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06

 キュテラと鍛錬を終え、ウーラニア邸の大浴場へやってきた。

 脱衣所でネグリジェを脱いだキュテラは、さっさと浴場へ飛び込んだ。


「やっとお風呂だー」

「ピセア様」

「あ、はい」


 脱いでいたローブをハンガーへ掛けたところで声を掛けられた。

 この屋敷のメイド、ティリアだ。

 傍らには執事服を着たウッドゴーレムがいる。

 元冒険者の魔法使いでゴーレムマスターの災害陣を持っていた。

 冒険に失敗し、多くの仲間を失ったことで冒険者を辞めた。

 私の所へ来て転職を相談され、紹介したのがウーラニア邸でのメイドである。


「お着替えをお手伝いします」

「い、いえ、大丈夫! 私は自分でできますから!」

「これも紹介された仕事のうちですから」

「う」


 そう言われると、紹介した責任のようなものを感じて断れなかった。


「失礼します」

「……はい」


 前世もさることながら、こちらの世界で生まれてから貴族の生活とは無縁だった。

 人に衣服を任せるのが気恥ずかしくてしかたない。


「まるで冒険者のようですね」


 ティリアが、皮の胸当てを外しながら言った。


「ええ。神殿に相談へ来る人の中には暴れ出す人もいるので」


 ティリアに答えながら、昼間のカイルのことを思い出していた。

 取り逃がしたのは今日イチの失敗だった。


「困った方もいるものですね」

「そうですね」


 ティリアも元冒険者だけあって、武闘家の装備を迷うことなく外していく。

 あっという間に下着姿になった。

 ティリアはなんの感情も湧かないのか平然としている。


「あ、ここからは自分で」

「こちらも私の仕事です」

「ぐぅ」


 ずるい言い方だった。

 私はティリアの手によって一糸まとわぬ姿になった。

 キュテラと比べたらまだまだ発展途上の胸が恥ずかしくなり、なんとなく腕で隠す。


「防具はお部屋へ運んでおきます。下着とお召し物は洗濯しておきますので」

「わかりました」

「湯浴みが終る頃には代わりのお召し物をお持ちします」

「ありがとうございます」

「それでは失礼します」


 ティリアが脱衣所から出て行くと、浴場からばしゃりと水音がした。


「はーやーくー」


 ピンクの髪を待ちきれないキュテラが、たわわな実りから水滴を垂らしながら脱衣所を覗いた。

 その青い目はギラギラしていた。


「今、行きます」


 猛獣の檻へ入る羊のような気分だ。

 毎晩のこととは言え、妙に緊張する。

 深呼吸して浴場へ入った。

 バラの香りが漂う。


 湯気の充満した大理石の大浴場。

 水の膜が張った床は、気を抜けば滑りそうなほど磨かれていた。


「さぁ、殿下、こちらへ」

「こういうときだけ王族あつかい?」

「今の殿下は、なにも隠しておりません」


 キュテラなりのユーモアなんだと思う。

 確かに、今の私は丸出しだった。

 キュテラの用意した風呂用の椅子に腰掛ける。

 キュテラが、湯口から桶に取ったきれいな湯で髪の汚れを流す。

 さきほどまでの口の悪さを感じさせない丁寧な手ぐしで髪をすいた。

 髪自体をマッサージされているような心地よさだった。


 ここだけの話、キュテラに髪を洗ってもらうのは嫌いじゃなかった。

 転職嬢として言わせてもらえば、キュテラには美容師の才能があるかもしれない。


 キュテラが石けんを泡立てて、私の髪に指をするりといれる。

 ぞわっと首筋の産毛が逆立った。

 キュテラの指は、頭皮から毛先までをゆっくりと降りていく。

 十分な湯洗いと石けんの泡立ちで、なんの抵抗もなく指櫛を受け入れる。

 日中、ずっと結んで隠していた髪は、肩こりのように重くなっていた。

 それがキュテラの洗髪により、じわじわとほぐされていく。

 押してはいけないツボを押されたような抗い難いうずきと痺れに両肩が浮き上がる。


「殿下、逃げないで」


 キュテラが耳元で囁く。

 声に嗜虐の艶があった。

 髪を洗われているだけなのに、妙に恥ずかしくなってくる。


「なんでそんなに嬉しそうなの?」

「権力の中枢と繋がっている喜び。権力に触れている安心。貴族ですからね」

「……そっか」


 本心を聞いて、答えてくれるのが女神の教えなんて何のそのの貴族だった。

 でも、返ってきた答えは決して魔法少女にお約束の生ぬるいものじゃない。

 私の身分や地位だけを見ていた。


