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「はい、丁度です。まいど御贔屓にありがとうございます、ウィンプソン公爵さま」
客との交渉の時にのみ使われる豪華な内装の施された一室で、テーブルの上にどんと積み上げられた大金を前にへこへこと頭を下げた。
この奴隷市で多くの商人をまとめあげる立場になって長い男だったが、高価な無印奴隷を一度に三人、まとめて買いあげた貴族はここ数年でもひどく珍しいものだった。
客の名前はハーレイ・ダディス・ウィンプソン。
メルバーン王国の貴族の中でも最上位である六大公爵家のひとつであり、《鱗》の紋を王家から与えられたウィンプソン家の美しき当主である。国の守りの要ともいえる近衛騎士団や竜騎士団を管理・統制し、軍事のみならず政事にも精通している。
王の覚えもめでたく、今年で五つになられる王太子にウィンプソン家の御令嬢を婚約者に宛がうらしいという噂がまことしやかに囁かれていた。
本日めでたく三人の無印奴隷の主となったかの御令嬢たちの姿を思い出せば、その噂も納得である。
まだまだ幼い少女だが、さながら天使か妖精か。目が覚めるように美しい二人だった。
銀色の美しい姉は月のようで、金色の眩しい妹は太陽のよう。
目の前で契約書の類を確認する美丈夫を見れば、娘である少女たちの美しさにも納得がいくというものだ。
しかしながら、奴隷商の男は一つだけ疑問が残る。
「公爵さま。僭越ながら、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「あの半人の奴隷のことです」
ウィンプソン公爵は、ほんのわずかに眉を寄せた。
わずかすぎて誰にも気づかれないくらいのそれに気づけたのは、男が長年客商売をやる上で磨きぬいた、商売道具の目のおかげだ。客の顔色を窺い、少ない言葉のやり取りで最大限の希望を叶えるために身につけた。そしてそれが、男を奴隷商として成功させた。
「よろしいのですか?」
何をとは言わない。言わずとも伝わると確信しているからだ。
それに対して公爵は少し考えるような仕草を見せ、確認の終わった書類に丁寧にサインする。
まず一枚目。赤毛の少年のものに。
北方の貧しい農村の出身。隣国との国境近くは寒さが厳しいうえに、いつ開戦してもおかしくないほど緊迫している。男では徴兵され、農作業は進まず。食うに困って子供を売った、こんなところだろうとあたりをつける。問題なし、シロ。
「……まあ、半人を従者にした子はうちにもいたからね。構わないさ」
「左様でございますか」
次に二枚目。エメラルドの瞳の少女のものだ。
領地のない法衣貴族である子爵家の愛人の子。あそこはつい最近代替わりしていた。つまりは、前子爵である父親が正妻の子である息子――現子爵に家督を譲ったことで、邪魔者である愛人の娘を奴隷として放り出したのだろう。よくある話だ。シロ。
「ラナが――ああ、姉の方なんだけどね。そう、大人しい銀髪の娘の方だ――アレでいい、というならそれでいい。いらなくなったら捨てればいいのだしね」
そして三枚目。
「この半人は何が混ざっている?」
幼い半人の仔の書類を指先ではじいた。磨かれたテーブルの上を滑るそれは、奴隷商の男の元に届く。
契約書類には、奴隷の出身や年齢などが、可能な限り詳細に記載されている。元貴族の場合には、両親のみならず、祖父母の名も刻まれるほどだ。
そして半人の奴隷に関しては、人間と混ざり合うもう一つの種族の名も記されるのだ。通常ならば。
「不明。虹彩の変化、身体特徴の発露。あれだけそろって不明とはどういうことだい?」
髪と、左目の虹彩の色を見る限り、生まれ持った色が黒であることは間違いないだろう。
そして、あれだけの折檻を受けながら耐え抜く丈夫な身体は、半人である証明にもなる。
現に、競りにかけられることなく多額の支払い金によって購入が決まった子どもたちは、別の馬車を手配して屋敷に向かわせているが――娘の手に引かれて歩く半人の仔の足取りは、あれだけの折檻を受けた後とは考えられないくらいにしっかりしていた。
あれは間違いなく半人である。
しかも、この国では特別な、金の目を持つ半人の仔。
「目の下の鱗。アレはなんだ? しかも通常でアレなのか」
公爵は自分の右目の下に指をあて、軽く叩いて示した。
金の目ばかりに目が行くが、そのすぐ下には、鱗のようなあざがあった。
身体特徴の発露は、半人がその身に流れる人非ざるモノの血を、自らの意志で呼び起こすことによって現われるものだ。通常、なにも意識していない状態で発現するものではない。一目では半人と判断できない、だからこそ数が少なく希少とされているのだが。
