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ゆかりなさんと。  作者: 遥風 かずら
第五章:愛しのゆかりなさんと
55/68

55.お兄ちゃんと一緒

 俺は結局男のダチよりも彼女を優先した。新作パンに懸ける愛は次回ってことで許してくれ。その行動を取らせたのは、サトルが彼女に告白をしていたことを聞かされたからだ。


「タダイマー」

「あっ、お兄ちゃんお帰りなさい! 思ったより早かったね」

「そ、そうだね。ゆかちゃんに早く会いたくて」

「え……ホントにホント? そんなにわたしのことが?」


 やはりお嬢様モードは解除されていないのか? 何だか知らんがマジで真面目に愛しさが増しそうになるぞ。しかしてっきり俺が玄関からただいまと言った時点で言われるはずだったのは、これなんだが……。


「遅いぞ、この野郎! わたしを待たせるなんていい度胸だな? 罰として一晩中説教するからな! 覚悟しろ、バカ兄貴!」

「あうあうあう、ごめんよぉ」


 まるで下僕の様になる予定だったのに、なんてことですか。このままではまるで本物のお嬢様よりも猫を被らない、大人しすぎて戦意喪失になっているただの女の子と化してしまうじゃないか! 駄目だ、認めないぞそんなの!


「ねえ、ちょっと……」


 これはもちろん聞こえてますよ。これを聞こえないふりして妄想しまくっていれば、彼女はきっとキレまくって、俺にあんなことやそんなことまで言ってくるに違いない。これは妄想モード継続だ!


「あの……聞こえてないの?」


 さぁ、俺を蹴るなり叩くなり何でもカモーン! さぁ、ゆかりなさん。キミの真の姿を俺に!


「うぅっ……お、お兄ちゃん……どうして、わたしが見えてないの? ヒドイよ……グスッ」


 えっ!? な、泣かせてしまった!? う、嘘だろ……もしかしなくても、マジでそれが真の姿? ど、どどどどどどうしよう。とりあえず、頭を撫でてそれから、抱き締めて……言葉なんて無用な時間を作るしかないのか。


「ゆかちゃん」

「高久お兄ちゃん……」

「ごめん、そうじゃないよ。俺はキミが大事なんだ。見えないわけがないだろ? だから、ほら――」

「うん」


 こういう時はとにかく優しく抱きしめなければならないって、心のどこかの俺が怒っているぞ。そっと優しく引き寄せながら、彼女の頭をなでなで……よぉしよしよし……これだ。


「お兄ちゃぁん! わたしたち、もうすぐ離ればなれになるんだよ? もっと抱きしめてよ!」

「あ! そ、そうだ。そうなんだよな。確かにそうだ。思う存分、俺に甘えて良いから」

「……うん」


 そうして何分位経ったのか、はっきり見てもいないけどしばらくは、無音な空間が作られていた。ただ黙って抱きしめる。これだけのことなのに、彼女がものすごく愛おしい……のだが、生理現象は正直である。


「あの、えっと……俺、ちょっとトイレに……」

「いや! 離さないで! ずっと抱きしめて欲しいの」

「で、でででも、ごめんね。これはさすがに余裕が生まれないんだ。だから、帰ってきたらまた……な?」

「ん、分かった。行って来て」

「お、おぉ……ありがとな、ゆかちゃん」


 やはりこの姿が本物で本当らしい。寂しそうに切なそうにしている彼女を離しトイレに全速力を決行した。


「……高久め。調子に乗りすぎなんだよ。ふふ、どうやってお仕置きをしてやろうかな」


 ふ~~助かった。雰囲気を大事にしたいところだったが、生理現象には勝てなかった。だがこれで、妹さんを思いきり安心させてやることが出来る。もちろん、念入りに手は洗った。これならなでなでしてもいいはず。


「嫌!」

「えっ?」

「わたしに近付かないで! 不潔な人に抱き締められたくない」

「で、でも、ものすごく手を洗ったよ? そ、そんな言うほど俺ってヤバいの? さっきまではあんなに……」

「嫌なのは嫌! 非常識なのはお兄ちゃんの方だよ。どうして泣いたままのわたしを放置出来るの? トイレくらい我慢してよ……好きなら出来るはずでしょ」


 なんと無茶なこと言われるのか。確かに俺には反論できない。出来ないけど、さっきとまるで違うじゃないか。トイレは我慢出来ませんぜ? いや、好きだけどそれはさすがに、ねぇ?