「殿下をお守りすること。ダルファディルが存続すること。そういうことを誇りだと考えています」

「もし、私が王位継承の権利をなくしたら?」

「そうですね。そのときは友人として居候してもらうだけです」

「なんのために?」

「王位がなくても、私にとって殿下の髪は特別ですから」

「ああ、そう」


 私の髪は愛玩動物に等しいらしい。


「ご機嫌斜めですか?」


 キュテラは変わらない。

 丁寧に優しく髪を一本ずつ洗っているかのような手つきだ。

 あれだけダシにされていることを聞いたのに髪に触れられるのは嫌じゃなかった。


「さ、流しますよ」


 答えないでいても、キュテラが機嫌を損ねた様子はない。

 ちょうど良い暖かさのお湯が私の頭から背中を温めながら流れ落ちる。

 認めたくないけど、今日一日の疲れも一緒に流されるようだった。

 明日も頑張れる。

 そんな風に感じる極上の瞬間だった。

 私は、キュテラの洗髪なしでは、もはや生きていけないかもしれなかった。


「絞りますね」


 背中に張り付いた髪をキュテラの手がそっと束ねて湯をしぼる。

 あまりにも丁寧で、髪を握られているとは思えないほどだ。


「そういえば、殿下の髪はなぜこんなに長いんです?」

「あ、話したことなかったかな?」

「はい。聞きたいです」

「師匠が切るなって言ってたからだよ」

「ゲーオスさんが?」

「うん。女王陛下の許可がなければ髪の毛一本切ることはできないって」

「ということは、この髪は生まれた時から?」

「まぁ、そういうことだね」

「すごい。初めて会ったときは、すでに地面へ届いてましたよね」


 そういうキュテラの手はより優しく、赤ちゃんでも抱くようになった。

 十歳で髪が身長を超えて、成長するにつれて髪と身長の背比べが始まった。

 十四になった今では髪の圧勝だった。


「まとめますね」

「うん」


 髪の湯を切り終わったキュテラが、私の後頭部に髪でおだんごを一つ作る。


「ヘアーバインド」


 キュテラの魔法でおだんごがほどけないようにする。

 そのおだんごへ残った髪をぐるぐると巻き付けてシニヨンみたいにした。


「ヘアーバインド」


 シニヨンが完成するとキュテラはまた髪留めの魔法を使う。

 生活を楽にする魔法は、キュテラに教えてもらった。

 彼女がいなければ、現代人の魂を持つ私は不便な生活で今も苦しんでいたと思う。


「はーい、じゃあ体を洗いますねー」

「ん?」


 先ほどまでの忠臣の声が、いきなり友人のずうずうしいものになった。

 キュテラの手には石けんが乗せてあった。


「ウォッシャーストーム!」

「わわわわ!」


 全身を駆け巡る石けんの泡に、泡でやられる怪人みたいな声が出た。


「ふいーぅ! 宮仕えは疲れるなぁ!」


 一足先にキュテラが湯船に浸かる。

 キュテラは、私の髪にしか忠誠を尽くさない正直者だ。

 ただ、超長い髪を洗うのはマジで疲れるので、助かっているのは本当だった。


「いつもありがとう」

「ん? 死んだら髪をちょうだい」

「……なんか、お礼を言って損した気分」

「だって、明日には死にそうなこと言うんだもん」

「お礼を言っただけでしょ?」

「普段は言わないのに?」

「まぁ、そうだね」


 体にまとわりついていた泡が勝手に流れ落ち、排水溝へ列をなして飛び込んでいく。

 泡が残っていないのを確認して、私はキュテラの隣へ浸かる。


「お礼っていうなら、散歩に付き合ってよ」

「散歩って、シャルジャン公園? いいよ」

「それじゃ次の休みにね」

「うん」


 答えながら、キュテラの胸元を見る。

 私とは比べものにならない豊かな双丘が、氷山のように湯船から突き出していた。

 私の視線はその根元。

 湯船の下にうっすらと光るくすんだ紅色の災害陣だ。

 魔法を使ったことで活性化している。


 災害陣は、禁忌である。

 貴族であろうともそれは同じだった。

 禁忌を持つ者は、国家へ敵対すれば処刑される。

 敵対の意思がなくても幽閉される。


 キュテラは、十四歳にして一生を屋敷の中で過ごすことを命じられていた。

 そのキュテラが唯一、外出を許されるのが英雄シャルジャンの象がある公園だった。

 キュテラが王宮に直接交渉して勝ち取った。

 それだけキュテラの中で英雄シャルジャンは特別だった。

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