お化けが大好きだった優ちゃん
優ちゃんが死んだ。
ぼくは優ちゃん家の小さな仏壇の前で、優ちゃんの写真を見ている。
一生懸命に見ていれば、口をきつく閉じて、ちょっと怒っているみたいな顔が、きっと「ニッ」と笑う
はずだ。
なぜなら優ちゃんはお化けが大好きだった。だから絶対にお化けになっているに決まっているからだ。
ぼくは優ちゃんのおばさんが出してくれた冷たいオレンジジュースも飲まずに、ちょっと怒った優ちゃんの顔をじっと見ている。
あんまり優ちゃんが笑わないので、写真の裏側をのぞいてみたり、ニセモノのローソクを触ってみたりした。
そのローソクは電気で点くと優ちゃんのおばさんが教えてくれた。ぼくもニセモノだとすぐにわかった。
優ちゃんの写真の前に有る物は、お葬式の時のいろいろな飾りとかはなくなっていて、線香を立てる小さな入れ物と、このローソクだけだ。優ちゃんのおばさんは、優ちゃんが死んでからずっと目が赤紫色になっている。
優ちゃんの弟は、庭で三輪車に乗って遊んでいる。まだ小さいから優ちゃんがいなくなった事が良くわからないみたいだ。
ぼくは優ちゃんのお化けを見つけたら、真っ先に弟に見せてやるつもりだ。
優ちゃんはお化けの事なら何でも知っていたし、ぼくの質問には全部答えてくれた。
優ちゃんの考えでは、ヨウカイもお化けも一緒だった。
みんながヨウカイと呼ぶものも、お化けの一部だと、だからみんなお化けって呼べば良いのだと言っていた。
優ちゃんは、家と塀のすき間や、歩道橋の階段の一番下の裏側の三角形の暗い部分とか、木の茂みの中心とか、学校の教室のロッカーの右側の一番下とか、よく晴れた日の明るい部分と影の暗い部分の間、たとえば、大人の人の大きな影と日に当たる部分の境目とかにもお化けはいると言っていた。
ぼくのお父さんは、単身赴任でいつも家に居ないし、お母さんは何とかダンスって言うのを習っていて忙しくしているし、ぼくには兄弟もいないので、家の中で話をすることは少なかった。今みたいに夏休み中だとよけいにそう感じた。
ぼくは優ちゃんの不思議でちょっぴり怖い話を聞くことが大好きだったし、優ちゃんは、ぼくの話も良く聞いてくれた。
優ちゃんは、ぼくの質問にはお化け以外の事でも全部答えてくれた。勉強の事も、おいしいお菓子屋さんの事も、そこら辺の葉っぱの裏側にいる変な虫の事も、分からないと言った事は一度もなかった。
優ちゃんの話はいつも僕をワクワクさせた。だからぼくは、優ちゃんといる時が一番楽しかったし、いつも一緒にいたいと思った。
ほんの少し前の事だけど、その日は夏休みの前の日で、修了式だけで家に帰ったぼくと優ちゃんは、家にカバンや体育館シューズを置くと、それぞれお母さんに作ってもらったお弁当と水筒を持って、優ちゃんが前から行きたがっていた、洞窟の祠と呼ばれる場所へ向かった。もちろんお化けが出るという、うわさの場所だ。僕の家と学校と洞窟の祠を点で結ぶと、ちょうど正三角形になる様な距離でぜんぜん遠くはないのだけど、急な山道を登らなければならない事と、優ちゃんは心臓がちょっと弱いので、あんまり激しい運動は出来ないから、いつもゆっくり歩いたし、ぼくは優ちゃんと違って、ちょっぴり怖いので歩くのも遅くなりがちで時間がかかった。
セミの鳴き声やら、鳥のさえずりなんかを聞きながら、汗をかかないくらいの速さで歩いた。細い山道を登りきると、テーブルみたいな平らな石がある。ぼくと優ちゃんはその石に座り、お弁当を食べた。二人ともおにぎりが二つで、ぼくは玉子焼き、優ちゃんはソーセージが入っていた。
二人がおにぎりにかじり付こうとした時、学校のお昼休みのチャイムが遠くに聞こえた。
ぼくと優ちゃんは、一度おにぎりを置いて、いつも給食の時にやる、「いただきます」をやった。
お弁当を食べ終えたぼくたちは、しばらくゆるい山坂道を歩いた後、洞窟の祠へ続く木で組んだ壊れかけの階段を登っていった。所々階段の木がなくなっていて、小石まじりの赤土に足を滑らせた。
ようやく登り切った階段上は広場になっていて、教室くらいの広さがあった。
人がほとんど来る事はない証拠に、広場一面雑草が生い茂り、足で踏まれた跡もなかったその広場の真ん中には、プリンを少しつぶしたみたいな形の石と土で出来た山の様なものがあった。そのプリンみたいな山の正面には入口みたいな穴がポッカリと開いていた。
広場の周りは木々でびっしりと囲まれていて、夏の昼間だというのに薄暗い感じがした。そして登って来た道以外に抜け道はなかった。
ぼくはそのポッカリ開いた穴を見ているうちに怖くなり、優ちゃんの後ろに回って隠れる様に体を小さくした。
しばらく穴を見ていた優ちゃんは、ためらいもなく雑草を踏みしめながら穴の前まで歩いて行った。
ぼくは優ちゃんと離れて、一人取り残される形になった。でもぼくの足は動かずその場で立ちすくんでいた。
