53.モテ期と凶器な汗
泣いているかもしれないが、俺の必殺技の土下座をして許してもらおうということで、俺は階段の踊り場に何分もいることに危機感を覚えたこともあって、ゆかりなさんの前に回り込むことにした。
「ご、ごめんなさっ――!?」
「高久くん……ぐすっ――」
「えっ? ゆ、ゆかりな、泣いてる……の?」
「ぐずっ……泣いてなんかない!」
どう見ても泣いていますよ? やはりマジで泣いていた。というか泣かせてしまった。そんなにあの抱っこは最悪だったということか。
いくら直前に落とされたといっても、泣かせたら駄目だ。完全に授業が始まっているわけで、これではまるであの時のデジャヴ。
真面目な俺はどこへ行った? そんなことより土下座ではすでに遅し。言葉など何の役にも立ちそうにない。
「ゆかりなっ!!」
「た、たかひ……」
「ごめん……そんな悲しませるなんて思わなくて、ごめんな……ゆかちゃん」
「高久お兄ちゃん……」
こういう時は言葉は無用。俺は目の前の華奢な女の子を思いきり抱き締めた。もちろん、キスなしだ。
「ゆかちゃん、ごめん、ごめん……」
「た、高久、く、くる……」
「もうふざけたことしない。だから、ゆかちゃん……」
「苦しいって言ってんだろーー!! バカ野郎!」
スドーンとエフェクトが出てしまいそうなくらいの衝撃が、ゆかりなさんの両手から感じられ、俺は踊り場から階段下に弾き飛ばされかけた……が、ギリギリの位置で踏み止まれた。
「ご、ごめん……てか、危ないだろ! マジで!」
「うるさーい! うるさいうるさい!! 全っ然、駄目すぎる! 高久くん、成長してない!」
「な、何だよ? 成長してないって。お前泣いてたから、だから抱き締めたのに何でそんなこと言うんだよ。分かんねえよ……」
「高久、わたしを見ろ!」
見るなとか見ろとか、命令形女子復活か? それはそれで萌えるが、見ろと言われたら見るしかないじゃないか。おお、見ますとも! ここぞとばかりにゆかりなさんの顔を凝視してやろうじゃないか。
「じーーーーー」と言った感じで、じっくり彼女の顔を見つめていたら頬に衝撃が走りましたよ? さっきのズドーンとは別な衝撃が頬にバチーンと走りましたとも! あぁ、これはビンタですね、分かります。
「ゆ、ゆか――!」
俺が何かを言う前に、ゆかりなさんは勢いよく俺に抱きついて来た。まさにムチとアメ。いや、これはアメなのか? そして彼女は俺の唇に自分の唇を押し付けて来た。どうやら茜とのキスを気にしていた模様。
キスをしていた時間は長く無い。以前、俺がここで彼女にキスとした時とは違うキスだ。泣かせて叩かれて、それでおあいこといった仲直りのキスなのかなとも思えた。
「……ふぁっ……」
ゆかりなさんから手を離し、両手で俺を押したので、俺は名残惜しく彼女の唇を軽く舐め、離した。
「え、えーと……」
「これでしばらくキスしない。それでいいだろ?」
「あ、あぁ……いいよ」
「妹としてのわたしとこんなキス出来たこと、光栄に思えよ? じゃあわたし先に戻るし!」
「お、おぉ」
妹としてのキス。いや、それにしては俺にとっては記念になりそうな刺激的なキスだったんだが。頬叩きからのキスは反則だ。妹じゃなくて、やっぱりゆかりなとは彼女として恋をしたい、そう思った。
事実上、この体育祭までが俺と彼女の仮兄妹関係を一時的に凍結することになるのはいいとして……俺ってばいつからモテ期に入っていたかな。
運動無能者から凡能者になって、それでようやく万年ビリから脱出したわけなのだが、さっきから俺を見る女子の視線が温かすぎですよ?
「高久ー! ガンバー!」
「葛城くん、光ってる~」
「うっそ、アレが彼なの? イケてんじゃん!」
などと幻聴なのかと思ってしまう黄色い声援とやらが聞こえて来るではないですか! 抱っこで引いた茜も俺の性癖? を受け入れるとかで、結局好意を見せ続けて来ているし……席が近い女子連中は、何故か俺に興味を持ち始めたようだ。そんなのはムダなんですよ? 俺にはすでに決めた奴がいるんですよ?
「花城、そっちにボード移動しようか」
「オッケー! 自分の足を轢かないように気を付けてね」
「ははっ、それはねーわ。あいつじゃあるまいし」
「だよね~! サトルくんはそんなヘマしないよね」
ぬああああ! いくら同じ実行委員だからって、仲良すぎないですかね? い、いや、サトルはいい奴なんですよ? だけど、いい奴な上にイケメンなパン男子だからもの凄く不安になる。
「花城、ダンナが気にしてるぜ? 行かねえの?」
「ダンナ違うし」
「あ、そうなの? じゃあ、まだ成長途中って奴か。厳しいね」
「どこまで聞いてるのか知らないけど、ソレをキミに言われたくないんだけど?」
「す、すみません」
「ふん!」
あら? 何やら機嫌を損ねたのか? ゆかりなさんがシカトを始めてるぞ。大した奴だな! さすがサトルだ。俺のダチは違う! そこにシビレル!
