世界最強の荷物持ち
世界には多くの職業が存在する。
冒険者、騎士、鍛冶職人、錬金術師、農民、傭兵。
その中で最も不遇だとされるものの一つが荷物持ちである。
冒険者と呼ばれるダンジョン探索を目的とする者達に随行し、採取する魔物の素材や鉱石などを運ぶのである。
求められる才能はただひたすらに長く歩けることだけ。
誰にでもできる仕事故に報酬は安くその上に激務。
おまけに危険なダンジョン探索に同行する為、命を落とす確率も決して低くはなく、職業としての格が低いことから差別的な扱いも受けやすかった。
そんな荷物持ちには二種類存在する。
一つは冒険者への腰掛けとしてなる者。
もう一つは専門職としている者。
この物語はそんな荷物持ちで伝説と呼ばれている男の話である。
◆
迷宮都市エルハントの片隅。
俺はいつもそこで待つ。
ただ静かにじっと、いつも通りの場所で立って待つのだ。
人はこう言うだろう。仕事とは自分から得るものだと。
だが俺の場合近づいても、この仏頂面と、威圧感のある体格と、口数の少なさと、常にへりくだることのない態度のせいで断られてしまう。
だから俺は自ら動かずこうして常に待つことにしている。
ゴーンゴーン。
鐘の音が響き、次第に東の空に光が差し始めた。
ぞろぞろとリュックを背負った者達が集まる。彼らは俺と同じ荷物持ちだ。
単独の者や複数の者など、数ややり方に決まりはないのでスタイルは多種多様。
ここには連日多くの冒険者が訪れる。
最底辺のE級から最上級のS級まで幅広く、彼らは未だ誰も見たことのない最下層を目指して潜り続けている。
冒険者の資金源は迷宮で採取する素材だ。
深ければ深いほど手に入る素材は貴重となり高く買い取ってもらえる。そうなれば同行している荷物持ちも報酬は弾む。
金が欲しければ腕の良い冒険者と仕事をすること。それが荷物持ちの常識だ。
「よぉ、ラット。今日も変わらず仏頂面だな」
「ドルマンか。お前も変わらずだな」
酒瓶を片手に飄々とした態度の中年男性。
彼はエルハント専門荷物持ちの大ベテランだ。
ここで働くプロなら誰でも知っている有名人である。
「噂では最前線が六階層にまで到達したそうだぞ」
「ここ最近では最速じゃないのか」
「順調良く進めば歴代トップ十に入れそうだな」
迷宮はそれほど珍しいものではない。
自然にできた物や古代の建造物や魔物が形成したものなど種類はいくつかある。
だが、このエルハントの迷宮は特別だ。
かつて地上で暮らしていたとされる神話の神々は、戦いを続ける愚かな人間に失望し姿を隠したそうだ。
それでも神々は人間を完全には見放さなかった。
いつか人間が試練を乗り越えた時、神々は地上に舞い戻り、到達者に祝福を与えると約束したらしいのだ。
そして、出現したのが神々の試練――大迷宮だ。
現在確認されている神々の大迷宮は三つ。その内の一つがここエルハント大迷宮である。
未だに一つもクリアできていないことを考えると、この試練がいかに過酷なものなのかがよく分かる。
「神様もひでーよな。なにも一年ごとに構造を変えなくてもよかろうに」
「だからこそ長年の勘があるお前が求めらるんじゃないのか?」
「まぁな。おかげで今じゃあ『階段予知のドルマン』って呼ばれて食いっぱぐれることがねぇ。おっと、腰掛け共のお出ましだ」
遅れてぞろぞろと真新しい装備を身につけた荷物持ちがやってくる。
彼らは冒険者になることを前提とした、下積みを行う為にあえて荷物持ちをする者達だ。
実際、いきなり冒険者になった者達とは圧倒的に生還率が違う。
