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復讐のアリアドネ  作者: 岡出 千
幼少期:8歳
41/57

結婚狂騒曲



「はい上向いてー……、口開けてー……、首元触りますねー……。うん、健康」


 シェヘラザードの細首に指先を当て、大きく頷いたフリッツは太鼓判を押した。

 ウィンプソン公爵邸の一室にて行われているのは、令嬢たちの月に一度の健康診断である。手早く脈を計り、採血をし、触診する。

 半人研究の第一人者との呼び声高いフリッツだが、その本業は医者である。公爵家への定期訪問である今日は、いつもの汚らしい姿が嘘のように清潔感の溢れる姿だった。

 きちんとした身なりすれば、ヒュンケルとは方向性が異なるが整った顔立ちだということがよく分かる。美しい女騎士・アナスタシアの兄というのも納得がいくというものだ。


 メリウス伯爵家は医師の家系である。

 ウィンプソン公爵家は王宮軍の長として、その右腕的立場にあるメリウス家は軍医として長く仕えてきた。それは現伯爵が領地に引きこもっている――正確に言えば追いやられている――現在も同様。

 次期伯爵であるフリッツも学院の医学科を歴代で最も優秀な成績で卒業し、その功績は医学を何十年分も進歩させたと称賛され、今もなお医学界で知らぬ者はいないと言われるほどの名医として名を馳せている。

 本業の傍らで半人の研究にも没頭する変人としても有名であった。


「さてシェヘラザード嬢、最近体調の崩れなどはございますか?」

「いいえ先生、問題ありませんわ」


 フリッツは公爵家の双子が生まれてからの主治医でもあり、二番目の兄の友人でもある。

 さらにはここ数年は、シェヘラザードの侍女であるアリアドネがフリッツの研究に協力していることもあり、頻繁なペースで顔を合わせていた。

 さらにさらに、自分にも良くしてくれる上、アリアドネが尊敬してやまない師・アナスタシアの実兄でもあるので、シェヘラザードの彼に対する心象は悪くない。

 にこりと笑って受け応えると、「それは重畳」とだけ返して手元のカルテにさらさらと書き示していく。この周りに興味のない様子もシェヘラザードにとっては好ましく感じられた。


「はい、問題ありません。じゃあ次、セイレンナーデ嬢――…」

「いやよ!!」


 何の問題もなく診察を終えたシェヘラザードだったが、その次に控えるセイレンナーデはそうもいかなかった。

 じっとしていることも嫌い、血を抜かれることも嫌いな妹令嬢は、人に懐かない猫のように距離を取って威嚇している。さっさと逃げ出さないのは、その結果、優しい父が笑顔で圧をかけてくることを知っているからだ。勿論、すでに経験済みである。


「おじょ~うさま~。こわくないですよ~。ちょ~っとだけちくっとするだけですよ~」

「嘘よ! そんなこと言って、太い針でたくさん血を抜くのでしょう! アリアドネみたいに!!」


 姉妹の毎月の検診後は必ず、アリアドネの身体検査がある。

 半人についての研究を進めるための検体を提供しているのだ。検体とは皮膚片であったり唾液であったり時により様々なのだが、セイレンナーデが気にしているのはほんのひと月前に提供したばかりの血液である。

 令嬢たちが刺すのよりも倍ほどはあろうかという太い針で、貧血で倒れるどころか死ぬのではないかと思うくらいにごっそりと持っていかれた。興味本位でそれを見てしまったセイレンナーデは、採血に対して拒否反応を起こしているのだ。


「健康でないと将来結婚できませんよ~。シェヘラザード嬢のようによいお方からお話がきませんよ~」

「ぐっっ」


 嫌よ嫌よと首を振り体を捩り診察を逃れようとする妹姫は、その話をされるのが滅法嫌な様子であった。

 先日、姉であるシェヘラザードが一足先に婚約を結んだが、セイレンナーデにはそんな話は一つも来ていない。まだ8歳にしてすでに婚約者のいるシェヘラザードが早いだけとも言える。しかし姉にはいるのに自分にはいない、その事実が腹立たしいようだった。

 むすぅ、とハムスターのように頬を膨らませ、渋々とフリッツの前の椅子に座った。

 フリッツはこれ幸いと、さっさと診察を進める。


「お姉さまだけずるいわ。私も殿下のように素敵な方と婚約したい」

「そうですねぇ。はい右向いてー」

「一緒に産まれたのに、先に出てきたからって殿下の婚約者になるなんてずるい。代わってほしいわ」

「それは無理でしょうー。はい左ですー」

「どうして無理なの先生。お父さまに聞いてみなくちゃ分からないわ」

「いやいや、聞かなくても分かりますとも。貴族の婚姻はそんな簡単に止められやしないんですよー。はい首元触りますー」

「姉から妹に変わるだけじゃない」

「それが難しいんです」

「どうして」

「どうしてもです」


 診察を受けながらも、セイレンナーデの口は止まらない。

 何も考えていないのか、それとも分かっていて言っているのか。シェヘラザードを貶しているとも馬鹿にしているともとれるその言い様は、近くで終わるのを待つシェヘラザードの傍に立ったアリアドネの顳顬(こめかみ)に血管を浮かせるのに十分だった。

 よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、そのたびにそっと触れてくる指先に引き留められる。

 なぜ止めるの、そんな思いを込めて主を見やれば困ったように微笑んで、「ねえ先生」とフリッツに声をかけた。


「婚約で思い出したのだけれど、先生はヒュンケルお兄さまのご友人でしょう? お兄さま、誰かいいひといないかご存知かしら。侍女たちがその話で持ち切りなんです」

「そういえばそうよ! 先生、どうなんですか?」


 話を矛先を兄に変えると、案の定きらきらとした眼差しでセイレンナーデは食いついた。シェヘラザードの婚約話よりも、浮いた話をほとんど聞かない兄の恋愛話の方が興味をそそったらしい。

 穏やかに話をすり替えることに成功したシェヘラザードは、アリアドネをちらりと見上げて、ぱちりとウインク。


(あーーーっ、あーーーーっ! そうやって強かなところも好きですーーーーーっっ!)


