17 推測
ヴィーリアに抱えられて転移魔術で部屋に戻ってくると、素早く指を鳴らして温かい紅茶を淹れてくれた。肩にかけられた上着の上にさらにガウンも羽織らせてくれる。
震える両手で白い湯気がのぼるカップを包むようにして暖をとる。暖炉に火を入れていないのに部屋の空気が暖かい。室温も上げてくれたようだ。消したはずのランプも灯っていた。
胸の激しい鼓動も治まりかけていた。気が付くと寒さと混乱で細かく震えていた指先にも感覚が戻ってきている。足の痺れもなくなっていた。
「落ち着きましたか?」
部屋に戻るなりてきぱきとわたしの世話を焼き、当然のように隣に座っていたヴィーリアがわたしの顔をのぞき込んで肯いてみせた。
「……唇の色も戻りましたね」
「……ありがとう。もう、大丈夫」
芯まで冷えきっていた身体は震えも止まって温まり始めている。しかし、庭での出来事を頭の中ではまだ整理できていない。
「……ところで、貴女に申し上げたことを覚えていますか?」
ヴィーリアが足を組んで膝の上に肘をつく。紫の瞳が胡乱な色をはらんで強くわたしを捕えた。
「ええと、いろいろと言われているから……どのこと? なんて……」
『なるべく一人で行動しない』『周囲に注意を払う』『危険を感じたら、もしくはおかしいと感じたらすぐにヴィーリアを呼ぶ』。まとめるとこういうことになるわたしの行動指針三点は司祭様の話になるといつもヴィーリアに言われてきたことだ。念のためにと歓迎会が始まる前にも改めて確認されていた。
もちろん忘れてなどいない。念のためにと確認されたのはほんの二時間ほど前のことだ。さすがにヴィーリアの視線が痛い。引きつりながらも笑って誤魔化そうとすると、大きなため息をつかれた。
「ミュシャ。口で言っても解りませんか?」
口で言って解らないならどうやって解らせようとするのか。うっかり、はいとでも返事をしようものなら魔術でどうにかするとでもいうのか。嫌な予感しかしない。うっすらと口角が上がっているのも余計に怖い。
「いや、大丈夫。解る。解ります。ええと……ごめんなさい」
事情はどうであれ約束を守らなかったのはやはり、わたしが悪い。そう思って頭を下げた。
「全く……。貴女という人は……」
「心配かけて……ごめんなさい」
「……」
頭の上から今度は小さくため息が聞こえた。
「……それでどうなりました?」
「?」
「貴女の妹が伯爵と会っていたのでしょう?」
「え?! なんで知っているの?」
「貴女は覗いていたのですよね」
「……」
庭でわたしがなにをしていたのかは、おおよその見当はつくと言っていた。確かにその通りなのだが、改めて言葉にされると本当に……うう、なにも言えない。
「歓迎会の前にフェイが伯爵になにかの紙を渡していましたので」
「そう……なのね」
屋敷の仕事は皆で大まかに分担している。実際は手の空いている者がなんでもやるのだが、一応の役割分担としてフェイはシャール付きの侍女、ベルはわたし付きの侍女ということになっている。
シャールがフェイに頼んだ……ということは、やはりあれは密会という秘密のやつだったのだ。
「それで?」
「……それでと言われても……なんていうか……」
煮え切らない返答に怪訝な顔をしたヴィーリアに、シャールと伯爵の会話の内容を伝えた。見たことについては話さなかった。覗いていたわたしが言えることではないが繊細な私事は守りたい。
「貴女の望みの中には伯爵と妹の破談も含まれていました。それならば丁度いい」
「だって、それは知らなかったから……いや、知らないとは言えなかったけど。まさかそんなことだとは思っていなくて……。というか、ちょっと待って。いろいろと整理しながら落ち着いて考えてみたいの」
わたしもまだ、混乱しているのだ。