間近で本職の技術や知識や知恵を学べるのだからそうなるのも当然で、尚且つ報酬までもらえるというのだからならない手はない。
その反面、腰掛けにはある種の危険も付きまとう。
冒険者からの過剰な要求だ。
冒険者は優しい者ばかりではない。中には悪辣な者達も含まれ、腰掛けが冒険者に憧れていることをいいことに金銭や肉体を要求することがある。
専門のように横の繋がりや逃げる手段を持ち合わせていない彼らは、人の目のない迷宮でやりたい放題されてしまうのだ。幸か不幸かそれでも腰掛けが減らないのは、ひとえに冒険者という職業で大成功した者達がいるからだろう。
「そういや知ってか。また例の『荷物狩り』が出たってよ」
「今月で三十件目か。多いな」
「偶然通りかかった冒険者が死体を見つけたみたいなんだが、今までと同様に素材だけごっそり奪われてたとか」
「ふむ……」
荷物狩りとは、ここ最近出没している荷物持ちだけを標的にした殺人鬼だ。
殺して素材や金品を奪っていくことから、荷物持ちの間では広く噂になっていた。
「おめぇさんも気をつけろよ」
「ああ」
不意に荷物持ち達の声が聞こえた。
どうやら冒険者達が迷宮に挑みに来たようだ。
誰もが良い仕事にありつこうとアピールを繰り返している。
だが、俺はいつも通り黙って待ち続ける。
颯爽と先頭を歩く五人の男女。
彼らはS級冒険者だ。
腰掛けやその他の専門などには目もくれずまっすぐこちらへとやってくる。
「ドルマン。今回も頼みたい」
「あいよ。んじゃな」
S級と一緒に迷宮に下りて行く友人の姿を見送った。
三時間が経過した。
あれほどいた荷物持ちはすっかりいなくなっている。
ここまではいつも通りだ。
むしろ俺の仕事はこれからである。
ふらりと今頃やってきた冒険者達がめぼしい荷物持ちを探す。
この時間になると残った荷物持ちは色々と難のある者達ばかりとなる。
盗み癖のある奴、逃げ癖のある奴、性格がひねくれている奴、見た目から敬遠されてる奴。一癖も二癖もある奴らばかりが残るわけだ。
「ボク~、アタシなんかどう~?」
「悪いけどそういうのはいらないんだ」
身体を売りにしている専門のカレンが四人の冒険者にフラれる。
彼らはこちらにやってくると俺をじろじろと観察する。
俺も彼らを観察する。
剣士だろう金短髪の青年。魔道士らしき赤毛の女性。格闘家らしき青短髪の女性。
そして、最後に黒髪の首輪をはめた少女だ。
「おじさん専門だよね? 売りみたいなのはあるの?」
「……パーティー帰還率百%」
「ぶふっ、それほんとに言ってんの? でも気に入ったよ」
おじさんか……二十代前半らしき彼らからすれば、三十代の俺はそう見えるんだろうな。
今さらショックを受けるようなことでもないし、特に何かを思うこともない。
「おじさんの名前は?」
「ラット」
「そんなに大きな身体でねずみなんだ。ウケる」
「よくそう言われる」
青年率いるパーティーは俺を連れて迷宮へと下りた。
◇
専門の荷物持ちとなれば、ただ素材を運ぶだけが仕事ではない。
ちょっとした道案内や魔物の出没ポイントへの案内。
そのほかにも食事の準備に休息中の見張り、さらにはマッサージなども行ったりする。
ここにプラスアルファ、その専門荷物運びによる独自サービスが加わるのだ。
「一応自己紹介をしておくよ。僕はこのパーティーのリーダーであるヘイツ」
「私は魔道士のエマ」
「アタイは格闘家のヒューネ」
「……ミニィです」
ずんずん先を進むヘイツにエマとヒューネは付いて行く。
足の遅いミニィは時々走りながら俺の後方から追いかけていた。
「……ミニィが遅れている」