 直立不動でだらしなく笑み崩れるアリアドネをドン引きした顔で一瞥すると、フリッツは採血の準備をし始める。嫌な顔でそれを見ながらもセイレンナーデは動かない。

 注射の恐怖よりも、兄の恋愛話への興味が勝ったらしい。


「ヒュンケル殿のいい人ですか~。彼はあんまりそういう話は聞きませんねぇ」

「先生でも知りませんか?」

「う~~ん。軍部の仕事で飛び回ってますからね、あまり王都にいることも少ないですし」


 王宮軍の花形・竜騎士軍の副長を務める兄・ヒュンケルは多忙だ。

 竜を従えているその特殊性もあり、国中を飛び回る。竜騎士自体がわずか9名とごく少ない人数しかいないため、振り分けられる仕事も多い。副長という立場上、上からも下からも仕事が回ってくる。

 さらに王宮軍の元帥であり《鱗》の公爵家当主の次男でもあるため、軍部以外での仕事や付き合いもある。

 その中で、うちの娘をうちの孫をどうぞとばかりに貴族令嬢との見合いなども多く舞い込んではいるのだろうが、その全てを上手くあしらっているのか断っているのか、それともただ逃げているだけか。浮いた話はとんと聞かなかった。

 ウィンプソン公爵家の跡取りである長子オランドの妻はすでに男児を出産していることもあり、次男であるヒュンケルは結婚だの跡取りだのとうるさく言われないことも、それに拍車をかけている。

 首を傾げるフリッツを残念そうに見つめて、セイレンナーデはため息をついた。


「なぁ~んだ、お友達って言っても知らないことばっかなのねぇ」


 失礼なことをさらりと言う少女の腕をとりながら、「いやいや何をおっしゃる」のほほんと呟く。


「彼は一途ですからねぇ。元婚約者が忘れられないんですよ」

「まぁ!」


 目を丸くしたシェヘラザードが色めき立った。

 いくら大人びていてもまだ少女。色恋の話は好きだ。それが尊敬する兄のものならなおさら。セイレンナーデも興奮した様子で身を乗り出した。


「元婚約者? ヒュンケルお兄さまに婚約者がいたの? 私も知っている方?」

「ええ勿論ですとも」

「え~気になるわっ。だれだれ?」

「私の妹です」

「「「えっ」」」


 ぷすり。


「私の可愛い妹、アナスタシアです」

「「「ええぇ~~~~~~~~っ!!?」」」

「あぁセイレンナーデ様動かないで。腕の中で針が折れますよ」


 驚きのあまり悲鳴を上げるシェヘラザードとセイレンナーデ、アリアドネをよそに、しれっと爆弾を投下した張本人は至って冷静に採血を終えるのだった。


「知りませんでした?」

「えぇ全く……」


 公爵家の姉妹二人の強い押し――片や穏やかな笑顔の圧で、片や積極的にぐいぐい手を引いて――に負けたフリッツを茶の席に招いて、シェヘラザードはほう、と小さく息を吐いた。

 ごく小さな音を立ててソーサーへと戻されたティーカップに注がれた琥珀色は、シェヘラザードの後ろに控えるアリアドネが淹れたものだ。壁際にはずらりとセイレンナーデの侍女たちが並んでいるが、この場の給仕はアリアドネに任された。

 アリアドネも含む侍女たちは礼儀として我関せず、といった体でいるものの、耳は大きく興味津々である。

 なにせ、アリアドネにとっては尊敬してやまない師・アナスタシアと、侍女たちにとっては憧れの的でありあわよくば妻の地位を射止めたい仕える家の当主の息子・ヒュンケルの恋愛模様の話である。


「まぁ婚約を解消したのはお二人が生まれる前の話ですからね。知らなくて当然でしょう」

「なぜ取りやめになったの?」

「セイレンナーデ、それは」


 身を乗り出して聞くセイレンナーデを窘めるように名を呼ぶ。シェヘラザードは分かっているのだろう、その理由を。

 もちろん、アリアドネにも想像は付く。


「妹が半人の血に覚醒しましたからね」

(やっぱり……)


 アナスタシアは半人である。

 能力開放するとパルドゥスという大型ネコ科の動物の特徴が大きく出て、虹彩の色は黄緑色に、瞳孔は黒く変化する。運動能力は人のそれを遥かに凌駕し、アナスタシアは特にスピード特化型で、跳躍力にも優れている。

 白い肌には仄赤く花のような斑紋が浮かび上がり、素早く動いた時に残る残像が、まるで花弁が散るようでとても美しいことをアリアドネは知っている。

 アナスタシア本人も言っていた。

 貴族として生まれたが、16歳で半人の能力に覚醒したと。そして奴隷身分に堕ちたとも。

 

「妹の本来の名は、アナスタシア・ルージュ・メリウスといいます。しかし私たちの両親は半人に否定的でして、妹がそうだと分かった瞬間に貴族籍を剥奪したんですよ。自動的に婚約も解消です」


 つまり、奴隷身分に堕としたのは実の両親だということだ。


「それさえなければ、今頃は納まるべきところに納まっていたはずなんですがねぇ」


 とんだ馬鹿野郎です。

 誰に向かってか吐き捨てるように呟いた言葉は、琥珀色の紅茶と共に腹へと流れ落ちた。




5/3追記

誤字修正しました。ご指摘ありがとうございます。

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