結婚狂騒曲6
収穫祭最終日。とうとう御前試合の日がやってきた。
秋晴れの見事な青空に空砲が鳴り響き、白く煙がたなびいていく。会場となる広場には入りきらないほど大勢の観客が溢れ、熱気に包まれている。
王族専用の最上階の個室のバルコニーに王が姿を現すと、盛大な歓声が上がった。
リカルドの父である王は、血の繋がりを確かに感じさせるほどによく似ていた。あと数十年もすれば、あの幼い王子もこうなるのだろうと想像できるようだ。ゆるく波打つ豊かな金髪は風に揺れ、覇気に満ち満ちた瞳で眼下の国民を睥睨する。
誰しもがその一挙手一投足に注目する中、王だけが持つことを許された金の錫杖を掲げれば、たちまち広場に静寂が訪れた。
「――精鋭たちよ」
静かな声だ。叫んでいるわけではないのに広場の隅々まで届くのは、発せられた音に魔術がかけられているからだ。
「メルバーンの騎士の名に恥じぬ戦いを期待している」
短い言葉の後、王の持つ錫杖が一層強い光を放った。金色のそれは徐々に強さを増していき、カッと上空へ向けて迸る。
大きな光球は広場の中央の遥か上空へと一直線に伸びゆき停止。そして刹那の瞬きの直後に小爆発を起こしたそれは、9方向へと光の矢となって広場の端々へと飛んで行く。僅かなどよめき、そして歓声が爆発した。
光の矢は城壁の上空で形を変え、竜の形をとったからだ。
広場を囲うように等間隔に距離をとって停止飛行する、大きさも色も異なる9種の竜。その背には人影があった。
王宮軍に属しながらも独自の軍務と規則をもつ、国王陛下の直轄独立部隊――竜騎士団である。
王の真後ろには竜騎士軍団長、アーノルド・ボア・ロマノフ中将。契約竜はヴォアレス、燃える赤い鱗を持つ超大型の火竜だ。
その右隣は副団長であるヒュンケル・イアル・ウィンプソン准将。契約竜はルディ、風竜。揺れる緑の風羽が美しい。
ヒュンケルの反対、左側に停止飛行するのは参謀役のエルダ・リマ・カルカロフ少佐。契約竜のソイールは馬くらいの大きさの小型の土竜で、大きな鉤爪が特徴だ。
そのさらに左から順に、カイ・テイラー少尉とリック・テイラー少尉。平民出の双子の兄弟である二人の契約竜は、ファーファとフィフィ。同じ母竜から生まれた兄弟である。よく似た姿の火竜だ。
広場の入り口の上空でヴォアレスほどではないが、重たげな巨躯を浮遊させるのは氷竜のロクロンだ。代々竜騎士を輩出する家系に産まれた女騎士、ガビ・エリザベート・スピアーズ中尉がその背に跨っている。
入り口を挟むようにしているのはユーゴ・スロウ・ブッカ―少尉である。15歳という異例の若さで、雷竜・サンと契約し、竜騎士になった。竜というよりかは大型の鳥に似た姿で、ぱちぱちと起こる静電気でサンの体毛が逆立っている。
その隣を飛ぶのはジーニアス・ケイリー大尉とその契約竜・ティムレスだ。優れた研究者でもあるジーニアスが、孵化に成功させて手ずから育てた無属性の竜である。
そしてヒュンケルの右隣――アーノルド団長の反対隣だ――に、補佐官であるアナスタシア・ロン少尉が契約竜のウィズとともに控えていた。水竜らしいつるりとした紡錘形で、大きな鰭で空を泳いでいた。
その特殊性から国中を単騎で飛び回り任務にあたることが多い竜騎士軍の面々が一堂に会することはほぼない。
現在他の何よりも優先するべき特殊任務にあたっている隊員がいなかったことと、収穫祭という国を挙げての祭りであるということ、そして王自らが招集をかけたことなど、いくつかの幸運が重なって実現した。
創造神である龍神の血を引く子孫である王が9頭の竜を従えるさまは神話を体現しているかのようで、その場にいる全ての者がその光景に目を奪われていた。
金の錫杖から放たれた同色の光はしばらく9頭の竜の鱗を踊るように輝いていたが、停止飛行を止め、9頭同時にばさりと大きく翼を羽ばたかせたことで水飛沫のように空中へ散った。太陽光を受けて金光がきらきらと眩く光る。