「あ、気にしないで。あの子は僕の奴隷だから」
「そうか」
奴隷だから。その台詞の意味はいつでも死んでもいいということだ。
ミニィの身体は痩せ細っており、その背中にはリュックが背負われている。
つまりこのパーティーの荷物持ちは本来彼女なのだ。
だが役に立たないので仕方なく俺を雇ったというところか。
石造りの薄暗い回廊をランプの明かりが照らす。
試練の迷宮は階層ごとに環境が変わり、一年ごとに起きる大変化によってその順番もまた変化する。
灼熱のフロアが一階層にやってきた時は、多くの冒険者がその年の冒険を諦めた。
迷宮を深く潜るには運とタイミングが肝心なのだ。
その点、今年はかなり良い順番だ。
もしかすると今年こそ踏破されるかもしれない。
「ふっ!」
ヘイツの剣の技量はなかなだ。
エマの魔法も幅が広く、ヒューネもタンク役としてよく働いている。
ミニィはと言うと邪魔にならないように隠れているばかりだ。
「ここら辺で一度休息をとろうか」
「ではこの先にある休息所まで案内する」
「へぇ、思ったよりも優秀なのかな?」
回廊をしばらく進むと、青い透明な光がカーテンのように覆っている入り口を見つける。
扉などはなく、光をすり抜ければその先に、幌馬車が二台ほど収まるようなほどほどの大きさの部屋が現れる。
ここは休息所と呼ばれている、魔物が入って来れない場所だ。
俺はリュックから取り出した炭に魔法で火を付ける。
ヤカンに水を入れ湯を沸かすと、手早くお茶を淹れて四人に渡した。
「さすが専門だね。サービスがいい」
「意外に良い茶葉を使ってますね。リラックスできる香りです」
「アタイには茶の味とかわかんねぇな。飲めりゃあ全部一緒だろ」
「…………美味しい」
迷宮探索は精神をいかに平静に保つかがきもだ。
その土台とも言っていいのが、最初の休息で得られるリラックスの度合いである。
最初でこけてしまうと後々の探索に響いてくるからだ。
加えて荷物持ちと冒険者の関係性も大きく影響を及ぼす。
「希望があるならマッサージも行う」
「それはまだいいかな。それよりも時間の管理はちゃんとできてるかい?」
「問題ない。現在は午前八時十二分だ」
「そ、ありがと」
迷宮では時間を知る方法は時計しかない。
よって多くの荷物持ちは懐中時計を常に持ち歩いている。
これにより冒険者達の生活リズムを一定に保つのである。
ミニィが俺の時計をじっと見ていた。
だが、俺に見られていると気が付くと、慌てて顔を伏せてしまう。
歳は十四、十五ほどだろうか。まだ幼いのに奴隷とは……不憫である。
「ごちそうさま。ところで君の腰に付けているナイフ、ずいぶんと装飾が施されてるね。もしかして業物かな」
「これか。そんな大層なものではない」
「見せてくれる?」
「……やめておいた方がいい」
俺の返事にヘイツは目を細めた。
ふむ、もしや変に疑われてしまったか。
ナイフを抜くと柄の方を彼に向ける。
「これは呪われたナイフだ。敵だけでなく持つ者も痺れさせる効果がある」
「呪われてる? そんな物を持って君は平気なの?」
俺は「慣れてる」とだけ返事をする。
ヘイツは少し迷ってからナイフの柄を掴む。
直後に彼はナイフを落とした。
「ビリビリする!?」
「だから言っただろ。心配するな、その程度の麻痺なら数秒でとれる」
このナイフは持ち手より刃の方が麻痺効果が強い。
まぁ、そうでなくては俺も所持しようとは思わないだろうな。
ナイフを鞘に収めると、リュックから麻痺消しの丸薬を取り出す。
「念の為だ、これを飲んでおけ」
「ありがと。君はなかなか面白いね」
面白い? この俺が?
