36.予告なしの成長くん
「ああああぁぁ……」
「……んん、どうしたの……たかくん?」
驚愕して一歩も動けずにいたら、俺の返事を待っていたゆかりなさんは向こうの世界に引っ張られて……では無く、お母さんに優しく引っ張られてしまった。
「マ、ママ? え、いつからいたの?」
「うん、ついさっき帰ってきたの。ただいま、ゆかりん」
「お、おかえりなさい」
「ゆかりんはお部屋に戻っていなさいね。これから少しだけ話し合いをしなきゃいけないから……」
「うん。あ、たかくん。またね」
「ハイ」
嬉しそうに手をブンブンと降りまくる彼女に対して、俺の手はどこかのお嬢様のような手の振り方になっている。だって、怖いんだもん。何で遭ってしまうんですの?
「お久しぶりですね、高久君。ここにはよく来ているの?」
「は……い、いや、今日が2回目くらいです」
「そうなんだ。あの子から何か聞いてるのかな? 私と彼のことを」
彼とは恐らく俺の親父の事だ。ここにいる料理人パパさんには、一切目もくれていない。
「い、いえ、特には。でも、あの、戻って来てくれないんですか?」
「うふふっ、いつでも帰れるのよ? 許しをもらえていないのは高久君、あなただけなの」
何だそりゃあ。親父は何も言ってなかったぞ。もしや、戻った時点で養子が成立してゆかりなさんは本物の妹になるってことか!? それは許さーん! 全俺が認めない!
「それは、そういう意味ですか?」
「高久君は賢いからすぐに理解していると思うけど、あの子だけは知らないの。別にタカキさんとは仲が悪くなったわけでもないの。ゆかりんとあなただけなの。帰って来て欲しいならあの子にも伝えるけれど、どうしよっか?」
「い、いや……そんなのは嫌です。俺はそんなの認めたくないです。だから、そうじゃなくて最初の頃みたいな親子関係じゃダメなんですか? そうすればゆかりなさんは俺の妹でもあるし、俺の――」
「まだ2年生……うん、そうよね。それじゃあ金輪際、会わせないけどいいよね? もちろん、学校で会うのは仕方ないけれど、ここに来たら通報します。もちろん、あの子から会いに行くのも無し。それでオーケー?」
「オーケーですよ。学校でってことは登下校もオーケーですよね。いいっすよ、それで」
「……いいわ。でも、外でデートなんてことは許しませんのでそのつもりでいてね」
「分かりました(燃えて来た! お母さん上等だ!)」
ゆりなお母さんに戒厳令を敷かれたものの、別に全く会えないわけでもなく……いやいや、マテ。何も俺から会いに行く必要なんてナイ? 学校で自然に会えるし、カレカノだし、何も問題は無い!
翌日になり、教室では席替えの真っ最中だ。ただし、俺の席は席替えが行なわれていても不動である。誰も好き好んで、一番前は選ばなかった。
「高久、昼はクリームパンか? それともコッペパンにするのか?」
「ふむ……どれも捨てがたいが、今の俺の中ではピザなパンが流行りなんだよな。なんせ普段はピザは食えん。一人暮らしみたいな生活だとなおさらな」
「あぁ、妹さんとは別れたんだったか。それは大変だな」
「別れてなど無い! 妹と別れるわけがないだろうが! いなくなっただけだ」
「ほぉ~じゃあ、花城とは良好なのか? って……高久、前を向け。俺はチヒロと新作パンについて話すからお前は前を……机に注目しろ」
「ん? 机? 前を向けって、サトルは先生かよ!」
しかしサトルはすでにチヒロと話を始めてしまった。後ろの席の奴と話す時は当然だが、体は横向きか後ろ向きにして話をしている。
授業でも始まらない限りは前を向いて真面目にキリッとすることは無いのだが……前に体を向き直して、机を見つめてみた。
「じー……」
「おわっ!? えっ? い、いつからそこにいたのでしょう?」
「ジー……じー……休み時間始まってすぐに……ひどいよ」
まるでじっと机にくっついていたセミの様に、ゆかりなさんは机の前方に顔をくっつけていた。なんざんすか、この可愛い生き物は! ってか、いつの間に気配を消せるようになったんだ。まるで気付かなかったぞ。
