、今は少しだけ慣れた。慣れたとはいっても……朝の目覚めはやはり、焼きたてのパンの香ばしい小麦の匂いや、小鳥の可愛らしいさえずりに越したことはない。


 しかし今朝は、ヴィーリアがわたしの左耳から唇を離すと、外で馬の短いいななきが聞こえた。馬車の車輪が土を踏み分ける音もする。こんな時間から誰か出かけるのだろうか。


 ヴィーリアは片手をついて上半身を起こした。わたしを見下ろしながら唇を親指で拭い、赤い舌を出して舐めとる。……これから爽やかな一日が始まる朝だというのに、なぜこんなにも(ただ)れた雰囲気を(かも)し出すことができるのか。謎である。


 「神殿の二人がユーグル山脈の麓の村に四、五日ほど出向くようです」


 司祭様が布教活動と治療のために村に逗留するのなら、その間は顔を合わせないように気を使わなくて済む。それにしても、昨日の午後にリモール領に着いたばかりだというのに。次の日のこんな早朝から出発するなんて……お疲れの出ませんように。


 「……司祭様はお忙しいのね」


 「……さぁ、今日は貴女も忙しくなりそうです。もう少し眠りなさい」


 ヴィーリアは口角を上げて予言めいたことを囁いた。冷たく大きな手のひらで瞼を撫でられる。意識が眠りの底に堕ちていくように引き込まれていく。瞼を閉じる寸前に、ヴィーリアの唇が微かに弧を描くのが見えたような気がした。




 (せわ)しなく廊下を走り廻る足音で二度目の眠りから覚めた。カーテンの隙間から(のぞ)く窓の外はまだ明るくなり切ってはいない。太陽がミゼル河から顔を出す前のようだ。


 何人もの足音が部屋の前を通り過ぎては戻ってくる。この部屋の先にあるのはシャールの部屋だ。目覚めたばかりで、まだぼんやりとしている頭でそう考えたときに扉がノックされた。


 「おはよう、ミュシャ。早くから悪いわね……。入るわよ」


 お母様の声がした。慌ててガウンを羽織って飛び起きる。こんな時間に部屋に来ることなんてまず、ない。なにかあったのだろうか。


 「おはようございます。どうか……したの?」


 お母様は部屋に入るとさっと室内を見廻した。


 「シャールを見なかった?」


 「え?」


 「シャールがいないのよ」


 「……」


 昨夜は二人で幼い頃の思い出などを楽しく語り合った。遅くならないうちにシャールは部屋に戻った……はずだ。


 「どこか……散歩に行っているのかも……?」


 そうは言ってみたがそうでないということはわかった。部屋の前を行き交う足音も、お母様の表情もそうではないと悟らせる。


 幼い頃のシャールは、悪戯をした後や習い事をしたくないときにはわたしの部屋に隠れていた。お母様もそれを確認しに来たのだろう。


 「ミュシャの部屋にいないのなら……そう、やっぱりそうなのね。……フェイもいないわ」


 フェイも?


 お母様は手の中に持っていた四つ折りの紙を開いた。


 「それは?」


 「シャールの置手紙よ。公都に行くと書いてあるわ」


  置手紙? 公都? え? なにをしに……。


 そういえば……思い当たるのはノルンだ。かつてのわたしたちの家庭教師だったノルンは今、公都の大学で自然科学の教師をしている。シャールはノルンがリモールを去ってからも、よく手紙のやり取りをして親交を続けていた。


 「ノルンのところで助手をしながら勉強したいのですって」


 「……」


 ああ。昨夜、部屋が散らかっていると部屋に入れてくれなかったのは荷造りをしていたからなのか。シャールの部屋をノックしたときに大きな音がしたのは、慌てて鞄を隠した音だったのかもしれない。


 「その手紙には……ほかになにか書いてある?」


 お母様から渡された手紙にざっと目を通す。丸みのある文字の癖は確かにシャールの筆跡だ。


 ノルンと連絡を取り合っていたこと。ノルンの助手の席が空いたので公都に行って助手をしながら勉強をしたいこと。フェイを連れて行くこと。どうか心配しないでほしいということ。最後に、黙って勝手にリモールを出ていくことを詫びていた。伯爵のことには一切触れていなかった。


