62.ゆかりなさんとシュークリーム
ゆかりなさんは誰がどう見ても、ちっさい。もちろん本人も自覚しているようだが、その姿に全俺がメロメロなのも事実だ。そんな健気な姿を見せられたら、もうどこかに連れて行くしかないでしょう! でもそれは叶わなくなった。イベントの時に神隠しなることをしでかして怒られたからである。
「くっ……な、何でこんな高い位置にあるの? 踏み台とか意味なくない? もっと高い台は無いの~?」
「それだけ置き場が無いってことだと思うよ。図書係の女子も高い台は希望してるっぽいけど、それはそれで危ないから却下されたらしいね」
「は? 何で高久くんが知ってる訳? 図書係の女子とも話すの……?」
「そりゃあ話すだろ。ゆかりな、そう言うこというのやめろよな?」
「ごめん……」
学校の中。それも静かな図書室で珍しく……いや、本来の俺は真面目くんなので図書室で勉強をしに来たはずだった。当然のごとく彼女も一緒に来た。はいいけど、勉強する俺に対しゆかりなさんは退屈すぎて何かの本を見たいと言い出した。
想定済みだったが、どうして一番高い棚の本を読みたいの?
「マンガ本が一番上に追いやられてるっておかしくない?」
「上に置くってことは誰かが見てるかもな。そんな時もあるよ。漫喫じゃないし、そんなもんだよ」
「むーーー!」
「それと静かにな」
「……はぁい」
どうしても一番上の本が読みたいらしく、彼女は高い台に何度も上って手を伸ばしている。しかし世の中甘くない。特にゆかりなさんにはちっとも甘くなかった。
「うーうー! ムカつくっ!」
勉強に集中しかけた俺なのに、図書室で彼女の声が何気に聞こえて来る現状は非常によろしくない。そんなわけで背伸びする彼女のわきの下に手を差しこんで、抱っこを実行した。
「ひゃっ!?」
「し、しーしー……!」
「あ、ありがと」
「あぁ。後は静かにな」
「うん、ごめんなさい」
やはりというか、抱きかかえた俺はそういう声を出させただけでなく、図書室内の空気を変えてしまった。なぜこうなった。べ、別に図書室でいちゃつくつもりじゃなかったんですよ? 勘違いしないでよね。
一生懸命に背伸びをする彼女の後ろ姿に、密かに萌えまくり……うずうずしていた何かがあったのは認めよう。何よりも、目立っていたというのが一番の問題だったわけで。
結果、俺は図書室から出なくてはいけないほどの無言な殺気を感じ、ゆかりなさんだけは満足げに漫画本を読んでいた。ゆかりなさんの身体に触れた俺は抱っこに萌えまくり、ますます彼女に触れたいと思ってしまうようになった。
「よ、よろしくお願いします」
「おう! って、キミか。今さら挨拶はいらないだろ。前も来てたし。でも今日からは、本当に弟子入りってわけか。頑張れよ」
すでに顔見知りの料理人たちに挨拶を済ませ、俺はゆかりなさんのパパさんのお店でバイトを開始した。当然のごとく、パパさんと呼べず師匠? と呼ぶことになった。
「そう緊張しなくていい。キミの腕は悪くないんだ。コツさえつかめれば、すぐに任せられるようになるだろう。ゆかちゃんも上達は良かったが、キミは素質がある。そういう意味じゃ、将来の嫁さんは幸せもんだな」
「は、はぁ……」
ゆかりなさんとの将来については、パパさんだけは認めていてしかも、それを見越して弟子入りさせているという黒い何かの謀略が……なんて思ってはいけない。そして当然だけど、ゆかりなさんは満面の笑顔でカウンター付近に姿を見せていた。お客さんがいるのでその手伝いもしているらしい。
パパさんは娘の不機嫌さを察知する能力が格段に強いらしく、気付くとすぐに何かを作り始めていた。新作メニューの試食も兼ねて、ゆかりなさんと俺に食べてもらおうと言ってくれた。
「じー……」
「な、何かな? ゆかりん」
「食べさせて?」
「こ、ここで、で、ございますか?」
「そうだけど? 何か問題が?」
ここはパパさんの本拠地であり、俺のバイト先でもある。つまり、必ず視線が来る場所だ。それなのに、どうして俺に無理難題をふっかけてきやがりますか? 学校や外とは逆で、ここでは俺が食べさせ役なのか!? 恐れ多すぎるし、パパさんの笑顔が怖い。
「気にすんな、高久君。それくらいはしていいぞ。彼氏だろ?」
「で、ですよねーはは……(なら、その引きつった笑顔をやめてください)」
