60.おねだりと後悔
何故俺は空腹という名のMな時間を与えられているのだろうか? やはりというか、俺の一言が彼女を怒らせたからに他ならないとしか言えない。きっとそれしか思い浮かばない。
遡ること数時間前のことである。ナンパな野郎とのことが片付き、パパさんとも別れ、いよいよゆかりなさんと会場を練り歩けることになった。
それは最高に至福であり、「キター!」な感じで俺は浮かれまくっていた。しかし、あれもこれも美味しそうなテントが立ち並ぶイベントは、ここぞとばかりに食べまくりたい。
そんな女子がすぐ隣にいた。小柄で可愛いゆかりなさんに、そんな心配など必要なかったはずなのに俺は、禁句を言ってしまった。
「んー迷う! あれもいいし、向こうに見える店も気になるなぁ。ね、高久くんはどこから攻める?」
「だ、大丈夫なの?」
「何が?」
「いや、このイベントのメニューって油ものが多いし、食べまくってたらいくらゆかりなさんでも……」
「あ? 今なんて……?」
「だから、ふ――」
し、しまった!? これは女子に言ってはいけない奴だ。しかも、どう見たってそんな心配はないのに、何故俺はそこを心配してしまったというのか。しかし、時すでに遅しだ。
「じゃあ、高久くん……キミは食べなくてもいいよね。わたしだけ食べまくるし」
「え? いや、それは――」
「い・い・よ・ね? ねぇ?」
「ハイ……」
そんなわけで、俺は彼女に付き添いながらも、両手には色んな美味しそうな物を塞げているという、荷物持ち専用マシーンと化している。もちろん、口に近付けることすら出来ない状態である。
今までデレオンリーだっただけに、これは非常にキツイお仕置きといっていいだろう。どうすれば食べさせてもらえるのだろうか。両手が塞がっている状態だと、土下座も出来ませんよ?
「あ、あのーゆかりなさま……わたくしにもお恵みを」
「は? じゃあ、キミの手に乗ってるたこ焼きを食べなよ?」
「で、では、どこかに置いて……」
「駄目。認めません!」
「え? で、では、どうしろと?」
「キミの口だけで食べればいいんじゃない?」
「ええええ? そ、それはさすがに……人の目もあるし、せめて食べさせて頂かないと無理でございます」
「嫌」
うおい! ドS彼女が降臨ですか? それとも単なるわがまま……いや、この場合はわがまま言ってるのは俺ですね。でもとりあえず、食べてもいいと言ってくれている。それなら本当に口だけで食べるしかないか!?
「ゆかちゃん、ゆかりなさん、ゆかりんー? あの、マジで口だけで食べますよ? いいんですか?」
「勝手にすれば?」
「いや、そうしてもいいんだけど、そうするとキミも恥を掻きますよ? 本当にいいのですかね?」
「な、何で?」
おっ、動揺しているぞ。これは甘えるチャンス到来か? 空腹の時は終わりを告げるか。ふっふふふ。
さて、どうしようか。恥を掻くぞなんて、半ば強引な脅し文句を言って動揺させたはいいが、何にも理由なんて考えてない。「何で?」なんて言わせた以上は、何か言わないと駄目だ。
「それはだな……」
「それは?」
「自分の両手に置いているパックに口だけで食べに向かうと、それはそれは恐ろしいことになるんだよ(何が恐ろしいのかね?)」
「ど、どういうことが?」
「う、うむ(おっ?)」
あかーん! 何にも思い浮かばないぞ。一か八かで実践するしかなさそうだな……それで彼女が引いたらこっちのもんだ。この際なんでもやりますよ。
「それはこうだーー!」
俺は顔をたこ焼きパックに突っ込んだ。予想通りだが、顔中にソースと青のりとカツオブシ、マヨネーズがべったりと付きましたとも。そして、予想以上のことになった。
「や、やめ……やめなさい! それ、お行儀悪すぎだから。だから、わたしに顔を近付けて」
「ハイ(まるでどこかの教育ママ風になったか?)」
「そういうのわたし好きじゃない。だ、だから、箸を使っていいし」
なんと、彼女は俺の顔を拭きふきとしていらっしゃるではないですか。多分に、自分の彼氏が顔中ソースまみれになって想像よりもやばいと感じたのだろう。この機会にお願い、いや……おねだりをしてみようじゃないか。
「ゆかりな……お前に頼みがあるんだ」
「なに?」
「俺はお前から食べさせてもらいたい。そうしたら、ゆかりなの顔を見つめながら美味しく味わえるから」
「……は?」
「(う? 駄目か? 調子に乗ってしまったのか)」
「いいよ……」
「や、やった!」
「その代わり、わたしにもやってね?」
「勿論だ!」
「その言葉、忘れないでね……?」
「おう!」
彼女の言葉に何かひっかかるものがあるが、こんな甘えは滅多に出来ないし、して来ない。せっかくのイベントなんだし、彼女に甘えるのもきっと許してくれるだろう。ここでなら彼女に食べさせるのも簡単に出来る。
「たかくん、はい……あ~ん」
「んーーうん、美味い!」
「フフ、良かったね。そういうのが希望ならいつでもしてあげるのに」
「お、マジで? 希望ですよ! どこでもして欲しいです!」
「ウソじゃない? 本当にどこでも希望するんだよね? 本当にホント?」
「マジです! ゆかりなに食べさせてもらえるなら、どこででも甘えたい」
「ん、分かった。今度からそうするね。たかくん、嘘なんて言わないもんね……」
ん? またしても何か引っかかる言い方をしているな。何だ? まぁ、イベントとか外食でのことだろうし、それなら問題ないだろう。俺も彼女に食べさせることが出来るわけだし、まさに俺得!
「よしっ、じゃあさ……帰ろ?」
「えっ? 俺だけ食べさせてもらっただけで、キミは食べてないぞ? 食べないの?」
「んーん、もうお腹いっぱいなの。それに後でいくらでも……」
「へ?」
「帰ろ?」
「あ、うん」
よく分からんが、とりあえず俺は彼女に念願の「あ~ん」をしてもらい、顔まで拭いてもらった。何て贅沢なのでしょう。そして俺はこの行動と、彼女の言葉の意味することを後々に後悔することになる。