 手紙を読み終えてお母様と顔を見合わせる。


 シャールが、家出した。






△▽△▽△



 時間になっても起きてこないフェイの部屋をベルが訪ねた。いつもならフェイの方が早く起きてくるはずだった。何回ノックをしても一向に返事はなく、心配になったベルが扉を開けると寝台は空だった。ブランケットはきれいにたたまれており、壁にはお仕着せの紺色の服が掛かっている。寝台に触れてみるとすでに冷たかった。不審に思ったベルがブランドに報告し、二人でフェイの部屋の衣装棚を開けると空になっていた。


 お父様はフェイがいないとの報告をブランドから受けると、すぐにお母様にシャールの部屋を確認させた。やはり寝台の上にシャールの姿はなく、寝台はすでに冷えていた。衣装棚を開けると服や靴、ここ数年は使われていなかった旅行用の鞄が消えていた。机の上には、シャールが拾ってきた白いつるつるとした石を重しの代りにして、手紙が置かれていた。


 お父様は町にあるリモール領唯一の蒸気機関車の駅にコディを遣わせた。ベルやブランド、ケインにルウェインまで駆り出されて、伯爵に気付かれないように速やかに裏庭や屋敷内、地下室までシャールとフェイがどこかに隠れていないかを()()、確認した。しかし、やはり屋敷内にも敷地内にも二人の姿はなく、置手紙の内容が事実なのだと理解せざるを得なかった。



△▽△▽△





 今、朝食の前に執務室で緊急の男爵家会議が開かれている。


 「皆もわかっていると思うが……こうなったシャールは頑固だ」


 集められたブランド、ベル、ケインもうんうんと大きく肯く。ルウェインは状況が呑み込めていないようにきょろきょろと首を廻して皆の様子をうかがっていた。 


 ヴィーリアは心配そうな表情を作っていたが、口角が微妙に上がっている。皆には気付かれていないだろうがわたしにはわかった。


 ……そういえば朝、今日は忙しくなると言っていなかった? ……知っていたの?


 「今、コディに駅に向かってもらっているが……シャールのことだ。汽車の時間は調べてあるはずだ。おそらくすでに乗ってしまっているだろう」


 お父様が大きくため息をついた。


 「ノルンには私からも手紙を出す。ベナルブ伯爵様との協議やこちらでの仕事の区切りがつき次第、私も一度、公都に出向くつもりだった。アロフィス侯爵家にこの度の事業協力についてお礼の挨拶に伺う。その時にノルンとシャールに会ってこようと思う」


 お父様がヴィーリアに目を向けて同意を求めた。ヴィーリアも好青年よろしく真摯(しんし)に肯いた。


 「……フェイがついて行ってくれたのは良かったわ……ノルンに迷惑をかけないといいのだけれど……」


 お母様が口元に手を添えた。もし、シャールが公都に行って勉強したいと本気で言っていたら、お父様たちは止めなかっただろう。しかし、今まではそれができない問題があり、そんなことを言い出せる状況でもなかった。


 しかし、それがこの数週間で解決の方向に舵をきった。そこへノルンの助手の席が空いたという知らせが届いた。シャールはどうするべきか迷っていたのかもしれない。公都で勉強もしたい。しかし、伯爵とのことも心残りに、公都には行くことはできない。そして昨夜、決断を下すために伯爵に手紙を渡した。それがあの密会だった。

 そして……今すぐにリモールを発たないと、公都に行く決心も伯爵を突き放す決心も揺らぐと考えたのかもしれない。それはシャールにしかわからないことだけど。


 『貴方はずるいの。でも、わたしもずるいの。……本当にわたしが好きなら、捕まえてよ。そうすれば……』


 昨夜のシャールの言葉が思い出される。捕まえてと言ったのは走り去っていく彼女を追いかけて欲しいということではなかった。それは、きっと……。


 「シャールのことはベナルブ伯爵に私から本日の協議で話す。それまでは皆、誰になにを聞かれても、なにも話さないでいてくれ」


 屋敷には昨日、伯爵が伴ってきた従者たちがいる。ブランドやベルたちが朝から動き回っていたのを見た者たちに、なにか聞かれるかもしれなかった。


 「かしこまりました。旦那様」


 ブランドが頭を垂れた。ベル、ケイン、ルウェインもブランドに追随した。

 