「はーやーくー! わたし、口開けて待ってるのに!」
くそう……逆らえんし、視線がやばいし……俺の味方は誰もいない。本来なら彼女に食べさせる行為自体は、まさに俺得なのに。何故にパパさんやら厨房の連中にまで注目を浴びながらやらねばならんのか。
「んー……! んーんー! はーやくぅ」
「食らえ! (なんてしませんよ? だって怖いモン)」
「んっ、美味しい!」
「そりゃあ、師匠の料理だし」
「違うし。たかくんから食べさせてもらってるからだよ。だから、ここで食べる時はよろしくね?」
「ハイ(何が?)」
「うふふっ、一緒に住むようになったらすごい楽しみ!」
彼女の中ではすでに新婚時代を想像しているらしい。それはともかく、俺だけはそこに行くまでの問題を片付けないと新婚以前の問題がありすぎる。今のままじゃ間違いなく、新婚ごっこする兄妹だ。
数日が経ち、初めてバイトの休みをもらった……というより、娘からのお願いによりパパ陥落の瞬間である。
「そんなに初めから詰め込んだらいくら高久くんでもやめるって言い出すよ? それでいいわけ?」
「い、いや、すまん……あまりに素直に覚えてくれるもんだからつい……」
「じゃあ土日はバイト禁止! いいでしょ?」
「しかし土日が忙し――」
「うるさーい! 文句はママに言ってよ!」
「ぬ……ゆかちゃん、それは反則だよ。分かった、土日はゆかちゃんの好きにしていいから」
俺を好きにしていいとか、それは親の発言じゃないような気がしますよ? いいんですか?
「高久くん、行こ?」
「どこへ?」
「行列が出来ているお店!」
「へ?」
すでに行列が出来ている店に行くとか、それはなんの耐久レースですか?
「じゃあ、これとソレとそっちのを2個ずつ入れて下さい~」
「かしこまりました」
てっきり鬼のような行列に並ぶかと思いきや、さすがゆかりなさんである。予約済み? もしくは花城の力を発揮したのか?
「い、今の店はフリーパスか何かなの?」
「んーん? 本店の系列なの。忘れたの? 高久くんがずっと働いてた所の支店だよ? だから顔が利いたっていうか。ありがと、高久くん」
「働いていた……?」
もしやパンを調子に乗って食べまくった事件のことか!? その後にイースト菌な俺になっていたアレかな。
「よしっ、あそこのテラスに行こうよ! あそこで食べよ?」
「お、おぉ……いいですとも」
「うんうん、あそこの噴水が綺麗なんだよ~」
ゆかりなさんのいうテラスとは、はっきり言って俺が座っていいような気楽な席じゃなかった。人通りに面しているし、何よりさっきの行列な店の正面である。つまり、並ばずして買えた俺たちですが何か? 的な状況なのである。
「何恥ずかしがってるの? キミらしくないじゃん」
「俺は元からこうですよ? 目立つのは嫌いだし……もそもそと食べてればいいんです」
「だーめ! そんなの、ダメです!」
「デスヨネー」
最近のゆかりなさんはSではなく、どちらかというと甘々になっていたが、外ではわがまま度が半端なく上昇していた。しかしですね、俺は世のイケてる野郎と違って空気は読めませんことよ?
「ふふっ、頬にたくさんクリーム付いてるよ?」
「あ、ホントだ。えーと、ハンカチは……って、ひゃおぅ!? な、な、なにを!?」
「あ、くすぐったかった? 勿体無いから舐めたの」
「い、い、いや……そ、それはあの、自重してくれ」
人目など彼女には関係なかったようだ。まさかですよ? シュークリーム食べてれば顔のどこかにクリームが付いたりするものだけど、それをあなた舐めますか!? ど、どんな甘々ですか。
「じゃあ今度はキミの番だよ」
「ふぉっ!?」
「んっ! んー! 早くしろ」
まただ。何のご褒美ですか? この場合、ご褒美ではなく公開処刑である。主に俺への視線がやばい。
やるしかないのか? 公開キスならぬ公開……いちゃいちゃを!
「あはっ、あはははっ……く、くすぐったいっ」
「(くっ……耐えてみせる。耐えろ、俺)」
俺は俺の中の魂を猫に譲り、猫としての動きに徹した。人間の男の艶めかしい舌の動きではなく、動物のように舐めまくった。
「そんなにわたしが大好きなんだね、あはっ……」
気付いたら俺の顔をじっと眺めていたゆかりなさんがいた。俺はこの子に勝てそうに無いのか? だからその上目遣いやめてくれ。などと密かに想う俺だった。




