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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
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狂騒曲、その舞台裏1


 王城から爆発したような歓声が聞こえてきて、アリアドネは思わず足を止めて振り仰いだ。

 建物の隙間を縫うように走る狭い路地である。どんなに目を凝らしても切り取られた青空が見えるだけで、王城の影も形も見えやしない。そこそこの距離が離れているはずなのにこんなにも大きく歓声が届くとは驚きだ。

 予定ではこの時間は国王の合図とともに竜騎士軍が開会のセレモニーを行っているはずである。何が起きているのかは分からないが、王城から離れたこんな場所にまで声が届くくらいだ。民衆の熱狂を想像するに容易い。


「おい、行くぞ」

「……はい」


 足を止めていたアリアドネを咎めるように、数歩分先を進んでいた少年――バルドゥールが声をかけた。頷きと共に追いかける。

 頭からかぶった襤褸布の裾をはためかせ、薄い靴底をぺたぺたと鳴らして走る少年の背中を追う。アリアドネも同じような恰好だ。伸びた癖っ毛をさらにぐしゃぐしゃとかき混ぜて、擦り切れたぼろぼろの服と穴の開いた靴を身に纏い、右目には汚れた包帯を巻いている。

 アリアドネの金色の瞳は目立ちすぎるが、バルドゥールの黒も同様に目立つ。黒髪だけ黒目だけは珍しくはないが、黒髪黒目、二つが揃っているのは珍しい。そのため目の色だけを紫に変えていた。


「バルドゥールさま」

「……今は兄と呼べ」


 足を速めて隣に並び、小さな声で呼びかけるとそう訂正された。兄さん、呼び直す。

 3年前、アリアドネはシェヘラザードの5歳の洗礼道中の時も同じような姿で――その時よりも今の方がよっぽどみすぼらしい姿だが――同じ無印奴隷であるルーカスと共に走り回ったが、バルドゥールとは髪の色が同じ分、より兄弟らしく見えて違和感は少なかった。


「本当にこれで釣れますか?」

「敬語」

「……釣れるの?」


 ぴたり。バルドゥールは足を止めた。

 紫色の瞳にじっと見つめられ、アリアドネは負けじと見つめ返す。にやりと意地の悪い笑みを浮かべた少年は、踵を返して再度走り出す。


「さぁてね」


 どちらつかずなその一言を、歌うように残して。





 

 迷路のように入り組む細い路地を、二人は無言のままに進んでいく。


 何本か向こうの大通りでは明るい音楽と陽気な人の笑い声が聞こえているのに、こちら側はまるで別世界のようだ。暗く静か。碌に日の光もささない裏通りはどこか寒々しい。狭い路地にはゴミが散乱し、すえたような異臭を放っていた。

 同じように襤褸に包まれた塊の横を走り抜ける。子供だ。

 メルバーン王国は豊かな国だが、それでも孤児や乞食は存在する。彼らの多くは日の当たる大通りから少しだけ逸れた、こうした日陰の中で生き抜いていた。大通りには出ない。平民だけならまだしも貴族も多く通るその道は、下手に馬車の前にまろび出てしまえば最後、そのまま轢かれても叩き切られても文句は言えないからだ。

 しかし栄えている大通りから一本逸れてしまえば話は別だ。奥に行けば行くほど、暗がりに向かうほど、国に淀む闇は深くなる。

 家を持たずに路上生活を送る者など、それこそ掃いて捨てるほどに存在していた。


 ぐるぐると迷路に迷った子供のように路地をあちらこちらに移動するバルドゥールとアリアドネの二人も、そんな孤児の姿に似せていた。

 孤児や乞食は縄張り意識が強く場合によっては徒党を組むが、収穫祭の期間中ばかりは事情が異なる。

 収穫祭が行われる7日間は、それこそ国中から人が集まる。貴族も商人も関わらずだ。

 人が増えれば物も増え、金は周る。一瞬たりとも静寂の訪れない楽し気な空気は人々の心を浮足立たせ、財布の紐を緩ませるのだ。すると普段は目もくれない哀れな孤児に金をやろう、食料を恵んでやろうという仮初めの善人が現れる。それを目当てに孤児もまた、国中から集まってくるのだった。


