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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
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『……それで?』


 小さな黒いピアスから、はぁぁ~……と重苦しいため息が零れた。

 一日の勤務を終えて戻った自室。薄い枕の上に手巾をひいて、真ん中に鎮座するのは先日リカルド殿下から手渡された通信用のピアスである。

 耳につけたままでも通信は出来るのだが、なにせ王子殿下からの下賜品である。緊急時は仕方ないとしても、そうでない時くらいは対面しながら会話をしないと落ち着かなかった。

 通信先の相手はリカルドではない。その側近のバルドゥールである。王子であるリカルドに直接話すのではなく、バルドゥールを通して精査されて伝えられる。

 

「アナスタシア・ロン少尉は私の師でもあるのですが、どうやら領地にいらっしゃるご両親が縁談を纏めてしまわれたようなのです。もう簡単にはお断り出来ない状況にあると」

『……そうか。で?』

「ヒュンケル様はそれはそれはお怒りになりまして、我が主はそれはそれはお辛そうでございました。あんな話を聞いた後ですからね、仕方ありません」

『……だから?』

「殿下の力でなんとかなりませんか」

『ならん』


 つらつらと語るアリアドネに、嫌々な様子を隠そうともせずに相槌を打っていたバルドゥールは、最後の最後できっぱりと拒否を示した。

 

「殿下にとっては将来の義兄となられるお方の妻になられるお方のことですよ? 大事じゃありませんか」

『ロン少尉の婚姻は決まったんだろう。妻にはならない』

「シェヘラザード様はそれをお望みではございません。だからなんとかなりませんか」

『ならん』

「前回はこのような話にはなっておりませんでした。このことは、殿下の未来を変える切っ掛けの一つになるのではないですか? バルドゥール様もそれをお望みでしょう」

『………ならん』

「…………」

『…………』

「…………………なんとかしてください」

『…………………なんともならんと言っている』


 どこまでも平行線。

 アリアドネが続けた。


「お師匠の婚約者はダービー男爵だそうです。ご存知ですか?」

『商人上がりの成金か』

「はい」

 

 ダービー男爵は王都住まいの法衣貴族――領地を持たない貴族のこと――だ。

 先代が事業拡大に成功して莫大な財を成し、その功績によって国から男爵という地位を与えられた。代々血を繋いでいる貴族からは金で爵位を買った成金だと下に見られ、蔑まれることも多い。

 だからこそ、元とはいえメリウス伯爵家の令嬢であったアナスタシアを嫁にとることで貴族の血を得ようとしたのだろう。医学の名家であるメリウス伯爵の後ろ盾を得られるのも大きい。

 アナスタシアの婚約者となったのは二代目である現ダービー男爵だが、この男が問題だった。全くいい噂を聞かないのだ。


「無認可の奴隷商として闇で動いているようなのです」

『……それは確かな情報か?』

「出所は言えませんが」


 シェヘラザードに拾われてから3年を、何も勉強と訓練だけに費やしていたわけではない。

 公爵家令嬢付きの無印奴隷という自分の身分は隠したうえでだが、輝かしく栄える王都の裏側にも潜り込んでいた。それは勿論、今後動きやすくするために情報を得るためというのが一番の目的であったが、万が一の時にシェヘラザードを連れて逃げられるよう伝手を得たい、という理由もあった。

 公爵邸を出たら必ずと言っていいほど見張りが付くので、アリアドネの動きは当主であるハーレイ公爵に筒抜けであるとも考えられるが、今のところ何のお咎めもないので自由にしている。


 険悪なムードで終えた検診後のお茶会。それが終わってすぐにアリアドネはアナスタシアの婚約について調べをつけた。

 そうしてダービー男爵についていろいろと情報は集まったのだが、それは目を覆いたくなるようなものばかりだった。

 先代は至って健全な商売でのし上がったようだったが、息子の方はそうもいかなかったようだ。貴族という地位を得て、さらに欲が出たのかもしれない。


 半人の血が覚醒すると、大なり小なり差はあれど今まで通りの生活は出来なくなる。貴族だったアナスタシアがそうだったように、父母によって奴隷として売られたというのはよくある話だ。

 その奴隷のいく末は、アリアドネが売りに出された奴隷市場であることがほとんどだが例外は存在する。

 闇市場だ。

 他国からの奴隷を密入国させたり、人さらいをしてきたりと、奴隷の仕入れ先は様々。正式に金銭授受を経ての奴隷取引ならば国の法で認められた商売ではあるが、そうでないならば法に反する。王子として未来の王として、リカルドにとっては見過ごせない案件のはず。それは側近であるバルドゥールも同様。


「ダービー男爵は教会や孤児院への支援もする慈善家としての顔もあります。その一環としてここ数年、何人かの子供を下働きとして迎え入れているそうなのですが……おそらく」


