18 絡まる糸を
『お願いしたことをちょっとだけ変えて欲しい』内容をヴィーリアに伝えた。それは二人を破談にするのではなく、シャールと伯爵の拗れて絡まり合った縁をなんとか解いてあげたい。というものだ。
ヘタレ伯爵……いや、ベナルブ伯爵の馬鹿な画策のせい(仮定)で相当酷い目にもあった。恨み言や、言いたいことはそれこそ山のようにある。しかし……やはりリモール領を救ってくれた大恩人なのだ。ヴィーリアは辛辣な言葉を放ちそうだが、わたしは伯爵が根っからのヘタレ意気地なしではないとシャールのためにも信じたい。
『恋は盲目といいますから』と、以前にベルが流行りの恋愛小説を読んだ感想を話してくれたことがある。わたしにはまだその気持ちはわからない。初恋でさえまだなのだから未知の領域だ。しかし、伯爵はシャールに恋焦がれるあまり、斜め上のさらに上のおかしな方向に行ってしまったのだろう。どうしてそんな発想になってしまったのかと、残念過ぎてため息しかでないけど。
……ううん。やっぱり相当どうなのかとは思うが、シャールが伯爵を慕っているのなら、シャールのために伯爵とシャールの拗れて絡まり合った縁をなんとか解きほぐしてあげたい。
「放っておきなさい。そもそもあの伯爵の身から出た錆ですよ」
それを言ってしまったら身も蓋もない。
「……それは、そうかもしれないけど」
「貴女が破談を願ったことに責任など感じる必要はありません」
ヴィーリアは面倒くさそうに足を組み替えた。お願いをきいてくれる気は全くなさそうだ。
「でも、シャールは伯爵を好き……なわけだし。このままだとお父様は確実に破談にするわ」
「罪悪感ですか?」
ヴィーリアが小馬鹿にしたように訊く。
密会の現場にのこのこと出向いてしまい、覗き見、盗み聞きをしてしまった罪悪感はもちろんある。でもそれを差し引いても、あのシャールの姿に、震えていた声に胸が苦しくなる。素知らぬ振りなどできない。
「ヴィーリア、わたしの願い事を覚えている?」
「当然です。男爵家の借金を全て伯爵に返済することと上乗せ分。貴女はそれが家族と男爵家を支えた者たちの安泰と幸……」
ヴィーリアは、はっとしたように言葉を止めた。
「まさか……」
「だって、家族の幸せも願いだもの。シャールが幸せじゃなければ、わたしもお父様もお母様も幸せとは言えないわ。……それに、きっと屋敷の者たちだって……」
顔を伏せ気味にして眦を拭う仕草をしてみる。我ながらわざとらしい。
「……人間の心を魔術で変化させて縛っても、貴女の望む幸せにはならないと思いますが?」
「違うわよ? そうじゃないの。ヴィーリアに魔術を使ってもらいたいわけじゃなくて、ただ二人が素直になれるように手伝ってほしいの」
「ご存じですか? 痴話げんかは犬も食わないものです」
紫色の瞳が剣呑な色を宿して眇められる。
「どうしても二人を結び付けようとしているわけじゃないわ。わだかまりを解いてからお互いに素直に話し合う機会を作ってあげたいだけ。その後どうするかは本人たち次第だもの」
もちろん願うのはシャールの幸せな結末だ。ただ、この想いがたとえどういった結末を迎えたとしても、わだかまりを抱えたままきちんとした話し合いも出来ずにこのまま終わってしまうよりかは、何倍も気持ちはすっきりとするはずだ。
「厳密にいえば、貴女の願いの本質は借金の返済と上乗せ分です。ほかの願いは付随するようなものなのですが…………それで? どうするのですか?」
ヴィーリアは諦めたようにため息をついた。
「そうね……。まずは……こんな馬鹿げた画策をしなければならない原因となった伯爵の社交界の酷い噂ってなんなのかしら?」
「ご存じないのですか?」
「具体的なことは知らないの。黒い噂があるっていうことだけで」
「男爵に尋ねてみたらいかがです?」
「そうね……。お父様なら、きっともう知っているわね」
とにかく第一に、伯爵がお父様にシャールに話した内容をきちんと伝えることからだ。伯爵の口から語られることが推測したことと同様ならば、伯爵はお父様に謝罪し、筋を通さないことには始まらない。お父様が謝罪を受け入れなければ受け入れるまで、伯爵は誠意を伝え続けなければならないだろう。全てはお父様が謝罪を受け入れて、伯爵のしたことを許してからだ。もし、その前に伯爵が諦めてしまえばシャールとの縁は今度こそ本当に切れてしまう。そうなれば元も子もないが、そうなったらそうなったで……仕方がない。そんな幕切れは望まないし、せっかくヴィーリアが協力してくれる気になったのに残念だが、そんな人物にシャールを任せることはできない。だから、まずは伯爵がこれからどうしたいのか、どう動くのかを確かめなくては。
「明日、ヴィーリアはお父様と伯爵の話し合いに同席するのよね?」
「そうです。アロフィス侯爵家がどれだけライトフィールド男爵家の事業に全面的に協力するかを、ベナルブ伯爵にとくと説明して差し上げますので」