「途中でやばいことになるわけにはいかなかった。お前が大事だから」

「そ……そうなんだ。じゃあ、さ……お風呂、入ろ?」


 ホワット!? い、今何ておっしゃった? お風呂!? そ、それはまさしくバスタイム! 禁断の世界へようこそ? そ、そうか! 俺の手洗い以前に、トイレに行っただけで不浄の者として認定されたんですね、分かります。


「パ、パードゥン?」

「うん、だから、お風呂に入るの。嫌、かな?」

「ととととと、とんでもないっ!!」

「わっ、びっくりした。大声出さないでよ、お兄ちゃん」

「す、すまん! そ、そそそそそれは一緒に? えと、家のは狭いぞ?」

「んーん、家じゃないよ。ちょっと離れたところに銭湯があるんだけど、そこに行くの」

「ですよねぇ……はは」

「どうかしたの? あ、一緒に入りたかったの? そうしたかったけれど、それだともう一生、お兄ちゃんに会えなくなるから踏み止まったの。偉い? わたし、偉いよね?」

「お、おぉ……それは偉いぞ! っと、頭はなでなでしてはいけなかったな。ごめん」

「あ、それは別にいいけど……とにかく、行こうよ! わたし、着替えて来るからお兄ちゃんも支度して」

「分かった。先に待ってるからな」


 残念だったな……なんて思ってない。いくら兄妹でも一緒に入ったら、それは非常によろしくない世界が俺たちを待っている。ポジティブに考えれば、銭湯ってのは壁を隔てて声のやり取りは出来るし、考えようによっては一緒の湯船に入っているはずだ。何事も前向きに考えねばこの先やってられんのだ。


 男の俺の身支度なんて大したことはなく、ましてまだ外は暑いので先に玄関で待機することにした。それにしても、やはりアレがゆかりなさんの最終形態。俺はそう確信した。まず言葉遣いが明らかに違う気がするし、ドSでもないし……俺はMじゃないが、それでもどこか物足りなさを感じてしまう。


 と、とにかくこの一大イベントは、兄妹生活の思い出の一部になる! 俺はドキドキしまくりながら彼女の支度を待つことにした。


「高久の奴、やっぱり期待してたな。フフフッ……マジで楽しみ。思い出になるわけだし、ね」


 むぅ……それにしても遅い! 女子は支度に時間がかかるというのは母を見ていたから分かってはいるが、それにしたってまだ姿を見せないぞ? かれこれ30分くらいだろうか。銭湯は逃げも隠れもしないかもしれないけど、俺は隠れますよ? こうなったら隠れて脅かしたくなってしまうよ? それでもいいのかな。


 というわけで、軒先に潜めることにした。これぞ俺の彼女への愛! 脅かしからの慰めは、胸に何かが来るに違いない。そしてその足でお湯に浸かると、ホカホカな気分になるに決まっているのだ。

 さぁ、俺は逃げてないけど隠れてますよ? 姿を見せたまえ! 愛しのゆかりなさん!


「――ねえ」


 むっ!? 気のせいか? 俺の背後から声が聞こえたぞ。あまりに愛しすぎて彼女の声が常に脳内を駆け巡っているのだろうか。それはそれでヤバい人になってるが、恐らく気のせいだろう。


 それにしても中々来ない。さすがに遅すぎやしないか? せっかく隠れたのに心配になるじゃないか……思わず玄関から家の中を覗いてみちゃうぞ。静まり返っているが、もしや部屋で具合でも悪くしているのか!? こ、これは行かねば!


「――お兄ちゃん……わたしが見えていないの?」

「見えてないはずがないだろっっ! って、あれぇ? う、後ろにいたの? え、い、いつから……?」

「ずっといたよ。後ろに……」


 ひぃいい!? な、何だ、この寒気は。俺ってば気配に気付かずに妄想に入りっぱなしだったのか? そんなアホな! しかし、現に彼女は後ろにいるし幻なんかじゃない。試しになでなでを……。


「は?」

「いや、本物かな、と……そ、そんな噛み付いて来ないで欲しいなぁ、なんて」

「ううん、いいよ? 突然頭を撫でて来るなんて可愛いね? そんなに寂しいんだ?」

「うん……僕はゆかりなさんがいないと……」

「ふぅん? そう、なんだ……まぁ、それはともかくお風呂に行こうよ。わたし、待ち疲れたし」

「ですよねぇ……えと、その銭湯ってどこ?」

「うん。駅前の……」


 駅前? そんな所に古き良き銭湯なんてあったか? いや、まさかな。確かに兄妹関係だからこそ使えるかもだが、もしや銭湯ってか、お風呂ってあそこですか!? 