しかしあの半人の仔は、なぜかずっとその状態を維持している。つまり通常時から人では有り得ない身体能力を持ち得るということ。
「我々も調べたのです。あの鱗から、魚かと考え水に沈めました。結果は、魚ではないモノである、としか。水の中を自由に泳ぎ動き回りましたが、鰓や鰭が出ることはなく、息も長くはもたないようでした。まあそれでも、常人の数倍は長くもったのですが」
男の話しを、公爵は真剣な表情で聞いていた。
細いあごに手を当てて思案する。
「次に、トカゲやワニの類かと、氷室の中に放り込みました。やつらは寒さの厳しい場所では活動しませんからね。しかし、いくら閉じ込めても動きが鈍ることはなく。暑さの厳しい場所でも同様でした。しかし、水さえ与えれば食事は摂らずともひと月は問題なく生き延びました」
水の中でも自由に動き、寒さや暑さの悪環境の中でも、食糧がなくても生き延びる。
人ではない存在である半人だが、その能力はもう半分の血に多大な影響を受けるのだ。鱗がある生物とその特徴を思い浮かべたところで、合致するものは出てこない。
「まさか魔物の類か……?」
もう一つの可能性に行き当たり、それはないとかぶりを振る。
人型の魔物もいるにはいるが、完全に人間と同じ形をとることはない。あの半人の仔は、むき出しになった足の先から指の形まで、確かに人間と同じだった。
魔物と人間が子を生すことは不可能であるので、間違いなく半人であり、何かの生物との混ざりモノであることは確かなのだ。
だがそれが何かがわからない。
「可能性としては、あとひとつございます」
考え込む公爵に、奴隷商の男は躊躇いながら声をかけた。
男も、その可能性はゼロに等しいものだと思っている。そう考える事すら、不敬にあたることも。
公爵の意識が自分の方に向いたことを確認してから、男は部屋の奥の壁に飾られた額へと視線を走らせた。緻密な模様が刻まれたその額は純金で作られており、その中に飾られたものの価値を表していた。
槍と剣が交差し、その下には薔薇が咲く。そして交差したその上には伝説として崇められ語られる、この国の創造神――始祖竜が、宝玉を咥えている様が描かれている。
この国――メルバーン王国の紋章である。
「……首が飛ぶぞ」
「あくまでも、可能性の話でございます。ご容赦を」
国起こしの物語だ。この国の者なら、幼い子どもでも知っているような。
太古の昔、大陸には一滴も雨が降らず、大地は涸れ荒れ果てていた。少ない食糧を奪い合い、休む間もなく争いは繰り広げられ、数多の命が無残に散っていく。そこで人々は雨乞いをすることになったが、誰も生贄にはなりたがらない。そこに声を上げたのが、一人の美しい乙女であった。 乙女は唯一芽吹いた一輪の薔薇の蕾を持って竜の元へと嫁ぎ、雨を呼んだ。
そして竜は口から黄金の宝玉を吐きだすと、それは光り輝き、枯れた稲穂を蘇らせたという。竜と乙女の間に産まれた子は生まれてすぐに言葉を操り、二足歩行し、民をまとめて国を作った。現在の王家の始まりである。
そういう言い伝えがあるからこそ、竜を国の創造主として唯一神として崇めるようになり、竜の子孫である王家を祭り上げる。薔薇は国花として国中で栽培されており、中でも乙女が竜に捧げたとされる深紅の薔薇は、王宮内でのみ栽培が認められているほどだ。
そして竜の瞳の色である金色は、禁色とされており――王家に連なる者にのみ、着用が許される。
金の瞳。
鱗状のあざ。
混ざりモノが不明である、この状況。
不敬だ。下手したら反逆罪で死罪である。
しかし、考えずにはいられない。
あの半人の仔は、竜の仔ではないのか、と。
「――馬鹿馬鹿しい」
脳裏に過ぎるそれを、ウィンプソン公爵は一笑に伏した。
あの小汚い奴隷の仔が、高貴なる竜の血筋であるなどと。激昂の後に切り捨てられても文句の言えない妄想だ。
しかし。
銀の娘を思い出す。
あれは大人しすぎて、優しすぎる娘だ。控えめ過ぎて、奴隷一人すら、自分の希望も通らない。妹に先を越されても、残り物で構わないと、諦める癖がついてしまった。その結果が、よくわからない半人奴隷の主とは。
娘に顔を拭われて、可哀想なくらい顔を赤く染めていた奴隷の顔を思い出す。生気の抜け切った抜け殻の様だったのが一変し、ひどく人間らしい表情だった。
アレは、娘を守ってくれるだろうか。
自分の命すら捨てて、娘の幸せの為に、戦い抜いてくれるだろうか。
相手は奴隷身分の半人の仔だというのに、父としてそう願って止まない。
三枚目の書類にも同じように――しかしもっと丁寧に――サインをしながら、ウィンプソン公爵はこれからのことを思ってため息を吐いた。