魔物学者、苗床になった冒険者たちを助ける。
「じゃ、クーちゃんから瓶を出してくれる?」
「う、うん」
ルアドが頼むと、まだ戸惑いを隠しきれない様子のエンリィが、手の中にいるクイグルミに頼んで袋口を開けてもらうと、その体を傾けて腕を突っ込んだ。
『〜!』
身を震わせるクーちゃんから、にゅるぽんっ! と引っ張り出されたのは、ルアドの腰丈ほどもある巨大な陶器製の水瓶だった。
本来、井戸や川から汲んだ水を溜めておくものだが、それを一つ、空にして村から拝借してきたのである。
「よし、じゃ、採取を始めよう。一株ずつ、優しく根本からね。別に多少崩れても良いんだけど、流石にバラバラにすると持っていった後の処理が厄介だからさ」
言いながら、ルアドは見本を見せた。
副団長の体に生えている中でも立派な一株の傘を軽く手で支えて、腰のポーチからナイフを引き抜き、根本に慎重に刃を入れた。
危険を感じたらしい株が、ボフッと胞子を吐き出すが、体表を覆う耐性結界に弾かれて、体には届かない。
「こんな風にして、瓶に収めていってね」
「わ、分かった!」
ルアドが両手で、瓶の中にマタンゴを置くまでを見たエンリィはうなずいて、人に生えたものではなく、地面や枯れ木の根元に生えたものに向かう。
彼女はトノオイ飛蝗の共喰いに顔をしかめる、普通の感性の持ち主なので、流石に苗床の人体から採るのは躊躇われるのだろう。
「ゴメンね、ちょっと我慢してねー」
の割に、マタンゴそのものには切り離す際に気遣うのだから、どちらにも気を遣わないルアドとは正反対である。
結局、人を助ける時にマタンゴを枯らさなければならないのだが、それは良いのだろうか。
思考がよく分からないが、本当に興味深い子だ。
ーーー人から生えたヤツの方が、栄養状態はイイんだけどなー。
ルアドはそう思いつつも、自分は自分で作業を続ける。
瓶が満タンになると、ルアドは軽く手を払い、瓶の口に油紙を被せた後に密閉の魔法を掛けた。
そして、次の準備に入る。
「じゃ、助けようか」
黒い白衣をめくり、中から取り出したのは薄い金色の板を閉じたような形状の、本に似たもの。
「それは何?」
「これ? 【賢者の記録書】って言って、魔導士の杖みたいなものだよ」
人が魔法を使うには、基本的には『媒介』が必要となるのだ。
魔導士ならば、呪玉と呼ばれる魔導具。
武技に類するものは、本人の適性が高い属性ならば、使用する武器がその代わりになる。
ルアドの場合は、この記録書がそれだった。
「古代図書館の最奥に眠っていた『誰も読めない魔導書』でね。ボクは読めたからそれを伝えたら、何か色々あった後、貸与されたんだよね」
「へー。なんかよく分からないけど凄そう……」
開いてみせると、エンリィは興味津々で覗き込む。
「……何も書いてないけど?」
「何らかの方法で、この板そのものに記録が内蔵されてるのさ。書かれているのは、大昔に唐突に出現して〝龍魔大戦〟って呼ばれる大戦争を終わらせた賢者の叡智だね」
ザツヨー・カカリという名前らしいその人物は、魔法の扱いに優れていたようで、大変参考になった。
「見ててね」
ルアドが指先に魔力を集めると、ポウ、と青い光が宿り、それで魔導文字をまっさらな板の描くと、軌跡が残って魔法陣として浮かび上がる。
最後にそこに手のひらを添えて、ルアドは呟いた。
「〝犯されし者を、在りし日の姿に還さん〟」
それは少し形は変えているが、本来であれば解毒の魔法である。
文言については今の姿を『在るがまま』と捉えるルアドにとっては納得がいかないが、効果があるのなら何でも良い。
「わっ!」
突風とともに記録書に浮かんだ魔法陣が肥大化し、大きく広がると、エンリィが目をつぶって片手で顔を覆った。
