05
「お務め終わりにすまなかった。休んでくれ」
「いえいえ。これも助祭の使命ですから」
「……お前の友人を悪く言う気はないが」
「はぁ」
「魔神街は、魔獣や巨人を生み出すのではないかと疑われている」
三人の聖堂剣士を連れ帰ると、残業から解放された。
ついでに忠告もされる。
いくら先輩とはいえ、超えてはならない一線だった。
「大丈夫です。私の友達は国王派に与したり、女王陛下に仇なす子じゃないです」
私は胸を張って言い切った。
「……そうか。お前にそこまで信頼されているなんて、少し妬けるな」
「グーナさんも信頼してますよ? 私に仕事もくれたし、感謝もしてます」
「なに、なんだと、本当か?」
「どうしてそんなに疑うんですか? 女神の教えに反してますよ!」
グーナがあまりにも意外そうな顔をするものだから、軽口が出る。
それで初めてグーナの強ばっていた顔がほぐれた。
笑うとかなり可愛い感じだった。クールビューティの意外な一面だろう。
「まったく、こんなところで女神の教えを持ってくるとは」
「グーナさんがいけないんです」
「私のせいか。まぁ、いいだろう」
「いいんだ」
「さぁ、もう行け。また仕事が増えるぞ」
「おっと、それじゃ帰ります。お疲れ様でした!」
グーナが小さく手を振って背を向けた。
聖堂剣士に立たされた魔獣だった男は、後ろ手に縄を掛けられて連行されていく。
これから事情を訊かれるのだろう。
グーナと聖堂剣士の一人が残った。
魔神街の屋敷を指さして何かを話している。
「魔獣が出てきた屋敷か」
私は前を向いて帰路を歩く傍ら、その屋敷を見る。
黒い煉瓦づくりの屋敷で、屋根は血のように赤い。
知らない貴族の屋敷だった。
あとでキュテラに聞いてみよう。
魔神街では迂闊に独り言も言えない。
魔神の耳に、いつどこで私の言葉を拾われるかわからないからだ。
そんなことを考えつつ、居候させてもらっているウーラニア邸の通用門をくぐった。
緑溢れる庭に囲まれたウーラニア邸は、白亜の殿堂だ。
継ぎ目のない石材で作られた屋敷は、美術品のようでもあった。
その陶器のような屋敷は、カットした青い宝石を逆さまにしたような屋根をしていた。
夕日の沈んだ魔神街で、ウーラニア邸の屋根は青くぼんやりと輝く。
迷いようがない。
なお、私がこの屋敷に来てもっとも驚いたのは扉である。
玄関と思われる場所には、扉の模様があるだけで扉自体はない。
私はその模様の前に立ち、深呼吸した。
「ウーラニア公好みの女性になりたいです」
屈辱的な符丁だった。
こんなの女児向けの番組だったら、ぜったい許されない。
合い言葉が響くと、壁の模様が拡大していき、本物の扉になる。
重い木の扉を引いて屋敷へ入った。
「おかえり。見てたわよ」
「あ、キュテラ。ただいま」
玄関ホールの大階段に腰掛けたウーラニア公の一人娘。
キュテラ・ウーラニアがスケスケのネグリジェ姿で私を迎えた。
波打つ金のブロンドが背中に流れて、薄着でも暖かそうだった。
同じ十四歳とは思えない恵まれたスタイルだ。
揃えた膝に頬杖をついて座ると、魅力の詰まった二つの膨らみが激しく主張する。
私は密かにほぞを噛む。
ぐぬ、これは嫉妬ではない。
女児向けの体型でないことを悔やんでいるだけだ。
「見てたって、さっきの魔獣騒ぎ?」
「ええ。まさか近所に魔獣が現れるなんて思わなかった」
「……赤い屋根で黒い壁の屋敷から出てきたみたい」
「そう。ミアイフォノスのゴマすりザコ魔法使いね」
「ボロクソだね」
このキュテラという少女は、あられもない姿で毒を吐く。
顔つきは大人びていて、十四歳らしい幼さもある。のに。
口を開けば汚い言葉が留まることを知らない。
これさえなければ魔法少女に仕立てあげる予定だった。
「ま、明日には逃げてるでしょ。聖堂剣士たちも帰ったみたいだし」
「そうなんだ」
「あんただって魔神の目が使えるでしょ」
「もう疲れててそんな気にもならなかった」
「そういえば、あんたは働いてるんだったわね」