「ねえ、昨日は何で何も言わずに帰ったの? ママに何か言われたの?」
「いやっ、ナニモないよ。嘘じゃないよ。トイレ借りに来ただけだったし」
「ふーん……? いいけど、今度からはきちんとわたしに声をかけてから帰る様にしてよね? 寂しいし」
「お、おぉ、分かったよ(もう無理なんですよ?)」
「今日って、調理実習だよ?」
「ん? うん、それが?」
「食べるよね? わたしのクッキー」
「おぉぉ! もちろんでございますことよ。もう記憶は失わないわけだし」
「は? 記憶が何?」
「あ、いえいえ、こっちのことですよ。しかしまだ真夏なのにクッキーって……どれだけ予算が無いんだ」
「チョコだと溶けるじゃん。だから乾きものの方がいいんだって。高久くんって食べ物知識は弱いよね。運動もまだまだアレだし、しっかりしてよね? そうじゃないと……」
「んん? まぁそれを言うならゆかりなさんも、あまり――」
「あ? 殴るぞ! というか、わたしのことはゆかりんって呼んでいいのに」
「いえいえいえいえいえ、俺が好きで呼んでますんで! それにそう呼ぶ時は奪った時って決めてるから」
「うばっ……! あ、うん……だ、だよね。そ、それじゃ自分の席に戻るね」
調理実習のクッキーは難なくクリア出来た。それくらいゆかりなさんの料理の腕は、初期のあの記憶にない味に比べたら、ヤバいくらいに違い過ぎて思わず思い出し泣きをしてしまうくらいだった。
実習を終えてすぐに昼休みだったので、そのまま学食で食べることになった。
「ちょっ!? た、高久くん? な、何で泣いてるの……」
「ううっ、い、いや、うますぐる……美味くて優れておりまする。これならホント、いつ嫁になってもおかしくないよ」
「じゃ、じゃあこれにサインを……」
何やらカバンからゴソゴソと紙を取り出しながら顔を赤くしているゆかりなさん。もう予想出来ましたとも。それはアレですね、分かります。
「っておいぃ! そ、それって役所に行かないと駄目な奴だよね? それにキミはともかく俺はまだ結婚出来ないんだよ。少しはヨメという言葉の冗談を、スルーするスキルを身に着けて欲しいな」
「ジョ、冗談……なの? わたしのことは本気じゃないの? ねぇ、どうなの」
「大好きに決まってるだろ! 言わせんな、バカ!」
「それわたしのセリフ! っていうか、ヨメでいいじゃん。何がダメなの?」
「とある事情がごにょごにょ……と、とにかくその物騒な届出書をしまってくれ。それは恐らくきっとこの先に使うはずだから、大事にしまっておけよ。な? いい子だから」
本当に俺はどこかで幽体離脱した時に別人になり代わったんじゃないだろうな? 後はイケメン的な要素が追加されれば……。
「う、うん」
「ゆかりな、口、口に……」
「え? あ、カレーが付いてるかな?」
何とも可愛すぎる小動物の様な舌で、口の周りに付いているカレーを舐めているゆかりなさん。それでもやはり舌の届く範囲は限られていて全ては取れない。
これはさすがに元お兄さんとしては我慢が出来ずに、俺はテーブルに備え付けの紙拭きを手に取って、無意識に彼女の口を拭きふきしていた。
「よし、これで口周りは綺麗になったか……ん? ど、どした?」
「はわわわわ!?」
なんとも珍しい照れ声を出しているぞ!? しかも周りを気にし出した。顔全体が真っ赤になってるし、もしや具合でも悪いのか?
「ゆ、ゆかりなさ――」
「バカッ!! 大バカッ! ど、どうして予告も無しにそんなこと、バカじゃないの!? も、戻るし!」
「えええっ!? お、おい」
気付けば学食にいた全ての女子たちが照れているようにも見えるが、何かやっちゃった系か? 後でスーパーダッシュ土下座をやらなければ駄目かもしれない。
「高久のくせに高久のくせに高久のくせに……何であんなこと自然に出来るようになってんの。やばいんだけど。もしかして別人? そ、それとも成長して来たっていうの? あーううー……何なんだよ、高久」




