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馬鹿につける薬

 


 この薬は馬鹿につけるのです。用法容量を正しく守ってお使いください…




 先日取引先からの帰り道、私は何やら怪しげな老婆からこう言って薬壺を手渡された。あまりに唐突のことだったので思わず手渡されたその白磁を受け取ってしまった。一瞬呆けたのち、すでに老婆はおらず捨てるのも気味が悪いと思いカバンにねじ込んだ。


 家に帰り、その薬壺をカバンから取り出しベッドに寝転んだ。真白の白磁が怪しく光る。薬壺の口には何やら紙が結わえてあった。固く結ばれたその紙を破らないように気を付けながらほどいて広げると何やら注意書きのようなものが書いてあった。所々霞んで読めないところもあるが、要約するとどうもこういうことらしい。


 ・使用量は一回小指の爪ほど

 ・使用回数は一日3回まで

 ・馬鹿と思われる人に塗ると効果テキメン、賢くなる

 ・薬は必ず直接相手に塗りつけねばならない


 後には塗り方の注意などぐだぐだと書いてあるが、ここまで読んで思わず鼻で笑ってしまった。あまりにも怪しすぎるではないか。こんなにもベタで怪しいものがあるか?滑稽すぎて逆に私はこの薬を試してみたくなった。


 試すといってもどうだろう。私に塗ってみるわけにはいかない。何か思わぬ副作用があってもいけないし、何よりこれを塗ってしまっては自分を馬鹿だと認めるようなものだ。逡巡ののち私はある人物を思いついた。谷口だ。谷口は私の部署の新人で、直属の部下にあたる男だが、いかんせんこの男使えない。企画書が書けないどころか、電話の一本、コピーの一枚まともにできない。何度この男に頭を悩まされたことだろう。こいつで試そう。こいつならちょうどいい馬鹿だし、薬の効果がいかほどか見ることができる。


 翌日、私はやつに薬を塗りつける機会をうかがった。しかしこれがなかなか難しい。大の大人が公衆の面前で何かを塗りつけるなど、簡単にできることではないのだ。いくら馬鹿の谷口が相手とは言えこればかりはどうしようもない。悩んでいるうちに昼休みとなった。


 デスクで弁当を食べていると馬鹿で無能な谷口が話しかけてきた。

「先輩、俺最近指のあかぎれがひどくって。最近寒いでしょ?洗い物してたらね。独り身なもんですから。ほらこんなに切れて…」

 何となれなれしい口調だろう。普段なら怒鳴りつけてやるところだが今日は違う。ぐっと我慢して私はこう話した。

「それは気の毒に。ちょうどいい塗り薬があるから、ほらこれ」

 そう言って私は薬壺を見せた。白磁は怪しく笑っている。谷口を隣席に座らせるときっかり小指の爪分取って手に塗ってやった。

「ありがとうございます!なんだかもう痛みが引いてきました!」

 谷口は何も知らずに幸せそうに笑っている。

「そんな馬鹿なことないだろう」

 私は内心ほくそえみながら笑い返した。


 午後からの谷口はまるで別人だった。私が教えたことは完璧にこなし、それどころか自分から仕事を見つけてはこなしていったのだ。あまりの変わり様にみな驚いていたが誰よりも驚いたのは私だった。この薬、効くのか。




 谷口を観察して薬の効果はおよそ4時間ほどだということが分かった。薬を塗ってからの4時間は別人である。これを利用する手はないと思い、出勤してすぐ、昼食後、それから夕方も小休憩だと言って谷口を呼びつけあの薬を塗った。なに、一日3回までなら問題ないはずだ。


 谷口の覚醒により私の部署はみるみる成績を上げて行った。谷口は期待のホープとなりまんざらでもないようだった。まるで新入社員のころの私のように。そういえば私も入社したころかなりの期待の星だったな。そこから順調に信頼を得て行って現在の地位があるわけだが。


 ある日常務から直々にとある案件をいただいた。超有名広告代理店からの案件だ。人生の分水嶺となるプロジェクトがやってきた。これに成功すれば私はもう安泰だろう。部署の人員総出で取り組むことにした。


 残業しだすと谷口は途中でポンコツに戻ってしまう。禁を犯していると理解しながらも日に4回、5回と谷口に薬を塗った。




「課長、ここ間違ってます」

 谷口から書類を突き返される。

「お、おお。すまん」

「しっかりしてくださいよ。課長は俺らのリーダーなんだから」

 谷口は少し馬鹿にしたように私に話しかける。全く誰のおかげで仕事ができるようになったと思っているのか。それにしても最近ミスが多い。忙しいせいだからだろうか。

「もう課長じゃなくて谷口クンが回した方がいいんじゃないの?この案件…」

 周りからはそんなひそひそ声が聞こえてくる。くそっ。もうじき薬もなくなりそうだし、ほんとここの所上手くいかないことばかりだ。


 苛立ちながら家路についているといつぞやの老婆を見かけた。何たる偶然!私はあわてて老婆に駆け寄った。

「あの薬をもう一壺くれ!馬鹿につける薬!」

 私は老婆の両肩を握りしめ、必死になって訴えた。老婆は不気味な目つきで私を見つめながら口を開いた。

「おやおや。それではこれをお持ちなさい。くれぐれも用法容量を守って…」

 老婆はどこからか薬壺を取り出し話した。老婆が話し終わるのも待たず私は老婆からその白磁をひったくった。これでプロジェクトは成功できる。薬壺がニヤリと笑った気がした。





「もー本当しっかりしてくださいよ。僕がカバーしたからよかったものの…」

 谷口が完全になめ切った様子で私に言う。最終プレゼンで私は大変な失敗をしてしまった。せっかく作ったプレゼン資料が何一つ理解できなかったのだ。しどろもどろになる私を後目に谷口がそれはもう完璧なプレゼンをしてくれた。取引先は大満足の様子だったが常務は非常に厳しい目を私に向けていた。部署のみなも冷ややかな目で私を見ていた。その中心で谷口がニヤニヤと笑っていた。もはや私にこれまでの立場はなかった。



 どうしてこうなってしまったのだろう。最近どうも頭がはっきりとしない。いや、何もかもが頭に入らないといった感じだろうか。どうして。どうして。どうして…。疲れた体をベッドに横たえると胸ポケットから例の薬壺が笑いかけるように転げ落ちた。固く結ばれた紙を無造作に開くと注意書きが目に入った。



 この薬は馬鹿につける薬です。馬鹿につけることであなたの知性を一時的に馬鹿に移すことができます。乱用なされると移した知性が戻らなくなるため、くれぐれも用法容量を正しく守ってお使いください…


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