34.光らない汗と臨死体験
夏休みが終わった。
色んな意味で今後の俺の人生を変えることばかりが起こった期間でもあった。俺の家は親父と二人だけになり、仕事に明け暮れる親父になったせいか半ば一人暮らしのようなものになった。
「ふーん? じゃあ三咲さんって結局何だったんだろうね? スパイ?」
「スパイって……さすがにそれは違うだろうけど。でもまぁ、いい子だった」
「てかさ、高久が急に変化した気がするんだけど」
「俺は元から人間ですよ?」
「前よりも大人っぽい気がするかも」
「そうかな。君の方こそ、ますます可愛くなった」
心の中ではぐるぐると陰謀が渦巻いていますがね。いかにして、小悪魔でわがままなゆかりなさんを操れるかを模索している所だ。その為には俺も、クールでヒヤヒヤな男を演じてやる。
「フッ」
「な、何か……高久くんが変わった気がする」
呼び捨てから初期の呼び方にグレードアップしている彼女。もしやこれは、惚れ直しを開始したのか?
「そんなことないけどな」
「や、やばいかも」
「手でも繋ぐか?」
「う、うん……あ、ありがと」
人はそう簡単には変わらないが、失恋したのを何とか隠すために冷血な……もとい、クールなナイスガイをやりきって惚れ直しをさせてみせる。
暑いときだからこそ、俺は人知れずに体を鍛え上げてみせるはずだった。特に今はほぼ一人暮らし状態となっている時だけに、チャンスだと思っていた。
「高久くん、どこに行くの? わたしも連れていくよね?」
「あ、ああ、コンビニに」
「じゃあわたしも行くね」
「ウン」
何故家を出たら目の前にいるのかな? とはいえ、断る理由なぞ俺には無い。
「なんか食べるか?」
「うんっ!」
次の日の放課後。
今日はオレ流のトレーニングに行くと決めていた日だ。それらしい格好になって家を出たら、笑顔な彼女がいた。
「高久くーん、どこに行くの? あ、もしかしてランニング? じゃあわたしも行くー」
「ドウゾ」
お、おかしい。なんだ? オレの体には知らずの内に、ゆかりなさん専用の発信器でも埋め込まれているんじゃないよな?
「ふぅふぅふぅ~疲れるけれど、ランニングもたまにはいいよね」
「そうだな、たまにはね」
ちがう! オレのトレーニングは夏休み終わり頃から始まったのだ。たまになどではない。だが真相は語らない!
運動無能者が密かに鍛えられている計画を見つかる訳にはいかない。しかしなんだってこうもゆかりなさんは俺の前に現れるのだろうか。
「高久くん、帰ろ?」
「ウン」
彼女の家がそんなに遠くないことを考えれば、俺の家にすぐ来てしまうのは仕方ないのかもしれない。
体に発信器はともかく、俺はこの日以降素直に家に帰るのをやめて、カフェやらコンビニやらに寄ってから家に帰ることにした。
ゆかりなさんが時間を見計らって家に行ったとしても、俺はまだいなくて待たれることもないはずだ。
「ありがとうございました~」
「ども」
コンビニでスポドリを買い、ここから走ろうと思い店を出るとそこには奴が待っていた。俺は思わず冷たい汗を流した。
「……高久くん」
「お、おぅ。な、何かな?」
「どうしてコソコソしてるの? 君といつも一緒にいたいのに。どうしてなのかな……わたしに隠したいことがあるなら、言ってよ」
「ボクはネコにゃ! 自由に散歩しているだけにゃ」
「ネコ? 高久くんが?」
「そうにゃ」
「じゃあ、やっぱりわたしが世話しないと心配かな」
「にぁっ!?」
「君はわたしに飼われてるんだもん。自由に散歩してても心配だし、いつも傍にいてあげるね」
「い、いや、あの、その……」
「君はわたしの……だから」
うわお……怖いぞ。
下手にネコになったらエライことになった。
「いやっ、冗談ですよ? ネコじゃないし、だからなんというかね……」
暑くて汗だくなはずが、何とも怖れのある冷たい汗が流れまくりだ。光る程爽やかに汗をかく計画はどこに行った。
「ううん、君はわたしのペット……逃げちゃダメだからね?」
「ハ、ハイ」
怖い怖い怖い……ゆかりなさんが怖い。さすが夏! マジで怖い。
授業の合間の休み時間、ゆかりなさんは教室の中でも容赦なく話しかけてくるようになった。以前までは他の女子の目を一応気にしていたらしく、俺の席に来ることは無かったのにだ。
「ねえ高久くん」
「ん? どした?」
「お昼ってパンなの?」
「いや、今日は眠いから寝てようかなと思ってるけど……何で?」
「じゃあさ、わたしとお昼一緒に食べようよ」
「学食で?」
「そこ以外にないし」
「分かった。いいよ」
「うんうん、さすが高久くんだよね。じゃ、お昼になったらわたしの席に来て起こして」
「へ?」
有無も言わさないゆかりなさんは相変わらずのわがまま女子だ。本来俺が眠るはずだったのに、何故か昼までの授業時間を彼女は眠るという暴挙に出た。
様子を見ていたパン仲間にして、第一の友達であるサトルが同情をかけてきた。
「高久、お前大変だな。花城って一時期、梓ってスポーツ万能な奴と付き合ってたんだろ? 結局飽きてフったらしいけど。よくもまぁ、耐えてるっていうか。パン仲間の勇者だな」
「大変だけど好きだからな。気にしてないよ。サトルは誰かいないのか?」
「……そういうのは別にいいや。新作のパンさえ食ってれば満足だ」
「そ、そうか……さすがだ」
なんてことを話してたら授業が終わってた。そして俺はかつて、小悪魔っぷりを発揮したゆかりなさんの席に近付く。今回は本当に寝ているようだ……だとしても、起こすのは怖い。
それでも以前と違うのは俺は少しだけ成長中であり、多少の小悪魔にはびくともしない、強靭な精神力を持った男となりつつあった。それに今は本当に恋人関係であり、びびる俺では無いのだ。
「ゆかりん、昼だぞ~? 起きて」
「……スースー……」
どうやら真面目に熟睡しているご様子。小悪魔どころか、下手に起こせば殴られそうだ。ここは優しさであえて放置をしよう、そうしよう。
俺も予定通りに自分の席に戻って寝ることにした。
「たかくん、起きて……あなた、起きてってば~」
「だが断る! うーん……むにゃ」
「わっ、寝言ってやつ? ってか、何でキミも寝てるかなぁ……そういうつもりならずっと寝かせてあげるね。おやすみ、たかくん……大好きだよ」
何やら教室が騒がしいようだ。特に男どもが気合いを入れているのが聞こえてくる。そう言えば次の時間は体育だった気がしないでもない。それも久しぶりの柔道だった気が……このまま眠ってれば誰も気にしないだろう。
かなり寝ていた気がする。
不思議なことに体中に激痛が走っている。それも尋常じゃない。もしや俺は寝たまま柔道の授業を受けたのか? いやいや、そんなアホなことが……って、えっ!?
