03
「またお前か」
「国王派こそ懲りないよね」
スレイヤと英雄ピンクが言葉を交わし、すぐに構える。
どちらも素手のままだった。
「なんだって国王派なんてつまらないものを」
「……来い」
魔法少女の嘆きを遮って、スレイヤが誘った。
ピンク色の残像が屋根の上を走る。
英雄ピンクが激しく拳を繰り出し、スレイヤが腕を盾にして弾いた。そこからスレイヤが反撃に転じて蹴りを放つもピンクが軽やかに避ける。
二人とも不安定な足場で、しかも高所という条件もあるのに危なげなく組み手を取る。
それだけで二人が武闘家のマスターであることがわかった。
(ずるいずるいずるいずるい! ピンクのヤツ、私の相談室に来いよ。魔法少女から馬小屋の掃除人に転職させてやるから!)
私は、民衆から声援を受けるピンクの活躍が妬ましくてしかたなかった。
私には女神派と国王派のどちらが正しいかわからないけど、私の夢を奪ったピンクの存在だけは許せなかった。
「おいおい、なにが起きてるんだ!」
ピンクとスレイヤが争う屋根の主が、二階から顔を出し、屋上の騒ぎに困惑していた。
「せい!」
「おらぁ!」
ピンクとスレイヤが鍛えた拳を応酬させる度に、踏み込まれた屋根がメキメキと軋む。
「おおい! 余所でやってくれ! このままじゃ俺の家が壊れちまう!」
家主の悲鳴は民衆の声援にかき消されて届かない。
民衆だって、二人の下で慌てふためく家主が見えているのに気付かない。
二人の戦いは、ただの見世物になっていた。
「魔法少女ならそこに気付けよ」
私は呟いてからフードを抑えるために右手を頭に乗せた。
それから二人が間合いを取るタイミングを見計らって、跳躍して屋根に着地する。
「え!」
「ん?」
二人の間に割って入ってやった。
驚いたピンクとスレイヤが動きを止める。
「お二人ともこの屋根の持ち主が迷惑しています。戦うなら地面の上でお願いします」
声にいつになく気合いが入る。もし拒否すれば、二人ともぶっ飛ばすつもりだった。
特にピンク。お前には手加減できない自信がある。
「だったら大通りからもどいてくれ!」
「こっちは急ぎの取引なんだ!」
「依頼人が待ってるんだよ!」
私の介入に合わせて、渋滞で足止めされていた冒険者や商人からも注文が入る。
通りを支配していた見世物の空気が冷めていく。
「ちっ、退くぞ!」
先にスレイヤが撤退した。民家の屋根を八艘飛びして路地裏に降りた。
スレイヤの命令で、通りに陣取っていた国王派も散っていく。
渋滞が解消され、馬車の交通が再開されると野次馬もいなくなった。
「あー、気付かなかった」
後には、バツの悪そうな英雄ピンクだけが残っていた。
ピンクの髪をツインテールにして目元を隠す仮面を付けている。スレイヤに負けず劣らず恥じらいのなさそうな格好だ。白皮の胸当てにヘソ出しで、ミニスカートなものだから貴族出身であることがわかる。
つくづく私の理想の魔法少女に近い姿でむかっ腹が立つ。
「あなたはなんのために戦っているんですか?」
ピンクが立ち去るまで待てばいいのに、私は聞いてしまった。
滞りなく通行する馬車を眺めていたピンクが驚いた顔をする。
無邪気な少女だ。
悪意がないだけに質が悪い。
「神殿の人なのに女神の教えを破るんだ」
私の質問にピンクがきっちり切り返してきた。
ダルファディルの女神信仰では、プライバシーへの詮索が禁じられている。
知りたいという欲求は、いずれ歯止めが利かなくなり、他人を害することになるから、という教えだった。
それを神殿で働く助祭が破ったとなれば大問題だ。
私は、ピンクの活躍に苛立って冷静さを失っていた。
「でも、特別に教えてあげる。私は女王ゼルクレア陛下のために戦ってる」
「いわゆる女神派、ですか」
「どうだろう。もっと単純な女王派かもしれない」
年の頃は私と同じくらい。
成人しているかいないかという少女だった。
女王派というのはなかなかに勇気がいる発言になる。
なにせ女王が懐妊した直後に、国王が私の子ではないと宣言したのだ。
女王の不倫疑惑が国王からもたらされ、どちらが国家元首に相応しいかという論争が始まった。
十数年前のことらしい。
「これからも国王派と対立するんですか?」
「そうだね。あいつらを野放しにしていたらいずれ……」
ピンクの表情が真剣なものになる。
それなりに最悪を想定して動いているみたいだ。
だからといって私から魔法少女を奪った罪が消えるわけではないが。
「なんか怒ってるよね?」
「女神の教えに反してますよ?」
「あ、ずるい!」
ずるいのはそっちだ!
