仏像の見分け、つきますか?
【ふうちゃんとびいちゃん】
その日、賽の河原に青白い稲妻が、真横に走ったという。
亡者は吹っ飛び、刀は弧を描き、川原に突き刺さった。
小雪も胸に衝撃が走り、真後ろに倒れた。意識が薄れる。
死ぬのかな。
いや、もう死んでいるんだっけ。
さすがに二度死ぬことは、ないだろうな。
千切れたペンダントのチェーンを、小雪は必死で掴む。
ロケットの蓋が開いて、ひらりと写真が舞う。
その写真、夫、豊と小雪が、雅史を抱いて写っていた。
豊……さん。
初めて会ったのは、四半世紀も前のこと。
取り立ててイケメンではなかったが、歯並びが綺麗だった。
背は小雪より少しだけ高かったが、男性として高身長でもなかった。
なで肩で細身。キメの細かい白い肌。
メガネは特に、ポイントが高い。
決め手は、豊の高校時代の部活が「バスケ」だったこと。
腐女の直感。
この人、絶対、受け専だ!
一回り以上も年上の豊は、婿養子になり店を継いでくれた。
百目鬼の苗字が、気に入ったという。
「なんか、妖怪退治が出来そうでしょ」
夫は、小雪の高校時代のあだ名を聞いて言った。
「トメはちょとひどいな。僕なら『おとめちゃん』って呼ぶよ」
あまり変わらないよね、と小雪は思った。
小雪もまた、あなた、とか、豊さん、とか呼ぶのが恥ずかしくて、雅史が産まれるまでは、彼を『メガネ君』と呼んでいた。
結婚が決まった頃、二人で指輪を見に行った。
夏の日だった。
都議選の候補者が、駅前で街宣をしていた。
銀座にある有名店。
指輪よりも小雪が気に入ったのは、ハート型のロケットペンダント。
「だって、これ持ってたら、美少女戦士に変身出来そうでしょ」
豊は笑って、ピンクゴールドのものを選んだ。
「ペンダントヘッドの色に合わせて、チェーンは金にしておこう」
あの時、金にしてもらって、良かった。
電気伝導、けっこう優秀じゃん。
銀ほどじゃ、ないけど。
倒れた小雪は、朦朧としていた。
逆梵字の亡者、どうなったろう。
そういえば、婆さんは?
小雪の耳に伝わる、石同士のこすれ合う音。
それは飛ばされ倒れた亡者が、匍匐前進をする音であった。
亡者の衣類は一部に焦げ跡が出来ている。
おそらくは、それなりの損傷を負った。
だが、獲物を狙う蛇のような目で、腕を動かしている。
亡者はいったん手放した刀を、地面から抜く。
そのまま、小雪をめがけ、刀を投げた。
「小雪――――!!」
婆さんの声。
あ、元気だ。
もう一つの声。懐かしい声。
「おとめちゃ――――ん!!」
小雪は意識が覚醒した瞬間、目の前に迫る刃を見た。見た瞬間、目を閉じた。
高い金属音が響く。
同時に、何かが突き刺さる、鈍い音がした。
恐る恐る目を開けた小雪の前に、三国志のゲームから抜け出たような、鮮やかな衣装をまとう男性が、大きな剣を構えて立っていた。
その姿はいかにも神々しく、さすがの亡者も表情が変わる。
うつ伏せのまま、方向転換をしょうとした亡者に、捕縛用の鎖が全身に落とされ、亡者の動きは完全に封じられた。
その鎖の端を持つ、青黒い肌色の、男性。
「遅いよ―― ふうちゃん、びいちゃん!」
【真相とは深層にあり】
老女は小雪にかけより、体を起こす。
二人の前で膝をつき頭を下げる、三国志と鎖を手に持つ青黒肌。
「青い方がふうちゃん。派手な方がびいちゃん」
どちらも、日本人離れした風貌だ。
というか、人間離れしている。
びいちゃんが、喋った。
「遅くなり、申し訳ない、地母神様。霊界下層にて、同時多発テロが勃発しましたゆえ」
テロ、ですと!
ところで婆さん、今、なんと呼ばれた? じんましん?
「ああ、やっぱ、もう何人か、入り込んでたかい」
「そのようです。いずれも身の内に逆梵字を隠しておりました」
老女に訊かれて、ふうちゃんが答えた。
話を総合すると、霊界の深奥部に封印されている魂を解放をさせるために、わざわざ三途の川を渡った者が複数いるようだ。
「そこまでするって、解放したい魂の持ち主って誰なんですか?」
三人は顔を見合わせた。
「小雪。地獄に落ちるって、どんな人間だと思う?」
地母神こと老女が訊く。
「盗みとか、殺人とか?」
「まあ、そうなんだがね、ひとを苦しめたり悲しませたり、恐怖心をあおったり、間違った教義を広めたり、それは罪なんだよ」
教義とな。
「今封印されているのは、すべての合わせ技を行った者だ。窃盗、殺人、放火に爆発。いずれも多数の死傷者を出した。そして何より、あやまった教えを、多くの人に広げてしまった。それは本当に重いのさ」
その時、青いふうちゃんの持つ鎖に異変が起こる。
鎖が、緩んでいる。
「まさか、我が不動縛りを解けるはずが!」
鎖の先の亡者の姿は、手足の先から黒い霧状に変わっていく。
そのまま、何かに吸い込まれるように、黒い煙は消えた。
地団太を踏むふうちゃんに、老女は言う。
「しょうがない。あやつは仮死状態でやってきたからな。現世の肉体が息を吹き返せば、ここから抜け出せる」
小雪は唐突に思い出す。
夫にペンダントを買ってもらった日。
都議選に現れた、謎の集団のこと。
『梵字を第三外国語にしよう』
たしか、そんな公約だった。
その集団、のちに国家転覆をはかって、大掛かりなテロ事件を起こしたのである。
その時、小雪の体にも、変化が起こる。
指先から、白く透け始めた。
「小雪、そろそろ時間だね」
「へっ? 何の?」
老女は再度、空間にステータス画面を出した。
「あんたの寿命は、あと四十年くらいあるのさ。今回、あんたも仮死状態でここまで来たけど、どうやら、あんたの身内が、現世に呼び戻したみたいだね」
帰れるのか、現世……
身内って雅史?
「あと、ここ見てごらん」
老女がステータス画面の端を指す。
新着メッセージの文字が緑色に光っていた。
「ゆっくりおいで。いつまでも、待ってるから。おとめちゃん」
小雪の半身はもう透明になっていた。
「おばあさん、お世話に……」
老女は、乱杭歯を見せながら微笑んだ。
すると、みるみるうちに老女の姿は、ゆたかな髪を肩まで垂らした、美しい女性の姿に変わる。
「こちらこそ、お世話になったわ、小雪さん。私の真の名は、地母神プリトヴィー。そして青いふーちゃんは、不動明王。びいちゃんは毘沙門天。何かあったら、私たちの名前をお呼びなさい」
意識が遠のいていく小雪は、思う。
不動明王や毘沙門天より、あのばあさん、偉かったのか。
しかし地母神様、よりによって、なんであんな小汚い婆さんに、化けていたんだろう……
大事なことかもしれないので、再々度書きますが、このお話はコメディです。ヒューマンドラマでも歴史でもありません。当然、ノンフィクションでもないです。あと一話、お付き合いいただければと思います。