このヘイツというのは、なかなか変わった青年だ。
「さ、休息をしっかりとれたしそろそろ行こうか」
リーダーの命令に従い、俺達も立ち上がる。
こうして俺達は何事もなく一階層を抜け、二階層へと至った。
◇
このエルハント大迷宮では十フロアで一つの階層と数えている。
たとえば十一フロア目は二階層第一フロアなどと呼ぶのだ。
「ははっ! もっとおいでよ!」
ヘイツは横に薙いでスケルトン共を両断する。
やはり彼の実力はかなりのものだ。
C級……いや、B級冒険者だろうか。
スケルトンの頭蓋骨を踏み潰して彼は息を荒くする。
「こんなんじゃ満足できないよ」
「お、落ち着いてヘイツ! ほらまだ目的地じゃないし!」
「そうだよ! こんな場所じゃ色々都合が悪いだろ!」
二階層第三フロアに到達した頃にヘイツの様子に変化があった。
仲間である二人は焦り始め、必至で彼をなだめていた。
ミニィは震えながら俺の後ろに隠れる。
「じゃあどちらかが僕の熱を冷ましてくれるかい」
「私に任せて! それじゃあヒューネは見張ってて!」
「あいよ」
ヘイツとエマはこそこそと岩陰に隠れる。
二階層は一階層とは打って変わり、洞窟のようなエリアが続く場所だ。
ジメジメしていてランプがないとよく見えないくらい薄暗いのが特徴である。
その代わり人に見られたくないことをするには絶好の階層とも言える。
見張りはヒューネがしているので、俺はミニィと一緒に鉱石を探す。
携帯用のツルハシで壁を崩せばいくつもの鉱石が転がり出た。
神が創りし大迷宮はまさに宝庫だ。
どういう原理かは知らないが、資源がいくらでもでてくるのである。
しばらくすると奥からエマの荒い息づかいが聞こえる。
ミニィは両手で耳を塞ぎ俺の方に身を寄せた。
俺は慣れているのであれだが、彼女にはこの時間は苦痛なのだろう。
冒険者パーティーというのは表から見るよりも何倍も関係が複雑だ。
基本的に求められるのは高い実力。
しかし、実際に迷宮に潜るとそれだけでまとまることは難しい。
精神力、適応力、対応力に加え、長い迷宮生活を支えるだけのストレスのはけ口が必要となるのだ。
これを怠ると精神が壊れる可能性が高くなる。
なのでパーティーには必ずそうなる人間が同行する。
生々しい話だが、これが冒険者の真実だ。
ただ例外もある。それを得意としている専門の荷物持ちを雇うのである。
下手な素人よりも腕がいいので、気が付けば目的がすり替わっていたというのもそんなに珍しい話ではない。
「……ラットさん、今のうちに逃げてください」
「逃げる?」
ミニィが小声で伝える。
俺は理由を聞こうとしたが、ヒューネに邪魔をされた。
「余計なことを言うんじゃないよっ!」
「ごめんなさいごめんなさい! もうしませんからぶたないで!」
襟首を掴まれたミニィは必死で謝り続ける。
拳を振り上げるヒューネを俺は止めようとした。
「止めなよ。ミニィはちょっと魔が差しただけなんだ」
「……ならいいよ」
ぽいっとゴミを捨てるようにミニィを投げ捨てた。
奴隷が雑に扱われる光景は何度も見てきたが、やはり俺には理解のできない行いだ。
人を人とも思わないその精神に悲しみを抱く。
ヘイツはズボンのベルトを締めながら落ち着いた様子だ。
あとから戻ってきたエマは服の襟を直しつつ頬が僅かにピンクに染まっていた。
「軽蔑したかな?」
「いや、よくあることだ」
「へ~、さすがは専門だね」
彼は目を細めて俺を観察していた。
あの目を俺は幾度も見たことがある。
獲物を捉える獣の目だ。
◇
二階層第五フロアに到達。
ここで俺達は二度目の休息をとる。
「ちょっと駆け足気味だったかな。疲れたよ」
「確かにペースが速過ぎる。通常一階層を抜けるには一日から二日を要する。いくら実力があるからと言って半日でここまで来るのは推奨しない」
俺はヘイツの背中に特性のオイルで塗って揉みほぐす。
ミニィも見よう見まねでエマの背中を揉んでいた。
「そう言えば君は『魔装騎士団』って知ってるかな?」