ヴィーリアを手で制する。集中するためにこめかみに指を充てて目を閉じた。聞いてしまったあの会話……直感はおそらくそういうことだと告げている。しかし、きちんと整理して考えてみなければ。記憶の中にあるこれまでのいろいろな情報を掘り起こし、足りていない会話の欠片の部分を補ってみる、と。
つまり……。
五年前に伯爵が窮地に陥ったリモール領に手を差し伸べたのは、隣接する領地の窮状をただただ見過ごせなかったからだった。そしてあるとき、お父様との会議で屋敷を訪れた伯爵はシャールに一目惚れをした。しかし、シャールにまともに求婚の申し入れをしても父親である男爵の許しを得られないと思った。なぜなら歳も離れている上に、伯爵に関する社交界の酷い噂があるせいだ。
そこで考える。伯爵家は男爵家に融資をしている。それならば莫大な利子を請求して、到底返すことのできない借金を男爵家に背負わせればいいのだと。あくまでも借金の担保として領地の接収とシャールとの婚姻を要求する。そうすれば男爵家は伯爵からのシャールへの求婚は絶対に断ることができない。そうして返済の期限が切れるのを待ち、シャールとの婚姻が成立したら当初の取り決め通り、返済について改めて話し合いを設けようとしていた。
伯爵の口から本当のことを聞くまでは推測にしかすぎないが、二人の会話を繋いでみると、こういうことじゃないかと思う。
「まあ、そんなところでしょう。しかし……最初からリモール領を取り上げるのが目的だったとは考えないのですか?」
「そうね、伯爵が最初にどういうつもりでリモールを助けてくれたのかは推測だけど……。二人の話を聞いた限りでは……それはない……と思うわ」
ヴィーリアは黙っていた。ほかにも鋭い棘のあることを言われるかもしれないと、多少身構えていたのだが特になにも言わなかった。
「……リモールは暮らしているわたしたちにとっては守るべき大切な土地よ。でも、自慢じゃないけど西の辺境だし秘境って呼ばれているし、今まではこれといった特産品もなかったわ。公都までの汽車が通ったのだって公国でも最後の方だったって聞いている。伯爵領の方が豊かな土地なのに、伯爵がリモールを欲しがる理由なんて……それこそ借金の形くらいしか思いつかないわ」
そうなのだ。だから借金の担保として領地を接収する正当性を示すためにシャールに求婚をしたのだと誰もが思っていた。しかし、実はそうではなく本当の目的はシャールとの婚姻だったということ。手段と目的が逆だった。
シャールはシャールで領地を救ってくれた伯爵の優しさに憧れていた。憧れというよりもおそらくは恋だった。しかし、伯爵は男爵家を追い詰めた。それは自分との婚姻のためだと知った。
伯爵は成婚したら、当初の約束通りに返済についての話し合いを持つつもりだったのかもしれない。しかし、シャールの言った通り、今さらだ。厳しい節約生活を強いられて、精神的にも、体力的にもかなり無理をしてきたお父様とお母様、屋敷に残ってくれた者たちや領地の状況を理解して一緒に頑張ってくれていた領民たち。それらを思えば許してほしいと請われて、はい、許しますと簡単には……言えない。異常気象から五年、伯爵から莫大な額の督促状を突きつけられて二年。容易い年月ではなかったことは確かなのだ。
『勝手に許す訳にはいかない』とはそういう意味なのだろう。
シャールは怒っていた。しかし、自分から伯爵に近づいて爪先立った……好きじゃなければそんなことはしない。
そして、わたしがヴィーリアに願ったのは伯爵に借金を全て返済することと少しの上乗せ分。それができれば借金の担保と思われていた領地の接収もなく、伯爵とシャールとの婚姻もなくなる。家族と男爵家を支えてくれた者たちの安泰と幸せは、領民の生活の平穏と幸せに繋がる。それはわたしが思い描いた大団円。少しの上乗せ分はとんでもない上乗せ分になったが、今現在そういう筋書きでことは進んでいるはずだった。
しかし、伯爵とシャールは“気に入っている”以上にお互いを好ましく思い合っていた……ようだ。