微笑んだヴィーリアの美しく整った笑みがとてつもなく腹黒く見えた。今はそれがかえって頼もしく感じられる。
「そうね。よろしくお願いするわ。その後に伯爵とシャールの婚姻の件についてもきっと話し合いがあるわよね。お父様は破談にするように話を進めるはずだから……伯爵を助けてもらえないかしら?」
「そう、お望みとあらば」
「ありがとう。お願いね、ヴィーリア」
きっと涼しい顔をしてうまくやってくれるだろう。
「……さて、それでは私は戻ります」
歓迎会の途中で様子を見にきてくれたのだからあまり長く会場を不在にしてもいられない。ソファを立ったヴィーリアに、肩にかけてくれた上着を返す。
「ありがとう。暖かかったわ」
「……」
頭にぽんと大きい手が乗せられた。そのままくしゃりと髪をかき混ぜられる。
「……なに?」
今までにない行動に訝しんでヴィーリアを見上げる。ふいに顎を掴まれたり腰を抱き寄せられたり、耳を噛まれたり指を舐められたりと、まあ、いろいろとそれ以上に不埒な行為もあったがこのように頭を撫でられたことはこれまでになかった。雷の夜に何度も繰り返し髪を掬うようにして頭を撫でられたのは、魂の一部が混じり合ってしまったことをどうにかしてと、ごねるわたしを宥めるという理由があった。しかし、今はそういった理由は見当たらない。ヴィーリアも自分の手を眺めていた。
「いえ……なんでもないです」
「?」
なんなのだろうか? まさか依代が足りなくなって力が出ないとかは言わないよね?
先ほど庭から部屋に転移しただけで、今日は緑柱石の鉱脈を造った時のように大きな力は使っていないはずだ。でも、一応、今後の参考のために訊いておく。
「転移魔術はかなり力を使うものなの?」
「距離にもよりますが、私にとっては造作もないことです」
いつもの調子で平然と答える。それなら依代の追加はしなくて大丈夫そうだ。
「では私は行きます。……ミュシャ。何度も言いますが、私が傍にいないときにあまり一人で動かないようにして下さい」
「……気を付けるわ」
何度も、を強調してヴィーリアは歓迎会の会場に戻った。
一人で動かないようにと言われてもシャールの様子が気になる。今は主役の一人である司祭様は歓迎会の真最中だ。よもやヘタレ伯爵やヴィーリアのように司祭様まで会場を抜け出すことはないだろう。
シャールの部屋は一つ部屋を挟んだすぐ先だ。部屋の扉の音を立てないように静かに細く開けて廊下の様子を覗く。大丈夫だ。廊下には人の気配はない。ヴィーリアに再び念を押されてしまったからなのか。意識をしすぎてただ廊下を歩くのでさえ緊張してしまう。
「シャール?」
シャールの部屋の前でノックをしてから声をかけた。部屋の中からばたん、がたんと引き出しを強く閉めるような鈍い音が何度か聞こえてきた。しばらくすると、細く開けた扉の隙間からシャールが顔だけを出した。
「お姉さま? どうしたの?」
「……夕食は食べられた? さっきは食欲がないって言っていたから気になって」
「ええ、大丈夫よ。美味しかったから全部食べたわ」
シャールはいつもと同じように微笑んだ。
「……そう。それなら良かった。……ところで部屋には入れてくれないの?」
シャールは隙間から顔を出しただけで、それ以上は扉を開けようとはしなかった。
「ごめんなさい。ちょっと部屋の中が散らかっていて。お姉さまに見られるのは恥ずかしいの……」
「さっき大きな物音がしていたようだけど?」
「棚や引き出しを整理しようかと思っていて……。そうだ! お姉さまの部屋で話しましょうよ」
シャールは素早く扉の隙間から廊下へと出てきて扉を閉めた。
子どもの頃から、シャールはいろいろな物を拾ってきては引き出しにしまい込んだ。表面がつるつるとした綺麗な色の小石やなんの部品か見当もつかないような螺子や、植物の種、蛇の抜け殻などだ。本人曰く大事な宝物だそうで、見た目にはごみのような物でもお母様やフェイたちも勝手に捨てたりはしなかった。そういった物を取り出しては眺めていたのかもしれない。
「いいわよ。行きましょう」
その夜はシャールと幼い頃の思い出をたくさん話して二人で笑い合った。そうしていると庭での出来事がまるで夢の中であったことのように感じられるほど、シャールはいつもと同じで普段のシャールのままだった。
「そういえば、そろそろ柘榴の砂糖漬けができあがる頃よ。砂糖も溶けてきれいな紫色のシロップができていたわ」
「それは……楽しみ」
「そうね。今年はたくさん収穫してくれたからかなりの量が作れたわ。みんなで一緒に飲みましょうね」
そう言うと、シャールはにこにこと笑っていた。
シャールにいろいろと訊きたいこともあったが、結局はなにも訊くことはできなかった。
読んでいただいてありがとうございます。(*'▽')