02
「機織りギルドに鳩を飛ばしておきますね」
「ありがとう。これで冒険なんてしなくてすむよ!」
エルフの女性は嬉しそうに言うと相談室を後にした。
「狩人のマスターで弓士もマスター。森と遠距離攻撃のエキスパート。ここで転職してできることを増やせば、冒険者としてもっと強くなれるのに。もったいない」
私はぼそぼそと独り言を漏らす。
伝説の都ダルファディルは、冒険者たちが転職するために集まってくる通過点である。
ただ、パーティ内での人間関係や冒険そのものが嫌になったメンバーが、このダルファディルで新たな人生を見つけ、冒険から離脱することも多かった。
エルフの女性もその例に漏れなかった。
生まれながらの美貌が仇となったのだ。
人間の男たちから向けられる下品な目と言葉に耐えられないと言っていた。
同じ種族として申し訳ないと思う。
「次の方、どうぞ」
私は気を取り直し、職務に戻った。
相談室に隠密活動の得意そうな男が入ってきた。
「お名前をどうぞ」
「カイルだ」
カイルと名乗ったのは人間の男性で、目つきが鋭く、ボサボサの頭に頭巾をかぶり、顔の半分を隠していた。年の頃は三十代くらいだろうか。声は、やや疲れ気味だった。
「本日のご用件は?」
「転職をしたい」
「どの職業に転職希望ですか?」
「暗殺者だ」
「暗殺者……」
転生前の世界では非合法の仕事だった。
この世界では合法の個人事業主だ。
パーティを抜けた冒険者が開業するメジャーな職業だったりする。
「斥候の経験はあります?」
「ああ、マスターしている」
「戦士系の技能は?」
「剣士をマスターしている」
「それらを証明できる方はいますか?」
「いや、いない。だが、問題ないと思う。転職させてくれ」
「うーん」
私は唸りながら、右腕をカウンターの下へ隠した。長いローブを着ていても、なんとなく隠してしまう。
それは女神と魔神に刻まれた、この世界最大の禁忌だ。
災害陣。
入れ墨のように皮膚へ浮き出た紋様は、女神の涙で刻まれたとか、魔神の血で刻まれたとか様々なことを言われている。
共通しているのは、それが災いをもたらす不吉なものという認識だ。
私の育ての親であるゲーオスは、これを絶対に見られるなと私に教え込んだ。
私はよくわからないままその教えを守っている。
紋様は、私の意志に反応してうっすらと輝いた。
紋様の力は、目の前にいるカイルの職歴を文字データとして浮かび上がらせた。
女神の災害陣、ライフヒムの能力だ。
それを見ることができるのは私だけだった。
(えーと、カイル、二十八歳。斥候は8レベル。剣士は4レベルか。敏捷はそこそこ。筋力は低い。戦士として開花しなかったんだ)
私の眼前にカイルの職歴や経歴がずらりと並ぶ。
カイルは最初、剣士の職に就いていたが、力が足らず斥候へ転職している。
彼には英雄になるという夢があった。
そして挫折した。
と、女神の災害陣には書いてある。
ということは、これは女神の観察によるものなのだろうか。
夢破れて斥候になり、そこから暗殺者への道を突き進むというのは、どこか危うい気がした。
「現在は、どこのパーティに所属していますか?」
「……いや、そういうのはない」
「そうですか。暗殺者になるには、パーティの離脱が条件となって……」
「それは知っている。依頼されて暗殺をするのではなく、ただの殺人鬼になったときに、パーティがそいつを片付けるためだろ?」
「はい」
「そういうのを無視できるのが、ダルファディルの神殿だろう?」
「まぁ、そうですね」
転職には条件がある。
女神が定めたものもあれば、社会の要求によって生まれたものもある。
暗殺者は、社会の要求によって枷がつけられていた。
転職を請け負うのは各地の神殿であり、そこに務める大司祭とそれに従う助祭の判断がすべてだった。
ただし例外もある。
私の務めるダルファディルの神殿は、由緒正しき女神の降臨した土地にあり、女神の奇跡で無茶な転職を可能とする助祭がいた。
というか災害陣を持つ私のことだろう。
「お前みたいなガキに用はない。条件無視で転職できる助祭を連れてこい」
カイルは椅子から立ち上がり、短剣を抜いて私を威嚇する。
斥候の短剣には毒がつきものだ。
かすっただけでも致命傷となる場合もある。
私は突きつけられた刃から目を離さずに諭した。
「あー、カイルさん。そんなことをしても暗殺者に転職できませんよ?」
「黙れ。殺されたくなかったらさっさと例の助祭を呼んでこい」
「できません」
「できるできないの話じゃない。やれ」
「お断りします」
「そうか」
カイルの声が冷え切った。
怪しい液体で濡れた刃は、相談用の個室でランプの光を反射してヌラヌラしている。
毒の刃が、私に向けられたままピクリとも動かない。
「ぐ、なんだ?」
カイルが、空中に固定された短剣を動かそうと押したり引いたりひねったりしている。
「基礎職業を二つマスターした方は、それらを合わせた複合職とは別に、達人職というものを習得できます」
「なに?」
「剣士と斥候をマスターすれば、武人というあらゆる武器を使いこなす達人職に転職できます」
「そ、それがどうした? くそ、どうなってやがる! なんで動かねぇ!」
カイルは、なおも毒塗りの短剣を私の脅迫に使おうと悪戦苦闘していた。
「カイルさんは魔神官という達人職をご存知ですか?」
「……」
