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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
43/57



 メルバーン王国の北北西、国境を守る《牙》のゴールディング公爵領。その年の軍事演習は、鉄の要塞・セグル砦にて行われた。

 演習に参加した学院生は30余名。引率の教師を含めれば、40名近くにも及ぶ人数であった。騎士科、医薬学科に所属する中でも、特に優秀とされる生徒たちが選ばれた。

 簡単な演習のはずだった。

 ゴールディング公爵家が司る王国軍の訓練に参加し、守衛業務に関わることで、卒業後の進路を考える――もしくは卒業後の伝手を得る。それを目的とした演習だった。


 誤算だったのは、長らく冷戦状態だった北の隣国・ガルシュルツが動いたこと。

 ガルシュルツは大規模な魔法陣を展開し、砦の外にいた軍人、領民問わずに攻撃した。無差別に、無慈悲に、無作為に。ただただ手数を打ち込むことで無防備だった命を刈り取っていき、砦の中へと侵入を果たした。


 雨の降る、初夏の夜だった。


 夜番を除き、ほとんどの軍人が眠りに落ちている最中の出来事。音を消して、速やかに寝首を掻くガルシュルツの手腕は見事で、多くの軍人が何もできずに死んだ。

 しかし異常事態は空気を伝わるものである。

 攻め込まれていることに気づいた一部はすぐさま応援を呼びに早馬を出し、武器を取り反撃に出る。数人で班を編成し籠城、奇襲に成功し勝利を確信するガルシュルツの兵は警戒心が薄く、多くの敵を屠った。


 実戦を知らない生徒たちも、突然叩き落された地獄の中でもがくしかなかった。

 眠ったまま死んでいく者はまだいい。しかし、運悪く状況を把握しきれないうちに狙われた者、咄嗟に隠れたはいいものの見つかり嬲られた者も多くいた。

 アナスタシアもまた、同室だった医薬学科の女生徒と共に、誰かと合流しようと動いたところでガルシュルツ兵に見つかった。


「っうぐ!」

「アナスタシア! っきゃああああああっ!」


 背後から現れた敵兵に長い髪を掴まれ、アナスタシアは冷たい廊下に引き摺り倒された。背中を強かに打ち付けて、呼吸が止まる。その後すぐに同室の女生徒の悲鳴が響き渡った。


「おい、女だ!」

「まじかよ、ツイてんなぁ!」

「しかも二人! 上玉だ!」


 女特有の甲高い悲鳴は、近くにいた敵兵を多く呼び寄せた。

 力ずくで肩を、足を抑えられ、身動きが出来なくなる。頭も強く打ったようでくらくらして、まともに働かない。しかしパニック状態に陥っているのか、未だキャーキャーと悲鳴を上げる女生徒を一刻も早く黙らせねば、どんどん危機が増していくだけだとは分かっていた。

 戦場という極度の緊張状態、その場にいて命を懸けて戦うことで否応なく煽られる精神。それは戦いが終わった後、凶暴なまでの性衝動と化して女子供に向かうことは少なくない。負けるとはそういうことだ。

 武器の一つも持たず、薄着で両手両足の自由を奪われた今の状態では、いつそうなっても可笑しくない。


(だから黙って……!)


 悲鳴を聞きつけて引率の教師や王国軍人が駆けつけてくる、その可能性もゼロではない。しかしゼロではないだけで、限りなくゼロには近いだろう。

 誰も助けには来ない。誰かを助けるとは、自分の命を危険に晒すということだ。自分の安全が確保された状態でないと難しい。


 寝巻にしていた訓練着の裾から、男の手が入り込んでくる。全身の毛穴が開き、べたりと触れた場所から悪寒が駆け抜けた。

 汗ばんだ手が腹を撫でる。その手つきの気持ち悪さといったら!!


「さわ、るなっ!」

「おわっ」


 咄嗟に発動させた魔術。青い光が迸って、アナスタシアを抑え込む男たちの拘束する手が緩んだ。

 出来るだけ距離を取ろうと動くが、男が伸ばした腕に長い髪が掴まれる。頭皮が引っ張られる痛み。ぶちぶちと髪が抜けるのも構わず、力任せに引き寄せようとする。


(させるかっ!)


 隠し持っていた短刀で髪を切った。乱暴に掴まれていた反動で前のめりにたたらを踏む。

 長さがまちまちになった髪を振り乱して、壁を背にして短刀を構えた。

 アナスタシアのことをただのか弱い娘だと思っていたらしい敵兵が警戒を強めて近づかない、今のうちに態勢を立て直さねば――…。


「いやぁ! いやぁあっ!」

「っ!」

「おお、い~いカラダ~」

「おい、俺が先に見つけたんだぞ」

「知るかよ、早いもの勝ちだろ」


 アナスタシアが抵抗したことに気づかなかったのか、それとも気づいたうえで他の男が何とかするだろうと思われたのか。

 同室の少女を抑え込んだ男たちは抵抗してばたつかせる細い脚を押さえつけて、身に纏ったワンピースを剥ぎ取っているところだった。白い肌が露わになる。絹を裂くような悲鳴。

 助けなければ!


