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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
50/57


「ほら」


 半分の大きさに千切られたパンを膝の上に放られた。

 バルドゥールは軽く叩いて表面についたゴミを落とすと、躊躇うことなく口にする。仮にも貴族の――しかも王族の血を引く最高位の貴族が、一度地面に落ちたものを食べている。思わず振り仰いで凝視すると睨み返された。


「なんだ」

「いや、それ、食べるんですね」

「敬語」

「食べるんだネ」

「お前も食べろよ」

「……はぁい」


 アリアドネもまた、同じように表面の汚れを軽く叩き落として大口でかぶりついた。

 食事のマナーもここ数年で叩き込まれてはいるが、今この場所で守るマナーが見当たらない。小さなお口? 小さく千切ってお上品に? この格好でそれをしても笑えるだけだ。

 詰め込めるだけ詰め込んで咀嚼する。日持ちさせるために水分を飛ばした固焼きのパンは、数度噛んだだけで顎の疲れがやってくる。

 公爵家の賄いは家主家族の食事の残りが出ることもある。バターをたっぷり使ったそれは白く、柔らかく、甘くて美味しい。シェヘラザードは必ず一つはアリアドネのために残してくれるので、アリアドネはある意味ではその味に慣れていた。それに比べたらこれはパンではない。ただの小麦の塊である。

 バルドゥールは平気なふりをして食べているが、控えめに言っても貴族が食べるものではない。

 顎の疲れを感じているのか眉間に何匹ものミミズがのたくっている。もそもそと咀嚼する姿は非常に嫌そうで不味そうだった。まぁ、アリアドネの前で朗らかな顔をすることがないので仏頂面そのカオが標準装備なのだけれど。


「ねえ」

「……なんだ」

「おなかすいたからそれちょうだい」

「…………」

「ありがと」


 数口で自分の分を食べ終えたアリアドネは、未だ半分も進んでいないバルドゥールの分のパンを要求した。

 ぎゅうう、とより深い溝が眉間に走るも、バルドゥールは無言のままにそれを手渡す。不味いそれを食べ続けるよりも、アリアドネに借りを作る方がいいという判断か。おかわりを欲しがる妹に自分の分をやる心優しい兄、としても正解だろう。


 ばくりと大きく口を開けて咀嚼。

 無言で食べ進めるアリアドネを見下ろしながら、バルドゥールは深くため息をついた。汚らしい格好をして、自分を囮に奴隷商人を釣り上げるつもりなのだが、中々引っかからない相手に苛立っているようだった。


 標的を釣り上げる餌としての役割しかないパンを全て腹に収めて手持無沙汰になったアリアドネは、この機会に前々から気になっていたことを聞くことにした。


「ねえ」

「……なんだ」

「どうして信じられたの」


 何を。誰を。

 言葉は足りずとも伝わったらしい。背中に当たる体が僅かに跳ねた。


(どうして、リカルド殿下の言うことを信じられたの)


 リカルド・リューク・メルバーン第一王子殿下。アリアドネの主・シェヘラザードの婚約者であり、バルドゥールの従兄弟にして唯一無二の主君。

 彼はアリアドネと同じく転生者である。最もアリアドネの持つ前の記憶は一度きりであり、リカルドのように何十回何百回もの記憶を持っているわけではないので、同じ、と同列に扱っていいのかは分からない。

 リカルドは生を受けた回数と同じ数、婚約者であるシェヘラザードを殺されている。様々な理由で、様々な状況で、様々な人物に、何度も何度も。


 アリアドネも同じだった。

 前回の生では、シェヘラザードの双子の妹であるセイレンナーデ・リナ・ウィンプソンと、半人の血に覚醒したリカルドに代わって王太子の地位を得た第二王子、エヴァン・リューク・メルバーンにより主を殺され、国や国民を巻き込んで自らも死んだ。

 シェヘラザードの死。

 アリアドネにとっての一度目で、それを招いてしまったのは他でもないアリアドネだ。アリアドネはそれが許せない。自分の手で愛する主を殺した、自分自身が許せない。

 それを回避する、その為だけにアリアドネは今世を生きていると言っても過言ではない。だからこそ同じ目的を持つリュークと繋がり、その側近であるバルドゥールと動いているのだ。


 しかしこの少年、バルドゥール・ウィジョン・メルバーンは違う。


 アリアドネやリカルドとは違い、前の記憶はないのだ。

 同じ時代を何度もやり直しているというリカルドの言葉は、普通に考えたら異常そのものだ。命にやり直しはきかない。人生は一度きり。死んでしまえばそれまでだ。子供でも知っている。

 しかしリカルドは、バルドゥールも同席する場でアリアドネに協力を持ちかけた。その時の彼に変わった様子は見られなかった。それはつまり、以前から話の内容を知っていたということ。リカルドが転生者であり、未来を変えるために動いていることを知っているということ。

