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ひねくれ者  作者: 榊行正
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考えることとは

 人生はやり直せないモノだとよく聞く。一度犯した過ちは二度と消滅しないとよく家や学校で教わる。自由帳のくだらない落書きは消しゴムを使って消せるし、有名タレントの不祥事でさえ事務所の力で揉み消せるというのに、過去に経験した事象を消せる道具は存在しない。周囲に目を向ければ消せる物事が溢れんばかりに存在するというのに、時間の流れに身を任せた出来事に限っては、歴史という自由帳に例外なく書き込まれて消えることはない。


 考えればとても不思議なことだ。なぜ数々の事象の中で、時間の関数たる事象のみが非可逆的なのか。幼い頃のアルバムが、成人しても、還暦を迎えても、ずっと変わらないのはなぜなのか。だが、この「不思議」を日頃から「不思議」と考えて生きている人はいないに等しい。一足す一が二になるのと同じくらい当たり前に捉えられている。足し算という演算から二という結果が得られることに対し、ほとんどの人間が厳密な証明を与えることなくごく当たり前の事実として受け入れているのである。


 なぜ、時間と、そして時間に依存して変化していく事象が巻き戻せないのだろうか?最先端の物理学を駆使して宇宙の始まりを研究する者もいる。アインシュタインが相対性理論の中で時間が相対的な存在であるとか、ホーキングが時間がかつて虚数だったとか、色々な物理学者がキテレツな理論を提唱したり実験したりしている。あるいは教団を立ち上げて独自の理論を展開する者もいる。ただ彼らが知ろうとしているのは時間の「始まり」である。始まりを知ったところで、時間が巻き戻せない理由はわからない。そしてその理由を知らずして、人々は当たり前に生きている。


 こんなくだらない、考えたところで何も変わらないことがいちいち気になるようになったのは、いつからだろう?「当たり前」を受け入れられずいちいち立ち止まってしまうのはなぜだろう?確かに考えていて楽しいときもある。周りが見過ごしていること、受け流していることに徹底的にコミットすることが快感だったのかも知れない。急行に乗らずにあえて各駅停車に乗って、俺は生き急いでいないと暗に主張しているかのように。


 だが「周りが見過ごしている」だけあって、暗に主張したところでそれは本当の意味で「暗」である。誰もその「暗」を照らすことはないし、勝手にランタンを掲げて自分で照らすことは尚更ない。


 要するに、ひねくれているのである。


 要するに、暗い場所に勝手に飛び込んで出てくるつもりがないのである。


 要するに、生きづらい。

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