「これだから貴族は」
貴族というだけあって、ウーラニア家の財政は領民からの税でまかなわれている。
実際の領地は、ダルファディルから離れた場所にあった。
当のウーラニア公は、その領地を夫婦水入らずで監督していた。
「はいはい。働く者の辛さなんてわかりませんよ。聞き飽きたから省いていい?」
「ええ、私も今日はなんだかいつもより疲れた」
私はローブのフードを上げて顔をさらした。
顔や髪を隠して暮らすのは、思った以上に息が詰まりそうになる。
「いつみてもきれいなピンク。今日も髪を洗ってあげる」
キュテラが妖艶な笑みを浮かべて、私の髪を眺める。
英雄シャルジャンのガチ勢であることは間違いない。
暇があれば、シャルジャンの象がある公園へ入り浸っていた。
というか暇しかないから、今日も行っていたに違いない。
キュテラは私の出自を知ってからというもの、やたらと髪を触りたがる。
時々身の危険を感じないこともなかった。
「どうも。いつもみたいに鍛錬をしてからね」
「はいはい。付き合うよ」
キュテラがけだるげに立ち上がり、魔法で髪を束ねた。
「中庭を借りてもいい?」
「ええ。あんたはこの屋敷のどこで鍛錬してもいいし、寝てもいい」
「寝るのはベッドがいいな」
「贅沢ね」
「睡眠は大事なの!」
「あー、それも前に聞いたから省いていい?」
「私、そんなに同じ事を話してるかな」
「うん」
反省する。
前世の記憶があるからか、労働や休養に関する強いお気持ちが出てきているらしい。
ウーラニア邸の中庭はちょっとした公園ほどあった。
私はそこでローブを脱ぎ、身軽になる。
「相変わらず重そうな装備を付けているわね」
「うん。師匠から鍛錬は怠るなって言われてるから」
キュテラが私の籠手やすね当てを見て呆れている。
筋力を増強するためのエンチャントが掛かっていた。
装備していると筋力が少しずつ上がるという、優れものだ。
「そんなに鍛えてどうするの?」
「……女神の教えを守ってよ」
「ああ、そんなものもあったね。ごめんごめん」
キュテラは悪びれない。
貴族は魔神の血族のためか、知りたいという欲求を臆面もなく吐き出してくる。
ダルファディルの生活に慣れていると、ちょっとたじろぐ。
「いつもの鍛錬でいいの?」
「うん」
キュテラが腕立ての姿勢を取る。
私も並んで姿勢を同じにする。
「じゃ、千回」
「うん。よーい」
私の右腕に赤い災害陣が浮かび上がる。
魔法少女になるための魔神からの贈り物だ。
筋肉量はそのままに、筋力の増強ができたり、少しの筋トレで筋力がついたり。
とにかく筋肉を強化できる災害陣だった。
「どん!」
「はぁぁぁぁあ!」
キュテラが貴族とは思えない猛烈な勢いで腕立てを始めた。
私もキュテラに負けないように腕立てを追い上げる。
肘の関節が軋むほどのスピードで筋肉を酷使する。
「はぁ、はぁ、きっつ」
「うん、くぅ、う、う」
キュテラが弱音を吐き、同意する。
「ゲーオスさんは元気、かな……」
「師匠なら元気だと、思うっ……」
私とキュテラは、同門の出だった。
腕立ての苦痛に耐えかねて、キュテラが口を開く。
私の養父ゲーオスは、ダルファディルから離れた山の中で武闘家を育てていた。
私はママンの鳥、グリンフィオで預けられてからそこで武術を習いつつ育った。
私が十歳の時、キュテラが師匠の下を訪れた。
護身のために武闘家として転職しに来たのだ。
私が先輩として武術を教え、代わりに魔法を教えてもらった。
あのときは毒舌もなくて、将来有望な魔法少女候補だったのに。
「はい、終わり!」
「う、負けたぁ!」
キュテラが先に千回を終えて仰向けに倒れる。
私も遅れてノルマを達成し、寝転がった。
魔神街は静かで、私たちの荒い呼吸だけが響く。
「少し休んだら次ね」
「そうだね」
私はキュテラに答えつつ、筋肉の経験値が職業レベルを上げていくのを感じていた。
女神の与えた転職の災害陣。
私は筋肉を転職させて、筋トレするだけで仕事を習熟できるようになっていた。