「その子を離せっ!」


 術式展開。水属性の適性が強いアナスタシアは、咄嗟に得意な術を放つ。大気中の水分を集めて極小の水礫を形成、そして急激に冷やし固めて氷塊とし、風魔法に乗せて撃つ術だ。


「氷の針!!」

「炎の盾!」

「くっ」


 必死に放ったそれは、敵兵の展開した術によって呆気なく防がれた。

 第二撃をと動くも、やはり数に勝る敵兵の動きが早かった。側頭部に打撃をくらい、度重なる頭部へのダメージに意識が遠のく。


(だめっ!!)


 ここで意識を失ったが最後、二度と家族に――婚約者に顔向けできない体になるだろう。

 女である、そのことで命は繋ぐことが出来たとしても、それ以外の尊厳を失うことになる。それは絶対に嫌だった。


(ヒュンケル――、私に力を貸してっ!)


 結婚して。

 ことあるごとにそうやってふざけたように言葉にするが、その目の奥で青い炎がちらついているのを知っている。

 静かに激しく燃える炎。それがヒュンケルの本気を現しているようで、アナスタシアは好きだった。思えば初めてプロポーズされた5歳の誕生日の時から、その炎はゆらゆらとヒュンケルの瞳に揺れていた。

 アナスタシアの瞳にその炎が燃え移ったのはいつの頃からだろう。初めは小さな種火だったそれは、今では煌々とアナスタシアの胸の奥で燃え続けている。

 その炎が消えるのなら、それはヒュンケルの手でなければならない。他の男に消させて堪るものか!


 気力で持たせたアナスタシアは善戦した。

 魔術で敵兵を蹴散らし、少女を助け起こし背に庇い、相手の腰の剣を奪って戦った。

 実戦経験のないアナスタシアは、本気で人を傷つけたことはない。訓練ではいつも刃先をつぶした剣で、大怪我をしない程度に調節した魔術で戦っていた。やり過ぎた時にはすぐに最高の施術を受けられる万全の体制の元、行われていた。

 けれど今、手加減をする余裕も何もない。

 魔術で、剣術で、体術で。屠る、屠る、屠る。

 死なないために。無事に戻るために。約束を守るために。


―――アナスタシア、俺と結婚してね


(うん、うん、ヒュンケル。結婚しよう、絶対、ぜったい)


 血濡れてしまったこの手を、貴方がとってくれるなら。


 疲労で動きが鈍ったアナスタシアは気づかない。

 死角から肉薄した敵兵の剣が、すぐそこまで迫っていたことに。


 ザシュッ


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっっ!!!!!」


 左腕が切り落とされる。

 壮絶な痛みと熱さ。耐えきれない悲鳴がアナスタシアの喉から迸った。後ろに庇った少女が叫ぶが、それをかき消すほどだ。

 痛い、痛い、痛い、痛い!!!

 生理的な涙が視界を奪う。駄目だ、ちゃんと前を見なければ。ちゃんと戦わなければ。ちゃんと――…。


 剣を大きく振り上げる敵兵の男。

 それが、アナスタシアの覚えている最後の光景だった。







 気が付いたら朝を迎えていた。

 こと切れた男の死体がごろごろとそこら中に転がっている中でアナスタシアは目を覚ました。気絶していたらしい。鈍く痛む頭を抱えてゆっくりとあたりを見回すと、同室の少女が近くに倒れていた。胸元が上下している。気を失っているだけのようだ。

 乱れたワンピースの裾をまくり上げ、無体なことをされていないか確認する。大丈夫。


(生きてる……)


 アナスタシア自身も、体の違和感やあらぬ場所の痛みはない。

 耳を澄ましても、いつもと変わらない、穏やかな朝の音が聞こえるのみだ。どうやら戦いは終わったらしい。こうしてアナスタシアが生きているということは、敵兵は撤退したのか。

 何にしても、早めに動いて情報を整理しなければならない。

 被害の規模は。こうなった理由は。犠牲者は。学園の生徒や教師は。


(ああ、頭が痛い……)


 ずきずきと鈍い痛みを逃がそうと息を吐きだすと、ざんばらに切り捨てた赤髪が、ぱらりと顔に落ちてきた。

 邪魔だな…、そう思って左手で髪を払う。

 後で切り揃えなければいけない。元の長さまで伸びるのに、どのくらいかかるだろうか――。


「……え?」


 左手で?