 下男下女として屋敷に引き入れ、その後売り払っているのだろう。彼らの姿は屋敷にはなかった。

 調べまわったことを報告しているうちに、通信機の向こうは静かになっていた。時折、コツッ、コツッ、と小さく硬質な音がする。指先が机を叩く音だ。

 しばらくの無言の後、バルドゥールは言った。


『それが本当ならば、殿下に報告しなければならんな』 

「ええ、是非」

『しかし今の話で男爵が失脚したとして、少尉の婚約はほぼ本決まりなんだろう? 今更こちらでどうこう口は出せない。下級貴族の婚姻にまで王家が口を出せば反感を生む』

「……でしょうね」

『ダービー男爵の裏取りはこちらでしよう。お前にも手伝ってもらうぞ』

「心得ております」


 それから一言二言交わして通信は切れた。

 きっとこの後すぐ、バルドゥールからリカルドへ情報は伝わるだろう。そこから情報の真偽が確認され、事実だと認められれば男爵家は取り潰しとなる。

 正式に婚約を結ぶ前ならば、アナスタシアが被害を被ることはないだろう。


「問題はこっちだな」


 ヒュンケルがどう動くか。

 そしてアナスタシアがどう応えるか。


「う~~~ん…」


 自分はどう動くべきか。

 うんともすんとも言わなくなったピアスを早くも塞がりかけた穴に捩じ入れながら、アリアドネは唸った。

 そしてその問題は、思わぬところで動き出す。






「拾え」


 冷たい声だ。なんの感情もこもらぬ声。

 いつだって明るく、優しさに溢れていた男の発したものだとは到底思えないような声に、自分が言われたわけでもないのにアリアドネの背筋が冷えた。

 隣に立つアナスタシアを見上げる。真っ青な顔色で目を見開いて硬直していた。うっすらと開いた唇が震えている。

 足元を見下ろした。アナスタシアの磨かれた軍靴にかかるようにして白い手袋が落ちていた。ヒュンケルのものだ。


「……あ、」


 何を言おうとしたのだろうか。アナスタシアが震える声を絞り出した。いつもの凛とした、遠くまで響くようなものではない。か細く、穏やかにそよぐ風の音にさえ負けてしまいそうな小さな声だった。


「何をしている」


 追い打ちをかけるようにしてヒュンケルが厳しい声を発した。アナスタシアの肩が跳ねあがり、唇が引き結ばれる。明らかな怯え。

 それもそうだろう、ヒュンケルの背後からは燃え滾るような怒りが轟々と噴き上がっている様が見えるようだった。アナスタシアを真っすぐに睨みつける眼光も、その表情も冷たく暗いのに、発される怒気は火傷するのではないかというほどである。


「拾え」


 再度命じられ、アナスタシアはごくりと喉を動かした。極度の緊張で口の中はカラカラで、いくら唾を呑み込もうともちっとも潤うことはない。むしろ飢餓感が増すばかりだった。鼻から深く、大きく息を吸って――止めた。

 ヒュンケルを睨み返す。

 軍部の上官で、公爵家次男。その男を相手に睨みつけるとは不敬だと、首が飛んでも可笑しくはない。しかしアナスタシアはそんなもの知るかとばかりに睨みつけた。負けるものかという意地だった。

 そうでなければ、アナスタシアは次の行動をとることは出来なかっただろう。

 足元にくたびれたように転がる手袋を拾い上げた。


「………」

「――よし」


 ヒュンケルは頷く。


「日時はおって伝える。それまでは軍部に来なくていい」

「……はい」

「俺が勝てば、おまえから竜騎士爵を剥奪する」

「……はい」


 ヒュンケルが一方的に話し、アナスタシアはそれに小さく頷くのみである。

 あまりに急激に事が進むものだから、感情の処理が追いついていないのかもしれない。


「おまえが勝った場合はどうする? 後で決めるか?」

「………考えさせてください」

「いいだろう。せいぜい自分に有利な条件を考えておくことだ」


 ヒュンケルはちらりとアリアドネを一瞥して、しかし何も声をかけることなく去っていった。アリアドネも何も言わない――言えない。

 一方的かつ半強制的とはいえ、爵位を持つ二人の騎士が取り決めたことだ。爵位どころか、成人すらしていないアリアドネが口を出せることなど、何一つなかった。


「……お師匠」

「アリアドネ……ごめんなさい、びっくりさせてしまいましたね……」

(いや貴女の方がびっくりしたでしょうに)


 口を出せない代わりにアナスタシアを呼んだ。

 拾い上げた手袋を握り締めて、強張った表情で立ちすくむ彼女の姿は痛々しくて見てられない。紫の瞳は小刻みに揺れていて、彼女の動揺を如実に表しているようだった。


「……大丈夫ですか」


 大丈夫なはずはない。分かっていて尋ねる。

 アナスタシアは捨てられた子犬のようにくしゃりと顔を歪めた。力が抜けたのだろうか、かくりと膝を折って地面に座り込み、心配から覗き込んだアリアドネの体を抱き込んだ。震えている。


「どうして……」


 どうして、その後に続く言葉は出て来なかった。

 アリアドネは震える体を抱き締める。アナスタシアが求めているのは、この小さな手でもなければ薄い胸でもないだろうけれど、冷え切った体に少しでも熱を分けてあげられたらいい。


 手袋を投げつけ、拾う。

 その一連の行為は騎士の尊厳を競う決闘の合図だ。敗者は勝者に絶対服従を誓わねばならない。


 後日、決闘の詳細が伝えられた。

 ヒュンケルが申し込み、アナスタシアがそれを受けた。決闘の証人はアリアドネ。見届け人は王族含めた王都に住む者全て。

 収穫祭の騎士同士の模擬戦闘が決闘の舞台となる。





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