「うん? どうしたの? 早く行こうよ! 手を出して」


 あれ? さっきわたしに触れるなとか怒ってた気がするんですが、それはいいんですか?


「ハイ」

「うん、いい子。じゃあ、ここから先は、わたしの言う通りにしてね? ね、お兄ちゃん――」

「ワカリマシタ」


 やはりなこれは、俺がトイレに行ったばかりに作りだしたゆかりなさんだ。お嬢様特権を発動だ。俺の想像してた銭湯じゃない。敵地のお風呂に入るだなんて想像すら出来ていなかった。


 会いたくなくても会わざるを得ないお母さんが、俺とゆかりなさんを超笑顔で出迎えてくれたよ? 


「お久しぶりね、高久さん。今日はあの子に?」

「ハイ。ごめんなさいっ!」

「どうして謝る必要が? 私は怒ってないわ。でも、監視はさせてもらうわね。楽しんで下さいね!」

「ハイ」


 監視されて楽しめとか、何たる極めのSですか? とりあえずは笑顔だったが、妹としてだから許したってことなんだろう。俺は何という奴を……いや、お母様を敵に回そうとしているのか。


「お兄さま。こちらが、ゆかりなさまとのお部屋になります。なお、バスルームは混浴のみですので、ごゆっくりと……」

「ふぉっ!? こ、混浴オンリー?」

「ええ。何か問題でも?」

「いえ、ノープロブレム」


 確かに混浴と聞きましたし、心の中で何度も大ジャンプして公式記録を更新しまくりましたよ? でも、監視って……それはあんまりじゃないか?


「お兄ちゃん、気持ちいいね。今日は何の効果だろ。どうしたの?」

「う、うん。何の効果ダローネ」


 俺もゆかりなさんも生まれたての姿にはなれた。しかし、俺だけは全身が拘束されている。それもお湯の中で! ゆかりなさんまであと何センチ!? っていう距離で手を伸ばしたくても伸ばせないこのもどかしさ! 

 くぅっ! ゆかりなさんの肌白でスベスベそうな肩だけが見える! 


 彼女は自由に湯船をスイスイと動いているのに、俺はよく分からない黒メガネの女性達にめっちゃ見られまくっているんですが、何のお仕置きですか? 

 いや、ご褒美か? こんな思いをするなら、レトロな銭湯を探しまくってそこで彼女と話をしたかった。これも何かの宿命か? これがお嬢様のお仕置きなのか。


「高久くんはわたしをどうしたい?」

「もちろん、奪いたい」

「どうやって? わたし、花城だよ?」


 む? 何ですかその質問は。何か深い意味を込めているのか? 花城ゆかりな。


 俺が知らなかっただけで、花城グループのお嬢様だった。単に俺の親父がキミのお母さんとどんな感じで一緒になったかなんて知らない。知らないが、なんちゅう運命にしてくれてやがりますの? 

 俺は目の前のゆかりなさんを本気で好きになった。だからこその始まりであり、戦いの火ぶたを勝手に切らせただけだ。あと1年後には本当の兄妹になる。


「分かってるよ。ゆかりなさんが花城ってことくらいは。だけど、それでも俺は……」

「ん、わたしも分かってる。だから今はわたしに従って、ね?」

「あぁ、分かった」


 確かに混浴を果たした。だけどこんなのは認められない。認めないぞ! 俺もゆかりなさんにお仕置きをしてやろうじゃないか! 


 それにしても黒メガネのお姉さまたちもSなんですか? ちっとも温まらないんですけど、冷気か何かを俺に放出でもしてらっしゃるのかな。何だか鳥肌が立ちまくりですよ?


「いてててて!? な、なにをしてるのかな、キミは」

「何をデレデレしてるの? わたしを見てよ! せっかく一緒に入れたのに、どうして服を着ている人たちを見つめているの?」

「そ、そう言われても、そこで俺を睨んでる? のか分からないけど、見つめられてるし気になるだろ」

「っていうか、あなたたちここから出て行ってくれる?」


 動けない俺の頬をめっちゃ引っ張って嬉しそうにしてるんですけど、Sは復活ですか? というか、黒メガネに命令? いくらゆかりなさまでもお母様の部下は動かないんじゃ? 