「知らないな」
「十年前に滅んだ大国メルグランには、誰も知らない秘密の騎士団があったんだ。そこに所属する者達は全員が呪われた武具を装備していてさ、あまりの強さに国王ですらも恐れおののいたらしい」
メルグラン王国。それは十年前に突如として滅亡した国の名だ。
かつてその国は魔族と呼ばれる人外と、永きに渡る戦争を繰り広げていた。
そして、百年の歳月を経てようやく勝利を収めた。
だが喜びもつかの間、王国は勝利の数ヶ月後にあっさりと滅んでしまったのだ。
理由は今でもはっきりとしないが、噂では魔族の残党が王都に奇襲を仕掛けたのだとか。
勝利に浮かれていた王都はあっさりと陥落し、火の海になってしまったのではないかと囁かれているのだ。
「実はさ、僕の兄がその騎士団の一員だったんだ」
「……では実在すると?」
「当然さ。明るみには出てないけど、魔族との戦争だって魔装騎士団があったからこそ終戦となったんだ」
「兄の名を教えてもらってもいいか」
「ケインだ。残念ながら戦争で死んでしまったけどね」
俺はヘイツの剣をチラリと見てから「自慢のお兄さんだったのだろうな」と返事をする。
彼はただ喋りたいだけなのか話を続けた。
「でもさ、そんな兄さんでも敵わない相手がいたんだ」
「ほぅ、それはどのような相手で?」
「騎士団長だよ」
「なるほど。最強の組織のトップならさぞ強いだろうな」
「そうなんだよ!」
話がヒートアップする。
ヘイツはどうも魔装騎士団の話題がかなり好きらしい。
俺はマッサージを続けつつも機嫌を損ねないように丁寧に相づちをうった。
「騎士団長はありとあらゆる呪われた武具を使いこなしたそうなんだ。それどころか悪魔が造ったと言われている、触れるだけで死ぬような恐ろしい武具も使っていたらしい」
「さすがに話に尾ひれが付いたのでは?」
「僕もそう思ったけど、直接目にした兄が言ったんだから多分本当なんだよ」
悪魔の造りし武具……およそ人には扱えない禁忌の武具だったか。
子供が心をときめかせるにはあまりにも醜悪な対象だ。
呪われた武具とは必ず代償を求める。たとえば俺の使うナイフみたいに持ち主を麻痺させたりするのだ。その代わりナイフで切った相手は、耐性を持っていようがお構いなく麻痺させる。
しかもこんなのは呪いの武具ではかなり優しい代償だ。
中には使うだけで命を削るものだって存在する。
「ちょっと、痛いじゃない! だからあんたは使えないのよ!」
「ごめんなさいごめんなさい!」
エマがミニィを蹴り飛ばした。
俺はヘイツに声をかける。
「もういいか?」
「うん。満足したよ」
俺は杖を振り上げようとするエマの腕を掴んで止める。
「今度は俺がやる」
「あらそう? じゃあお願いするわ」
なるほど、エマは肩周り以外はそこまでこっていないようだ。
ミニィは別の場所に力を入れすぎたみたいだな。
振り返って微笑むと、涙目のミニィが俺にぺこりと頭を下げた。
◇
二階層第八フロアへと到達。
この辺りまでくると出てくる魔物もがらりと変る。
猛毒を含むポイズンスライムや麻痺性の胞子を飛ばすグリーンマタンゴなど。
他にもグレーキャットなどの大型肉食獣がうろついている。
「この辺りでいいね」
そう言ってヘイツは振り返る。
俺の持つランプに照らされる彼の顔は邪悪に歪んでいた。
振り返ると退路を塞ぐようにしてエマとヒューネが立っている。
俺の身体にしがみつくミニィは震えていた。
「素材をずいぶんと集めてくれたね。ご苦労様」
「……大した額にはならないぞ?」
「別にいいんだよ。僕は人を殺したいだけだからさ」
「そうか」
やはりコイツが『荷物狩り』か。薄々そんな気はしていたんだ。
そもそも荷物持ちを二人も連れて歩く必要性がない。
「なぜこのようなことを続ける」
「簡単さ。僕の剣が血を欲しがってる」
彼はすらりと剣を抜く。
それはランプに照らされ妖しく輝いていた。
恐らく呪いの剣だ。
所有したものを虜にし、血を啜ることでさらに強化する妖剣。