そして竜たちは大きく口を開くと、そこに自らの属性を帯びた魔素を集め始めた。キイイイ、と金属が擦れるような高い音が響いたのは数秒。音が止んだ。
カアッ
広場の中心の遥か真上に向けて、9頭の竜はブレスを吐きだした。
全く同じタイミングで、同じ量、同じ強さのそれが9方向からぶつかり合う。声もなく見上げていた民衆は、網膜を焼くあまりの眩しさに腕をかざした。そして素肌に感じる熱と冷気。眩む目を何度か瞬きさせて、その正体を探った。
火竜の火の粉や、様々な形をとった水竜の水の芸術が氷竜によって冷凍されたもの。土竜が運んだ花びらや葉や種。雷の気を纏ったもの。それぞれの竜の属性を現すものが、風竜の生み出す風によって優しく人々に降り注ぐ。
「陛下の御代と、メルバーン王国に栄光あれ!!」
国中の羨望と憧憬を集める竜騎士団を纏め上げるアーノルド団長の声が高らかに響き渡ると、歓声が爆発した。
「すごい……!」
ウィンプソン公爵家用に割り当てられた個室の観覧席からその光景を見下ろしていたシェヘラザードは、予想もしなかった光景に思わず腰を上げて小さく呻いた。
普段見ることの叶わない王の堂々たる姿、そして悠々と空を支配する9頭の竜の姿に、震えるほどの感動を禁じ得ない。それは隣のソファに腰かけていたセイレンナーデも同様で、立ち上がってガラスに手をついて食いつくように眺めていた。
「すごい、すごいわ……! なんて荘厳なの!」
「こらセレン、はしたないよ」
「だってお父さま! すごいわ、こんな、この世のものとは思えないくらい素敵なのは初めてよ!」
興奮も露わに飛び跳ねるセイレンナーデは父から優しく窘められてもソファに戻ってくる様子はない。ガラスにきらきらと輝く赤色の瞳が反射している。まるで恋でもしているかのような瞳だ。
うずうずと体を揺らすシェヘラザードに気づき、ウィンプソン公爵はそっと肩を押した。いってきなさい。優しげな瞳に込められた意味を正確に拾い上げ、シェヘラザードは嬉しそうに立ち上がり妹の隣へと並ぶ。
きゃあきゃあとはしゃぎながら娘たちが興奮気味に観覧しているのを、父であるウィンプソン公爵は穏やかな表情で眺めていた。
今日はお祭りだ。少しくらい令嬢らしくない振る舞いをしても構うまい。
公爵家の人間以外はこの観覧室には入れないのだから。
王専用、王族専用の個室観覧室があるように、公爵家専用の個室も6部屋存在する。
至る所にセンス良く、《鱗》の紋章が配置されたこの部屋はまさしくウィンプソン家専用の部屋となっていた。他の貴族が個室を使用しようとすれば事前の予約が必須だが、この部屋は公爵家の特権の一つとして与えられたもので、その家の者ならばいつでも利用が可能になる。
王宮主催の夜会の際の休憩室や宿泊場所としても使用できるので、今はまだ幼くて夜会やパーティーには出席しない娘たちではあるが年頃になれば重宝するようになるだろう。
《鱗》の公爵当主として王に拝謁し、王宮軍の元帥として竜を見ることの多い彼の様子は平時と全く変わりがない。
その隣に腰かける嫡男のオランドは落ち着いた様子であるが、滅多にみることのない光景を固唾を呑んで一心に見つめていた。次期当主として王に仕え、竜を管理する立場になるという緊張か、その表情は硬い。
母のマリアベルは体が弱く長期の移動に耐えきれないため、滅多に領地から出ることはない。今回は不在である。
国王陛下万歳! 民衆の声は止まない。
視線を集めるその中に、自分の兄もいると思うとシェヘラザードは誇らしかった。けれど、同時に心配もある。
(お兄さま……。決闘なんて、どうして……)
ルディに跨って竜騎士団の団旗を掲げ、民衆の声に応える兄の姿を見つめた。竜騎士だけに許された甲冑、軍旗。それを身に着ける美貌の青年騎士。
その隣でピンと背筋を伸ばす女性の姿も、なんと美しいのだろう。遠目で詳しくはわからないが、いつもと同じように冷静に見える。しかし、その心中は如何ばかりか。