 「お父様。……こんなときに伺うのも申し訳ないと思うのですが……いえ、こんなときだからこそ知っておきたいのです。……ベナルブ伯爵様の黒い噂とは一体なんなのですか?」


 ブランドたちが自分たちの持ち場に戻った後に尋ねた。お父様はお母様にちらりと目配せをしてこほんと咳払いをした。


 「あまり……若い娘に聞かせるような話ではないのだが」


 お父様が言い渋る。それだけでだいぶ内容の方向は見当がつくが、きちんと噂の中身は知っておきたい。


 「でも……シャールの家出ともなにか関係があるのかもしれないですし……。それに、うちの領地の危機を助けてくださった伯爵様に黒い噂があるなんてどうしても信じられなくて……」


 お父様は机の上で組んだ指を忙しなく動かしていた。話してもいいものかどうか迷っていたようだが、じきに指を動かすのを止めた。

 

 「……伯爵様と内々に結婚の約束をして破棄された……騙されたという貴族の令嬢や、平民の娘たちが大勢いるという噂がある。その令嬢や娘たちはすでに神殿の修道院に送られているという話や、隠し子もいるとか……」


 お父様が言葉を濁してため息をついた。


 簡単に言えば年若い娘たちを弄んで捨てて、修道院送りにした上に子どもまで産ませているということだ。お父様は言葉を選んでいたので実際はもっとえげつない内容なのだと推測できる。この話が本当だったらとんでもないことだが、伯爵は『事実無根』と否定していた。


 「そんな噂が……。でも……そんなことをしていたら、その令嬢の家門や領民が黙ってはいないと思うのですが?」


 「……そうなのだ。そういった噂については私も思うところがある。しかし、突然、合意のない督促状を送りつけて、担保として領地の接収とシャールに求婚してきたことも事実だ」


 お父様がどうしたものかと腕を組み替えた。


 それはお父様に正々堂々と向き合えなかったヘタレな伯爵が、シャールに一目惚れした挙句の愚行であり、本当は担保と見せかけたシャールこそが目的だった(仮定)。しかしそれを今ここで話すわけにはいかない。


 「お父様、噂などに惑わされずに直接、伯爵様にお尋ねしましょう」


 「しかし……」


 「伯爵様の言い分も聞いてみないことには不公平ですし埒があきません。ヴィーリア様もそう思いますよね?」


 ヴィーリアの横顔を見上げて同意を求める。


 「……そうですね。確かに尋ねにくい内容であることは解ります。しかしシャール様との件もありますのではっきりとさせておいた方がよろしいかと。ミュシャ様の(おっしゃ)る通りだと思います」


 「……訊いたとしても伯爵様が本当のことをお話してくださるとは限らないし、お話してくださったことが事実かどうかも確かめようがないと思うのだけど……」


 お母様が思案気に言うことももっともだ。しかし、その点は心配いらない。なにしろここにヴィーリアがいるのだ。端正な横顔に目配せをする。


 「その点ならお任せ下さい。アロフィス家の諜報網を使いましょう」


読んでいただいてありがとうございます。(*'▽')

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
~シャールの挑戦状~ 「わたくしが欲しければ何処までも追い掛けていらっしゃ~い。ホホホホホホッ」 キミは彼女の仕掛けた謎を解き、その後を追わなくてはならない! キミの愛を証明するのは今しかないのだ!
[良い点] シャールとベナルブ伯爵の密会、そしてシャールの突然の家出。怒涛の展開ですね。二人の関係がそうなっているとは…。一方で、伯爵をめぐる黒い噂の真偽が気になります。 ヴィーリアとの契約は破棄は…
[良い点] シャール(;_;) 伯爵、捕まえてあげて欲しかったなあ。 伯爵の噂が気になります。もし事実無根だとしても、何故そんな噂が立ったのか。 朝の恒例行事……ミュシャは少し慣れてきたようですが…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