16.た、たかくん!?
お母さんとゆかりなさんに土下座をした日から、俺と彼女の間には何も驚く様なことが起きなかった。お互いに部屋を訪れることも無く、リビングでご飯を食べる時も彼女は照れくさそうに微笑んでいるだけだった。
俺も彼女の笑顔につられて照れることしか出来なかった。何も変わらなかった。そんなことを夢の中の俺と議論しながら眠っていたら、週が変わって登校の日になっていた悲しい現実である。
「ねえ、たかくんってば! 起きて。起きてよぉ」
おぉ? なんだこの理想の妹ライフ的な起こし方は。しかも呼び方が変化しているぞ。これは素晴らしい夢じゃないか! 夢に違いないと断言できるのは、俺の部屋に妹が起こしに来ていることにあった。
俺とゆかりなさんは兄と妹ということになっている。親父とお母さんは夫婦で違いないから互いの部屋に自由に入れるのは問題ない。だが年頃の兄と妹は違う。お互いの部屋になぞ入れるわけがないのだ。
これに関しては一緒に住むようになってからのルールだ。もちろん鍵だってかけている。だからこれは夢だ。
「たかくん! 起きないとマジで遅れるんだけど? 起きないと頬を連続ビンタしてやるぜ。だから3秒で起きろよ?」
3秒だと!? 無理過ぎるだろ!
「じゃあ覚悟してね」
ちょっ!? こ、これは歯を食いしばらねば……俺は目を覚まさないまま、歯を食いしばって覚悟を決めた。素直に起きろよって話だが、夢から覚めたら妹ライフが終了してしまう。
「しょ、しょうがないなぁ。じゃあ……」
頬に衝撃の連続が来るか!? なんて思っていたのに、予想の裏側の裏側……オモテ。何とも柔らかで、いい香りで、優しくて思わず身震いをしてしまうような感触が、頬を襲った。こ、これはアレか? キ、キスですか!? そうか、ビンタされすぎて俺は別の世界に逝ってしまったのか。
「た、たかくん。起きて」
起きるしかないな。それがどんな恐ろしい光景でも。俺はガバっと勢いよく上半身を起こした。
「わわっ!?」
「んん? あれっ!? な、何でゆかりなさんが俺の部屋にいるんですかね?」
「お、おはよ……たかくん」
たかくん……それは誰だ? 俺か!? あれ? ゆかりなさんだよな? 小悪魔が変化したのか?
「おはよう、ゆかりなさん」
「んーん、わたしのことはゆかりんって呼んで欲しいの」
ホワイ!? その単語は確かお母さんがゆかりなさんをそう呼んでいたが、それをわたくしめに許可されたということなのですかい? ど、どんな変化が起きたんだ。俺の頬は顔の原型を留めていないとか?
「あ、あのね……たかくんの頬にキスしちゃった。目覚めてくれたからこれからもそうするね?」
「お、おぉぉ?」
「お?」
「夢ではないのね? それならば俺も呼ぶとしようか。よろしく頼むぜ、ゆかりん」
「うんっ! たかくん、一緒に登校しよ。ほら、着替えてご飯だよ。わたし、リビングにいるから早くしてね?」
「お、おぉ……」
な、何だかわからないが、お母さんはまた何かをしたということだろう。そうか、「さん」付けから「りん」になったんだな。これは正直恥ずかしいが、家の中だけのはずだから我慢しよう。ゆかりん――。
「オ、オハヨーゴザイマス」
「高久君、おはよう。ゆかりんの起こし方はどうだった?」
「え? えーと、夢かと思ってました。俺の部屋は確か親父しか入れないはずなので、どう考えてもいないだろうと……」
「タカキさんのこと? 彼のことならしばらく気にしないでいいわよ」
な、何だ。まさかどこかの島に流されたのか? それとも見えない力でどこかに……。
「高久君、余計な事は考えないでね? いい?」
「ひっ……」
「たかくん、口開けて」
「んん? ふがごご……」
「美味しい?」
「はひ……オイシイデス」
くっ、下手なことも言えんしお母さんが恐ろしいし、これはまさしく自由を奪われたということなのか。幸運なのか朝はゆっくりする余裕なんてない。そういう意味では時間的にも丁度いいようだ。
「ゆかりなさん、そろそろ学校に行かないとまずいんじゃ?」
「あっホントだ! じゃあ、ママ。行ってくるね」
お母さんじゃなくて、ママ!? あれ、呼び方も変わったか? それとも別の世界に起きてしまったのか。気のせいか数日前と比べて明らかに妹さんの話し方が幼く感じるが、俺だけが大人になっちまったのか?
「たかくん、わたし先に玄関で待ってるから身支度をきちんと済ませて来てね?」
「あ、ああ、分かった」
これは何かの策略か? よく分からんが今がチャンスのようだ。お母さんに事の真相を聞き出さねば俺と親父の運命がこの先において、ほぼ決まってしまうではないか。
「あ、あの、お母さん。お聞きしたいことがありまして」
「ゆかりんのことだよね? それとタカキさんかな」
「そうです。このままだと何かの混乱魔法をかけられたまま生活をするようで、不安でしか無いです」
「面白いよね、高久君って。ちなみにタカキさんは仕事へ行きましたよ? 決して私にひどい目に遭わせられたとかではないですからね? 実を言うと、多少は黙っててもらいましたけど。ひどい目になんて、ねぇ?」
「は、ははは、はい」
「ゆかりん、ゆかりなのことが好きなのは間違いではないよね? でも、あの子を助けるために誤解を抱く様な行動と告白を、何も考えずにしちゃった。当たり?」
「そ、そうです」
「高久君がどういう好きだったかは今は聞きませんよ? でもね、あの子はキミに初めて出会った時から好意を抱いていたの。それでもずっと隠していたけど、高久君の行動があの子の心を慌てさせてしまった。もう我慢なんて出来ないくらいにね。だから君からしたら人柄が変わった様な感じに見えるでしょ?」
「ここは日本で、そして俺の家で合ってますか?」
「それくらいの衝撃ってことなんだ? んーでも、あの子は同学年の子たちよりも幼いのは変わってないわ。強くは見せていたけれどね。だから高久君、キミの好きという気持ちがまだ弱くても、それでもゆかりなを守ってあげなさい。そして、告白で言った言葉通りに勝負をし続けなさい、いい?」
「は、はいっっ!」
おぉ……あぶねぇ。お母さんはまるで隙が無かった。好きの強さをかけての勝負……か。
そういうことならむしろ今日からは、俺が兄として彼氏として、しっかりしていくしかない。
好きな子の為に。




