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鋭い制止の声に奴隷商は慌てふためいて、鞭を振るっていた手を休めて少女に向き直った。
市では当たり前のパフォーマンスだが、幼い貴族の令嬢にとっては衝撃的過ぎたのか。気まずさから、鞭を身体の後ろに隠すような動きをしてしまう。
ドレスの作りを見るに、かなり高位の貴族だということが察せられる。現に、馬車を見れば濃い紫色の旗が風に揺れていて、王族に次ぐ、公爵家のものだと示していた。
女の子に目が釘付けになっていた少年だったが、鞭打ちから解放された幼子が小さく身じろいだことではっと我を取り戻した。
背中が痛むのか、緩慢な動きで起き上がろうとする幼子に手を貸す。
「おい、大丈夫か? ……ごめんな、止めなくて」
「……」
小さな声でかけられた言葉に、幼子は気にしてないとばかりに首を振り、それから小さく頷いて返す。
殴られるのも、鞭打たれるのにも、慣れていた。
一発目に頬を打たれたことで、口の中には血が溢れている。高貴な方々の前で粗相をしてはいけないと教え込まれていた幼子は、吐き出すことも出来ずに飲み込んだ。
咽喉を滑り胃に落ちた鉄臭さが気持ち悪い。またすぐにじわじわと溢れてきて、口の中が血の味でいっぱいになる、その不快さに眉をしかめた。
小声でやり取りしているうちに、金の少女はすぐ近くまで寄ってきていた。
「まったく、奴隷相手に野蛮なことね。大丈夫?」
「……」
「そう。それはよかった」
ルビーの瞳に見下ろされ、幼子は小さく頷いた。
それに満足したのか少女は大きく頷くと、少年の前に立つ。幼いながらに美しい少女にじろじろと見つめられ、少年は自分の頬が熱くなるのを感じた。
うろうろと視線を彷徨わせ、結局どこを見ても落ち着かず、自分の膝を見つめることにする。
恥ずかしそうに身を縮める少年に、少女は笑う。そして。
「うん、決めたわ! あなた、わたしの奴隷になりなさい!」
「えっ」
「あら、あなたも美人ね。いいわ、あなたもよ!」
「ええっ?」
まず赤毛の少年を、そして次にエメラルドの瞳の少女を指さして、元気よく宣言した。
少年はともかく、まさかこの流れで自分に話が飛ぶとは思っていなかった少女は、幼子への折檻に怯えて量を増した涙を引っ込めて、目を白黒させる。
話しについて行けずに戸惑う二人を置き去りに、金の少女はぐるりと後ろを振り返り、漸く馬車から下りてきた自身の父親に手を振った。
「お父様! わたし決めました、この子たちがいいわ!」
「お前はどうしてそうお転婆なんだ……。まだ姉様が決めていないのに、妹のおまえが先に決めてしまうなど」
「だってお姉さまが遅いのがいけないんだわ。ねえ、お姉さまもいいでしょう?」
「え、ええ……?」
「ほら、ええ、って言ったわ!」
「おまえ、今のええは違うと思うが……」
「どうしてよ!」
金の少女に手を引かれて馬車を降りてきたのは美しい男だった。
はしゃぐ娘を見つめて困ったように笑い、なおも言葉を募ろうとする金の少女の唇を、指一本優しく押し付けて黙らせる。
静かに、と言葉尻は優しいが、その裏には逆らうことのできない圧がある。
父を怒らせると恐ろしいと知る少女は、ぶすくれた表情でそっぽを向いた。
「五つになるお前達へのプレゼントのひとつなんだ。お前だけでなく、姉様にも選ぶ権利があるんだぞ。……さぁ、隠れていないで出ておいで。好きな仔を選びなさい」
高位貴族にとって、専属の奴隷を持つことはけして珍しいことではなく、むしろ一般的な部類に入る。
幼い頃に一人、もしくは数人の奴隷を専属に選び、身の回りの世話をさせたり、自身の仕事の補佐をさせるのだ。
どれだけ美しく、どれだけ強く、どれだけ優秀か。それは主である貴族の評価に、多少なりとも影響する。そのため子どもを持つ貴族の親たちは、少しでもいい奴隷をかうために金を積む。
だからこそ奴隷商は、美しく若い奴隷を高値で売ることができるのだ。
優しく――しかし有無を言わせず――背を押されて、おずおずと父親の後ろから姿を見せたのは、これまた美しい少女だった。
白い肌。薔薇色の頬。繊細な作りの水色のドレスを身に纏い、長い髪は艶やかなプラチナブロンド、弱気に揺れる瞳はサファイアと、色は違えど金の少女にそっくりな顔立ち。
姉、妹、という立ち場であれど、双子であることが一目でわかる。
大人しい姉と、快活な妹、といったところだろうか。
銀の少女は戸惑いも露わにうろうろと視線を彷徨わせ――こちらを凝視する幼子の存在に気がついた。
「あなた、たいへん、血が――」
「あらお姉さま! その半人をお選びになるの? ならわたしがこの二人をいただいてもいいかしら? いいわよね!」
か細い声が、大きな声にかき消される。
かき消した張本人である金の少女は、父親の手をぶんぶんと振って自分の正当性を示すと、苦く笑った父が頷いたのを、両手を振って快哉を上げた。
はしゃぐ妹を困ったように眺めてから、汚れることも構わずに、銀の少女は幼子の前にしゃがみこむ。そして、ポケットから取り出した真っ白なハンカチを、血と泥に汚れた頬に押し当てた。
「こんなに腫れて……痛かったでしょう。屋敷に戻ったら手当しましょうね」
蚯蚓腫れになった頬の傷を、痛々しそうに見つめて言う銀の少女を、幼子は瞬きもせずに見つめていた。
無気力な目がだんだんと大きく見開かれていき――それと同時に緩んだ口元からだばだばと血が溢れしまうが、そんなことも気にせずに、ただただ少女を見つめていた。
慌てる銀の少女が口元の血を拭おうとハンカチを向けて漸く、幼子はぱかりと開いた口を閉じて後ずさった。
汚れてしまう。汚してしまう。
口を手で覆って、拒否するべく必死に首を振る。
そんな幼子の仕草に、銀の少女は優しく笑って。
「遠慮しないで。これからあなたはわたしのもう一人の家族になるのだから、気にしなくていいのよ」
幼子の手をやんわりととって、口元を拭ってしまった。
顔を真っ赤にした幼子は、つい数分前の無感情をどこかに置いてきてしまったかのようで。左右ので色の異なる瞳をうるうる、うろうろとさせながら、行き場のない感情の高ぶりをどこに向ければいいのか分からず、無意味に手を顔を動かして。
声もなくあわあわと落ち着かない子どもに、少女は笑う。
「はじめまして。わたしはラナよ。よろしくね」
これが二度目のはじめましてだということに気づいているのは――顔を真っ赤に染め上げて、今にも倒れてしまいそうな、幼子一人だけである。