(この場で、ロン少尉がお兄さまに勝つことなど出来やしないのに)
ヒュンケルは《鱗》の称号を与えられたウィンプソン公爵家の次男だ。そして国軍の花形である竜騎士軍の副団長という責任も立場もある。
それが同じ竜騎士とはいえ、貴族位を剥奪された半人の元奴隷であるアナスタシアに万が一負けてしまったらどうなるか。
竜騎士である資格なしとして、よくて爵位返上、最悪自死を求められることだろう。
アナスタシアはそれをわかっているのだろう。アリアドネから聞くところによると、決闘を申し込まれた時には今にも倒れてしまうそうなほど顔色が悪かったという。
ヒュンケルが立場上負けられないのならば、アナスタシアが負ければいいというのも少し違う。
決闘を申し込む際、ヒュンケルは己が勝った場合の条件をつけた。アナスタシアの竜騎士爵の剥奪だ。
アナスタシアは竜を得て、竜騎士になったことで奴隷を脱し市民権を得た。半人であり、奴隷であるというマイナスを、竜騎士であるというプラス事項が全てを吹き飛ばしている。
しかし、そのプラスがなくなってしまえば、アナスタシアを守ってくれるものはなくなってしまう。再び奴隷身分に落ちるだろう。そして一度契約をした竜は、契約者が生きている限りは他の人間と契約を結び直すことはないので、契約の結び直しのために自死を求められることにもなりかねない。
負けてしまえば、アナスタシアに待っているのは奴隷か自死か。
清廉潔白という言葉の似あう彼女の性格を考えればそれを分かっていてわざと負けるのも厭わないだろうが、今回ばかりは事情が異なる。
アナスタシアにはダービー男爵との婚約の話が持ち上がっている。
それは竜騎士としてのアナスタシアに向けられたものであって、そうでなくなってしまったのでこの話はなかったことに、とはならないのだ。
話を勝手に進めた領地の父母だけでなく、実質メリウス伯爵家の当主として動く兄にも多大な迷惑をかけてしまうだろう。婚約者となったダービー男爵家にもその余波が行きかねない。アナスタシア一人の命で済めばいい。しかし済まなければ?
シェヘラザードは法に明るくないので、詳しいことはわからない。
けれど厳しい貴族教育を受けてきた彼女は、貴族ひとりの責任で済むことが少ないことを知っている。一人の罪は、家族や婚約者、家人の罪となる。
(ああお兄さま、どうしてこんなことに――…)
眼下に広がり笑顔で声を上げる民衆たちは、これから行われる御前試合を心から楽しみにしていることがよく分かる。隣に立つ妹も。シェヘラザードだって、ほんの少し前はそうだった。
けれど一度考え始めてしまったら最後、楽しみだという気持ちがどんどん薄れていってしまい、シェヘラザードは唇を噛んでガラスから離れた。
きょろり、部屋の中を見渡す。
壁際に数人の家人と護衛騎士が控えている。セイレンナーデの選んだ侍女はマルタだ。見知った顔があることに少しだけ安堵するが、一番見たかった顔がないことに気を落とす。
(アリアドネ)
シェヘラザードの専属侍女であるはずのアリアドネは、今朝、父から別の場所の護衛任務を命令された。
まだ幼い子供で、色の違う右目以外は特筆して目を引く容姿でもないアリアドネは、市井に紛れての任務を行いやすいのだという。万が一の時に武力行使できる力もあるため、こうした大きなイベント事にはよく引っ張り出されていた。去年の収穫祭の時もそうだったので、シェヘラザードとて理解はしている。
けれど、今年だけは。
―――大丈夫です、シェヘラザードさま。
そう言って、隣で手を握って欲しかった。
自分よりも小さな手。けれどその手が、どれほどシェヘラザードを勇気づけるか。
(ああ、リュークさま。アリアドネ――)
婚約者の手のぬくもり。自分だけの侍女の手の強さ。
思い出すように、シェヘラザードは自分で手を強く握りしめた。
御前試合が始まる。




