三途の川に行ったことありますか?
裸足で歩いている。
足底に伝わる、ごつごつとした石の群れ。
少し先には、川面が見える。
川べりに近づくと、人影が見える。
その人は畔で、しゃがみ込んでいる。
ざぶざぶと音がする。
何かを洗っているようだ。
くるりとその人は振り返る。
ぼさぼさの髪。色素の抜けた髪。
古ぼけた着物。
女性だ。しかも老齢の。
手には何枚かの白い着物。
老女はにかっと笑う。ところどころ、歯が抜けている。
茶色い肌に、目だけが黄色く光る。
何者だろう。それに、ここは何処だろう。
心を読んだのかのように、老女は言う。
「ようこそ! 三途の川へ」
【断罪された】
「かあさん、いや、百目鬼小雪!
あんたを断罪する!」
息子に語気強く言い放たれ、小雪は目をパチクリした。
何言ってるの、この息子
バカなの?
てか、何、断罪って。
またヘンなコミックでも、読んだのかしら。
「あんたの罪は、俺の嫁、有菜を、ヨメイビリしたことだ!」
はあ? ヨメイビリ?
理由わかんない!
「まあくん、あたしぃ、スッゴい怖かったの~」
小雪の息子、百目鬼雅史の後ろから、半年前に雅史が連れてきた、有菜という娘が甘ったるい声を出す。
まばたきをしたら、風を起こせそうな分厚く長い睫毛と、チョココロネみたいな髪型が雅史のお気に入りだそうだ。
まあ、個人の趣味なので、小雪は何も言わなかった。
「嫁だ」
と紹介されたので、一応それなりに扱っている。
だが、それなりがイビリになっていたのか。
「だいたい、米のとぎ方一つで、チクチクねちねち嫌がらせをしたんだろ?」
はい?
お米をとぐのに、有菜がいきなり洗剤入れたのを、止めさせただけなんだが。
そんな人が本当にいるのに、ビックリはした。ビックリの表情にはなった。
都市伝説だと思っていたよ、米に洗剤なんて。
「よって、小雪、あんたを追放する! 即刻、この家から出て行け!」
「ぶわっははは!」
とうとう小雪は吹き出した。
「何がおかしい!」
「いや、だってさ、この家、私の名義だし、嫌なら、あなたたちが出ていきなさいな」
「えっ……」
雅史が、生のゴーヤを齧ったような顔になる。
有菜が雅史のシャツの裾を引っ張る。
「ねえねえ、ゆうなの爪もぉ~」
「そ、それに、あんたは、有菜の爪を剥いだそうじゃないか! 傷害だろ? 訴えられたくなかったら……」
「あ、どうぞどうぞ、訴えてください。ウチの会社の顧問弁護士に任せるから。それに有菜さんの爪、ご自分でアイロンをかけようとした時、長すぎて折れたのよ」
「あっ」
雅史の顔色が、なすびのヘタのようになった。
結局、息子と嫁さん、何がしたいのだろう?
小雪が頭を傾げていると、いきなり有菜が飛び出してきて、小雪の胸をぽこぽこと叩いた。
「バカバカ! お義母さんのばかあ! まあくんに、社長を譲ってあげてよ、もう!」
ああ、そういうことか。
いずれは、我が会社『ハンドレッド・クリーン』の社長を譲る気ではいたものの、あまりにアホがトップになると、従業員さんがかわいそうだから、先延ばしにしていたのは事実だ。
そのツケですか。そうですか。
そう小雪が思った瞬間、鼓動がありえないほど、速くなる。
有菜の拳に一撃必殺ほどの、力がこもっていたわけではない。
強烈な悪意が、あったわけでもない。
ただ、どちらにとっても、運が悪かった。
有菜は小雪の心臓の、突いてはいけないその一点、洞結節を突いてしまった。
小雪の心臓は細動を起こし、小雪はあっという間に、意識を失った。
【三途の川に来ちゃった!】
三途の川ですって?
河原を素足で歩いていた小雪は、耳を疑った。
小雪は老女に問う。
「あの、三途の川っていうことは、ここって、所謂、霊界ってとこ?」
「そうそう、その入口」
老女は小雪の姿を、上から下までじろじろ眺め、「ふう」と息を吐く。
「あんた、死んでる、はず? まあいいわ、ステータスオープン!」
すてーたす?
老女が空間を指でなぞると、液晶モニターのような画面が現れた。
小雪は、目をぱちくりする。
なんなの、この婆さん。
そして此処は本当に、三途の川?
「ふんふん、百目鬼小雪。東京都在住。夫、豊は三年前に死去。あ、あんたのダンナ、まあまあな霊界いったよ。で、息子が一人。仕事は、あらあら」
老女はにま――と笑う。
「なに、あんた、洗濯屋さんだったの!」
「ええ、まあ」
ハンドレッド・クリーンは、全国に百店舗を構える、クリーニング屋である。
老女は手持ちの白い着物を、ばさっと小雪に投げた。
「これからこの衣装、たくさん必要なんだけど、洗濯が追いつかないのよ~手伝って手伝って!」
渡された着物を見た小雪は、老女に訊く。
「なんですか? これ」
老女は朗らかに言う。
「死装束」
老女の話によれば、死んだ意識が薄い人間は、生前の姿のまま、三途の川まで来てしまう。
そいつらの衣類をはぎとって、強引に、この白い着物に着替えさせるそうだ。
確かに小雪も、今着ているのは普通のワンピースだ。
川べりで老女と会話しながら、小雪は着物を洗う。
「あの、ステータスとかって、何ですか?」
「ああ、川を渡るのに、昔の言い方だと『六文銭』、まあお金が必要なんだけど、最近『スマホ決済』希望するのが増えてね、こっちもハイテク導入したのさ」
「へえ……六文銭を、スマホで決済ですか」
小雪の頭にちらりと、雅史の科白がよぎった。
――うちも、もっとIT技術を入れようよ!
霊界ですらスマホ決済が有効ならば、もっと息子の言うことも、聞いてあげれば良かったかな。
「さあ、そろそろ来るよ! 亡者の群れが」
映画に出て来るゾンビのような足取りで、死者たちがわらわらと川へやって来る。
小雪は老女の指示のもと、彼らの着替えを手伝った。
「お仕着せだけど、これが霊界のデフォさ。閻魔様のところに辿り着くまで、この装束を脱ぐんじゃないよ」
最後に小雪が着替えようとすると、老女が手を横に振る。
「小雪、あんたはまだいいよ。もう少し、洗濯を手伝ってもらうから」
お読みくださいまして、ありがとうございます。次回、熱血バトル編、か!