苛立った顔のカイルは、密かに脅迫するために声を荒らげることもできず、不愉快そうに顔を歪めた。
私は構わずに話を続ける。
「魔法使いと武闘家をマスターした場合、魔神官という達人職に就くことができます。魔神官は、魔神の手と呼ばれる見えない手で相手を翻弄するそうです」
私の言葉を聞き終わるやカイルは相談室から飛び出した。
「くそ!」
相手が悪いと見て、カイルが神殿から出て行く。
脅迫用の短剣は宙に浮いたままだ。
私は魔神の手を解く。
短剣がカランと床に落ちた。
「あ、まずい!」
私も相談室から飛び出した。
助祭を脅迫する悪党を野放しにする理由はない。
大司祭に報告するためにも身柄を拘束しないと安心できなかった。
「ピセア?」
「おっと、ニーナさん! ごめんなさい! 脅迫です!」
「わ、わかった! 大司祭様に伝えてくる!」
隣の相談室から顔を出した同僚の助祭ニーナへ事情を伝え、私はカイルを追った。
ダルファディルの神殿には、日の出とともに毎日何百人という相談者がやってくる。
大石柱の立ち並ぶ神殿から出ると、順番待ちをする冒険者や転職希望者が影もないような神殿前の広場で気ままに過ごしていた。
その人混みの中、後ろを振り返りながら走る姿がある。
カイルだ。
フードをかぶり、人と人の間をスルスルと走り抜けていく。
「腐っても斥候ね」
私は、目深に被ったフードが外れないように手で押さえながら跳躍した。
純白のローブの裾がめくれないように、もう片方の手で押さえ、神殿の入り口近くまで飛ぶ。
魔神の災害陣、マッスルブリーダーの力で、常人とは比べものにならない身体能力を得ていた。
「おお、ピセアちゃんだ!」
「また追い返したのか?」
「どうせ脅迫だろ。やっちまえピセアちゃん!」
相談者の何人かは常連となり、私の一挙手一投足から事情を把握してくれる。
なんなら応援までしてくれる。
それはありがたいけど、早く仕事に就けとも思う。
「どうも!」
私は短く答えながら神殿から通りへ出たカイルの背を追った。
神殿の面する大通りは、商人や冒険者の馬車が列をなして通行している、はずだった。
片方は渋滞になり、もう片方はガラガラに空いている。
「なに? どこかで事故でも……、あ」
「女神派を称する弱者たちよ! 真実を見よ!」
「ああ、こんなときに……」
私は声のする方をちらりと見上げ、不思議な光景に合点がいく。
黒い服の集団が、大通りに並ぶ民家の屋根の上から通りで足止めを喰らう馬車に向かって街頭演説していた。
その民家の下には取り巻きとみられる集団がおり、通りへはみ出して馬車の通行を止めている。
彼らは国王派と呼ばれる集団だった。
「見失った」
私は馬車と人だかりを前に足を止めた。
カイルはその中へ飛び込み、まんまと姿をくらましている。
交通の混乱を利用した見事な逃げっぷりだった。
私はカイルの追跡を諦めて、怒号の飛び交う人だかりへと近づいた。
彼らの主張に興味があるわけじゃない。
彼らを追って現れる存在が嫌でも気になるからだ。
「女王は卑怯にも沈黙しているではないか! 後ろめたいことがなければすぐに語れることをずっと秘めている! 国を預かる身でありながらなんたる不貞か!」
国王派のリーダー格らしき金髪の女性は、黒皮の鎧と腰当てにマントという冒険者のような格好をしている。
腰当ての下には下着しかなく、太ももから膝まで丸出しで、その肌の白さが日光を反射してまぶしかった。
こういう大胆な格好は貴族の嗜みみたいなものなので、自然と彼女の立場がわかる。
彼女は、反女王派の貴族だ。
今、このダルファディルは国王による分断の危機にあった。
「秘めてることを暴くのは女神の教えに反してる! そうなれば魔物と同じだ!」
「それが何だというのだ! その秘めたことで国を乱しているなら女王もまた魔物と同じだろう!」
「おい! 女王陛下になんてことを言うんだ!」
女神派と思われる男性が怒声を上げると、周囲の何人かも女性を非難した。
ちなみにこの国ではプライバシーを探ることは、宗教上の理由で禁忌とされている。
職歴などをやむを得ず聞き知ってしまう転職嬢は、ある意味で特権階級だった。
「ふん、女神派の定番だな。ならば、このスレイヤを力尽くで黙らせて見ろ!」
国王派のリーダー、スレイヤは腕っ節に自信があるらしく、不敵な笑みを浮かべて挑発するように手招きした。
人だかりは静まり、恨めしそうな視線が女性へ集中する。
みんな魔法が怖いんだ。
貴族は、魔神の血族とも言われ、生まれながらの魔法使いが多い。
血脈が力だった。不公平な力だった。
「なら私が相手よ!」
不気味な静寂を切り裂く、乙女の声が響いた。
「おお! ピンクだ! 英雄ピンクが来たぞ!」
「待ってたわ英雄ピンク!」
「国王派を黙らせてくれ!」
国王派から少し離れた民家の屋根にピンク色のツインテールがなびく。
衣装の至る所にもピンクがあり、ついた愛称が英雄ピンク。
ダルファディルのちょっとしたヒーローだ。
衆目を集め、国王派のリーダーにも苦々しい顔をさせる。
そんな存在を、私は睨まずにいられなかった。
「ふふん、言われなくても女神の教えを破る上に馬車の足止めをする悪党は、この私が成敗してあげる!」
英雄ピンクと呼ばれた少女が啖呵を切ると、路上の民衆から喝采が上がった。
私はその喝采の中で一人奥歯を噛みしめる。
(それ、私のやりたかったことおおおおお!)
ダルファディルには、すでに魔法少女がいた。