モノクルに下がった短いチェーンがシャラシャラと音を立てるのを聞きながら、ルアドはジッと現象を観察する。
自然の法則を乱す現象は、あまり好まないが、どうせ使うなら機会は逃したくなかった。
『人体』を魔法陣の影響下にある存在として指定したため、苗床になった冒険者たちが青い輝きを纏い、体表に生えたマタンゴたちが震える。
そして深く張った根ごとドサドサとすり抜けて落ちると、胞子の煙を撒き散らしながら、風化するように風に溶けた。
「さ、終わったよ」
突風が治ったところでエンリィに声をかけると、彼女は目を丸くした。
「え、凄い!!」
「そう?」
苗床ではなくなった冒険者たちが、そこかしこに倒れている。
また寄生されないように、解毒に重ねて耐性の魔法を掛けておいたので、しばらくは大丈夫なはずだ。
「瓶はクーちゃんに収める前に洗わないといけないから、冒険者と一緒にボクが運ぼう。安全なところに出たら、とりあえず胞子を洗い流さないとねー」
言いながら、ルアドは続けて浮遊の魔法を使い、冒険者たちと瓶を浮かせて帰路に立つ。
するとその途中で、エンリィが不思議そうに訪ねてきた。
「ルアドって、その、学者なのよね?」
「そうだよ。それがどうしたの?」
「なのに、魔法が使えるのね」
「基本的には、何かの研究者であれば学者、魔法を使って生計を立てていれば魔導士と呼ばれるんだよ。それらの根元は同じで、真理の探究を目的としているからね」
なので、ルアドは最初、魔導士としての才能を見出されて、師父に弟子入りしたのだ。
その後に才覚を認められたことで国の魔導士育成組織に入り、独り立ちを認められた。
「そうなんだ……最初から魔物の研究者として、学者様になったんじゃなかったのね」
「ボクが魔物に興味を持ったのは、師父に『お前は魔物だ』って言われたからさ」
「え?」
目を丸くするエンリィに、ルアドはかつてのことを思い出す。
師父も、先ほど苗床となった冒険者たちを放置しようとした時のエンリィのように、瞳の奥に理解出来ない存在に対する怯えのような色を浮かべていた。
『お前は、私程度の者の下で……いや、他者の下で収まるような存在ではない。高い学びを得て、己の望むままに生きろ。それが、人のためになる』
そう告げられたのが、魔物に興味を持った始まりだった。
理解しがたいもの。
人よりも強大な力を持つもの。
「師父は決してボクを否定したのではなく、そうした意味で評したのだと、今なら思うけど」
だからルアドは、同じような評価を受ける魔物の研究者となったのだ。
そしてそれが、面白かった。
知らないことを知って、考えるのは面白いのだ。
争いごとや魔法の行使で摂理を歪めるのが好きではないのは、それが既知のことだからであり、同時に面白いことではないからである。
昔から、魔法や魔物の真理に迫る観点において、争えるような他者はほとんどいなかったから。
ルアドはそこで競うことに、面白みを見出せない。
「魔物の在りようを解明することは、確かに人の役に立つことだった。ボクの一番の目的はそうではないけれど、興味のあることに邁進しても文句を言われないのは良いことだ」
おかげで君の村も救えるしね、とルアドが片目を閉じてみせる。
「だからボクは、魔物の研究が好きだし、師父に感謝してる」
すると、ルアドが評された言葉を聞いて顔をこわばらせていたエンリィが、ホッと表情を緩めた。
「ルアドはよく分からない人だけど、人に感謝もするのね」
「ボクは別に、人の感情を持ってないわけじゃないよ? ただ、ズレてるってよく言われはするけどね」
あはは、と笑いあっている内に、川の近くに着いたので、冒険者たちと瓶を下ろし。
笑顔のまま、彼女に告げた。
「ーーーじゃ、服脱いで。下着まで、全部ね」