 荒唐無稽な話だ。もしアリアドネが彼の立場であったなら、速やかに病院に行くことを勧めていただろう。


 なぜ信じられたのだろう。この、嘘みたいな本当の話を。


 バルドゥールの造られた紫と、アリアドネの片目だけの黒が交差する。

 しばらく言葉を探すように開いては閉じを繰り返していた薄い唇は、視線が外されるのと同時に硬く閉じられた。


「―――きた」


 バルドゥールはアリアドネの体を深く抱き込んだ。頭から被った襤褸布をさらに上から被せて体を縮こませる。

 そしてアリアドネもまた、こちらに近づいてくる足音に気が付いた。まだまだ遠く距離がある。耳がいいアリアドネよりも早く、接近に気づくなんて――。

 バルドゥールに対する驚きもあったが、今は置いておく。それよりも先にやるべきことがあるからだ。


 足音は二人分。音の響き方から言って男性。

 真っ直ぐに――曲がりくねる裏道を進むのにこの言葉が合っているのかは分からないが――向かってくる。

 そして体を寄せ合って座り込む二人の前に現れた男たちは、にやにやと下卑た笑みを浮かべていた。


「こんなところでどうしたんだい?」


 ねっとりとした声。取り繕ったような優しさをわざとらしく振りかざして話しかけてきた。もう一人は素早く周囲を見回している。二人の子供はぱっと見は孤児だが、万が一にでも親が近くにいないかどうか確認しているのだろう。

 大通りの喧騒は遠く、子供二人は不穏な空気を感じ取っているのか、揺れる瞳で男たちを見上げていた。


「おにいちゃん……」


 ――演技はすでに始まっている。

 女児特有の高くて細い声を意識して、怯えたように喉を震わせて。抱き上げられた膝の上、兄の体にすり寄った。

 すり寄られた兄の方は、擦り切れた襤褸の隙間から紫色の瞳がのぞき、毅然に睨み上げている。地味だが整っている顔の造り。兄の胸に隠れて見えないが、妹の方もそれなりだろうと予想した。


「こっちに美味しいものがたくさんあるところがあるんだ。君たちもおいで」


 そんな言葉で本物の孤児が拾えると思ったら大間違いだぞ――…。

 子供だと思って簡単に好きに出来ると思っている様子の男たちを、襤褸の影から呆れたように見上げたアリアドネは思う。


「なんだよおっさん、そんなこと言われて行くわけねーだろ」


 対応するのはバルドゥールだ。路地裏の子供らしく、礼儀も何もありはしない言葉で吐き捨てる。

 アリアドネは喋るなと厳命を受けている。許されている発言は3つだけ。「うん」「ううん」「おにいちゃん」それだけである。


 ここですんなりと付いて行ってはいけない。親を亡くし――もしくは親に捨てられ――身一つで生き抜く子供ストリートチルドレンの警戒心は野生の獣並みだ。毛を逆立てて、差し伸べられる手に返すのは鋭い爪。いくら小さくとも捕獲するのは困難を極める。

 しかしそれは、本物の孤児の場合である。ここにいる子供は偽物であり、餌である。食らいついてくるのを今か今かと待ち構えていた。獲物は続ける。


「割のいい仕事があって、人手がいるんだ。報酬は弾もう。どうだ?」


 実際、収穫祭の期間は王都にいる人口がかなり増える為、それに応じて臨時の仕事も増える。急募のために孤児や乞食といった平民ではない者も雇ってもらえやすく、給金もそれなりにいいことが多い。

 そのため本物の孤児もこの時期にはそういった臨時の仕事をすることがある。

 今日のパンにも困る孤児だ。多少怪しくとも、その時生きていける糧を得ることを重視する。


(こいつらは、それを狙ってるんだ)


 そうして何人もの孤児が捕まっている。

 捕まった孤児は無認可の奴隷商人によって売り飛ばされ、どんな目に合うか分からない。

 しばらく迷うように視線を泳がせて、小さく給金の相場を聞く。すぐさま答えられた金額は破格のもので、これは怪しいとますます警戒を強めるが。


「……わかった、行く」

「よぅし、交渉成立だ。ついてこい」

「おにいちゃん」

「大丈夫だ、アリー。なんとかする」

 

 何とかする、のはバルドゥール本人なのか、それとも武力行使をメインに押し付けられる予定のアリアドネなのか。

 今はまだ分からないがしかし。

 今もどこかで苦しみ、辛い思いをしているかもしれない孤児のためにも。

 犯罪者であるダービー男爵との婚約を控えた師・アナスタシアのためにも。

 兄・ヒュンケルの様子に心を痛めるシェヘラザードのためにも。

 シェヘラザードの幸せを願う同士であるリカルドのためにも。

 そして何より、兄妹ごっこというこの茶番を早く終わらせるためにも。


(奴隷商人はぶっ潰す!!)


 表向きぴるぴると震えながら、アリアドネは決意を新たにするのだった。


 怪しい男二人の後ろをついて歩く。

 男たちは知らない。

 エサにかかったのは自分たちだということを。




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