閑話 幼い婚約者達の語らい2
背後で無音のやり取りがなされているとは露知らず、音楽に耳を傾けながら、主二人は穏やかに会話を続けている。
「シェヘラザードも何か楽器をやるのかい?」
「ええ、ピアノとヴァイオリンを習っております。けれど……」
「けれど?」
何かを躊躇うように言葉を止めたシェヘラザードだったが、急かすことなく次を待つリカルドに勇気づけられたように言葉を続けた。
「技術はあるけれど、その、音に心がこもっていないと言われ、まし、て」
それは公爵家で雇っている家庭教師から言われた言葉だ。
教養の一つとして楽器を習うが、シェヘラザードはそれすらも難なくこなす。だがしかし、楽譜通りにしか弾けない、つまらない音だと言われていた。
(あの女家庭教師め……!)
思わずチィッ、と舌打ちすれば、横からの圧がアリアドネを襲った。
いけないいけない、と姿勢を正す。
反対に褒めそやされていたのがセイレンナーデだ。技術はシェヘラザードに比べて拙いが、一音一音に心が、想いがこもっていると熱弁していた。
その性根を知るアリアドネに言わせてみれば、セイレンナーデがこめる心など全く大したものではない。
しかしそれを言われたシェヘラザードにしてみれば堪ったものではないだろう。心の込め方など練習して改善できる点ではないため、シェヘラザードは悩んでいた。
目を伏せるシェヘラザードは、自身の右手を包み込むぬくもりに顔を上げた。両手で包みこむようにして、リカルドがシェヘラザードの手を握りしめている。
慰めの言葉はない。けれど、その真摯な眼差しと、右手を包み込むぬくもりが全てを物語っているようだった。
「リュークさま……?」
一心に見つめられてついつい頬を染めたシェヘラザードは、少しだけ身を引いた。リカルドは笑みを深める。
「今度一緒に演奏しようか」
「え?」
「アップテンポで楽しい曲。一緒に弾いたらきっと楽しいよ。楽しい気持ちで弾いたら、その曲には楽しいって気持ちがこもるんじゃないかな」
あの曲はどうかな、この曲は?
楽し気に提案するリカルドを、ぽかんと見つめていたシェヘラザードだったが、言われた言葉をじわじわと理解したらしい。桃色に染まった頬を緩ませて、握られた手に力を込めた。
「……はい、是非」
「うん、約束だよ。結婚式のお披露目でも弾こうね」
「えっ!?」
「約束~」
「えっ、えっ、えっ」
シェヘラザードがおろおろしているうちに、その約束はリカルドの中で決定された。眩く輝く王子様スマイルで、握り合った手をシェイクする。
流れるように自分の望みを通すリカルドと、流れのままに連れ去られていくシェヘラザード。相性がいいと言えなくもないが、傍から見る分には心配になってしまう。
アリアドネとしては、シェヘラザードがリカルドに大切にされる分には何も言うことはない。それによって、シェヘラザードの関心の全てがアリアドネからリカルドに向かってしまう、という恐れはあるのだが――それはとてもとても許容できることではないのだが――シェヘラザードがどうであろうと、アリアドネの一番は揺らぎようがないので、まあいい。
リカルドとアリアドネの思惑は一致しているのだ。全てはシェヘラザードのため。
先ほど言っていた、一緒に練習するというのも利点が多い。何年後か先の未来で行われるだろう結婚式の披露宴やパーティーで弾くともなれば、何度も練習する必要もある。会う回数を増やすことで、王子の婚約者として仲睦まじくやれているというアピールになるからだ。
待ち受けているだろう最悪の未来を避けるためにも、前とは違うことをする必要がある。リカルドとシェヘラザードが会うということは、侍女であるアリアドネと側近であるバルドゥールも顔を合わせるということだ。リカルドの指示を受け、比較的自由に動けるアリアドネが暗躍することも出来る。