しかもそれには微かに見覚えがあった。
確か名は『血呪剣ゲオード』だったか。
「それを持ち続ければ最後には廃人となるぞ」
「ははっ、呪いの武器を持っているだけあって、これのことを知っていたみたいだね。そうさ、これは持ち主をいずれ廃人にする危険な武器だ」
「だったら……」
「でも止められないんだよ。これで人を斬るとすっごく気持ちいいんだ。それこそSEXなんかよりも快感を得られる。最高なんだよ」
じりじりとヘイツは近づく。
しかし後方ではエマとヒューネがいる。
逃げ場はどこにもない。
「一つ聞いていいか?」
「いいよ、君は割と気に入ってるからいくらでも答えてあげる」
「じゃあ聞くが、なぜ荷物持ちを狙う」
俺はそこが気になっていた。
ヘイツはB級クラスの実力者だ。下手な冒険者では相手にならないだろう。
なのに荷物持ちだけ狙う理由が分からなかったのだ。
「三つ理由がある。一つ目は最底辺の荷物持ちなんていくら死のうが誰も気にしないという点。二つ目は仲間がいないから必ず殺せる点。三つ目は荷物狩りは荷物持ちしか殺さないという先入観から、冒険者達が油断してくれる点だ」
「つまりお前は冒険者も殺しているのか」
「当たり前だろ。足が付かなければ誰でもいいんだよ」
もう一歩ヘイツが近づく。
「どうして俺を選んだ?」
「たまたまだよ。でもここのところガキばかり殺してて飽きてたんだ。そろそろ君みたいながっちりした体格の大人の肉を引き裂きたいなって思っててさぁ」
青年の目が僅かに揺れている。これは正気を失いかけている証拠だ。
かなりの時間呪いの剣と一緒にいたのだろう。
所有者になったのは一年や二年そこらではない。
「どれくらいそれを持っている」
「さぁ? 兄さんが持って帰ってきた時からずっとだからよく覚えてないなぁ」
「十年以上か……」
「そのくらいになるのかなぁ? きひっ」
俺は振り返ってエマとヒューネに語りかける。
「お前達は彼をこのままにしていいのか?」
「そ、それは……でも……」
「しょうがねぇだろ! 裏切ったら殺されるんだよ!」
恐怖で縛られているのか。
マインドコントロールの方法をよく知っているようだな。
さすがはケインの弟と言うべきか。
「逃げて……ああなったヘイツ様はもう止まらない……」
俺にしがみつくミニィは恐怖に染まりながらも俺の身を案じていた。
この子は強い。奴隷になりながらも心だけは気高さを保っている。
「心配するな。俺は死にはしない」
リュックを放り出しランプをミニィに手渡す。
そこから腰のナイフを抜いて構えた。
反抗の意思を示したことでヘイツは口角を鋭く上げる。
「そう、それだよ! そのナイフを見た時、君はちゃんと反抗してくれるって思ったんだ! だって身を捧げた獲物を殺す時ほどつまらないものはないだろ!?」
「獲物と狩人が逆かもしれないぞ?」
「それならなおさらに燃えるね! 僕は手応えを望んでいるんだ!」
「呪いに染まりすぎたか……」
彼はすでに引き返せないラインを超えている。
すでに脳の大部分をあの剣に侵食されてしまったようだ。
カキッン。
前触れもなく戦いは始まる。
奴の剣をナイフではじき返し、素早く地面に飛び込むようにして転がり反対側に移動する。間髪入れず切り込んできた剣を再びはじき返し、後方へと下がる。
「荷物持ちとは思えないほど戦い慣れしてるね。やっぱり僕の予想したとおり、君は魔装騎士団の一人だろ」
「なぜそう思う?」
「話をした時、君の表情に僅かな変化があった。それに呪われた武器を所有している荷物持ちなんて不自然だよね」
剣撃を弾きながらタイミングを見計らう。
血呪剣ゲオードは血を得るほどに持ち主の力を増大させる武器だ。
しかも剣が血を欲している状態の時はさらに強化される。
徐々にだがヘイツの剣圧が増してきていた。
下手をすればA級やS級冒険者を相手に戦うような状況になってしまう。