 そう思っていたら、あっさり浴室どころか部屋からいなくなった。それはいい、いいけど拘束を解いてください……う、ぐぐ。


「いなくなったよ? 高久くん……わたしを――は? さっきから何をしているかと思えば、どうしてぐったりしてるの? え……なにかに縛られてる!? うそ、そんなことまでされてたなんて……」

「疲れたしのぼせたし、俺……もう、無理でござる」

「え、ちょっ!? 高久くん!? せっかく混浴出来たのに嘘でしょ? ヘタレすぎでしょ。そこも含めて大好きだけど、やっぱりママ離れしないとわたしも駄目みたい」


 なかなかに熱い湯船で動けないどころか、ゆかりなさんの肌の色んな所を拝めなかったのは俺の人生の中で、何番目かに後悔したイベントだった。しばらく何かに浮いていた俺だったが、首の上やら胸の上、はたまた何度か頬の辺りにネコのような動物が、サワサワしているんだが俺はどこに連れて行かれたのか。


「お~~い、起きろ~! えいっ、これでもくらえ! む~起きないなぁ。じゃ、じゃあ……これなら起きるかな?」

「ん~~むむむっ!? ひいいいいいいい!? な、なんすかなんすか、この冷たいモンは!」

「あ、起きた。おはよ、高久くん。ソレは氷だよ? いつだったかの仕返し」

「へ? あれ? ココハドコ? ワタシハドコニ?」

「ここはキミの家。悪夢でも見てた?」

「いや、確かホテルのバスルームで混浴を……」

「顔、真っ赤だね。あはっ! きっと灼熱のお湯に入っててのぼせたんだよ。ずっとキミを見てたけど、わたしも一緒に寝てたから二人で夢でも見てたかもね?」


 そんな馬鹿な!? それにさっきの頬のサワサワとか、唇に感じた冷たいものは多分アレだ。ゆかりなさんのアレだよ……どれだよ! 


「たかくん、お兄ちゃん……うん、いい思い出が出来たかな。いくら血の繋がりが無いからって、兄妹関係でいちゃラブのキスとか、やばいんだからね? ってことで、お別れかな。あ、もちろん妹として」

「え? のぼせて寝たままなのに!? で、でも、キミが妹で俺が兄になるのは……んむむむっ?」

「もうその口、閉じれよ? 高久はあれこれ詮索するな。わたしも頑張るし。だから、明日からはカレカノに戻るってことでオッケーだね。それじゃ、わたしはパパの家に帰るよ。バイバイ、お兄ちゃん」

「ぶはーぜぇぜぇぜぇ……ゆかりなさんの手の押さえつけ強すぎませんか? いや、あのもう帰るの? お、俺はまだゆかりなさんと一緒にいたい。傍にいてくれよ、ゆかりな!」

「んーん……明日からも一緒じゃん? それとも、キミはわたしと本当の兄妹になりたい? 選ぶのは高久くんだよ。わたしはもう決めた。高久くんがわたしを奪うって言ってくれたのは嬉しかったな」

「本当の兄妹……選ぶのは俺。そんなの、決まってる。分かった、俺も改めて覚悟決める! だからその、楽しかったよ妹さん! 明日からはまたカレカノな。それはそれで変わらない関係だしな」

「うん、それじゃあね」


 本当の妹じゃないゆかりなさんは、明日からはまた普通に彼氏彼女に戻る。俺よりもあっさりとした態度で、玄関に向かって行く。さっきまでのぼせて寝ていた俺もすでに立ち上がって、彼女の背中を見送るしかないわけだが俺はやっぱりこのまま帰したくなくて、兄妹としての約束を破った。


「ゆかりなっ!」

「――ん」

「このまま少しだけこうしていたい……」

「いいよ」


 背中から首に手を回してただただ彼女を抱きしめてた。彼女としてじゃなく、妹のゆかりなを抱きしめた。仮の妹だから出来ることなんだ。本当の兄妹になったらこんなこと出来ない。

 俺はこの子と兄妹じゃなくても一緒になりたい。もう離れたくないくらい好きだから。


「ごめんな。こんなに好きになっちゃって……」

「わたしも好き……」


 後ろから抱きしめていた俺は、彼女から離れた。彼女は後ろを振り向くことなく外へ出て行く……って、突進してくる!? 思わず目を閉じてしまったじゃないか。


「じゃ、そういうことだから妹としての最後のキス、あげるよ」


 ほんの少しだけ触れて来た彼女の唇を少しだけ感じられた。最後最後って、言うなよ。やっぱりお嬢様らしさは猫かぶりだったみたいだ。

 明日からまた成長しまくるとしよう。本当の兄妹になってたまるか!

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