それに何より、リカルドの誘いに嬉しそうにする様は、名ばかりの婚約者ではないと周囲に知らしめることだろう。
想い合う王子と姉の姿を見て、セイレンナーデがどう動くかは――想像も出来ないのが辛いところだ。
早速とばかりに次の約束――楽器の練習だ――を取り付けると、リカルドはそういえば、と思い出したように声を上げた。
「最終日、兄君も出るそうだね?」
「はい、そうなのです……」
シェヘラザードは心配そうに目を伏せた。
「何事もなければ良いのですが――…」
数日前、明朗快活な兄が決闘を申し込んだとその場に立ち会ったアリアドネから聞いた時には、シェヘラザードは己の耳を疑った。しかも相手が副官であり、かつての婚約者であったというアナスタシアだ。何がどうしてそうなったのか、さっぱり分からなかった。
収穫祭は7日を通して行われるが、楽団の演奏は6日間のみである。最終日である7日目は、別の催し物が開催される。
御前試合と呼ばれるそれは、まさしく国を挙げての祭りの最後を飾るにふさわしいものだ。
大陸でも一二を争う強国であるメルバーン王国が誇る二つの軍が、王族――ひいては国王の前で武の技を競う。それが御前試合だ。
《鱗》の紋を抱くウィンプソン公爵家が率いる、近衛団や竜騎士団を擁する王都の守護の要である王宮軍。
《牙》の紋を抱くゴールディング公爵家が率いる、国境団や各領地軍団を纏める王国最強の盾であり矛である王国軍。
存在意義の異なる二軍は何かと対抗意識が強い。それは王都や王城の守護をする上で貴族出身の軍人が多い王宮軍と、平民からの叩き上げが多い王国軍とで、軍の階級と身分が逆転する現象が起こりがちであることも理由の一つだが、一番の理由はただただ相手が気に食わないから、というのが大きいだろう。
剣術、弓術、槍術、馬術、魔術といった兵士として騎士としての必須の武芸を、それを得意とする者が選ばれて軍の威信と己の誇りをかけて競い合う。
その最終試合に兄・ヒュンケルが出場する。相手は同じ竜騎士軍に所属するアナスタシアだ。
それが決闘だと知る者は少ないが、通常同じ軍の者同士が戦うことはあり得ないため、その試合は様々な憶測を呼んでいた。何か理由があるのではないか、と。
ヒュンケルの独りよがりで決められた決闘の場を、由緒正しい御前試合に設定するなど、わざわざ国中の耳目を集めるようなことをするのもおかしい。
父が許可したからこそこんなことになっているのだと分かっているが、アナスタシアの心境を思えばそんなことは何の慰めにもならない。
平民も貴族も王族も、みんな、御前試合を観るだろう。
上官と副官、しかも元婚約者だ。下世話な噂だって飛び交っている。アナスタシアと親しいアリアドネに頼むのも心苦しかったが、シェヘラザードがお願い事を出来る人は限られているので、決闘に関しての情報を集めてもらったのだ。
顔見知り程度であまり親しくはないが、それでも彼女が心配になってしまうようなことが様々言われていた。
兄は思慮深い人だ。何か考えがあるのだろうとは思うが、しかし。
(心配だわ……)
シェヘラザードは深くため息を吐いた。
兄は思慮深い人だが、愛情深い人でもある。その愛情は妹であるシェヘラザードやセイレンナーデにも惜しげなく注がれるが、それはまるで真夏の太陽のようだと思う。強くて熱くて真っすぐでぎらぎらしている。
ヒュンケルはそういう人だ。
誰にでも明るくて優しくて、頼りがいがあって、向けられる愛情そのままの、真っすぐな太陽のよう。
けれどシェヘラザードは知っている。
真夏の方が濃い影が出来ることを。強い光は、より深い闇を生み出すことを。
(本当に、何事もなければいいのだけれど)
何もできないシェヘラザードに出来ることは、ただただひっそりと願うことだけだった。