私は口走りそうになるのを堪えた。
「スレイヤもいなくなっちゃったし、私も帰るね」
「ええ。これからは周囲の人にも気をつけてください。すべての人があなたの戦いを喜んでいる訳ではありません」
「はーい」
ピンクが、ふて腐れた返事をした瞬間に姿を消した。
「魔神の脚……」
テレポートができるスキルだった。
魔神官をそれなりに習熟しなければ得られない技能だ。
魔法使いと武闘家のマスター。
私と同じくらいの年で達人職まで習得する人間がいるのは脅威だった。
私が、女神と魔神に災害陣を刻まれた特別体質だっとしても油断できない。
私は生き残ることと理想を追い求めることを天秤に掛けていた。
新しい人生とはいえ、やはり一度きりの人生だった。
「はぁ、戻りますか」
私は屋根下の通行人に注意しながら屋根から飛び降りた。
「おお、先ほどはありがとうございました」
「あ、すいません。私まで屋根に登ってしまって」
玄関先に降りたところで、家主のおじさんに声を掛けられた。
「いえいえ、助かりました。英雄ピンクには時々驚かされるんですよね」
「はぁ、災難でしたね」
「いやとんでもない。先の英雄が亡くなってから暗く沈んでいた都が、彼女のおかげで少しだけ明るくなったんですから」
「え?」
「あの髪も英雄シャルジャンを模したものでしょう。彼が生きているときはピンクの近衛兵が女王を守り、巨人をバッタバッタと倒したもんですよ」
懐古するおじさんは饒舌だ。
おじさんにも希望を与える英雄ピンクに忘れかけていたムカムカがぶり返す。
(なんであいつなんだああああ!)
私は引きつりそうになる愛想笑いの限界を悟り、退散する。
「そ、それでは神殿での勤めがありますので戻ります」
「ああ、引き留めて申し訳ない。ありがとうございました」
会釈をして神殿へ戻る。
都へ来てからピンクが希望の色だということは耳にタコができるほど聞いた。
英雄シャルジャンという近衛兵の長が、ピンクの髪をしていたからだという。
その人は、命を掛けて巨人と戦い、共倒れになったらしい。
「どうしたら魔法少女になれる?」
できることなら誰かのポジションを奪うようなことはしたくない。
それでも誰かがそこにいて、たった一つしか空きがないというのなら。
ただ暗い気持ちだけが募っていく。
新しい人生なのに。
「あ、ピセア!」
「ニーナさん」
相談室のある紹介所へ行くと、不安そうな顔のニーナが待っていた。
「大司祭様が話を聞きたいって」
「わかった」
「大丈夫? なんだか怖い顔しているけど」
「ううん。平気」
察しの良いニーナの追求をかわして、大司祭のいる祈祷所へ向かう。
祈祷所と言ってもちょっとした休憩ができる給湯室みたいなものだった。
「失礼します」
「来たか。こちらへ」
大司祭は私を祭壇の前へ座らせると、扉を開けて尾行がいないか確認した。
「大丈夫です。魔神の目で常に後方を確認しましたから」
「そうですか」
私は座ってからフードを取った。
魔法によって頭の後ろで結び固めていたピンクの髪を解いて、溜め込んでいた息を吐き出す。
「ふぅーっ」
「例の少女が現れたようですな」
「はい」
「近くでご覧になられたので?」
「はい。本物のように見えました。魔法による変装だったら、見分けがつきません」
「そうですな。ただ殿下の髪は本物でしょう。偽物が闊歩するというのは、さぞ面白くないでしょうな」
「……」
私は肯定しそうになるのを堪える。
大司祭は、私のことを殿下と呼ぶ。
髪の色はピンク。
女王の不倫によって生まれた英雄の忘れ形見。
それが私、ゼルピセアだった。
由緒はある。
髪もピンクだし。
なのに魔法少女になれない。
(なんでなんだあああああああああああ!)
私は心の中で思いきり叫んだ。
「それにしても驚くほど女王にそっくりで」
「それは余計なんです」
「し、失礼しました」
大司祭が勘違いしているけど、私は訂正する気にならない。
この顔がすべていけないのだ。
ママンに似すぎているために顔を出して歩くことができない。
都を荒らし回る国王派を刺激してしまう。
それは魔法少女のやることじゃない。
(サラブレッドは嫌だって女神様に言っておけば良かった)
私は、生まれ持った運命のデカさに対応しきれていなかった。