 アナスタシアは昨晩のことを思い出す。確かに自分の左手は切り落とされたはずだ。あの痛みと熱さが偽物のはずがない。

 しかし切り落とされた痕もなければ、痛みも残っていない。さらにいえば、細かな古傷がたくさんあったはずなのに、それすらもきれいになくなっている。


「どういうことなの……?」

「う、ん……」

「あっ、起きたのね。ねぇ、大丈夫?」


 信じられない思いで自身の左腕を凝視していたが、同室の少女が小さく唸ったことで気を取り直す。

 肩をゆすって覚醒を促す。閉じられた瞼がふるりと揺れて、少女の瞳が現れて――見開かれた。


「きゃああああああっ!!」


 必死に手足をばたつかせて逃げようとする。

 昨晩の出来事がフラッシュバックしているのか。アナスタシアは焦って声をかけるも、少女は顔を青くして距離を取ろうと後ずさる。


「ちょっと落ち着いて、もう大丈夫だから――」

「いやぁ、近づかないでっ!!」


 足音が近づいてくる。砦の生き残りが、他の生存者を探して回っているのだろうか。 

 少女は恐怖のあまり錯乱しているようだし、助けを呼ぼう。そう考えて声を上げようかと思った、その直後。


「来ないでっ、化け物!!!」


 少女が恐怖しているのは、純粋な人ではなくなったアナスタシアに対してだと、突き付けられた。

 見開かれた少女の瞳に映るアナスタシアの姿は――…




 ***




 フリッツの話を静かに聞いていた。誰も口を挟めなかった。

 セグル砦の悪夢と呼ばれるこの事件は、メルバーンの民ならば誰でも知っている。演習に参加していた教員を含めた学院生35名が命を落とした、近代国史上最も凄惨な事件だった。長きに渡る冷戦状態に痺れを切らした、一部のガルシュルツ兵が先走った結果の悲劇だった。

 その後正式に国同士で和解がなされたものの、その溝は深く。徐々に貿易や国交などは増えてはいるものの、人々の警戒心は未だ薄くなってはいない。

 さらに国境の守りを司るゴールディング公爵家の受けた打撃は大きく、数年かけてようやく元の状態に戻すことが出来たほどだった。こちらもまた、王族や王都の守りを司るウィンプソン家との間の溝は深い。


 冷めた紅茶で唇を湿らせて話を続ける。 


「命の危機に瀕したことで、眠っていた半人の血が覚醒したんでしょう。アナスタシアは虹彩の色彩変化、身体特徴の発露、身体能力の向上、全てに当てはまっていた。まぁだからこそ生き残れたのでしょうけれど」


 同室だった少女が半人となったアナスタシアを拒絶したように、生き残ったごくわずかな学院生は皆、アナスタシアを避けた。

 他の同輩達が生き残れたことを喜ぶ中、アナスタシアだけがたった一人。


「けれど妹にとっての地獄は、ここからだったのかもしれません」




 ***

 



「汚らわしい!!!」


 いつも浮かぶ笑みを隠すためだけに使われていた高価な扇が、強かに蟀谷を打った。ひりつくような痛みが走り、じんじんと熱を持つ。

 生温い液体が頬を伝う感触がして、ああ打たれたんだな、血が出てしまったな、とぼんやりと考える。

 自身を扇で殴りつけた人物を見やれば、怒りで顔を真っ赤に染めて、ぶるぶると体を震わせる母の姿。手を振り上げている。今度は頬に衝撃が走った。二撃目。


「ここまで育ててやった恩を忘れて!! 半人だったなんて!! この恥知らず!! あんたなんかそのまま死んでいたらよかったのよ!! このっ、このっ!!」

「……ごめんなさい」


 バシン、バシン、容赦なく打ち下ろされる叱責の手を、アナスタシアは無抵抗で受け入れる。

 皮膚が破けて血が流れる。額から、頬から。手のひらに出来た剣ダコを見て悲鳴を上げていた母。アナスタシアの美しい長い赤髪を、大切に手入れしていた母。もういない。

 娘のアナスタシアを愛していた母は、死んだのだ。


「おまえ、もう止めないか!」

「あなたっ、でも!」

「いいから」


 何発食らっただろう。止めたのは父だった。まだ足りないとばかりに扇を振り上げる母の腕を掴んで首を振る。

 アナスタシアはぼんやりと――瞼が切れて流血し、腫れ上がっているので視界が悪いのだ――その光景を眺めていた。

 厳格な父。いつも黙って付き従っていた母。優秀で、けれど誰よりも自由な兄。そして自分。仲が良いかと聞かれたら首を傾げてしまうが、それでもちゃんと家族だった。

 家族だったのに。


(嗚呼)


 アナスタシアを見る父の目は冷めきっていた。

 道端に転がる石を見るような、ゴミを漁る野良犬を見るような。そんな目。


「もう止めなさい。これ以上は価値が下がる」


 その言葉が、全てを物語っていたのだろう。

 顔の腫れが収まり次第、売りに出されることが決まった。





5/10追記

誤字報告ありがとうございます。修正しました。

その他誤字報告や感想などありましたら是非よろしくお願い致します。

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