このままわたしの願いを進めてしまえば、シャールが心から笑顔になる結末が見えない。
「ヴィーリア……」
隣のヴィーリアを見上げる。
「……なんですか?」
わたしを見下ろす表情が心なしか険しい。珍しく眉間をしかめて、声も硬い。
「わたし……こんなことは想像もしていなかった」
「……」
「だから、わたしの願いを……」
「私との契約は破棄できません」
言いかけた言葉をヴィーリアが強く遮った。紫の色の瞳がわたしを射るように見据えると、微かに光を帯びる。
「覚えておきなさいと、言ったでしょう? 貴女は私のものです」
瞳の鋭さとは裏腹に、穏やかな口調に変わる。まるで囁いているようだ。
うん……聞いた。確かに聞いたけど。それとこれとは今は関係ないように思う。
「今さら、契約を破ることなど許しません。……だからといって神殿に頼ろうなどと考えるのはおやめなさい。……それこそ、身の破滅ですよ」
「……? あの? ヴィーリア、ちょっと……?」
「忘れているというのなら……思い出しなさい」
腕がわたしの肩に回された。そのまま強く引かれて胸の中に収まる。髪の中に入りこんだ指に左耳を強く引っ張られた。
「痛い!」
引っ張られた痛さのせいもあったが、同時に刻印された魔法陣にも触れられて、瞬間的に焼けつくような熱さを感じ思わず声を上げた。ものが燃えるような焦げた匂いが微かに鼻の奥に届く。
まさか、皮膚か髪の毛が燃えたの?
ヴィーリアの胸を力いっぱい押して逃れようとするが、いつものことで力ではとうてい敵わない。それになにか誤解しているみたいだ。
指は左耳に触れられたままで、もう焼けつくような熱さではないが熱はまだ続いている。
長い指がわたしの顎を持ち上げた。白銀色の髪の毛がさらさらと頬にかかる。深い紫色の瞳は微かな光を帯びたままだ。
これは……!
わたしは逃れるために首を思いっきりひねった。
両の手のひらを突き出してヴィーリアの唇を阻止する。
「ちょっと! 落ち着いて! 話を聴いて!」
ヴィーリアが顎から指を離した。わたしの両手首をまとめて掴んで下ろす。
「なんの話を聴けというのですか?」
左耳に触れている指は魔法陣に円を描くように撫で続けている。左耳が熱い。
「もう! なにか誤解してる! わたしはお願いしたことをちょっとだけ変えて欲しかっただけなの!」
「……」
「それなのに、なにか早とちりして、誤解して。………ちょっと、怖かった……」
恨みがましく上目でヴィーリアを睨む。
「……はっ! ……貴女はなんと紛らわしい」
勝手に勘違いと早とちりをしたくせにわたしのせいにされているが、これからお願いをする身なのでぐっと耐える。機嫌を損ねて断られるのは避けたい。
ヴィーリアはわたしを胸の中から解放すると、ソファにどさりともたれ掛かかった。腕をソファの背に乗せるとこちらを向いた。紫色の瞳はもう光を帯びてはいなかった。
「……願いをなかったことにしてほしいとは、思わなかったのですか?」
伯爵の描く大団円だったなら、わたしが魂を対価としてヴィーリアを召喚しなくてもライトフィールド男爵家の没落はなかったはずだ。しかし、それは伯爵だけの大団円。
「思わなかったわ。だって上乗せ分の願いはもう叶えてもらったし、それに……わたしの願いは基本的には同じなの」
「……貴女は、やはり変わった人ですね」
「そう?」
「耳は痛かったですか?」
冷たい指がわたしの髪を左の耳にかける。
「痛かったわ。なにか熱かったし」
ヴィーリアの口元が微かに上がる。そのまま指は労わるように耳の縁を撫でる。
くすぐったい。
「私が、怖かった?」
「……少し」
そう答えると紫色の瞳を蠱惑的に揺らした。
……怖いと言われて喜んでいるのだろうか。ヴィーリアの方こそ変わっている。
「……それで、願い事の変更とは?」
ヴィーリアが耳の縁をなぞっていた指を離した。
読んでいただいてありがとうございます。(*'▽')