「あの国が滅んで生き残った騎士達は世界中に散らばったそうじゃないか。君のその一人なんだろ。もしそうなら聞かせてくれないか、どうして僕の兄さんが死んでしまったのか」
下がりつつ剣をはじき返す。
その度に闇の中で火花が散り甲高い音が反響する。
「……ケインは良き戦士だった。隊をまとめるリーダーとしても優れていて、誰もが彼を仲間として友として大切に想っていた」
「そういうのはいいんだ。死因を聞きたい」
俺は通路の一部が崩れるのを目の端で捉えた。
この辺りと踏んでいたが正解だったみたいだな。
ボゴッ。
壁の一部が崩れ一メートルほどの朱い生き物が姿を現わす。
それらは穴から無数に出てきてヘイツの背後から忍び寄っていた。
「キシャァァ!」
「なんだっ!?」
奴の背後へ朱い生き物たちが群がる。
だが、ヘイツは背中に張り付いた個体を引き剥がすと、寄せ付けまいと剣をがむしゃらに振り回した。
「そいつらはレッドアント。この辺りではよく出てくる魔物だ」
「なんで僕にばかり寄ってくるんだ!」
「簡単だ。そいつらはお前の匂いに引き寄せられているからだ」
「匂い!? まさかあのオイル!?」
そう、実はあれはレッドアントが大好きな植物の油を抽出して作られたものだ。
俺は端からヘイツを荷物狩りだと予想していた。
「くそっ! 近づくな!」
わらわらと集まるアント達に奴は翻弄されている。
ちなみにエマ達にはオイルは塗っていないので、アントがむこうに向かっていくことはひとまずない。
「ケインの死因についてだが、あいつはお前と同じように呪いの武器に負けて味方を攻撃した。だから俺が殺した」
「お前が兄を!?」
ヘイツは動揺したのか攻撃がにぶる。
「仕方がなかったというべきか。俺達魔装騎士団はそういう危険性をはらんだ存在だからな。呪いに負けた団員は必ず団員によって処分される運命だった」
「ふざけるな! 兄を失った僕や両親がどれほど悲しんだかお前に分かるか!?」
「すまない」
「謝るな! 僕は、僕は兄を!」
その時、エマ達の方から悲鳴が聞こえた。
俺はアントとヘイツを飛び越え三人の元へと急いだ。
「ぐるるるっ」
地面に座りこんだエマとミニィ。
ヒューネは大きな手に頭部を掴まれ、だらりと力なくぶら下がっている。
三メートル近い巨体に太い血管の浮き上がった太い腕と脚。
虎柄の体毛に覆われ、頭部は虎でありながら牛のような角を有している。
虎頭人身の怪物トラグノフだ。
俺はなぜ奴がこんなところにいるのだと冷や汗を流す。
トラグノフは通常五階層から出現すると言われ、S級冒険者にしか相手できない凶暴な魔物だ。
ただ、同時に腑に落ちる点もあった。
トラグノフは殺した獲物の所有物を集める習性があるのだ。つまり荷物狩りはヘイツだけでなく、コイツの仕業も含まれていたというわけだ。実際、ここ数ヶ月で殺された荷物持ちと冒険者の数はずいぶんと多い。ヘイツだけでやるにはかなり無理があった。
「ヒューネ! ヒューネ!」
「もう死んでる! 今は逃げないと!」
泣きじゃくるエマに対し、ミニィは立ち上がってエマを助けようと引っ張っていた。
やはり意思の強い子だ。奴隷にしておくには惜しいほどに。
「下がれ。俺が相手する」
「でもラットさんは荷物持ちだから……!」
「心配するな」
俺は右手の袖をまくり上げ、左手の親指の表面をかみ切る。
右腕に刻まれた紋様の上に血のラインを引くと、ぺたりと右手を地面に当てた。
「召喚、禁鎖黒魔鎧」
地面に紅い魔法陣が出現、その中央から漆黒の鎧が姿を現わす。
それは四本の深紅の鎖に縛り付けられ、鎖のもう一方の先は魔法陣に固定されている。
禍々しい威圧感にエマもミニィもトラグノフすら動くこともできず見入っていた。
鎖はひとりでに断ち切れ、鎧が俺の身体に装着される。
漆黒の剣と大盾を握ると、俺は身を焼くような呪いに歯を食いしばった。
これこそ悪魔の造りし呪われた武具。適正のない者は触れるだけで死が与えられ、適性がある者でも命を削られる。