優ちゃんは一度振り返り「中に入るよ」と言う代わりに穴の中を指さした。そして優ちゃんは少し屈んでゆっくりと穴の中へ入って行った。
時々生暖かい風が吹き、周りの木々はザワザワと話しかける様に音を立てた。
ぼくは勇気をふりしぼり、優ちゃんが踏みしめた雑草をなぞる様に穴の前まで歩いて行った。そして恐る恐る中をのぞいて見た。
中は真っ暗で何も見えなかった。目をこらして優ちゃんを探した。
しばらくすると白くぼんやりした物が暗闇の中に浮んで見えた。それが優ちゃんなのかは分からなかった。さらに目をこらして見ていると、その白い物は、四つん這いになった何かの動物の様に見えて来た。
「犬?」と思った瞬間、優ちゃんの顔が暗闇の中にぼんやり浮んだ。
優ちゃんの顔はだんだん近づいて来て、穴の出口まで来た。
ぼくが後退ると、優ちゃんは穴から出てそのまま登って来た階段の方へ歩いて行った。
ぼくは優ちゃんの後を追って、雑草に足を取られない様に慌てて歩き出した。
穴の中の様子をこの場で聞くのは怖かったので、ぼくは黙って歩いた。優ちゃんも黙って歩いた。
二人の足音と時々風に揺られてこすれ合う葉っぱの音だけが聞こえていた。壊れかけた木の階段を下り切って細い山道に差し掛かった時、優ちゃんはポツリと言った
「ついて来ているよ」
優ちゃんは後ろを振り返る事なく歩き続けた。
ぼくも、もちろん怖くて振り返る事は出来ず優ちゃんのすぐ後を追うようについて歩いた。
背中がゾクゾクして寒かった。
帰り道は下り坂ばかりなので、すぐに下りられると思っていたけど、何故だかすごく長い時間がかかっている様に思えた。
ようやくテーブルみたいな石を過ぎて、少しだけ涼しくなった風が夕焼け空に吹き始めた頃、ぼくと優ちゃんは山道から抜け出た。
そして優ちゃんは立ち止まると、ゆっくりと振り返った。ぼくは急いで優ちゃんの背中側に回り込み同じく振り返った。
下りてきた山道には何もいなかった。周りを見渡しても何もいない。
優ちゃんは突然「送ってくれてありがとう」と言うと、左足の靴を脱いでその場に置いた。
そして片方の靴だけで歩き出した。
ぼくは驚いて「靴はいいの?」と言いながら優ちゃんを追った。
優ちゃんは「うん。お礼だから」と歩きながら言った。
ぼくは質問がいっぱいあったけど、今はしゃべってはいけない気がして黙って歩いた。
しばらく黙って歩いた後「さっき何がついて来ていたの」とぼくは優ちゃんにヒソヒソ話をするように
聞いた。
ぼくの家の近くの三叉路のカーブミラーの下で「犬だよ」と優ちゃんは言った。
ぼくはピクリと身体を震わせた。
優ちゃんのお化けは、なかなか見つける事が出来なかった。
優ちゃんがよく話してくれた、お化けがいそうな所をいつも注意して一生懸命にみて回った。
そんな風に過ごしていたある日。ぼくはいつもの様に優ちゃん家に遊びに行った。
だけど、その日はいつもと様子が違った。玄関の扉は開けたままで、靴が一つも置いてなかったり、ぼくが優ちゃん家の玄関まで行く時にいつもつまずいていた段差の有る所には三角形の積み木みたいな物がはまっていたりした。
ぼくが中へ入るのをためらっていると、家の前の道にワンボックスの大きな車が止まった。
そしてスライドのドアが開いた。
「いた!優ちゃんのお化けだ」ぼくは思わず叫んでいた。
「シワシワで背中を丸めているけど、分かるよ、優ちゃんだ」「目なんかそのままだし」
優ちゃんのお化けは大きな車輪の付いたイスに乗っている。
片方だけの車輪の真ん中に顔が有って、夜の町の中をクルクル回りながら走るお化けの話を優ちゃんから聞いたのを思い出した。
目の前の優ちゃんのお化けは、車輪が二つも有ってしかもイスまで付いている。すごく上等なお化けになっている。
「すごいぞ、優ちゃん!」
優ちゃんのお化けは、ワンボックスに一緒に乗って来た人に押され、三角形の積み木を乗り越えて玄関へ入って行った。
そしてすぐに、その優ちゃんのお化けは、特養と言う所から帰って来た、大きいおばあさんだと、優ちゃんのおばさんから聞かされた。
おばさんは「目元は優とそっくりだ」と言った。
お母さんとじゃなくて、おばあさんとそっくりなんて、ぼくは何だかとても不思議な気分になった。
長く生きていると生き神様になって、死んでしまうと仏様になるって、優ちゃんのおばさん達が話しているのが聞こえた。
そしてお化けなんかになるんじゃなくて、また赤ちゃんになって、どこかだれかの、お母さんのお腹の中に入るらしい。
でも、ぼくはそんな話は信じない。
優ちゃんは大好きなお化けになっているに決まっている。
優ちゃんのおばさんが出してくれた、あたたかいココアを飲みながらぼくはそう思った。
優ちゃんのおばさんの目は、もう赤紫色ではなくなっていた。
そしてぼくは、今日も優ちゃんが話してくれた、お化けがいそうな所を一生懸命に見て回っている。
いつか優ちゃんに逢えるよう一生懸命に。