「おはよ、あなた」
「おはおはよぅ? あ、あの……どうして俺の隣に寝ているのでございますか?」
「そうしたかったからだけど、ダメなの……?」
「駄目じゃない!」
よくよく周りの気配を探ってみると、先生も他の奴等も俺を覗き込んでいる! それなのにゆかりなさんは嬉しそうにして、俺の隣に寝ている。どういう状況なんだ。
もしかしなくても記憶がどこかに飛んだか? それともやはり寝ながら体育をしたかな。
「ここは体育館?」
「ううん、違うよ」
「えっ? でも同じクラスの連中やら先生の気配を感じましたよ?」
「あーそれって走馬灯だっけ?」
「ここがどこか分からないの?」
「ワカリマセン」
「病院だよ。しかも個室なの! 嬉しいでしょ? しかもわたしが高久くんに添い寝してあげてるんだよ。こんなことって滅多にないことだから、素直に喜んでいいよ」
「わーい! 大好きなゆかりんが近くて可愛くてドキドキだー……って、喜んでいいわけがあるかーー!」
「う、嬉しくないの? せ、せっかくここまでずっと付き添ってあげてたのに……」
「ちとまって。泣く前に状況を教えてくれ。俺は何があったのかな? そしてキミが付き添っているってことは、キミが原因なんだろ? なぁ、マイハニー」
泣かれたら間違いなく看護のお姉さま方が、ダッシュで助けに来てしまうことは確実だ。そして俺はけが人にもかかわらずに、持ち上げられて病室から追い出されてしまうのは目に見えている。
どう見てもゆかりなさんが年下に見えるし妹にも見える、妹だけど……けが人でもたぶん悪いのは、俺一人になってしまうはずだ。
「え、えと……お昼のこと、覚えてる?」
「学食に行くけどそれまでは眠ってるから起こして、だよね? 起こしたけどマジ眠りだったし、起こすのは諦めて俺も寝た。という所までは記憶がある」
「そ、そうだね、うん当たり。わたしも寝ちゃったんだよね。でも高久くんが起こしに来て、その声は聞こえてたからあの後に起きたんだよ? それなのに高久くんが寝てるんだもん……それも全然起きなくて、だから、その――」
「どうしたのか正直に言ってみ? 怒らないから(怒るけど)」
「ほ、ホントにホント? 怒らない……?」
「ああ! (絶対怒る)」
真横にゆかりんの顔。
抱きしめたい。なのに腕が動かん。
「高久くんが起きないからね、あの……次が体育で柔道だったから、男子たちにそのまま着替えさせて運んでもらって、投げ技とか絞め技とかかけてればいくら何でもその内起きるだろって言われたから、そのままにしていたの。
「そか、それで騒がしかったのか……それで?」
「目を開けたと思ったらそのまま気を失っちゃって……わ、わたし、どうすればいいかわかんなくて、高久くんに何かあったらわたしがずっと面倒を見なきゃいけないんだって覚悟を――」
「バカッ!! ゆかりな、お前バカだろ! ふざけんな、マジで死ぬところだったぞ? 熟睡状態で寝技? 投げ技? バカバカバカバカバカ! そのまま永遠に眠ってしまってたらどうする所だったんだよ! 責任取れんのか?」
「あ、あぅ……だ、だって起きなくて、だから……」
「大バカっっ! 添い寝してないで帰れよ、ゆかりな」
「た、たかくん……ごめん、ごめんなさい……」
俺はマジでキレた。小悪魔なゆかりなさんがやることだから、てっきりもっと可愛げのあることだと思っていたのに、まさか男子どもを使ってしかも放置とかそれは怒る。
怒りで我を忘れ、彼女を泣かせた上に無理やり帰らせた。そしてそのまま頭に血が上り、俺はそのまま眠ってしまった。
俺は悪くないはずだ……いや、悪くないよ? うん、大丈夫だよね……大丈夫大丈夫。