 アリアドネは収穫祭の最終日である今日、シェヘラザードの元を離れての任務を仰せつかっていた。それは王子殿下から直々の指名を受け、ウィンプソン公爵閣下の命令を受けてのものである。

 無許可で奴隷の売買を行う闇商人――ダービー男爵の捕縛。

 ダービー男爵とその配下の商人達は収穫祭の人の流れに乗じて王都に商品を運び込み、そして客が領地に帰る流れにのって商品を配達するつもりなのだろう。収穫祭の始まる数日前から動きが活発化しており、おそらく最終日である今日、なんらかの動きがあるはずだ。

 その証拠に、


(子供が少なすぎる)


 歩いてきた道を振り返りアリアドネは考える。

 元より王都にいる孤児はもちろんのこと、近くの領地からも集まっているはずの子供の姿が見当たらない。大通りに沿って喧騒に近づいてみたり離れてみたりをくり返しているが、明らかに子供の数が少なかった。

 バルドゥールが子飼いの者に探りを入れさせてみたところ、数日前から行方不明になっている子供もいるらしい。平民、貴族問わずで、だ。何かの思惑が動いていると考えるのが自然である。


「……いくぞ」


 指さした方角は明るい。大通りへ繋がる細道を喧騒に向かって進めば、楽し気な空気が濃厚なまでに漂ってくる。しかしけして日の当たる場所に出ることはなく、陰に潜んでじっと体を縮こませた。

 ぐ、と肩を抱かれてバルドゥールに抱え込まれる。妹を守る兄の演技だ。

 日陰と日向。あちら側とこちら側。壁も何も遮るものは存在しないのに、そこには明確な線引きがあった。

 路地の隙間で息を潜める子供たちに気づいたのだろうか。楽しそうな顔を瞬時に歪ませた小綺麗な恰好をした中年女性の、侮蔑の視線が突き刺さる。


(ああ――…)


 シェヘラザードに出会えていなければ、この目は、アリアドネ自身に向けられていたことだろう。

 どうしてか動けなくなってしまったアリアドネの肩を抱き直し、バルドゥールは無言でもう片方の手を伸ばした。掌を上にしている。物乞いだ。

 女性は舌打ちを一つして、持っていた籠におもむろに手を突っ込むと、小さなパンをひっつかんでこちらに投げてよこした。適当に放られたそれはバルドゥールの手にかすりもせず、アリアドネの頭に当たって地面に落ちる。

 さっさと行きな。吐き捨てるようにいいながらしっしと手を振る女性にかくんと首だけを曲げる礼を返して、バルドゥールは落ちたパンを拾い上げ、動きの鈍いアリアドネの手を引いて路地の奥へと戻った。


 再び喧騒が遠くなる。

 途中で見つけた木箱――元は果実や何かが入っていただろうものだ――に、アリアドネを抱え込んだまま腰を下ろす。自然とバルドゥールの膝の上に尻を落ち着けることになってしまい、アリアドネは慌てた。

 勿論、異性の上に座るという行為に対しての恥じらいなどではない。今は兄妹のフリをしているが実際は自分の仕える主よりも身分が上の者の上に乗る、というあり得ない状況にである。

 どうしてこうなった――。いたたまれなさにもぞもぞと尻を動かすと、


「尻の骨が刺さって痛い。大人しく座ってろ」

「……はぁい」


 怒られてしまった。諦めと共に体の力を抜く。

 同じ年頃の子供と比べても成長不良でガリガリのアリアドネは、いくらか年上とはいえ細身のバルドゥールに抱え込まれてしまうほどに小さいので、それに見合う重さだ。体重をかけても問題ないだろう。


「おい、重いぞデブ」

「……………チッ」


 怒られた。

 

「おい今舌打ちしたろう」

「いだっ」


 蹴られた。

 なんて心の狭い男だろう。


「いたたたたたたいたいいたいですいてててててて」

「……」


 無言でわき腹に爪を立てられた。痛みに強い半人だが、一切の遠慮がない地味な攻撃は地味に効く。

 こいつは脳内でも覗けるのだろうか。そう勘繰ってしまうほどに絶妙なタイミングだったので、次からはなるべく心が狭いだとか、人間が小さいだとか思わないようにしよう。


「いたいいたいすみませんってば!」


 ……思わないようにしよう。無理かもしれないけれど。




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