悪魔の顔を模した兜は俺の顔を完全に隠し、マスクの部分にある排気口からしゅぅうと百度近い熱が放出される。
「ぐるぁぁあああああっ!」
トラグノフは鋭い爪を俺に振るう。
――が、刹那に奴の攻撃の内側へ踏み込み腕を一閃。
宙に魔物の太い右腕が血しぶきと共に舞った。
「ぎゃぁおおおおおおっ!?」
「やはり獣か。戦いで隙を見せるとは」
俺はミニィの前で、剣に付いた獣の血を振り払う。
振り返ればそこには頭から股まで真っ二つになったトラグノフがあった。
ドスン。獣は地面に倒れた。
「な、なんで……荷物持ちの実力じゃない……」
「…………」
座り込むエマが怯えた表情で俺を見上げていた。
だろうな。それを承知で俺は荷物持ちをしているのだ。
「ラットオオオオオオ!!」
アントを殺し尽くしたヘイツが狂気を帯びた顔でそこにいた。
身体はアントの血液にまみれひどい有様だ。
「自首するなら殺しはしない」
「冗談じゃない! 僕はいままでもこれからもこの剣で殺しまくるんだ! この兄さんの残した形見の剣で!!」
「……そうか」
俺はすれ違い様にヘイツの首を切り落とした。
ぼとんっ、ヘイツは地面をバウンドしながら、何が起きたのか分からなかったことだろう。所詮は冒険者。自己流で鍛えただけの相手にこの俺が負けるはずがない。
なにせこの俺は……メルグラン王国を一夜にして滅ぼした人間だからな。
武装を解除すると、俺はかつての仲間であるケインの顔を思い出す。
心の中で弟にまで手にかけたことを謝罪した。
◇
エマとミニィを連れて地上に戻った俺は、ギルドで素材を換金して報酬を分け与える。
金を受け取ったエマはどこか憑き物が落ちたような表情をしていた。
「トラグノフの素材があったおかげで大金ね」
「そうだな」
「言っていた通りパーティー帰還率百%だったわ」
「そうだな」
「ねぇ、貴方どうして荷物持ちなんてしてるの?」
「…………」
ギルドをでたところでそのような質問をされる。
俺はしばし考え、返答をした。
「俺は昔、冒険者に世話になった。だから今はその手助けをしたいと思っている」
「本当にそれだけ?」
「そうだな……目立ちたくないからかもしれない。俺はとある事情で追われている身なんだ。素性はどこにもバラしたくない」
エマは「そっか、じゃあ秘密にしておくわ」と微笑む。
「ところでこれはどうしたらいい?」
「さぁ? 私はいらないから好きにすれば?」
俺はズボンを掴んでいるミニィにため息を吐いた。
確か奴隷の所有者が死んだ場合、その奴隷は解放されるとどこかで見た気がするな。
だとすれば彼女はもう自由の身だ。
しゃがんで目線を合わしてやると、俺は彼女の手に取り分を渡してやる。
「お前の報酬だ」
「いらない」
ふるふると首を横に振って拒否する。
だったらどうすればいいというのだ。
「私を貴方の荷物持ちにして欲しい」
「荷物持ち? 本気で言っているのか?」
こくりとミニィは頷く。
荷物持ちの荷物持ちなど聞いたことがない。
しかしこのまま無下に放り出すのも気が引ける。
仕方がない。一度家で預かるか。
「来い」
「うん」
俺はエマと別れ自宅へと帰る。
「お帰りなさい、貴方」
「ただいま」
扉を開けて出迎えてくれるのは妻のアイナだ。
彼女はいつ見ても美しく、何度でも惚れてしまう。
キスを交わすと、彼女は俺の足下に目を向けた。
「可愛いお客さんね」
「ミ、ミニィといいます……」
「ようこそ。ミニィちゃん」
アイナが台所へと去って行くと、ズボンを引っ張るミニィが何かを言いたそうだった。
「なんだ?」
「奥さんすごく綺麗」
その言葉に顔をほころばせる。
「当然だ。世界一美しい姫を連れ去る為に祖国を滅ぼしたのだからな」
呪いとは必ず代償が伴う。
祖国は俺という呪われた存在を使うことで華々しい勝利を得た。
だが、彼らは相応の代償も支払わなければならなかった。
滅亡はそれを拒んだ結果なのである。
身に余るほどの多くを望むことなかれ。
荷物とは背負えるだけしか背負えないのだから。
【完】