「ねえ、キミって独り言が趣味なの?」
「おわっ!?」
「は? な、なにびびってんの?」
「いや、さっきまでサトルと一緒にいたはずなんじゃ?」
「運び終わったからこっち来たの。で?」
「ん? いや、趣味じゃないぞ! これはアドリブだ」
「は? 独り言のアドリブ? バカなの?」
「ナンデモナイデス」
「あ、あのさ、ママもパパも忙しくて体育祭来ないじゃん? だ、だから、お昼は一緒に食べよ?」
「も、もちろ――」
「あっ、高久いたー! ねえ、こっち来てウチらの競技応援してよ~ほらっ、こっち来る~」
茜にとても強引にその場から引っ張られ、ゆかりなさんへの返事がうやむやになってしまった。これって、何かのバトルが始まってしまう奴ですか? それはそれで嬉し……くもないぞ。
「むーーー! あの女、また高久くんにちょっかいだしてる! え? ほ、他の女子も距離が近い!? う、嘘でしょ……高久くんがモテている!? やばいやばいやばい!」
むっ!? 何やら視線を感じる。いや、もちろんその視線が誰なのかは分かりますよ。俺には妹サーチが完備されているからね。いやぁ~照れるね。あんなに俺のことを見つめて来るのは多分初ですよ?
「ウソ……全然無能なんかじゃないじゃん! え? 高久くん、いつの間に?」
「はぁはぁはぁ……高久、お前……本当に高久か? 誰かスポーツ選手が乗り移ってんじゃないよな?」
「そんなわけないじゃないか! HAHAHA! サトルも冗談を言うようになったんだな! 俺は密かに感動をしているぞ」
「冗談じゃねえよマジで! お前、いつも体育とか適当にしてたけどフェイクかよ!? 実力を隠し通してたとかズルすぎんぞ。ひ弱なパンを貪るぼっちだとばかり思っていたのに……騙された~」
「それは素直にヒドイですぞ? 違うって! 初期は確かに運動無能者だったんだよ。そしてひ弱でぼっちでしたよ? でも努力したんだぞ。どうよ?」
「それはもう、彼女の見る目が変わるわな。ってか、クラスの女子も群がるぞ? その覚悟はあんの?」
「覚悟とな? もちろんないけど」
「お前、マジでやべえわ。勉強だけかと思ってたのに運動もイケるとか、あり得ねえ」
ふむ? 何やらサトルとその他の野郎どもは急に、俺をリスペクトし始めたぞ? そんな事を言われてもお前らは努力しなくたってイケメンという武器が備わってるじゃないか。全く羨ましい限りだ。
「高久、お前って自覚無いだろ? お前イケてんだぞ」
「俺はただのパンをこよなく愛するぼっちで妹萌えな自称兄貴ですが、何か?」
「ああ、うん……ま、その内気付くだろ。そん時に、花城さんを守ってやれよ?」
何を言うかと思えば俺がイケてる……だと? 彼女を抱っこしたら引かれた奴だぞ? そして背が高いだけの男ですよ? 俺にしてみれば、得体の知れない恐ろしさがあるサトルの方がイケメンだ!
「た、高久くん……あ、あの、これ、このタオル使って!」
「やぁ、ゆかりなさん! おぉ、俺にタオルを? って、これ、キミのタオルでは?」
「その汗を光らせたままだと周りが危険だから、だから、早く拭け! 拭いてってば!」
そうか……おれの汗は凶器なのか。知らなかったな。そういうことなら、普段は絶対に触らせてもくれないモコフワなタオルを使わせてもらおう。遠慮なく、顔中に噴き出た汗をゴシゴシと拭かせてもらった。
「た、高久! それ、寄こせ! 早く、タオル返せ!」
「ほえ? いや、でも、俺の汗が……」
「すぐ洗うし! 返せ!」
「ひっっ!? はひ、こちらです」
「じゃ、じゃあ行くし!」
そう言って見事に俺からタオルを奪取して、ゆかりなさんはどこかへ走って行ってしまった。そうか、よほど汗がやばかったんだな。それはそれでショックを覚えたぞ。
「あんな光り輝く汗なんか、他の女子に見せる必要なんてない……高久、やばいんだけど――」
そうして彼女は自分のタオルを何度も洗い流しては俺の元に持って来て、その度に汗をその場で拭かせていた。どうやら俺の流す汗を見せたくないという自衛が働いたらしい。




